「え!? お屋敷にフェンリルがいるんですか!?」

 フェンリルと言えば、銀色の体毛に包まれた狼の魔獣だ。
 ほとんど伝説上の存在だとされている。
 私だって見たことすらない。
 そんな魔獣がいるなんて……。
 さすがはディアボロ様のお屋敷だ。

「皇帝様が遠征に行ったとき、瀕死になっていたフェンリルを見つけたのです。皇帝様が保護し、現在までこちらで暮らしています」
「ディア坊主の数少ない友達だよ。まぁ、それでも人間じゃないんだけどね」

 オールドさんが言うと、バーチュさんがまたキッと睨んでいた。

「では、さっそくでございますが、散歩がてらご案内させていただきます」
「慣れるまではアタシも一緒に行くから安心しなさいな」

 その後、動きやすい服装に着替えて、フェンリルの元へ行くことになった。
 お屋敷を出ると、目の前にはキレイな庭が広がっている。
 バラやマーガレット、ラベンダー……可愛いお花でいっぱいだった。
 もしかしたら、国で一番の庭園かもしれない。

「ここのお手入れもバーチュさんがやられているんですか?」
「全て私一人で行っているわけではありませんが、ほとんど私がやっております」

 バーチュさんは大したことないように言っていたけど、大変な労力だと思う。
 さすがはディアボロ様が選んだメイドだ。
 少し歩くと、お庭の片隅に着いた。
 大きな灰色の塊がうずくまっている。

「あそこにいるのがフローだよ」
「私、フェンリルなんて初めて見ました」
「フロー様、具合はいかがでしょうか?」

 もぞもぞ動いていて、まるで大きな毛玉みたいだった。
 やがて、私たちが近づくと、灰色の塊から頭が出てきた。

『どうした……って、お前らか』

 フローさんはぐったりしていて元気がない。
 フェンリルは銀色の体毛が光輝くと本で読んだことがある。
 でも、目の前にいるフローさんの体毛はくすんでしまっている。
 よく見ると、毛もボロボロだった。

「調子はどうだい、フロー」
『いつものことだが、あまり良くないな』

 フローさんは、ふーっとため息をついている。
 大きな青い目も力が入っていなかった。

「いったい原因はなんなんだろうね。すまないね、アタシでもよくわからないんだよ」
『気にするな、そのうち治るさ……っと、それより、こちらのお嬢さんは誰だい? 初めて見る顔だが』

 フローさんはぬくりと首を動かして私を見た。
 慌てて自己紹介する。

「あっ、すみません! 申し遅れました! 私はキュリティと言いまして……」
「ディア坊の妻さ」
『なに!?』

 言い終わる前に、オールドさんが伝えた。
 フローさんは目を見開いて驚いている。

「まぁ、厳密に言うとディア坊主が妊娠させてしまってね」
『!?』

 オールドさんが簡単に事の経緯を説明する。
 フローさんは驚きっぱなしだった。

『そうか……そいつは大変だったな』
「あ、いえ、もう大丈夫です」
『何はともあれよろしく』
「よ、よろしくお願いします」

 フローさんとも握手を交わす。
 モフモフして柔らかいのだけど、やっぱり体毛はガサガサしていた。

「どうやら、フローは質の悪い病魔にかかっているみたいでね。色んな薬やポーションをつくっているんだけど効果がないよ。病魔の種類がわからなくてね……ちょっと困っているのさ」

 オールドさんは珍しく硬い顔をしている。
 世の中の色んな病気は、病魔とよばれる魔法が原因だった。
 だけど、たくさんの種類があるので、医術師でも見分けるのは難しいと聞いたことがある。

「オールド様以外にも手練れの医術師を呼んでいるのですが、どなたもわからないようです」

 バーチュさんもしょんぼりしている。
 今こそ、<見破りの目>が役に立つかもしれない。

「でしたら、私のスキルで見てみましょう。<見破りの目>を使えば、病魔の種類も見分けられるはずです」

 私が言うと、バーチュさんはハッとした。

「奥様のお身体に何かありましたら困ります」
「大丈夫です。何度も使ったことのあるスキルですから」
「なりません」

 バーチュさんは断固として、私にスキルを使ってほしくないようだ。
 ど、どうしよう。
 でも、ここまで止めるのも私の身体を思ってくれているからだし……。

「バーチュ、ここはキュリティに任せたらどうだい? アタシもキュリティのことをしっかり見ておくからさ」

 心の中で葛藤していたら、オールドさんが代わりに言ってくれた。

「……オールド様がそう仰るのであれば」
「ご心配していただいてありがとうございます。でも、本当に平気ですから」

 目を閉じて魔力を集中する。
 妊娠してからは初めて使うけど大丈夫かな。
 一瞬不安な気持ちになりそうだったけど、すぐに振り払う。
 フローさんを見ていると、彼を覆っている魔力が見えてきた。
 病魔特有の黒いオーラ。
 さらによく見ると小さな虫みたいな生き物がいる。
 フローさんの体中にまとわりつき、魔力を吸い取っていた。

