私の前には豪華絢爛な美食が並んでいる。
 季節野菜てんこ盛りのオードブル、カプチーノ風に泡を立てたクリーミーなポタージュ、バターで皮をカリッと焼き上げた白身魚のムニエル、切り口の赤々しいミディアムレアの最高級フィレステーキ、旬なフルーツをふんだんに使ったゼリーとソルベ、そして王が必ず食後に飲まれるアロマチックなカフェ。

 このどれかに、確実に毒が入っている。
 そう。邪魔者になった私を殺すために……
 
「コーデリアが毒見をします。陛下よ、その志を諒とされますように」

 その志を諒と? ちがうだろ。
 あんたが無理やり毒見役にしたんだろーが!

 話は遡る。

 あんたというのは、シェナ王国の王グレイス二世の長子のジェイコブ王太子、二十三歳。
 そして私はその婚約者、名門ブラウン公爵家の長女、コーデリア・ブラウン、十八歳だ。
 政略結婚ではない。純粋な恋愛。しかも王太子が一目惚れした。

「殿下……どうして私を選んで下さったんですか?」
「顔」

 ジェイコブ王太子は私の問いに一言で答えた。一国の王太子にしては理由が薄くない? とは思ったが、よく男を惑わす顔だと言われていたので、この武器で王太子妃の座を勝ち取ってやったとひそかにガッツポーズした。

 私はその名のとおり、ブラウンの髪をしている。それが豊かに波打ち、腰の下まで伸びている。
 もちろん眉もブラウン。それが濃くキリッとしているのが特徴で、妖艶な魅力があると人々に賞されている。

 唇も魅力的。プリプリしているので、男性はよく触りたそうな目で見てくる。それをあざといと陰口を叩く令嬢たちもいたが、私に罪はない。悔しかったらそういう容姿を手に入れればいいのだ。

 急いで付け加えておくと、私は性格も良い。学校の成績も首席。だから顔が良い女性は性格が悪いとか頭が悪いとかいう説は、私の場合には例外的に当てはまらないのだ。

 ところが、である。
「美人は三日で飽きる」という格言が、王太子と私のケースに冷酷無情にも当てはまってしまった。

 王宮のセレモニーホールで舞踏会を催し、華々しく婚約発表したまでは良かった。
 その三日後に、ジェイコブ王太子はゲップした。

「ちょっと濃すぎるな」

 それは独り言だったので、まさかそのときは、私の濃い顔にゲップをしたとは夢にも思わなかった。
 婚約してからわかったのは、王太子の最大の特徴が、無類の女好きであること。

 ジェイコブ王太子は、私といてもお構いなしに、用もなくちょいちょい後宮に行った。

「女の顔や身体を見て、香水を嗅ぎ、女の声を聞くと元気が出る。国の王太子が元気なのは、国民にとっても喜ばしいことだ」

 後宮から帰るとよくそんな言い訳をした。私は「は?」と思ったが、グッと我慢するしなかった。まさかここで派手な口喧嘩をして、婚約破棄にでもなったら目も当てられない。

 しかし現実は、それを上回る最悪な事態に発展した。

 王太子は、後宮にいた毒見役の少女を見初めてしまったのだ!
 毒見役。
 賤役(せんえき)である。
 賤しく禍々しい「解毒の術」を体得した一族の女。
 身分的には奴隷と変わらない。
 
 ではなぜそんな奴隷のような少女が、后妃(こうひ)の住まう後宮に大切に囲われているのか?
 それは独裁国家シェナ王国の、暗い一面を物語っている……


 ◆◆◆◆◆


 シェナ王国は昔から権力争いが絶えない。
 王が絶対的な権力を持つため、出世願望を持つ男どもが、王に取り入ろうとして醜い争いを起こすのだ。

 その結果どうなるかというと、王の周りをおべっか使いのイエスマンばかりが固めることになる。
 王の政務の補佐をする宰相や大臣しかり、王の世話をする執事や侍従しかり、また戦争をする陸軍官や海軍官もそうだった。

