目を開けると、見慣れていない天井が見えた。
「そっか、ここ、龍華さんの家だったな......」
 自分の家以外で目を覚ますのは初めての経験だったので、違和感しかない。
 体を起こしていると、まるで室内が見えているかのように思わせるちょうどいいタイミングで襖が開き、龍見さんが入ってきた。
 思わず感心していると「おはようございます。朝食の用意ができております」と告げられた。
 朝食、という言葉に驚いた。
 いつもは誰かに作ってもらうことがないからだろう。
「着替えを準備しておりますので、着替えを済ませ次第、昨夜のお部屋にお越しください」
 お礼を言うと、龍見さんは軽く会釈して去っていった。
 昨夜の龍華さんへの態度は何だったんだと思えるほどの変わりようだ。
 若干呆れつつ、いつの間にか用意されていた着替えに目を向けると、私は目を見開いて固まった。
 そこには、貧乏ではなかったが、贅沢をしたことがない私には使いづらい、一級品と思われる服が置いてあった。
「たっ、龍見さん!私の着替えって、これであってますか?」
 思わず部屋の外で待機していた龍見さんに確認する。
「そうですが、何か不備がありましたか?」
 いきなり出てきた私に驚いたのか、目を丸くして、当然のように答えた。
 けれど庶民の私には簡単には受け入れられない。
「こんな高そうなものは、私には似合いません!」
 頭を下げて、慌てて龍見さんに渡そうとすると、なぜか龍見さんが慌て始めた。
「お、おやめください!玲奈様が頭をおさげになっているところを見られれば、私が殺され......」
「龍見。おまえ、玲奈に何をさせている」
 怯えた様子の龍見さんの言葉を遮ったのは、龍華さんだ。
「玲奈に頭を下げさせて、ただで済むと思うのか......?」
 まるで龍華さんの後ろに般若が見えそうなほどの威圧。
 今の龍華さんは、まるで震える子羊を狙う肉食獣のようだ。
 ここに来て初めて、主と家臣の差を感じさせられた。
「あの...龍華さん?」
 恐る恐る話しかけると、先ほどの般若が見えそうな表情を一瞬で消し、私にとろけるような笑みを向けた。
「おはよう、玲奈。よく眠れたか?」
 龍見さんがかわいそうに思えてきた。
 今だって、龍華さんの視線が外れたことによって、とても喜んでいるように見える。
 龍見さんには悪いが、一度、龍見さんの事は考えないことにした。
「はい、ありがとうございました」
 満足そうに微笑んだ龍華さんだが、私が持っている着替えを見て、不思議そうな顔をした。
「好みが合わなかったか?」
 私は急いで首を横に振った。
「そんなことないですっ。むしろ私が好きなデザインだったんですけど......」
「なら問題ないではないか」
「これ絶対一級品ですよね?こんな高い服、私なんかには似合いませんから......」
 自分を下に見ている言い方に思わず悲しくなるが、やっぱり、この服は私にふさわしくない。
 そんな私を見た龍華さんは眉にしわをよせて怒ったように口を開いた。
「何を言っている。俺が唯一愛した者だぞ。玲奈を侮辱するのは、本人だろうと許さない」
 龍見さんに向けていたものとは比べものにならないほどの鋭い視線と威圧。
 あまりの威圧感に、体が震える。
「伊吹様、霊力を抑えて下さい。玲奈様が怯えていらっしゃいます」
 ずっと黙っていた龍見さんが静かに諭す。
 すると龍華さんはハッとした顔をして、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「すまなかったな。怯えさせてしまったか」
「龍華さん......」
 今では先ほどの威圧感や何かの力は感じない。
 私がホッとしている反面、龍華さんは再び、眉にしわをよせた。
 また機嫌を悪くしてしまったかと焦っていると、意外な理由からだった。
「”龍華さん”など、他人のような呼び方をするな。伊吹と呼べ。玲奈にはそう呼ばれたい」
 様子を見る限り、怒ったのではなく、ただすねただけだったようだ。
「はいっ、伊吹」
 少し笑みを浮かべて視線を向けると、伊吹は顔を背けた。
「伊吹?」
 不思議に思って名前を呼ぶと、「何でもない」と返事が返ってきたが、まだ顔を背けたままだ。
 そんなやり取りがされている間に、龍見さんと、いつの間に来たのか、竜田さんが目を見開いてこちらを見ていた。
「嘘だろ......伊吹様が照れてる......」
「幻覚......?」
 そんな二人の様子に気づいたのか、二人に対して、伊吹が怒り始めた。
「何を言っている!玲奈を案内しろ」
「はっ」
 伊吹が私の方を振り返ると、伊吹は顔を少し赤くしていた。
 私は目がこぼれ落ちんばかりに見開いた。
 今まで照れることもなく、私に抱き着いていたのだ。なのに、少し話しただけで、こんなに照れるものなのか⁉
「そろそろ着替えて朝食にしよう。腹が減っただろう?」
 さっきの赤くなっていた顔は、すでにいつも通りの顔に戻っていた。
 少し残念に思った私の気持ちを悟ったのか、伊吹は苦笑した。

 竜田さんに案内されると、伊吹は仕事があるらしく、すぐに出かける準備をした。
「すまないな。本当なら今日だけでも、慣れるまでは一緒にいてやれるといいんだがな」
 申し訳なさそうな表情で伊吹が誤る。
「大丈夫です。竜田さんや龍見さんがいるのなら心強いですし」
 少し笑いかけると、伊吹は不服そうな顔をした。
「何だ、その言い方は。まるで、俺が頼りないようじゃないか」
 思わぬ返答に、一人あわあわしていると、龍見さんが噴出した。
「伊吹様、嫉妬は見苦しいですよ。それにしても、伊吹様の嫉妬丸出しの顔なんて、拝めることがなかったんですから、今のうちに焼き付けておかなければ」
 笑いをこらえきれなかったようで、言い終えると、爆笑し始めた。
 そんな龍見さんを、伊吹は恥ずかしさ紛らわせるように睨んでいる。
 この状況に慣れてくれば、伊吹の事も少しかわいいと思えるようになってきた。
「では行ってくる。できるだけ早く帰ってくる」
「私も、伊吹のこと、待ってます」
 精一杯の笑みを向けると、伊吹はまた顔を赤くした。
「じゃ、じゃあ、行ってくる」
 照れ隠しか、すぐにそっぽを向いてしまった。
「いってらっしゃい」
 そんな伊吹をほほえましく思いながら、私は伊吹を送り出した。