ETERNAL PROMISE  【The Origin】




「私、迷惑ばっかりかけた……。でもね……、今回のことで、私も……、和樹がいてくれなくちゃダメなんだって、……分かっちゃったの……。だから……、和樹にフラれたらもう一生立ち直れない……。それで怖くて……、一人になるのが怖くて……、帰る勇気が出なかった……。ごめんね……。情けない私でごめんね……」

 本当は、もっと前にこの言葉を言っておかなければならなかったはず。

「バカだなぁ……千夏は……。俺だって同じなのにさ……」

「うん……。もう……、嫌いって言われるまでどこにも行かない……」

「そうしてくれるとありがたいけどな」

「うん……。そうだね。一人じゃなにもできないもん」

「ウソこけ。まさか一人で東京までくるなんて誰も思ってなかったぞ」

 久しぶりに二人で並んで笑えた。これならもう大丈夫。


「さて、そろそろ行かないと間に合わないよぉ……」

 それまで席を外していた茜音が後ろから声をかけてくる。

「もう大丈夫だよねぇ。今度来るときは二人で仲良く来てねぇ」

 三人で出発ロビーに移動し、セキュリティゲートの前で立ち止まる。

「本当に今回はご迷惑かけました。今度、茜音ちゃんも二人になって遊びに来てください。それまでにはもう少し仲良くなれてると思いますし……」

「いまでも十分だと思うよぉ……。あ、そうそう。さっき落っことした荷物……。制服もクリーニングかけておいたってお母さんが言ってた」

 千夏が赤くなった。すっかりその存在をすっかり忘れていたらしい。お土産と上京の時に千夏が着ていた制服と荷物も。

 今日の千夏が着ている一式は茜音からの借り物だ。

「俺が持っていきます。服はあとで千夏から返させますから」

「ううん。いいよぉ。千夏ちゃんが気に入ってくれてるからそのまま使って。今回のこと思い出して仲良くいるためのお守りにでも……」

「ありがとう茜音ちゃん……。茜音ちゃんも頑張ってね。ずっと応援してるから……」

 千夏は茜音の手をぎゅっと握った。涙もろいのは二人とも同じだ。

「幸せになってねって言うのはまだ少し早いけど……、もう大丈夫だよね。わたしもいい報告ができるようにがんばるねぇ……」

 セキュリティゲートを抜け振り返りながら手を振った千夏に答えていた茜音の肩をたたく者があった。

「ほえぇ。二人ともどうしたのこんなところでぇ?」

「しまったぁ、一足遅かったかぁ……」

「菜都実の寝坊が悪いんでしょ。せっかく感動の再会シーンと千夏ちゃんを泣かせた犯人を見ようと思ったのに!」

 どうやら二人は千夏が実家に帰る話を聞いて羽田までわざわざやってきたらしい。

「どうだった。仲直りできたの二人は?」

「うん、二人とも本当に素直だったよ……。もう大丈夫……」

「茜音……?」

 再び送迎デッキに移動し、フェンスに手をついた茜音の様子は少し寂しそうに見えた。

「正直羨ましかったなぁ……。本当に二人とも素直だったんだもん……。もう心配いらないね」

「茜音だって、そうなれるよ。あんたほど彼のこと想ってるのは日本中探したってそういるもんじゃないでしょ……」

「そっかなぁ……。まだまだだと思うけど……」

 飛行機を見ている茜音の横顔は、佳織にもその心境が伝わってくるようだった。

「茜音……、見返してやるんだよ?」

「ふん?」

「千夏ちゃんたちのカップル。そして茜音のこと笑いものにしてきた人たちのこと。茜音ならできるからさ……」

「うん……。頑張ってみるよぉ……」

「さぁて、茜音。今日の午後はヒマ?」

 しんみりした空気を吹き飛ばすように、菜都実の声が響いた。

「うん。大丈夫だよ」

「せっかくここまで来たんだからさ、帰りちょっち寄り道して帰ろうって。佳織も賛成してるしさ?」

「うん、いいよ」

 返事を聞く前に、すでに立ち上がっていた二人はもう出口の方へと進んでいた。

「茜音! 早く!!」

「千夏ちゃん……、がんばれぇ」

 誰にも聞こえることはない。飛行場の騒音にかき消されてしまう小さな声だったけれど、再び歩き始めた親友にエールを送り茜音は二人の後を追った。

【茜音 高校3年 6月】



「このルートだと、こっちの線に乗れないしなぁ……」