 これには危険がある。つまり調子に乗った王が暴走しやすく、また実際にそうなったときに、誰も暴走を止められない状態が完成してしまっているのだ。

 過去に何度もそれで国が存亡の危機に瀕した。「絶対的権力は絶対的に腐敗する」の有名な格言どおりである。
 
 このとき、真剣に国を憂い、国民を救いたいと願う真の愛国者はどうするか? 
 王の暗殺を企てるのである。
 理論的に考えて、国と国民を救う方法はそれしかない。腐敗しきった組織を立て直すには、頭をバッサリ切り落とすしかないのだ。

 しかし暗殺は難しい。独裁者という者は、自身の権力をわずかでも脅かす者の存在を許さない。したがって巧妙にスパイ網を張り巡らし、少しでも自分に対して反抗的な発言をした者を見つけると、その家族も含めて容赦なく処刑した。

 独裁者とは、容赦ない殺人者の別名である。
 現在の王、グレイス二世も例外ではない。
 気に入らない人物に次々と反抗者の烙印を押し、徹底的に弾圧し、粛清した。
 そして絶対的な権力を確立すればするほど、必然的に確率の高まる暗殺の可能性に怯え、歴代の王が皆そうだったように、スパイや毒見役を重宝した。
 
 毒見役には特殊な家系の者しかなれない。
 それは、秘法である「解毒の術」を代々伝えてきた家系だ。
 彼らに名字はない。
 それぞれ出身の地名をとって、セイユの者とかルースの者などと呼ばれる。
 彼らは王室に対しては、一族の中でもっとも容姿の良い若い女を毒見役に推薦してくる。
 それが王に選ばれる最大にしてほとんど唯一の条件であることを、彼らは経験的に知っているのだ。

 資産家の貴族や有力な大臣などではなく、国王陛下に選ばれること。これ以上に、毒見役の家系にとって誉れとなることはない。
 だから彼らは、「解毒の術」を極めるのと同じくらい、「美顔の術」をマスターすることに腐心した。
 肌を美しくするためには、人間の胎盤を闇ルートで買い漁り、全身に塗りたくるようなこともするらしい。おぞましいかぎりだ。

 さらにまた、毒に対する耐性をつけるため、赤ん坊のころから少量の毒を摂取し続けることによって、異様なほど肌が透き通ったり、不思議な色の髪や瞳に成長することがまれにあるそうだ。
 これなどは、普通人では決して獲得することのない、毒の作用による凄絶な「美」であると言えた。

 したがって、王が毒見役の女に手をつけることは、シェナ王国では珍しくなかったという。
 凄絶な美を持つ毒見役の女と、絶対的権力者の国王の交わりーー想像すると、嫌になるくらい暗くて爛(ただ)れている。

 しかしこれが、この国の偽らざる一面であった。


 ◆◆◆◆◆


 セイユの者のラン。
 というのが、ジェイコブ王太子が見初めてしまった毒見役の少女の名だ。
 年齢は自称十四歳とのこと。しかし王室に売り込むために年齢詐称をするのは普通のことだから、実際のところはわからない。
 ラン……いかにも奴隷らしく、また何となく騒動を巻き起こしそうな名前だ。もし私が名門貴族のしつけをされていなかったら、ランと聞いた瞬間に部屋の床にぺっと唾を吐いたところだ。

