帷様が桃源国第二十五代征夷大将軍、東雲光晴様であった。
その事実を知らされ、様々な感情を抱えた私であったが、話し合いの結果「しばらくの間、今まで通り」という事になった。
勿論この約束は「しばらくの間」なので永遠に続くものではない。とは言え、私は正直ホッとしている。
何故なら目の前には、解決しなければならない問題が山積みだからだ。
そしてその山積みな事件のお陰で私は、「帷様の正体」という問題について、まるで聞かなかったかのように、普段通り振る舞う事が出来ている。
(厄介な問題は先送り。今は自分の事より事件が優先)
私はうっかり浮上してきそうな、厄介な思いを封印し、以前通り、御火乃番として大奥内を探る生活に戻っている。
***
現在私は長局の部屋で帷様と食台代わりに裏返した箱膳の蓋を向かい合わせ、食後のお茶を楽しんでいる。
私達が交わす会話の内容は勿論、宇治の間で起こった事件についてだ。
「奥医者である、曲直瀬によると、死因は頸部圧迫により気道閉塞が起こり窒息死したのではないか、との事だ」
「つまり絞死って事ですか?」
「そうだな」
すっかり石鹸の香り漂う、お風呂上がりの綺麗な落ち武者に戻った帷様は、できたてほやほや。袋とじにし、糸で端をかがった、和装本の形に整えた見分書を開いている。
この見分書を作成したのは、現場に臨場し、死体を検査する役人である検使。それから奥医者の曲直瀬三道様だ。
「お夏の首元には、索状痕があったらしい。検使によると、お夏の首には丸組紐で締め上げたのではないかと疑われる跡が見受けられたそうだ」
「それは帯紐って事ですよねぇ。だとすると容疑者を絞るのが難しそうですね」
(だって帯紐なんてみんながしてるし)
そもそも組紐は、組みあがった紐の形によって名称が変わる。その中でも丸組紐は珊瑚の根掛と同じように、現在女性の間で流行っているものだ。大奥でもその流行は例外ではない。よってそこから犯人を絞るのは大変そうだと、私は落胆する。
「そうでもない。お夏は死に際、必死に俺たちに犯人を知らせてくれたようだ」
「え、そうなんですか?どうやって?」
私は思わず前のめりになる。すると私が帯に通した根付から紐でぶら下がる、小さな印籠がガタリと箱膳にぶつかった。
「まさにそれだ」
帷様がニヤリと口元を歪ませる。
その視線の先は私の帯の付近に向けられている。
「まさにそれ?」
私は自分の小さな印籠を見つめる。これは任務の際に持ち歩く、服部家の家紋入りの物ではなく、お洒落で実用的なもの。男性用の物に比べると小ぶりで、朱塗りの三段重ね。表には波と千鳥模様が、裏側には帆掛け船がどんぶらこと海を渡っている絵がそれぞれ金箔で描かれている。
「印籠がどう犯人を教えてくれるんですか?」
たまらず尋ねる。
「違う、根付のほうだ」
「え、根付ですか?」
私は自分の帯の上。左側にちょこんと乗る、象牙を削って作られた、打ち出の小槌を持った大黒天様の根付を見つめる。すると、大黒天様は今日も私に「福徳開運あれ」と穏やかな笑みを向けてくれていた。
「息絶えたお夏がしっかりと閉じていた右手には、とある特徴的な根付が握られていたそうだ」
「え、どんな特徴なんですか?」
「これだ」
帷様は手にした見分書を見開いたまま私に見せた。するとそこには、丸い手毬を模したような根付について絵入りで詳細に記されていた。
「あっ、これは美麗様の根付です!」
私は思わず膝立ちになり、大きな声をあげた。
「漆塗りでツヤツヤしていて、それで円の中に描かれた松葉牡丹が精巧な象嵌細工だったんです。だからもはや芸術品だなって。間違いないです。これは美麗様のものです!」
私は興奮のあまり早口になる。
「落ち着け、美麗の物であること。それは既に調べがついている」
「えっ、じゃもうお縄になったのですか?」
(ついに美麗様の化けの皮を剥がす時がきた)
全然落ち着けない私は帷様に迫る勢いで問いかける。
「いやまだだ」
「えっ、だってそれだけ証拠があったら、流石に言い逃れは出来ないと思いますけど。もしかしてあれは一点ものじゃないって事ですか?」
つい目を奪われるほど精巧な細工物が量産されているとは思えない。そう確信を持つ私は、帷様の返答をジッと待つ。
「いや、お夏が握っていた根付は、美麗が御中臈となった時に、貴宮様が祝いに贈ったものだそうだ」
「御台様がですか?」
(だから見るからに、芸術品級で高価そうだったんだ)
私は素晴らしい根付の出処を知り、納得する。そして先程言われた帷様の」落ち着け」という指示を実践すべく、腰を落ち着けた。
「本人にも確認したが、自分が贈ったもので間違いないと言っていた」
「え、それって帷様は貴宮様にお会いしたって事ですか?」
私はつい、問い詰めた口調になる。
(だって、大奥に行くのが嫌だったんじゃないの?)