「これは……病魔・エナジードレインです」
『「エナジードレイン……!?」』

 自覚症状は強くないけど、放っておくと体力を奪い尽くされ死に至る病魔だ。
 治療は簡単だけど、その分見分けるのが恐ろしく難しいとされている。
 そのため、気づいたときにはすでに手遅れ……なんてこともよくあると聞いていた。

『なるほど、エナジードレインだったか。どおりで体がだるいわけだ』
「ありがとう、キュリティ! これで効果のあるポーションが作れるよ! フロー、ちょっと待ってな!」

 オールドさんは嬉しそうにお屋敷へ走って行った。
 かたや、バーチュさんはじっ……と私を見ている。

「あ、あの、バーチュさん、どうされたんですか?」
「奥様は素晴らしい力をお持ちでございますね。それより、お身体に変わりはありませんか?」
「もちろん大丈夫ですよ」

 バーチュさんは私の身体を大切そうに撫でている。
 彼女の手の平から、温かい気持ちが伝わってくるようだった。
 やがて、オールドさんがお屋敷から戻ってきた。
 手にはポーションの小瓶を抱えている。

「ほら、フロー。薬だよ、飲んでおくれ」
『助かる。相変わらず仕事が速いな』

 フローさんは小瓶を受け取ると、器用にキュポンッ! と開けた。
 そのまま、ゴクゴクと飲む。
 すると、小さな虫や黒いオーラが消えていった。
 それだけじゃない、フローさんの身体が銀色に輝きだした。

「わぁっ、キレイ!」
「フェンリルの体から魔力があふれると、あのように光り輝くのです!」
「つまり、フローの病気は治ったってことさ!」
『みんな、もう大丈夫みたいだ! 心配かけて悪かったな!』

 私たちは手を取り合って喜んだ。
 フローさんは嬉しそうに走ったりジャンプしている。
 さっきのぐったりした様子からは想像もできなかった。
 やがて、フローさんは私にスリスリと体を擦り付けてくれた。
 
『ありがとう、キュリティ。お前のおかげで治ったぞ』
「いや、そんなことはありませんよ。私にできるのは魔法を見破るだけです。ポーションを作ったのはオールドさんですし」

 そう、<見破りの目>は魔法を見破るだけ。
 私に病気を治したり呪いを解く力はない。

「それでも、オールド様でさえ分からなかった原因を暴いたのですから、大変な功績でございます」
「そうだよ、キュリティ。アンタがいなけりゃ、そもそも効果のあるポーションを作れなかったんだよ」
『俺からも改めてお礼を言わせてもらうぞ。お前がいてくれたおかげで治ったようなもんだ』

 だけど、みんなはしきりに感謝してくれる。
 他愛もないスキルだけど、自分の力が役に立ったのだ。
 みんなのおかげで、私の心は温かい気持ちでいっぱいになった。


□□□


 その後、あっという間に夜になった。
 バーチュさんもいなくなり、寝る支度をしていたらドアが叩かれた。

「キュリティ、私だ。入っていいか?」
「はい、お入りください」

 ディアボロ様が静かに入ってくる。
 お忙しいだろうに、毎晩私の様子を見に来てくださっていた。

「オールドたちから聞いたんだが、フローの病気を見破ってくれたそうだな。私からもお礼を言わせてもらう」
「あ、いえ、恐縮です。私もフローさんが元気になってくれて良かったです」

 私たちは静かに微笑みあう。
 もうディアボロ様に恐怖を感じることはなかった。
  
「それで、君の腹……赤ん坊の調子はどうだ?」
「順調に進んでいるみたいです。オールドさんもこの調子なら大丈夫だろうと言っていました」
「そうか、それならよかった」

 ディアボロ様の言葉は少ない。
 それでも、私たちを大事にしてくれていることは十分すぎるほど伝わってくる。

「おやすみ、キュリティ」
「おやすみなさいませ、ディアボロ様」

 ディアボロ様が出ていき、お部屋の中は一段と静かになる。
 安らかな気持ちでベッドに横たわった。
 ここに居れば何があっても大丈夫だ。
 安心したような、ホッとしたような気持ちで眠りに就いた。