 王太子の「心変わり」を私にこっそり教えてくれたのは、後宮に仕える女官のエリナだった。
 
「ねえねえ、奥さん」

 まだ結婚していないのに、エリナは私をそう呼ぶ。

「コーディでいいのよ、エリナ」
「奥さん、旦那さんね、悪いことしたよ」

 エリナは口が軽い。私はそれだけに、彼女を味方につけたいと思った。自分の親族が一人もいない王宮に、専用の情報ルートを持つことになるからだ。

「殿下が、何か?」
「ランに、奥さんと婚約破棄して、お前を娶るって言ったんだよ」

 爆弾級の衝撃。
 頭がクラクラする。しかしまだ、心の半分くらいは、下手に大騒ぎをしなければ元の鞘に収まると信じていた。

「あ……ありがとう、エリナ。とっても言いにくいことを教えてくれて」
「あたし、奥さん好きだからさ。すっごくキレイだし。憧れちゃう。でも旦那さんは嫌い。女好きのクズ。あんなのが、次の王様になっちゃ駄目だよ」
「シッ! 聞こえたら、恐ろしいことになるわよ」
「ねえねえ、旦那さんの弟の、第二王子に鞍替えしたら? あっちの王子様は、旦那さんとちがってちゃんとしてるって。国の将来のことをすごく考えてるんだってさ」
「王太子殿下も、きっと深く考えておられますよ」
「全然、全然。女のことしか考えてないって」

 若い女官の言うことが、どうも真実を突いている気がした。

「あ、でもね、弟のレオ王子様は、女嫌いで有名。だから相当頑張らないと、ハートはつかめないよ。いや、やっぱり奥さんの美貌なら無双か。なーんて」

 レオ第二王子とは、親しく話をさせていただいている。しかし国の将来をどう考えているかとか、ましてや女性についての嗜好などは知らない。どうして後宮の女官が、そんなことまで知っているのか……しかし私は直観的に、まさしくエリナの言うとおりだろうと信じた。

(鞍替えか……)

 空中に浮かんだ第二王子の顔を、手を振って急いで消した。

 私は王太子を問い詰める気はなかった。美貌の少女に一瞬浮気心を抱いたことは許そう。とにかく今は辛抱して、王太子妃の座をしっかりとつかむのだ。

 ところが……
 その夜、晩餐のあと、撞球室で二人きりになったときに、

「ランという毒見役の女がいる」

 キューを握って撞球台に身を乗り出したジェイコブ王太子が、自ら切り出した。

「……はい?」

 私は知らない顔をして聞き返した。しかし心臓は、激しく鳴っていた。
 王太子が冷たい目を私に向けた。

「珍しく、まだ父が手をつけていなかった。ほんの数日前に選ばれたばかりだからだ」

 鼓動が速くなりすぎて、声を出せなかった。

「俺は前から願っていた。父が手をつけていない毒見役の女を自分のものにしたいと。その最大のチャンスが訪れた。あれを正式に俺の妻にしたら、もはや父も手は出せまい」
「ちょ、ちょっと、待って下さい、殿下……」

 ようやく、切れ切れに声を出せた。

「どういうことでしょう。私はーー」
「婚約破棄だ」

 王太子の目は、ギラついていた。

「俺は独裁国家の王太子だ。文句は言わせない。何ならお前は突然死したことにしてもいいんだぞ」
「教えて下さい、理由を!」
「飽きた。お前の濃い顔に。もうゲップが出たよ」

 この瞬間、私の中で何かが切れた。
 王太子妃の座? クソ食らえ!
 人を馬鹿にしやがって。
 あんたみたいなクズ野郎には、いつか絶対、ざまぁ見ろって言ってやっからな!

 と、心の中で吠えたものの、

「どうか命だけは」

 口ではそう懇願するしかない立場だった。
 王太子は唇だけで笑った。

「命だけはか。さあて、こういう場合父ならどうするか。自分に恨みを持つ者を、果たして呑気に生かしておくような甘い真似をするかな」
「恨みません! どうぞ私に落ち度があったとして、婚約破棄なさって下さい! 家に帰って一生おとなしくしていますから!」
「お前が一生約束を守ると、どうしてわかる? やはり殺してしまったほうが気苦労がない」
「お願いです! お願いです!」