それに伊桜里様のことはもういいの?
なんで私のところにいるの?
そんな疑問が次々と浮かぶ。
「それは、まぁ、仕方なく」
帷様は、言いづらそうに貴宮様に会った事を認めた。
「…………」
「…………」
何だか浮気を問い詰める妻と、浮気が妻に見つかってしまった夫。そんな状況に通ずる、どこか気まずい雰囲気が私達の間に流れてしまう。
(馬鹿、何でそんなこと聞いちゃったのよ)
私は自分のうっかりを激しく後悔する。
「と、とにかく。美麗様の犯行である可能性が高い。それなのに、何故お縄にならないのですか?」
「それは今、御広敷添番の連中が裏を取っているからだ」
「何の裏ですか?」
「それは」
帷様が確信に触れようとしたその時。
「お琴さん、いる?」
馴染みのない声が戸の外から聞こえた。
私と帷様は顔を見合わせる。
その顔に共通するのは「まずい」の三文字だ。
「と、帷ちゃん様は、ええと、杜若、屏風で身を隠して下さい」
私は箱膳の上に乗った湯呑みを持ち上げ、小声で指示を出す。
「お、おう」
寝巻き姿の帷様が立ち上がり、大慌てで箱膳を脇に寄せる。
「います。お琴はここにいます」
外にいる誰かに答えながら、私は慌てて土間に降り、草履に足を通す。
チラリと部屋の中を振り返ると、帷様がこちらから見えないように、丁度座敷の中央に不自然に屏風を立てた所だった。
(よし、とりあえず大丈夫そう)
私は深呼吸し、長局の戸を開ける。
一気に外気が外から中に飛び込み、すでに下ろしていた私の髪が大きく揺れた。
「あれ、あなたは確か」
(凸凹な二人で、狐と狸で、お夏さんと良く一緒にいた……)
まずい、名前が思い出せない。
「お琴さん、話があるの。うっ、うっ、うわぁぁぁん!!」
狸ちゃん(仮名)はガバリと私の胸に飛び込んできた。
「お夏ちゃんが、お夏ちゃんが」
泣きながら、亡くなったお夏さんの名を連呼する狸ちゃん。
「落ち着いて下さい。一体どうしたんですか?」
私はできるだけ優しく声をかけ、彼女の背中を撫でる。
「お夏ちゃんが亡くなって、私はずっと暇をもらって今日まで一緒にいたの。お夏ちゃんはもう冷たくなってて。かけてるお布団も冷え切ってて。でも、お化粧が綺麗なままだから、もしかしたら生き返るかなって思って、だからずっと待っていたのだけれど、やっぱり朝になっても起きなくて」
「うん」
「それで今日、御広敷添番の方が来て、お亡くなりになったから、もう小櫃にいれるよって言われて。でもどうしても信じられなかったの。いつもみたいに笑ってくれるんじゃないかって。だけど、お夏ちゃんは小櫃にいれられて、それで駕籠に乗せられて、私は七つ口まで見送ったんだ」
「そっか」
「私たちはまだ三年経ってないから、宿下がりが許されないのに、お夏ちゃんは七つ口から出て行っちゃって、それでやっと、ああ、本当に死んじゃったんだって。うっ、うっ、うぅ」
「そうだったんだ」
相槌を打ちながら、彼女の言葉を聞いて私は胸が締め付けられる。
(私にとっては意地悪な人だという印象が強いけど、彼女にとっては大事な友達だったんだもんね)
だからこうして、とめどなく涙が溢れ出てしまうのだろう。
(私は誰かが亡くなって、泣いた記憶がないや)
その事実をふと思い出し、なんて薄情者なんだろうと恥ずかしくなる。
(くノ一だからか、それとも私が捻くれ者だからか)
とにかく私はそういう感情、誰かの死を泣けるほど悲しむという事に、人より疎い事だけは確かなようだ。
現に私はお夏さんの死をこの目で確認したくせに、狸ちゃんのように泣けない。
(でも特段親しくない、顔見知り程度の人が亡くなったら、みんなこんなもんだ)
悲しいフリはいくらだって出来る。けれど、狸ちゃんのような綺麗で、純粋で、本当に心からの涙を流せる人は、親しい人だけだ。