「こっちは幹線だから、可能性としては低いと思う。航空写真見てもそれっぽいのないし」

 喫茶店ウィンディの閉店後。茜音、菜都実、佳織の三人が地図帳と時刻表を広げてすでに約1時間が経過している。

 時刻は夜11時を回っているけれど、土曜日の夜でもあったので、閉店作業はマスターである菜都実の父親に任せ、ウエイトレス役の三人はテーブル上の備品や掃除などの仕事をひととおり片づけると、店の一番奥にある三人が勝手に会議室と名付けた四人がけのテーブルに集まって、タブレットを手元にさっきからひたすらメモを書いている。

「ふわぁ。なかなか難しいねぇ」

 ガタンと椅子をならして立ち上がった茜音は、仕事の時間からつけっぱなしだったエプロンを外し、大きく伸びをした。

「信越と東北って列車の本数が少ないから難しいんだよこれが」

 時刻表から顔を上げた佳織も一息をついた。

「正直、これが最終戦だからなぁ。多少の無茶は承知なんでしょ、茜音?」

「うん。もう学校休んだどうこうとは言ってられないし」

 高校3年生となり、春休みやゴールデンウィーク、果ては修学旅行を使ってまでの茜音の旅は大詰めを迎えていた。

 とにかく雪の多い地区は避け、西日本、九州をやむなく一部手分けをして駆け抜け、そのほかの地区も四国を千夏に、信州と中部地方を理香と清人、北海道を家族旅行で回っていた萌、箱根や日光など関東の山間などは真弥にお願いしたり、それ以外にもSNSの力も借りながら情報を集めた。

 その結果、残る地域は東北地区だけとなっている。

 それは佳織の意見としても、一番可能性の高い地域でもあり他人任せではなく、直接回れる時期が来るまで最後に残したのだという。

 残されている時間はあと1ヶ月。1学期の期末試験を終えれば夏休みに入る。あの写真に印字されている日付では、この年の夏休み3日目があの日から10年となる。

 現実的な話、高校3年生となった三人とも目前に迫る期末試験の対策に抜かりはない。放課後は店の夜の部ギリギリまでは佳織を先生とする勉強会が開かれている。

 その後の夏休みの間には最終の進路決定もしなければならない。

 しかし、茜音はたとえそれらを考える時間や寝る暇を削ってでもしなければならないことがあった。

 自分に与えられている時間はわずか1ヶ月。平日は学校があり、祝日もなく動けるのは週末だけという6月になっても、まだはっきりとした手がかりをつかむことができない状態では十分な時間とは言えない。

 そこで茜音が考え出した最後の手段は、フットワークが軽く、多少の無理もできる一人旅で、これまで回ることができなかった未踏破地域の一掃を行うことだった。




『佳織、ルート作りお願い!』

 そんな茜音の無謀とも言える頼み。でも、佳織も親友の気持ちは十分に理解できたから、それに応えると約束をした。

 期間は期末試験が終わった翌日から、採点休みや週末、場合によっては学校を休んでまでの強行軍とした。

 菜都実や佳織も参加を申し出たが、さすがに学校を休むことを覚悟するだけに、直接関係のない二人を巻き込むわけには行かない。

「まぁ、大体のルートは決まったけどさ。今回はローカル線も多いから、1本逃したらアウトってとこも多いから注意しなさいよ」

「うん、気をつける」

 残留組二人は仕方なく、逐次茜音から送られてくる情報を元に、次の指示を出す役目に回った。これであれば、たとえ学校にいたとしても休み時間の間にも茜音に最新情報を渡すことができる。

「それにしても、ここまで手こずるとは思わなかったなぁ」

 菜都実は笑っているが、一番それを痛感しているのは、当然茜音本人である。

「そうだねぇ……。もうちょっと早くから探しておけばよかったなぁ」

 そうは言うものの、さすがに、ここまで全国を飛び回る旅はこの歳になってようやく許されたものだ。

「そういえば、佳織に一つ聞きたいことがあったんよ」

「なに?」

 時刻表を睨んでいた佳織に菜都実が声をかける。

「どうして、最後に東北を残したわけ? 前から佳織、本命の地区だって言ってたけど」

「そういえばそうだね」

 昨年の夏に探し始めた頃は三人とも場所の検討もつかず、これまであちこちに足を延ばしたけれど、今年のゴールデンウィークを直前にして、突然佳織は東北に重点を置き始めた。

