目が合うと優しく微笑み、言葉を出す前は決まって首を一度傾ける彼女の苗字は、
冨上といった。

口数は決まって少なく、口を開いたかと思えばくれる言葉のベクトルは、どれも決まっていつも私自身に向けられていた。

「詩織、小説好きなんだね。その本面白い?」

 寵愛している作家さんの新作に読み耽っていたところに声をかけられ、想定外の事態に若干声が上擦った。

「え…うん!…面白いよ。F先生の小説。」

 読みかけのページにそっと栞を挟み、表紙を右手の人差し指でなぞって見せる。

「真夜中乙女戦争…?」

「そう、真夜中乙女戦争。」

 真剣な表情でかつ緊急な会議をまるで今開いているかのような声色を出してみる。

「どんな任務なんですか?隊長。」

 なんか私達、秘密の捜査員みたいだね、と声を潜める彼女の横顔に見惚れていることを隠すのに必死で、次の言葉を探すのを忘れていた。

気を取り直して、捜査員っぽく低音を意識しつつ言葉を放った。

「…さて菜々くん。実は、理科室に第二の爆弾を用意しているんだ。」

「…ちょっと。真面目な詩織さんのお口から聞こえてはいけない言葉が聞こえてきましたよ〜?」

 私には聞こえませんみたいなポーズを取って、おどけてみせるのも、気づけば日常と化していた。

 春。

約束などされていない受験合格者記載欄に、「嘉神 詩織」の四文字を見つけたとき、心がスキップ、ジャンプして、ガッツポーズをしていた。

家から自転車を飛ばし、十分で着くという通学時間に魅力を覚え、第一志望から第三志望まで通う高校はここしかないと目星をつけていた。

それが叶ったという事実と優越感を重ね、しばし浸っていると、後ろからトントンと肩を二回叩かれた。

「あの…久しぶり!やっぱり!私達、一緒だね!」

 もしかしたらという淡い期待がこんなにも簡単に叶ってしまったという高揚感に蓋をしつつ、笑顔を作った。

「あの時は本当に助かりました!会えたらいいなって思ってて…」

 言葉に詰まっていると、目を細め、彼女が私の手を握った。

「私も…だよ?」

「…?」

「ずっと話してみたくてね。今日会えるの楽しみにしてたの!」

 私達が受験に落ちることをまるで疑わない真っ直ぐな物言いに後ろ髪を引かれつつも、存在を肯定してくれる温かな言葉に身を寄せた。

「そんな嬉しい言葉かけてくれるの、照れちゃうね…」

「…顔赤くなってる…?かわいいな〜」

 戯れてくるとは思ってもみなかったので、彼女の肩が私に触れた瞬間、上手く体を支えきれずよろけてしまった。

「ごめんごめん、私、ゴリラだから、力加減下手っぴだね!」

 申し訳なさそうに顔を顰めつつ、すぐさまフォローを入れる彼女はそんな人で、そんな人みたいだ。

「痛いところない?」

 彼女の綺麗な眉毛が悲しそうに下を向いた。

「大丈夫だよ!まさかアタックを喰らうとは思ってもみなかったから!」

「えー!これアタックにカウントされちゃうんだ〜」

 やれやれといった様子で手をひらひらさせる。

「あ、そういえばさ!クラスってA ? B ?」

「私はAクラスだよ!」

「やった‼︎君の女神様、冨上菜々も同じクラスであります!」

「女神って大げさ…。ふふ、嬉しい‼︎私、嘉神詩織‼︎よろしくね‼︎」

 願ったり叶ったりで、これから先の運を使い果たしてしまったのではないかと内心焦りの音が聞こえてきそうだったが、何よりも喜びの音色の方が優ったのでよしとしよう。