つまり少なくとも、お夏さんには狸ちゃんという親友がいた。それだけは確かなようだ。
「寒いでしょ、入って」
私は狸ちゃんの肩を抱きながら、部屋の中に入ると、戸を締めた。
「ごめんなさい。取り乱して」
少し落ち着いたのか、狸ちゃんが小袖で涙を拭う。
「冷めてるけど、お茶淹れよっか?」
「ううん。すぐ戻らなきゃだから」
「そっか」
「あのさ」
言いかけて、狸ちゃんは、はぁと重い息を吐く。そして土間に敷かれた土を見つめた。
「お琴さん、私やお夏ちゃんのこと恨んでる?」
狸ちゃんが恐る恐ると言った感じで顔を上げながら尋ねてきた。
私は小さく首を横に振る。
「恨んでないよ」
「でも根掛を盗んだって疑われているって、お夏ちゃんが言ってた。それに私達あなたと、それとあの美人な子に意地悪したし」
「私はともかく、帷ちゃんが美人で嫉妬しちゃう気持ちはわかるから、いいよ」
私は不自然に部屋に立てられた屏風に視線を送る。ここから帷様の姿は見えない。どうやら無事その存在を隠せているようだとホッとする。
「そっか。でも根掛けのことは……」
「私はお夏さんが嘘をついてないと思った。勿論お寿美ちゃんも責めた事を後悔しているような、そんな感じだったよ。むしろ疑ってごめんねって思う。今更だけどさ……」
(そっか、もう謝罪も出来ないんだ)
私はようやく、お夏さんの死を実感したのであった。
その事実を知らされ、様々な感情を抱えた私であったが、話し合いの結果「しばらくの間、今まで通り」という事になった。
勿論この約束は「しばらくの間」なので永遠に続くものではない。とは言え、私は正直ホッとしている。
何故なら目の前には、解決しなければならない問題が山積みだからだ。
そしてその山積みな事件のお陰で私は、「帷様の正体」という問題について、まるで聞かなかったかのように、普段通り振る舞う事が出来ている。
(厄介な問題は先送り。今は自分の事より事件が優先)
私はうっかり浮上してきそうな、厄介な思いを封印し、以前通り、御火乃番として大奥内を探る生活に戻っている。
***
現在私は長局の部屋で帷様と食台代わりに裏返した箱膳の蓋を向かい合わせ、食後のお茶を楽しんでいる。
私達が交わす会話の内容は勿論、宇治の間で起こった事件についてだ。
「奥医者である、曲直瀬によると、死因は頸部圧迫により気道閉塞が起こり窒息死したのではないか、との事だ」
「つまり絞死って事ですか?」
「そうだな」
すっかり石鹸の香り漂う、お風呂上がりの綺麗な落ち武者に戻った帷様は、できたてほやほや。袋とじにし、糸で端をかがった、和装本の形に整えた見分書を開いている。
この見分書を作成したのは、現場に臨場し、死体を検査する役人である検使。それから奥医者の曲直瀬三道様だ。
「お夏の首元には、索状痕があったらしい。検使によると、お夏の首には丸組紐で締め上げたのではないかと疑われる跡が見受けられたそうだ」
「それは帯紐って事ですよねぇ。だとすると容疑者を絞るのが難しそうですね」
(だって帯紐なんてみんながしてるし)
そもそも組紐は、組みあがった紐の形によって名称が変わる。その中でも丸組紐は珊瑚の根掛と同じように、現在女性の間で流行っているものだ。大奥でもその流行は例外ではない。よってそこから犯人を絞るのは大変そうだと、私は落胆する。
「そうでもない。お夏は死に際、必死に俺たちに犯人を知らせてくれたようだ」
「え、そうなんですか?どうやって?」
私は思わず前のめりになる。すると私が帯に通した根付から紐でぶら下がる、小さな印籠がガタリと箱膳にぶつかった。
「まさにそれだ」
帷様がニヤリと口元を歪ませる。
その視線の先は私の帯の付近に向けられている。
「まさにそれ?」