「もっと、早く気づけばよかったの。茜音の目的地が多分東北だって」

「ほえぇ。どうやって?」

 佳織は、茜音の頭に手をやって続ける。

「茜音がいた施設は、おそらく関東のどっかだからだよ。それも結構南部だと思う」

「なんでぇ?」

 茜音自信も自分がどこの施設にいたのか、はっきりと覚えていない。それが分かるだけでもかなりのヒントになったはずだった。幼かったことと、今とは違い土地勘もなかった。残念だけど仕方のないことだ。

「それはねぇ、茜音の言葉で気がついたのよ」

「ふえぇ?」

「そんな情報聞いたこともないっ!?」

 驚く二人。もちろん、当の本人もそこにヒントがあるなどとは夢にも思っていない。

「私も、最近になって気がついたんだけどね。茜音って口癖はあるけど、言葉の訛りっていうか方言はないのよ」

「確かに……」

「そうかなぁ?」

 仕方ない。言葉の訛りなんてものは自分では気にしているようなものではないから、第三者でないと気づけない。

「あっちこっち旅して分かったんだけど、茜音の発音はそうなのよ」

「んでも、茜音んちは厳しいからそれで矯正されたんじゃないの?」

「最初はそう思ったんだけど、でも、茜音ってあの夏までは当時の自宅と施設で育ったんだよね?」

「う、うん」

 まだよく理解はできないものの、事実なのでうなずく。

「だったら、それまでに覚えた言葉ってなかなか直らないと思うよ。少なくとも茜音が津軽弁とか関西弁を話したことって無いでしょ?」

「確かにそうだわ」

 菜都実も腕組みをしてうなる。確かに自分たちが関東の言葉を話している中で、もし茜音が地方の言葉を発していれば、出会った当時にかなりの違和感を感じたはずだ。

「そうなると、比較的癖がない関東で、茜音の家の躾だとすれば、不自然さはないわけ。そんで、夜のうちに出発して、朝方人気のないところを走れる鉄道の路線となると、東北ならいくらでもあるわけよ。東海道方面は結構大都市が多いから」

「なるほどぉ。もう少し早く気づけなかったもんかねぇ」

「そもそも東北のローカル線は怪しいなと思ってたんだけど、それに確信が持てなかったのよ。最後の手段かもしれないけどとは思ってたけど」

 そんな佳織の説明も、結局は「100%の自信は無いけどね」というものだった。

 それでも、どんな些細な情報、ヒントでもかまわないというのが今の状況だったから、方針として1つ固まったのは多少の気休めにはなる。

 もちろん、これまでにも協力してくれたメンバーや、ネットからの情報をベースに全国の候補地をつぶしていくということは必要だったから、それは残留組の仕事だと菜都実は押し切った。




