(11)

「うん。任せて!」

 通話が途切れ、暁は再び目の前に広がる河面を見つめる。

 琉々が灯しだしてくれた、水の上に浮かぶオレンジの炎。
 それのお陰でこの川の水がとても澄んで綺麗なことがわかった。

 これならまだ、どうにかなる。どうにかしなくては。

 水深が浅くて助かった。ゆっくり慎重に歩みを進め、視線は常に河底を見据える。
 求めるのはもちろん、ペンダントの姿だ。

 サチの父が母から投げかけられていたらしい、「テーゲー」という言葉。
 それは確か、沖縄の方言だ。

 以前親交があった沖縄出身の依頼主曰く、「絶望的なまでのいい加減さ」という意味らしい。
 サチが川に放ってしまったという、父から贈られたプレゼント。
 それは恐らく、ガジュマルの木で出来ている。

 ガジュマルの木は熱帯から亜熱帯の地域に分布する木で、日当たりのいい温かな場所を好む。
 日本では鹿児島県及び沖縄県での生息が見られ、沖縄では特に、とある「あやかし」と関連付けて知られることが多い──と。

「……はは。こんなあやかし関連の知識も、あの二人が来るまでは見向きもしなかったんだけどな」

 ぽつりとこぼした独り言が、河原にやけに寂しく響く。

 今は仕事中だ。今すべきことだけを考えろ。
 言い聞かせながらも、もう一人の自分の声が嫌でも浮かんできた。

 昨日の夜ご飯を食べないままだったな。
 ちゃんと何か食べているだろうか。
 熱帯夜ではあるけれど、風邪は引いてないだろうか。
 悪い大人やあやかしに、どこかへ連れ込まれてはいないか──。

「……大丈夫」

 大丈夫。
 だってあの子は一人じゃない。漆黒に包まれたもう一人の姿が頭を過る。

 暁よりもずっと長い付き合いの連れ添いがそばにいる。それこそ、暁が村を去ってからもずっと。
 それだけで、強い安堵の気持ちが胸を包み込む。

 自分も目の前の仕事に戻らなければ。

「っ、きゃ!?」

 まずい。
 そう思った瞬間には、体が不自然に傾いていた。

 見落としていた河底の段差に足をとられ、慌ててもう片足をつける。しかしそれも、さして機能できないまま──。

「なに、してやがんだ!」

 夜の静けさが落ちるこの河原に、轟くような怒声が飛んだ。

 襲いかかるはずだった飛沫の冷たさは訪れず、固く閉ざされていた暁のまぶたがそっと開かれる。
 藍色に染まった夜空をなかで、その人物は吸い込まれるような黒だった。

「こんな人目のねえ場所で! 無茶にも限度ってもんがあんだろが!」

 叱咤する男に繋がれた手が、酷く熱い。

 水面から離れた両足が、小さく空を切る。
 闇夜に吊し上げられた手の先には、いつになく余裕のない表情の男がいた。

 夜空に広がった黒い翼が、月光に照らされ不思議な混色を浮かべている。

「おい、聞いてんのか!?」
「……烏丸」

 ぽつりとその名を呼んだ瞬間、暁は咄嗟に繋がれていない他方の手を無理やり男に伸ばした。
 何とか届いた胸ぐらにぐっと力をこめ、烏丸の体を無理やり引き寄せる。

「ってめ、何を」
「ど、してっ、あんたがここにいるの!」
「……暁?」
「どうして! あんたが側にいるって信じてたから、私はっ!」
「おいっ。いいから、ひとまず落ち着け……、あ」
「え」

 ぐらりと体勢が崩れる。
 気づけば妙な浮遊感が体中を突き抜け、今度こそ、辺り一帯に大きな水音と飛沫が飛んだ。

 どうやら、絶妙なバランスを持って暁を河面から引き上げていたらしい。
 大人二人が落水した衝撃音は意外と大きく、しばらく辺りに薄くこだましていた。
 被った水量はゴム製のズボンでは到底遮れず、上の服までぐっしょり濡れている。

「……、冷た……」
「誰のせいだ、おい」
「……だ、だって」

 巻き込まれ入水を果たした烏丸の、眉間に怒りを溜めた表情。
 その表情に安心と不安の両方を抱くのは、おかしいことだろうか。

 相反する感情が胸でせめぎ合い、目の奥がつんと痺れる。

「千晶には、あの子には、烏丸がいてくれると思ってたから。だから、私がいなくてもきっと安心だって、そう思ってたから……」
「……」
「千晶を、一人にしないでよ」

 ぼろ、と大粒の涙がこぼれる。

 川の水がしたたる状況でもそれは明らかで、暁自身隠す余裕もなかった。
 同様に髪まで川の水で濡れそぼった烏丸が、長く細い息を吐く。

「『千晶を一人にしないで』か。『私を一人にしないで』って、聞こえるな」