私は自分の小さな印籠を見つめる。これは任務の際に持ち歩く、服部家の家紋入りの物ではなく、お洒落で実用的なもの。男性用の物に比べると小ぶりで、朱塗りの三段重ね。表には波と千鳥模様が、裏側には帆掛け船がどんぶらこと海を渡っている絵がそれぞれ金箔で描かれている。
「印籠がどう犯人を教えてくれるんですか?」
たまらず尋ねる。
「違う、根付のほうだ」
「え、根付ですか?」
私は自分の帯の上。左側にちょこんと乗る、象牙を削って作られた、打ち出の小槌を持った大黒天様の根付を見つめる。すると、大黒天様は今日も私に「福徳開運あれ」と穏やかな笑みを向けてくれていた。
「息絶えたお夏がしっかりと閉じていた右手には、とある特徴的な根付が握られていたそうだ」
「え、どんな特徴なんですか?」
「これだ」
帷様は手にした見分書を見開いたまま私に見せた。するとそこには、丸い手毬を模したような根付について絵入りで詳細に記されていた。
「あっ、これは美麗様の根付です!」
私は思わず膝立ちになり、大きな声をあげた。
「漆塗りでツヤツヤしていて、それで円の中に描かれた松葉牡丹が精巧な象嵌細工だったんです。だからもはや芸術品だなって。間違いないです。これは美麗様のものです!」
私は興奮のあまり早口になる。
「落ち着け、美麗の物であること。それは既に調べがついている」
「えっ、じゃもうお縄になったのですか?」
(ついに美麗様の化けの皮を剥がす時がきた)
全然落ち着けない私は帷様に迫る勢いで問いかける。
「いやまだだ」
「えっ、だってそれだけ証拠があったら、流石に言い逃れは出来ないと思いますけど。もしかしてあれは一点ものじゃないって事ですか?」
つい目を奪われるほど精巧な細工物が量産されているとは思えない。そう確信を持つ私は、帷様の返答をジッと待つ。
「いや、お夏が握っていた根付は、美麗が御中臈となった時に、貴宮様が祝いに贈ったものだそうだ」
「御台様がですか?」
(だから見るからに、芸術品級で高価そうだったんだ)
私は素晴らしい根付の出処を知り、納得する。そして先程言われた帷様の」落ち着け」という指示を実践すべく、腰を落ち着けた。
「本人にも確認したが、自分が贈ったもので間違いないと言っていた」
「え、それって帷様は貴宮様にお会いしたって事ですか?」
私はつい、問い詰めた口調になる。
(だって、大奥に行くのが嫌だったんじゃないの?)
それに伊桜里様のことはもういいの?
なんで私のところにいるの?
そんな疑問が次々と浮かぶ。
「それは、まぁ、仕方なく」
帷様は、言いづらそうに貴宮様に会った事を認めた。
「…………」
「…………」
何だか浮気を問い詰める妻と、浮気が妻に見つかってしまった夫。そんな状況に通ずる、どこか気まずい雰囲気が私達の間に流れてしまう。
(馬鹿、何でそんなこと聞いちゃったのよ)
私は自分のうっかりを激しく後悔する。
「と、とにかく。美麗様の犯行である可能性が高い。それなのに、何故お縄にならないのですか?」
「それは今、御広敷添番の連中が裏を取っているからだ」
「何の裏ですか?」
「それは」
帷様が確信に触れようとしたその時。
「お琴さん、いる?」
馴染みのない声が戸の外から聞こえた。
私と帷様は顔を見合わせる。
その顔に共通するのは「まずい」の三文字だ。
「と、帷ちゃん様は、ええと、杜若、屏風で身を隠して下さい」
私は箱膳の上に乗った湯呑みを持ち上げ、小声で指示を出す。
「お、おう」
寝巻き姿の帷様が立ち上がり、大慌てで箱膳を脇に寄せる。
「います。お琴はここにいます」
外にいる誰かに答えながら、私は慌てて土間に降り、草履に足を通す。
チラリと部屋の中を振り返ると、帷様がこちらから見えないように、丁度座敷の中央に不自然に屏風を立てた所だった。
(よし、とりあえず大丈夫そう)