 佳織の説明を聞き終わり、地図を拡大してみると、言われたとおり、川沿いのローカル線の線路は何本も存在している。

「とにかくさぁ、さっさと期末終わらないかなぁ」

「本当にねぇ」

 それは三人とも同意見だ。しかも高校3年生ともなると、この冬から来春にかけての受験というものも無視はできなくなる。

 また、大学を推薦で受ける可能性もあり、早い学校で2学期中に入試があるとすれば、この期末テストは内申点を決める最後の試験でもある。

 茜音は自分の進路というものをまだ決めかねていた。もちろん、いろいろと夢はあるし、将来の職業についてもおぼろげに見えてきたところもある。

 だだでさえそういう大事なことを決める時期に、いくら進んで手伝ってくれているとしても、茜音の心境としては、大切な友人を巻き込んで時間をとらせたくはない。

「本当に無理しないでいいからねぇ」

 折に触れて二人には言い続けてきた。しかし、いつも返ってくる答えは同じだった。

「茜音を一人にして自分だけ勉強しろっての? そんなことできないよ。少なくともどっちかに落ち着くまではね」

「そうそう。頭の方は夏休みに佳織にたたき込んでもらうからさ。あんたの場合は人生かかってんだから、今はうちらのこと気にしている場合じゃないっしょ」

 少なくとも、例の日までは二人とも勉強にシフトする気はないらしい。

「ありがとねぇ……」

「ん? なんか言った?」

 思わず口をついて出た声に反応する菜都実。

「ううん、いつもありがとねぇって……」

「まーたそんなこと言ってる。あたしたちもいい息抜きになってんだから、気にしなさんな」

「うん。もう少しだからねぇ」

「おっし、こんなもんかなぁ」

 時刻表を睨んでいた佳織が、数字でいっぱいになった紙を手にして欠伸をした。

「ほえぇ、できたのぉ?」

「お、できたか?」

 二人はテーブルに戻った。

「でも、ものすごいスケジュールよ。茜音大丈夫かなぁ」

 書き殴ったメモの中から必要な数字だけを抜き取り、別のルーズリーフに書き込んでいる。

「もう仕方ないよぉ。着替えもできるだけ持っていくし、車中泊がいくつもなければ……」

「それは大丈夫。ただ、予定より1日早く出ることになるけど大丈夫かな? まぁ、夜行バスだけど……」

「マジっすか?」

「うあぁ、夜バスかぁ……」

 当初は佳織も朝1番の新幹線で青森まで行き、そこからと考えていたのだが、それではかなり遅くなってしまうことが判明した。

 それをカバーするために使うしかないという話だったけれど。

「でもさぁ、いくらなんでも初日から夜行はきついぞ。なんか他の手はないんか?」

「あるっちゃぁあるけど……」

 佳織は再び時刻表をめくる。

「まぁ、これでもいいかぁ。朝1番の飛行機で飛ぶってパターンね」

「羽田に何時よ?」

 結果、7時45分の飛行機ならば、夜行列車で青森駅に到着するのと大差ないことがわかり、こちらで予定を組むことになった。

「しかし、今回は遠いなぁ」

「うん。でも、佳織の言うとおり、遠いところから最初に行かないと帰ってくるとき大変だから」

 タブレットの画面から早速飛行機の予約をしている佳織を横目に見て、茜音はメモ書きに視線を戻す。

「大変だぁ……」

 羅列された内容を改めて確認すると、次の旅の過酷さがすでに十分に感じられる。

「願わくば、これを全部回ることなく帰ってこられることね」

「うん、そうだねぇ……」

 もちろん、茜音自身も最初から全部回る気はない。しかし、見つからなければそれをやるしかないのも分かっている。

「よし茜音、飛行機OK。一応、時刻表も最新版で確認して、明日学校で渡すわ」

「はぁい。それじゃぁしばらくはテスト勉強にしよぉ」

 その日から、三人は旅のことは一時お預けとなり、目前に迫った3年生1学期の期末試験対策に追われることとなった。




「それじゃ行って来ます、お父さんお母さん」

「気をつけるんだぞ」

「危ないことはしないようにね」

「うん、これが最後だから」

 茜音は両親に答えて、玄関を出た。

 何度となく同じシチュエーションでこの扉を開けたはずなのだが、今回ばかりはいつもとは明らかに違うと思った。

 これが探索のための最後の出発になる。次にドアを開けるときには、それがなんであれ、自分なりの答えを出してこなければならない。そのために長期戦も覚悟だから荷物もいつもより大きい。

