〈おはよう〉
もはや日課となった、流樹るきとの朝のLINE。
《おはよー。》
〈朝練、行ってきます〉
《行ってらっしゃい》
私たちがこうやって親しく話せるのは、LINE上だけ。

〈ただいま〉
帰ってきてすぐに連絡をすると、すぐに既読がついた。
《おかえり》
流樹からLINEがくるたびに、キュッと胸が締め付けられる。ひとつひとつの言葉から流樹の温もりが伝わってくるみたいで、やっぱり私は流樹が好きなのだと思う。
〈今日、いいことあって〉
〈今度の試合、出れることになったの〉
嘘だ。全部嘘。でも流樹は疑わない。私はバスケ部のエースで、ピアノを習っているスーパー少女だと、思い込んでいる。
《えーすごいじゃん》
《おめでと》
私と流樹は、同じ学校に通っている。でも、お互い、顔や本名を知らない。学校の掲示板で出会った、年齢も分からない知り合い。流樹と名乗っている男子と、百合ゆりと名乗っている少女。私たちが知っているのはそれだけ。流樹という名前の人はこの学校にはいなかったから、多分偽名だ。それでも、私たちは恋人。
〈ねえ流樹〉
〈私は流樹のことが大好き〉
《俺も、百合ちゃんのことが大好き》
きっと私たちは、お互いが偽りの存在であることに気づいている。それでも、求めてしまうのだ。自分のことを認め、愛してくれる人を。

〈おはよう〉
異変が起きたのは、次の日の朝だった。いつもはすぐに既読がつくのに、今朝はつかなかった。寝坊かなあ、と思う。
〈ねぼうかなぁ??〉
〈朝練行っちゃうよ?〉
何度メッセージを送っても、それは一緒だった。本当は私は帰宅部だから、朝練なんて行かない。家を出る直前までスマホを見ていたけれど、返信はおろか、既読すらつかなかった。
電話したい。何度、電話のマークに手を伸ばしたことか。でも、それはしない。電話はしない。それが、私たちが決めたルールだから。

結局、帰っても返信はなかった。心の中で悪い自分が囁く。
“別に少しくらいいいじゃない。流樹は優しいから怒んないよ“
ルールを決めた時、電話をかけるのは緊急事態だけ、と約束した。私はその約束を破ることができない。また流樹に、大好きだよって言われたいから。“現実世界に彼女ができた“と言われたらきっと立ち直れないから。

1ヶ月が経った。まだ、既読はついていない。
「花子、また1人で本読んでるよ。陰キャの極みだよね」
「あ、トイレに行った。トイレの花子さんじゃん」
そんな声が、耳元で鳴っている。ああ、流樹。あなたのいない毎日は、苦しくて、すべてが白黒だ。私は、学校に行けなくなった。

「ねえ、高山さんは、今、なにか好きなこととか、あるの?」
うちにまでやってきたスクールカウンセラーの先生は、そう言った。好きなこと。最近ハマってるのは、流樹とのLINEを見返すことかな。そうして1番直近のメッセージを見て、既読がついていなくてまた落ち込む。こんなこと、先生にわかってもらえるわけがない。
「流樹」
そう思っていたはずなのに、そんなふうに答えてしまったのは、どうしてだろうか。流樹に会いたくて、会いたくて、もうそれしか考えられなくなってしまったのかもしれない。
「えー、誰それ?アイドル?先生にも教えてよ」
私はずっと、誰かに聞いてほしかったのだ。流樹が優しかったこと。実際に顔を見て話せなくても、言葉でぎゅっと抱きしめてくれたこと。私は全部全部、先生に吐き出してしまった。
「流樹くんって、誰なんだろうね」
私の話をひと通り聞いた後、先生はそう言った。
「急にメッセージが来なくなった理由は、流樹くんに何かがあったからかもしれないよ」
「先生。私、流樹に会いたいんです」
本心だった。言葉だけじゃなくて、本当にぎゅってしてほしかった。私は流樹に、救いを求めているのだ。
「先生が、高山さんに協力してあげることはできるよ。でも、高山さんの思い通りの結果になるとは限らない」
「それでも、私は知りたい」
私はどうしようもなく、流樹のことが好きだった。

次の日から、私は学校に行くことになった。行くのは、スクールカウンセラー室。そこで先生と流樹を探す計画を立てるのは、まるで秘密会議をしているみたいで、なんだかワクワクした。
「まずは、嘘かもしれなくても高山さんが知っている流樹くんに関する情報を挙げてみよう」
先生にそう言われて、挙げたのはこんな感じだった。
・中学2年生(私と同い年)
・美術部で絵を描いている
・誕生日は6月18日
「ねえ、高山さん。私、これに当てはまる人、知ってるかもしれない」
私がどんなに調べても、美術部員で2年生で誕生日が6月18日の人なんて、見つからなかった。
「でもね、その子、4年前に亡くなっているのよ……」
先生はそっと涙を流した。先生は私のこと、頭のおかしい人だと思っただろうか。流樹は、つい1ヶ月前まで私と話していたのに。
「篠山流樹くん、って言うんだけど」
そこで、ふと気付いた。
「篠山、ですか?」
篠山。それは、私が流樹以外で唯一LINEを交換している幼馴染の男子だった。
「篠山流人しのやまりゅうとの、お兄ちゃんですか?」
「そうだよ」
篠山が、流樹なのだろうか。

家に帰ってから、流樹に久しぶりにメッセージを送った。
〈緊急事態だから、電話するね〉
プルルルルルルル
「もしもし、百合ちゃん」
篠山の声だった。聴き慣れた、あの低音の声だった。
「ねえ、篠山。あなたは何がしたいの?」
電話の向こう側で、篠山が絶句しているのがわかった。
「気付いたんだね」
その声は落ち着いていて、ああ流樹は百合が誰か知っていたのだと思った。
「気付いたってことは、兄ちゃんのことも知ってるんだろ?兄ちゃん、篠山流樹は、友達に殺されたんだ。自殺。自らを殺すと書いて自殺。でも違う。俺はあれは、他殺だと思ってるよ。だからね、百合ちゃんが……ううん、花子ちゃんが。いじめられて死にそうになっているのを、見たくなかった」
やめて。その名前を呼ばないで。私は花子じゃない。百合だ。
「じゃあ何で、急に連絡をやめたの」
自分から出た声は、恐ろしく醜かった。私は百合じゃない。花子だった。
「花子ちゃんに、気付いてほしかった」
か細い声が電話越しに伝わってくる。もう6時だというのに、夏の空はまだ窓から強い光を差し込ませていた。
「俺は、百合ちゃんじゃなくて、花子ちゃんのことが好きだったよ。だから、流樹じゃなくて、俺を好きになってほしかった」
嫌だ。私はいつまでも、私の作り出した理想、百合に生きていたかった。
「花子ちゃんが好きだったのは、流樹だった?」
私は、私は。本当の私は、どう思ってる?
ああ、わかった。
高山花子は、どうしようもなく篠山流人が好きだった。