 私は土下座をした。王太子は非情にも、私の頭をキューで突いた。

「やめろ。お前の運命は決まったんだ。決まってないのは死に方だけだ。ピストル、ナイフ、ロープ、どれがいい?」

 返事をせず、ひたすら床に額をこすりつけた。
 すると王太子は突然、

「そうだ。毒見役の女を妻にするんだから、お前が毒見役になればいい!」

 叫ぶように言った。

「そうだそうだ。これぞナイスアイディア。まさに万事が丸く収まる」

 ふざけた思いつきを自画自賛し、

「毒見役といっても、暗殺計画がなければ何の危険もない。王と同じ物を食える特別な身分だ。運が良ければ二十年くらい生きられるしな。そうしろ。これは命令だ。父には俺から話しておく。ただし、あくまでもお前が志願したことにするんだ。不満ならいつでも殺すからな」

 拒否する選択はなかった。
 この提案を呑むしかない。
 そして、私にはわかっていた。
 毒見役をする一度目の機会で、必ずや王太子が私を毒殺しようとすることを……


 ◆◆◆◆◆


 無茶苦茶な話だ。
 が、現実だ。
 私の命は、たぶん明日の朝食まで。
 
「承知いたしました、殿下。それでは毒見役の心得を、ランさんから習っておきます」
「好きにしろ」

 撞球室を出て行く私に、王太子は冷笑を浴びせた。
 私は後宮に向かった。
 入口のところで声をかけ、女官のエリナを呼び、ランにあてがわれた部屋に案内させた。

 ランは、比較的狭い、灯りの薄暗い部屋で休んでいた。
 その少女を一目見た瞬間、

(あ、負けた)

 と思った。
 ランに派手なところは一つもない。
 髪は黒くて癖がなく、清潔感のあるショート。
 目も鼻も口も小ぶりで、上品。
 見るまで想像していたような、毒々しさや禍々しさはどこにもない。
 むしろ健康的な感じすら受ける、まぶしいような「美」がそこにあった。

「ランさん」

 私は知らず、敬語で語りかけていた。

「婚約破棄のことは、もうお聞き及びですね? 殿下はあなたと婚約する代わりに、私に毒見役となるよう申し付けられました」

 ランの黒い瞳が、ほんの少し大きくなったように見えた。

「コーデリア様が、毒見を?」

 私は頷いた。

「ですから、解毒の術を教えて下さい。できるとは思えませんが、例えわずかでも生き延びる可能性に懸けたいのです」

 ランは聡明な少女だった。この短い会話だけで、私の立場を完全に理解したようだった。

「わかりました。それしか生きる道がないのなら」

 そう言うと、腰に手をやり、少女らしい動物の飾りがついたポーチから、何かを指で摘み出した。

「これを食前に服んで下さい。胃薬です」
「……胃薬?」

 受け取った数錠の薬を、私は不思議な気持ちで見つめた。

「あの、これと解毒の術とはーー」
「ごめんなさい。私は、解毒の術など知らないのです。ただの転生者ですから」

 と、まるで申し訳なさそうに、ランは首をすくめた。

「……ただの、転生者?」
「はい。こちらの世界に存在する毒は、私のいた世界と比べるとどうってことありません。それで、向こうの世界の胃薬を使えば、たいてい胃で解毒されてしまうのです。まちがっても死ぬことはありません」
「あなたの、いた、世界?」

 私はたぶん、口をあんぐり開けていた。

「はい。私はこちらでの職業を、毒見役にしました。そうすれば、何の危険もなく、王や貴族の食事を毎日食べられるからです。しかも、ご飯の支度も後片付けもしなくていいし、掃除も洗濯も買い物もしなくていいし、食事以外は部屋で寝ていればいい。最高じゃないですか?」

 私には、全然わからなかった。

「だから、王太子妃になんかならなくてもいいんです。あ、それと、雇い主と寝るなんて、誤解しないで下さいね。ほかの人は知りませんけど、もしそうされそうになったら、私は出て行きますから。だってこっちの世界の男性は、ちっとも力が強くないですもん」

 カラカラと笑った美しい顔に、私は引き込まれた。

(この少女は、信じられる)

 気がつくと、膝をついてランの手を両手で握っていた。

「ランさん。あなたに逃げる力があるのなら、そうなさい。王太子はいい人ではありません。そしてそういう王太子を許している王も王妃もーー」
「知っています。この国が腐っていることは、転生してすぐにわかりました」