 夏至を過ぎて朝が早くなっている。そんな夜が明けたばかりの道を駅に向かう。

 この道を次に歩くときはどんな気持ちなのだろうと考えながら歩いていき、駅に到着する。

「遅いわよ茜音」

「ふえぇ?」

 駅の改札には、見慣れたいつもの二人が仁王立ちで待っていた。

「早いから一人で行くって言ったのにぃ……」

「ばーか、茜音一人で旅立たせるわけにはいかないでしょうが。全部一緒に行くとは言わないから。羽田まで荷物持ちさせてもらうわ」

 そう言いながら、茜音のキャリーケースを取り上げてしまう菜都実。

「そゆことだから。こんな早い時間を組んだのも私だし。見送りくらいはさせてちょうだい」

「ありがとぉ」

 ここは素直に受け入れた。ここまで自分の無謀とも言える計画に賛同してくれるものが現れるとは、正直なところ茜音自身も以前は想像すらしていなかった。

 春先の京都調査で菜都実にも話したとおり、二人がいなければここまで自分もできたかどうか分からない。

「志望校、二人は決めたのぉ?」

 電車の中、少し話題を逸らしたくて、茜音は二人に尋ねた。

「まだ。今日から暇な時に考えるかなって感じ?」

「でも、佳織はどこでも平気でしょうが。あたしなんかホントどんだけ考えても答えなんか出やしない。ま、夏休みに出ればいいかなぁって感じ? 茜音はどうなのよ?」

 菜都実が逆に聞き返した。

「具体的にどうするかはまだ全然決められないんだけどねぇ。将来はなんとなく見えてきたかなぁ」

「ほぉ? 健君の嫁さんで決定じゃないんか?」

 茜音は常々、彼のそばに将来は行きたいと言っていたが、どうもそれだけではないらしい。

「それは個人的な目標で……。最初はやっぱり働かなくちゃと思ってて。学校か、施設の先生になろうと思ってるんだぁ」

「施設の先生か。茜音らしいって言えばそうだけど、どうして?」

 佳織はうなる。

「やっぱりねぇ、いろんな理由で傷ついちゃった子供たちと向かい合っていく大変なお仕事だってのは分かってるよぉ。でも、やっぱり、わたしはそこで育ったし、そこにいるみんなになにが必要かって分かってる。そこにまた入っていって、一人でも元気にしてあげるのが私の役目かなぁって思ってねぇ」

「そっか」

 単純といえば単純な動機かもしれない。一方でそれ以上にない選択かもしれなかった。

 また同時にその言葉が佳織の中に残ったのも、彼女の大きな転換点となることに誰も気づいていない。


 毎回の長期休暇の最後の方に、福祉の課外実習があり、学校側で用意した複数の施設や作業現場などに生徒は参加しなければいけないことになっている。

 この夏休み、学校から提示された選択肢の中で、茜音は迷うことなく児童福祉施設の手伝いを自ら申し出た。それを決めたときには彼女は自分のビジョンについてすでに考えていたのかもしれない。




 朝も早かったため、電車の混雑に巻き込まれることもなく羽田空港に到着する。

 フライト時間までにはまだ時間もあったので、チェックインを済ませ朝食を摂ることにした。

「茜音は機内で食べる時間があるのに悪いね」

「ううん、いいよぉ」

 他の二人よりも軽めにサンドイッチをゆっくりつまんでいる茜音。

「今回で最後かぁ」

「うん、本当に1年間ありがとぉ」

「まだ早いって。予定より早くのいい報告待ってるからね。なんか情報があれば、すぐに送るからさ」

「うん、頑張ってみるよぉ」

 茜音が青森に到着するのはこのあと10時頃になる。それまでに菜都実と佳織は店の仕事をしながらウィンディの一角に陣取り、茜音から送られてくる情報を整理することにしている。そのために、佳織も今日明日は菜都実の部屋に泊まり込むことにしていた。

「茜音、おみやげ持てなくなったら宅急便で送ってな」

「あうぅ、時間あればねぇ。乗り換えの時間が結構あったりするからそのときかなぁ。でも田舎の方に行くと駅前にコンビニがなかったりするよぉ」

「そういうときも気合いだぁ!」

「そんなぁ~~」

 いつの間にか時間も過ぎ、三人はセキュリティゲート前までやってくる。

「あ、そうだ茜音。いつものアプリにメッセージ送っておいたの見てくれる?」

 佳織に言われて、メッセンジャーアプリを立ち上げると、公開されているSNSとは違って、茜音・佳織・菜都実の三人だけのグループトークの中に、ウェブサイトのアドレスが入っていた。

「開いてみて。怪しいサイトじゃないからさ」

 菜都実も一緒になって開いてみると、そこには、今回のコースの時刻表だけでなく、駅の乗り換え、観光案内所や宿泊先の情報と連絡先などが整理されて表示されている。

「急いで作ったからデザインはイマイチだけど、パケットも使わないように最低限のデータで作ったの。それに私の手元ですぐに更新できるから、何か困ったときに開いてみて」

「すげぇ……、いつの間に作ってたんだぁ?」

 まさかの専用ページの用意に菜都実の方が呆れている。

 宿泊先の情報や行き方、乗り換え駅で食事の調達可否まで書いてあるのが、細かいところにも妥協しない佳織らしい。

「あうぅ、ありがとぉ。忙しい中でごめんねぇ。なんとかいい報告ができるように頑張ってみる」

 スマートフォンを操作して、ブラウザのブックマークにすぐに登録した。

「やっぱ、いつもより装備が重そうだわな」

「なんかあったら、すぐに連絡してちょうだい。行けるところなら次の日には駆けつけてあげるから。あと、美弥さんと真弥ちゃんが東北に旅行に行くって昨日言ってた。今日上野から出発するみたいだから、途中で会うかもね」