私は深呼吸し、長局の戸を開ける。
一気に外気が外から中に飛び込み、すでに下ろしていた私の髪が大きく揺れた。
「あれ、あなたは確か」
(凸凹な二人で、狐と狸で、お夏さんと良く一緒にいた……)
まずい、名前が思い出せない。
「お琴さん、話があるの。うっ、うっ、うわぁぁぁん!!」
狸ちゃん(仮名)はガバリと私の胸に飛び込んできた。
「お夏ちゃんが、お夏ちゃんが」
泣きながら、亡くなったお夏さんの名を連呼する狸ちゃん。
「落ち着いて下さい。一体どうしたんですか?」
私はできるだけ優しく声をかけ、彼女の背中を撫でる。
「お夏ちゃんが亡くなって、私はずっと暇をもらって今日まで一緒にいたの。お夏ちゃんはもう冷たくなってて。かけてるお布団も冷え切ってて。でも、お化粧が綺麗なままだから、もしかしたら生き返るかなって思って、だからずっと待っていたのだけれど、やっぱり朝になっても起きなくて」
「うん」
「それで今日、御広敷添番の方が来て、お亡くなりになったから、もう小櫃にいれるよって言われて。でもどうしても信じられなかったの。いつもみたいに笑ってくれるんじゃないかって。だけど、お夏ちゃんは小櫃にいれられて、それで駕籠に乗せられて、私は七つ口まで見送ったんだ」
「そっか」
「私たちはまだ三年経ってないから、宿下がりが許されないのに、お夏ちゃんは七つ口から出て行っちゃって、それでやっと、ああ、本当に死んじゃったんだって。うっ、うっ、うぅ」
「そうだったんだ」
相槌を打ちながら、彼女の言葉を聞いて私は胸が締め付けられる。
(私にとっては意地悪な人だという印象が強いけど、彼女にとっては大事な友達だったんだもんね)
だからこうして、とめどなく涙が溢れ出てしまうのだろう。
(私は誰かが亡くなって、泣いた記憶がないや)
その事実をふと思い出し、なんて薄情者なんだろうと恥ずかしくなる。
(くノ一だからか、それとも私が捻くれ者だからか)
とにかく私はそういう感情、誰かの死を泣けるほど悲しむという事に、人より疎い事だけは確かなようだ。
現に私はお夏さんの死をこの目で確認したくせに、狸ちゃんのように泣けない。
(でも特段親しくない、顔見知り程度の人が亡くなったら、みんなこんなもんだ)
悲しいフリはいくらだって出来る。けれど、狸ちゃんのような綺麗で、純粋で、本当に心からの涙を流せる人は、親しい人だけだ。
つまり少なくとも、お夏さんには狸ちゃんという親友がいた。それだけは確かなようだ。
「寒いでしょ、入って」
私は狸ちゃんの肩を抱きながら、部屋の中に入ると、戸を締めた。
「ごめんなさい。取り乱して」
少し落ち着いたのか、狸ちゃんが小袖で涙を拭う。
「冷めてるけど、お茶淹れよっか?」
「ううん。すぐ戻らなきゃだから」
「そっか」
「あのさ」
言いかけて、狸ちゃんは、はぁと重い息を吐く。そして土間に敷かれた土を見つめた。
「お琴さん、私やお夏ちゃんのこと恨んでる?」
狸ちゃんが恐る恐ると言った感じで顔を上げながら尋ねてきた。
私は小さく首を横に振る。
「恨んでないよ」
「でも根掛を盗んだって疑われているって、お夏ちゃんが言ってた。それに私達あなたと、それとあの美人な子に意地悪したし」
「私はともかく、帷ちゃんが美人で嫉妬しちゃう気持ちはわかるから、いいよ」
私は不自然に部屋に立てられた屏風に視線を送る。ここから帷様の姿は見えない。どうやら無事その存在を隠せているようだとホッとする。
「そっか。でも根掛けのことは……」
「私はお夏さんが嘘をついてないと思った。勿論お寿美ちゃんも責めた事を後悔しているような、そんな感じだったよ。むしろ疑ってごめんねって思う。今更だけどさ……」
(そっか、もう謝罪も出来ないんだ)
私はようやく、お夏さんの死を実感したのであった。