ところでランは、転生前の世界では、白崎蘭(しろさきらん)という名前を持っていた。
 蘭はごく普通の十四歳の女の子であった。ところが交通事故で死んだ。即死であった。

 彼女は目に見えない姿となって、宙をふわふわと飛んだ。どうして自分が飛んでいるのか不思議だった。
 気がつくと、後ろから誰かが抱きついていた。

「……誰?」
「天使です」
「天使?」

 翼を広げた天使がにっこりと笑う。なかなかのイケメンだった。

「ということは、私は死んだの?」
「そうです。トラックから外れたタイヤが直撃し、十五メートル飛ばされて地面に頭から落ちました」
「外れたタイヤが直撃……ダサ」

 蘭は死に方に納得がいかない顔をした。

「じゃあ、私がいい子だったから、天使さんが天国に連れていってくれてるのね?」

 蘭はすぐに気持ちを切り替えた。天国行きなら超嬉しい。きっとそこでは、勉強も仕事もする必要がなく、食べ物も抜群に美味しく、一日中ゴロゴロしても誰からも叱られない生活が永遠に続くのだろう。
 ところがーー

「いいえ、天国には参りません。あなたはまだ若いですし、この世に未練がありましょう。なので、異世界に転生させてあげます」
「は?」

 蘭が勢いよく振り向いたので、天使は危うくバランスを崩しかけた。

「おっとっと。運搬中の急な動きはお控え下さい」
「ちょっと待ってよ。転生するって何? また一から人生をやり直すの? めっちゃダルいんですけど!」

 天国に行けるとすっかり期待していた彼女は、何とか天使に方針を変えさせようとした。

「天国に行かせて! 毎日美味しい物を食べてダラダラ過ごさせて!」
「無理です。あなたの異世界行きはもう決定しているのです。諦めて下さい」

 蘭はどんよりした。喜んでもらえるとばかり思っていた天使は、何だか申し訳ない気持ちになり、自分にできるかぎりの便宜を図ってあげることにした。

「あのー、転生先での職業は何にします? 自由に選べますけど?」
「それがダルいって言ってるの。天国だったら仕事なんてしなくていいんだから」
「これはどうですか、毒見役。毎日貴族の食事を食べられますよ。仕事は基本それだけ。あとは寝ていればいいんです。ね?」

 蘭は怒った。

「あなたそれでも天使? 毒見役を人に薦めるなんて、もし毒を呑んで死んだらどうするの?」
「そのとき改めて、天国に行かれては?」
「嫌っ! 毒死なんて苦しいじゃん!」
「ではこうします。こちらの世界の人間にはまるで効かない毒しか存在しない世界に、あなたを転生させます。ついでに、いつでもこちらの世界の薬を取り出せるポーチもプレゼントしましょう。それを異世界人に服(の)ませたら、どんな病気でも治せます」

 蘭は考え込んだ。

「異世界に行ったら、モンスターに襲われたり、悪役令嬢に意地悪されたり、キモい男に狙われたりしない?」
「力とすばやさについてなら、少々サービスできますが?」
「じゃあ、転生先の住民と比べて、力を百倍にして、すばやさを二百倍にしてくんない? そうしたら、たいていの危険は乗り切れそうだから」

 男どもにパンチを食らわし、モンスターを投げ飛ばす自分を想像して、「私つえーっ!」と爽快な気分になった。

「ではそれでよろしいですか? 毒見役に転生で?」
「まあ、よしとするわ。あと、どうせなら王様と同じ食事を食べたいから、王室に雇われるようにして」
「美人にしときましょう」
「どっちかっていったら清楚にね。決して派手じゃないんだけど、誰よりも輝いてるっていうか」
「輝かせましょう」

 話がまとまった。双方が満足する結果だった。

「転生先の国名はシェナ王国。セイユ地方に住む毒見の一族に生まれていただきます。十四年後にオーディションで選ばれて、王宮入りします。そこまで決めておけばいいですか?」
「最初の十四年間を、飛ばすことはできない? ダルいから」

 さすがに天使もムッとした。まったく近頃の若い者ときたら……
 いやいやと、天使はすぐに反省した。近頃の若い者は、と言うようになったら、それは老化の証拠だ。今の感性では、これが普通なのだろう。楽して生きたい。それだけが、今の若者の願いなのだ。

 何も世界一の金持ちになりたいとか、世界一の権力者になりたいとか、世界一モテたいと願ったわけではない。それを考えると、彼女の願いなどかわいいものだ。そのくらい叶えてやろう。

「では目が覚めたら、十四歳の毒見役です。何もしないで待っていれば、王宮からの使いが来ます。あとは上手にやって下さい」
「サンキュ」

 蘭はたちまち眠くなって意識を失った。
 目が覚めると、そこは絵に描いたような田舎のあばら屋だった。
 厳しい毒見の一族の修行生活。しかしランには楽勝。なんせ力は他人の百倍で、すばやさは二百倍。言いつけられた作業や訓練をあっという間にこなし、余った時間は寝て過ごした。

「ありゃ仙女の生まれ変わりだな。わしらの手に負えん」

 一族の長老も呆れるばかり。本当はランは仙女などではなく、楽して生きたい普通の女子だったのだが。

 とんでもない女の子がいる、という噂は、人から人に伝わった。それはやがて、職業「仙女」を選択した転生者の老婆の耳にも入った。

「間違いない。その子は転生者じゃ。不思議なポーチから不思議な薬を出すというが、きっとチートアイテムが使える転生特典を付与されたのじゃろう。美しくて力持ちですばやいうえにそれか……うらやましい。ずいぶんうまく天使と交渉したと見える」

 やがてレオ第二王子と出会った老婆は、その少女を捜すことになり、セイユ地方の山間部で発見した。

「仙女さん? あなたが王宮の使いね。待ってたわ」
「なんじゃ、そこまで運命を決めて転生したのか。なら話が早いわい」

 ということで、老婆は毒見の一族に、

「この子は必ず王に選ばせる。仙女の約束は絶対じゃ」

 と告げて、ひとまず自分が住む洞窟に帰り、第二王子に転生者を「発見」させる作戦を練った。