 京都で会った葉月美弥と真弥姉妹はその後も店にやってきたりと親睦を深めている。佳織の情報で茜音が北から攻めると聞き、二人は南側からスタートするという。

「そうなんだぁ。二人とも春に受験終わってたもんね。負けてられないね」

 搭乗開始の案内が流れる。茜音は再び荷物を確認すると、

「じゃぁ、いってきまぁす」

「茜音!」

「ん?」

 菜都実の声にもう一度振り返ると、彼女は握った手の親指を上に付きだした。

「グッドラック」

「うん、じゃぁね」

 ゲートの中に小さな姿が消えると、残った二人は大きなため息を付いた。

「だめだぁ、涙こらえるのやっとだった」

「なんか、心配よね……。あとは祈るだけ……か」

「おし、美弥さんたちに茜音の出発だけ連絡して、任務に就きますかぁ」

 佳織もそれにうなずき、二人は空港をあとにした。




「うー、最後にあんなこと言わなくてもぉ~」

 一方のゲートをくぐった茜音も、荷物を再び受け取ると、両手で目のあたりをこすった。

「ここからは一人かぁ……」

 もう一度、チケットとゲートを確認する。

「うん。いつだってわたしは一人だったもん。大丈夫だよぉ」

 次に前を向いたその顔には、もう迷いはない。


 飛行機は羽田を飛び立ち、ほぼ予定通りに青森空港に到着した。

 空港から最初の乗車駅になっている青森駅までは、空港からの路線バスで約35分弱の道のりになる。

 バスに揺られながら、今日の予定を確認する。

 するとスマートフォンの通知エリアにメールのアイコンが表示されている。

「誰だろぉ」

 先ほど空港からは青森空港の到着を知らせるメールは入れてある。

 画面を見ると、佳織からのメールで、菜都実のお店に戻り体制ができたとの連絡と、もう1通、上野を出発してまずは日光に向かったという真弥からのメール。途中で予定を合わせられたらいいですねというメッセージ。

「はうぅ。みんなわたしのこと泣かせたいのかなぁ……」

 再びこみ上げてくるものをなんとか抑え、二人にメールを返しているうちに、バスは駅に到着し、ホームにはすでに列車が待っている。あわただしく乗り込んだ直後にドアが閉まり、その日の旅がスタートした……。




「どうだったぁ?」

 夜も10時半を回り、その日の到達点を予定どおりの釜石と伝えてあった佳織が駅前の旅館を用意しておいてくれた。

 その日の結果をSNSなどに投稿を終え、いろいろな機材の充電をしているところに待機している二人からの電話だ。

「うぅ、疲れたぁ。気仙沼までは行けたんだけどねぇ。最後の方は暗くなっちゃって。でも、駅の雰囲気とかを感じていったけど、やっぱ違うねぇ。釜石まで戻りながら寝ちゃったよぉ」

「山田線でもダメだったか……」

 佳織はいくつかの路線を重要路線と指定してあり、そこを通るときは可能な限り明るいうちに通れるように組んである。

 山田線は山の中を縫うように走る路線で、鉄橋の写真なども多数ネットなどにも掲載されている。三人とも、もしかしたら初日にも可能性があるとみていたため、急遽の途中下車によるスケジュールの遅れが出ても今後の日程でカバーできるようになっていた。

「うん。かなり確率も高いっていうから、ずっと窓際で観ていたんだけどね。どうしてもピンとこなかった。降りたらもう少し分かるのかもしれないけど、なんか違うんだよぉ」

「そうかぁ。残念だなぁ。まぁ、明日も頑張ろう」

「うん。ありがとぉ。明日は宮城県、山形県中心だねぇ」

「疲れると悪いから、おやすみ」

「うん、ありがとぉ。おやすみぃ」


 一人だけの部屋の中が再び静まりかえる。

 ハードな旅とは覚悟していたが、初日からずいぶん疲れた気がする。

 テレビをつけていようとも思ったけれど、時間も遅くなり地方局の番組に切り替わってしまうと、観ていても馴染みがない。翌日の天気予報だけを確認して消してしまった。

「明日も早いからもう寝よぉ」

 明かりを消し布団に潜り込んだ茜音は、旅初日の疲れも吹き出したのか、すぐに深い眠りに落ちていた。




 2日目も天気はまずまずで予定通りの行程をこなすには問題は無い。

 夜のうちに佳織たちがいろいろな情報を分析して入ったメールを確認したけれど、特に予定を変更しなければならない情報は入っていなかった。

 朝から釜石線、東北線、北上線と乗り継ぐ。

 途中、列車の乗り換えの時間を利用して昼食をとっていた茜音。

 ローカル線どうしの接続は、朝晩の通勤・通学の時間帯をはずしてしまうと、極端に時間が空いてしまうこともある。

 そもそもこの空白の時間は、初日にスケジュールが遅れた場合を想定してわざと作ってあったものなので、前日を予定通りにこなしてしまった茜音には、ホームから周囲をのんびり見回す休憩時間になっていた。