 聡明な少女は、私の手を優しく握り返した。

「コーデリア様が、それに気づいてくれて良かったです。コーデリア様はとってもキレイなので、この国と一緒に滅びてほしくないと思っていました」

 ランの言うことは、驚くべきことばかりである。

「シェナ王国は、滅びるんですか?」
「腐った建物は潰れます。理の当然です」

 ランに抱きすくめられたとき、私は初めて自分が泣いていることに気づいた。

「国が滅びるのは、悲しいですか?」
「よくわからない。でも、私はこの国に生まれて、家族も友達もいるから」
「大丈夫。滅びるのは腐った部分だけ。腐ってない人が、また建て直してくれます」
「そんな未来のことまで、転生者には見えるの?」

 涙を拭いてそう訊いたときだった。
 部屋の隅に敷かれていた布団が、むくっと持ち上がった。

 悲鳴を上げそうになった私の口を、ランが素速く押さえた。

「安心して。この国を救う人よ」

 掛け布団が、中からめくられた。
 そこから姿を現したのは……

「まあ!」

 あまりの衝撃に、時間が止まったように感じた。
 
「驚かせるつもりはありませんでした。お詫び申し上げます、コーデリアお義姉(ねえ)様」

 照れたように頭を掻いたのは、レオ第二王子だった!

「ど、どうして殿下が?」

 レオ第二王子はよいしょと言って、布団の上にあぐらをかいた。

「僕には女嫌いという評判がありましてね。それが煙幕になって、後宮が格好の隠れ場所になったわけですよ」

 第二王子は、二十一歳という年齢に相応しい、若々しい笑い声を立てた。

「まあ、それは冗談として、この国を救うには、父と兄を斃すしかない。ということは、明白な事実です。そのための行動を、ずっとしてきました」

 そんな恐ろしい話を、レオ第二王子はサラッと言う。

「協力者はたくさんいます。あとは本当に、父と兄を斃すだけ。そこまで来ました。しかし、それを実行に移すには、特別な力がいる。そこで僕がやったのが、転生者捜しです」

 さっきは口をあんぐりしたが、今度は目をまん丸にした。

「転生者の力を借りれば、このクーデターは成功する。その信念を胸に、捜し続け、そして見つけました。もうおわかりでしょうが、それが彼女です」

 ランはまた申し訳なさそうに、首をすくめた。

「彼女を父に選ばせるのは簡単でした。父の好みの髪型や服装を知っていますからね。まあ、兄まで夢中になるとは予想しませんでしたけど。で、彼女が向こうの世界から持ってきた睡眠薬に、大変な力があることがわかりました。明日の毒見の機会に、それを父と兄に服ませる手はずでしたが、事情が変わりましたので、義姉さんにやってもらいます」
「私?」

 すっと血の気が引いた。

「もしかして、私が、陛下と殿下を暗殺するのですか?」
「いいえ。まさか女性に、そんなことはさせませんよ」

 レオ第二王子は、ランから睡眠薬を受け取ると、それを私の手に握らせた。

「胃薬とまちがえないで下さいね。こっちが睡眠薬。これをこちらの世界の人間が服むと、百年間は眠ります。ちょうど白魔法の【スリープ】をかけられたときのように、生命は維持したまま細胞の活動が超スローになるのです」
「百年もですって?」

 にわかには信じがたい話だ。

「飲まず食わずで寝ていたら、死んでしまうのではないですか?」
「この薬の効果を調べた錬金術師によると、必ずしもそうではないらしいのです。細胞の活動が超低速になると、呼吸だけで生命を維持する【ブレサリー】という状態になります。実際、ヨガの達人の中には、過酷な訓練によって【ブレサリー】の術を身につけ、七十年間も呼吸だけで生きた人がいるそうです。まあ、それはともかく、百年後に再び父と兄が目覚めたときには、シェナ王国は独裁国家ではなくなっているでしょう。それは僕が保証します」