「ほえぇ、誰だろぉ」

 周囲が静かなので、スマートフォンのバイブレーションの音も大きく聞こえた。ディスプレイを見ると、これまでに見たことの無い番号が表示されている。

「はい……」

「もしもし、茜音ちゃん?」

 電話の主は若い女性の声だ。

「はいそうです。……もしかして理香さんですかぁ?」

「そう、茜音ちゃん元気してる」

「はいぃ。お久しぶりですぅ」

 平川理香。昨年度の生徒会長だった坂口清人の幼なじみのお姉さんであり、今は清人と両家公認の交際中のはずだ。

 また、これまでにも中越や長野方面の情報を集めてくれた良きお姉さん格でもある。

「茜音ちゃん、もうすぐあの日だよね。場所は見つけられた?」

「それがまだなんです。今も探すために山形県にいるところですよぉ」

 事情を知っている理香に隠す必要はない。今回の予定を簡単に話した。

「そうなんだ。茜音ちゃん、それじゃぁまだ見つかってないのね?」

「はい。見つかるまでは帰らないつもりです」

 それは出発前から決めていたことだ。

「ならよかった」

 そこで理香の声は少し真剣になると、一息ついて続けた。

「茜音ちゃん、今の茜音ちゃんにどうしても会わせたい人がいるの。少し遠いんだけど、会いに行けるかしら」

「それはいいですけど……、今すぐですか?」

「ええ、茜音ちゃんが旅に出ているなら、少しでも早いに超したことはないと思う」

 そこまで言われて、気づかない茜音ではない。

「もしかして……?」

「ええ。そう思ってもらえればいいわ」

 これまでの茜音なら、すぐにそこに飛んで情報の真偽を確かめに行くところだ。しかし、今は状況が違う。

「でも、理香さん。わたし、今最後のチャンスなんです。佳織が最後のために作ってくれたリストをこなさないで、もしその情報が間違っていたら、もうわたしに時間がないんです……」

「片岡さん」

 電話の向こうの声が変わった。

「ほえっ、会長さんですか?」

 この春から大学生になった清人の声だった。彼の働きにより、茜音の活動が学校中に公になったことで、それまで彼女のことを誤解していた人たちからは解放されることになったし、校内からもちらほら情報も寄せられるようになった。

「もう会長じゃないよ。それよりも、今の理香ねぇの話だけど、確かに片岡さんに時間がないことも、最後のチャンスだっていうのも、俺たちは十分に理解している。でも、どうしても伝えないわけにはいかなかったんだ」

「そうなんですかぁ……」

 清人の声はいつも以上に真剣さを持っている。

「だから、俺たちも中途半端な情報は送らないようにしていた。だけど、ほぼ間違いない情報を持っている人を見つけたんだ」

「えっ……? 本当……ですか?」

 思わず茜音の声もうわずる。気持ちがぐらりと揺らいだ。

「理香ねぇの学生時代の同級生だそうだ」

「なんで……そんなところに……」

「そう、私の昔の同級生で、教師になった人がいたのよ。その人から教えてもらえた。10年前に施設の閉鎖で離ればなれになってしまった同い年の女の子と、この夏に再会するのを楽しみにしている男の子の話をね」

「そんな……」

 この短い話だけで、これまでに集めてきた情報の量ではなく、質が全く違う。もう直感が『本物だ』と言っている。

「そして、その人は茜音ちゃんしか知らないことを話してくれたし、決定的なものを持っているのよ。茜音ちゃん、それを受け取ってほしいの。『佐々木茜音』ちゃんに……」

「は……い……」

 理香の声は電話越しのはずだったけれど、目の前で告げられているように、そのときの茜音には感じられていた。




 通話先の声が一度静かになる。しかし、茜音にはどちらが話していようが関係なかった。問題はその中身だ。

 自分の生まれた時の名前を呼ばれた。これを理香に話したことはない。清人が伝えたとしても、それを茜音の心を開く鍵のように使えるのは理香が事実を確信しているからだ。

「あ、あの……、その人は今どこにいるんですか……?」

 体が震え、声がかすれる。

「JRの小海線って分かる?」

「はい。今回も最後の方に回る予定です」

「そう、そこの佐久海ノ口って言う小さな駅のそばなの。行けるかしら」

「あの……、もう一度質問してもいいですか……? 本当にその人は健ちゃんを知ってると思っていいんですよね……?」

 少しの間を空けたあと、理香の声がした。

「茜音ちゃん。本当に遅くなってごめんなさい。でも、情報を確実にしたかった。だから、私たちも彼のところに行って来たわ。そして茜音ちゃんのことを話してきた。そうしたら、間違いないってことになったの。でも、中身は分からなかったわ。内容はその人も分からないって言ってた。佐々木茜音ちゃんへの手紙になっているのよ」

「そうですか……。すぐにかけなおすので、ちょっと待ってもらえますか?」

 茜音はそう言って一度通話を切る。

 体の震えが止まらなかった。自分の名前まで一致している理香の話はほぼ間違いない。すぐにでも向かって確認したほうがいいことは分かっている。

 しかし、万が一でもそれが間違っていたとしたら、ただでさえ十分とはいえない時間において決定的なダメージを受けることになる。

 それでも彼女の中では決意が決まりつつあった。佳織が作ったスケジュールでは、この急な変更までは見込まれていない。

 スマートフォンを操作して、今からの経路検索を行う。そしてこの時間ならば、行き先を変更して今日中にたどり着くことが可能だと確認した。

「あの、理香さんですか? 茜音です」

 先ほどの電話番号にかけなおす。すぐに通話がつながった。

「茜音ちゃん、どうする?」

「あの、今日、これから向かいます。到着は夜になりますけど、構わないですか?」

「了解。私たちは行けないけど、すぐに連絡しておくわ。駅に迎えに来てもらうようにするから。あと、先方の連絡先をメールで入れておくわね」

 理香たちが同行できないという不安要素はある。でも、これまでもそんな事は何度もあった。仮に何かがおきたとしても、それを受け入れるだけの覚悟はずいぶん前からできている。

 もう一度荷物と時刻をチェックする。再び少し険しい顔つきになると大きな荷物を抱えて立ち上がり、駅の改札に向かった。

「ごめんね、佳織……」

 理香からの先方の連絡先が書かれたメールを受け取ると、そのあとは青森の空港に到着したときから電源を入れっぱなしにしてあったスマートフォンの電源を切った。これで二人からは自分の行動の把握はできなくなる。

 駅の窓口に行き、乗車券の行き先変更と新庄からの新幹線の特急券を買う。座席に座って、ようやく茜音は緊張していた体がほぐれていくのが分かった。

 列車が動き出すと、それまで張り詰めていたものが切れるように、いつの間にか眠りに落ちていた。




「おかしいんだぁ。お昼過ぎくらいから茜音と連絡が取れない」

「でも、今日のルートって山の中ばっかだったじゃん? 昨日だって何度か電波届かないところ走っているはずだし?」

 茜音が理香たちからの連絡を受けて数時間、ようやく佳織も様子が変だということに気がついた。それまで定期的に送られてきていた茜音からの途中駅の通過連絡がぱったり来なくなったから。

 あまりにも連絡が来ないので、電話での連絡を試みた佳織にしても、圏外のメッセージを繰り返すのみ。

 当然、茜音が自分から電源を切ってしまったことなど知らされていない二人には、ただ連絡が来ないという状況しか分からない。

「そう考えたんだけど、いくらなんでも間が開きすぎだと思うのよ」

「そんじゃ、昨日の夜に充電し忘れたか?」

「それだけならいいんだけどね……。あれで茜音結構かわいいからなぁ……」

 自分が把握できないことが起きると、最悪のケースを考えてしまうのは昔からの佳織の性格でもある。

「誘拐でもされたかもって? 大丈夫だって。きっと電池切れか寝てるんでしょ。あ、でも寝てたら探せないじゃん。ダメだなぁ」

「とりあえず、電池切れだと思って今夜か明日までは様子見るか。明日になってもなんの連絡も無かったら探しに行く準備だけはしておくわ」

「佳織も心配性なんだから……」

 菜都実は画面を覗き込むのをやめて仕事に戻った。

 しかし、茜音がこのときの二人の想像を超えた行動に出ていたのを知るのは、数日経ってからのことだった。