 ◆◆◆◆◆


 ということで。
 場面は最初に戻る。
 豪華絢爛な王の食卓。
 このフルコースが朝食だという点で、飢餓に喘いでいる国民がいる以上、この王に為政者たる資格はなかった。

 繰り返し説明する。
 季節野菜てんこ盛りのオードブル、カプチーノ風に泡を立てたクリーミーなポタージュ、バターで皮をカリッと焼き上げた白身魚のムニエル、切り口の赤々しいミディアムレアの最高級フィレステーキ、旬なフルーツをふんだんに使ったゼリーとソルベ、そして王が必ず食後に飲まれるアロマチックなカフェ。

 このどれかに、確実に毒が入っている。
 そう。邪魔者になった私を殺すために……
 
「コーデリアが毒見をします。陛下よ、その志を諒とされますように」

 その志を諒と? ちがうだろ。
 あんたが無理やり毒見役にしたんだろーが!

 私はケッと思いながら、フルコースを一口ずつ食べた。
 テーブルの向かい側で、ジェイコブ王太子が熱心に私の顔を見つめる。

 残念でした。
 死なないよーだ!

「ごちそうさまでした。陛下、食事に問題はございません」

 そう言うと、グレイス二世は鷹揚に頷いた。
 ジェイコブ王太子はしきりに首を捻っていたが、

「料理長。この肉は、赤みが強すぎるぞ。火が通ってなかろう。交換せよ」

 と命令したので、あの野郎、肉料理に毒を盛りやがったなと判明した。

 朝食が始まった。
 私はテーブルを離れた。
 食堂の入口で振り返って礼をしたとき、王妃がテーブルに突っ伏した。

「どうした?」

 と訊いた王も、眠った。

「貴様!」

 何かを察したのか、ジェイコブ王太子は席を立ちかけたが、そのまま前のめりに床に倒れた。

 王、王妃、王太子は、仲良く三人揃っていびきをかいた。

「料理長、慌てなくてもよい。あとは私に任せろ」

 食堂に入ってきたレオ第二王子が、凛とした声で言った。

「上手、上手!」

 第二王子のすぐ後ろから入ってきたランが、まだ震えている私の身体に抱きついた。

「睡眠薬、上手に服ませたね。どうやったの?」
「あのー、私がやるのは自信がなかったから、料理長に協力してもらって……」

 私が告白すると、注目を浴びた料理長が顔を真っ赤にした。

「ははーん。義姉(ねえ)さんは、最大の武器を使ったね」
「そんな! 必死にお願いしただけですわ。それに、もう義姉さんではありません」

 あまりに真剣に言い募ったせいか、第二王子とランが心からおかしそうに笑った。
 だって、第二王子、じゃなかった、これからはこの国の王になるレオ陛下にだけは、武器を使うような女に見られたくなかったから……

「さてと。これから忙しくなる。まずは王に即位しないといけないが、王妃がいないと格好がつかない。お願いしてもいいかな?」

 私はぼんやりと、「王」を見た。

「お願い……私が、陛下とランさんの結婚の見届け人になればいいんですの?」
「何言ってんのよ!」

 ランが私をぶった。転生者は力が強いというのは本当で、かなり痛い。

「私は働かないで美食を食べたいの! 毒見役に戻らせてよ」
「じゃあ、王妃はどこに?」
「コーデリア様」

 シェナ王国の新しい王が、磨き上げられた床に片膝をついた。

「僕は今日かぎり、女嫌いを卒業します。あなたが好きです。結婚して下さい」

 言葉はなかった。
 
(この国を建て直そうとする夫を、私は支えていかねばならない)

 重大な責任に、身震いした。
 ふと床を見る。
 だらしなく寝そべっている元婚約者ーー元王太子のジェイコブに、ざまぁ見ろとは言わなかった。
 その代わりに、私たちの愛する祖国が生まれ変わったさまを、百年後にどうぞご覧あそばせ、と言った。