「少しずつ腹が膨らんできているね、キュリティ。赤ん坊も順調に育っている証拠だよ」
「はい、このまま元気に育ってほしいです」
「奥様の経過を聞いて、皇帝様も喜んでいらっしゃいます」
フローさんの病気が治ってから少しして、私のお腹もちょっとずつ膨らんできていた。
なんとなくお腹も重くなってきたような気がする。
お腹の重みが増す度に、妊娠の実感が湧くようだった。
とは言っても、日常生活にはなんら問題ない。
今日もお仕事をするつもりだった。
「では、さっそく今日のお散歩に行きましょう。私、準備万端です」
「奥様、決して無理はなさないようにお願いします」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。キュリティなら何があっても平気さ。アタシは王宮で用事があるから二人で行っておいで」
そういうことで、この日の散歩は私とバーチュさんで行くことになった。
花は今日もキレイに咲いている。
豊かな香りで胸がいっぱいだ。
「お花の中を歩いているだけで楽しい気持ちになりますね」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
「……ん? あれ?」
「どうかされましたか、奥様」
少し歩いていたら何か違和感を覚えた。
木の周囲がなんか変だ。
なんとなく風景がぐにゃっとしているような気がする。
「バーチュさん、あそこに何かありませんか?」
「あそこ……でございますか? 申し訳ございません、私にはなんとも……」
バーチュさんには何も見えていないようだ。
もしかして……。
魔力を目に集中させる。
――<見破りの目>!
木の方をじっくり見ていると、だんだんハッキリしてきた。
人型のような魔力のオーラが見える。
周りの風景と同じように見せているらしい。
さらに魔力を集中するとハッキリしてきた。
誰か……いや、怪しい男の人が隠れている!
「バーチュさん、あそこに誰かいます!」
「誠でございますか、奥様!」
「チィッ……!」
男が動いた瞬間、魔力のオーラが消え去った。
どうやら、動くと解けてしまう魔法らしい。
男はナイフを構え、こちらに突進してくる。
「うわぁっ!」
「奥様、お下がりください! 侵入者でございます!」
「死ねぇ!」
バーチュさんは私の前に立ちはだかった。
目にも止まらぬ速さで男の腕を叩く。
「はっ!」
「うぐっ!」
男の手からナイフが落ちる。
すかさず、バーチュさんが取り押さえた。
かなり力を込めているようで、男は身動きもできない。
「おとなしくしなさい」
「ク、クソッ! 俺は特等魔術師だぞ! どうして、俺の擬態魔法が見破られたんだ!」
男は押さえつけられながら大騒ぎしている。
この人は特等魔術師なのか。
ヒュージニア帝国内でもわずか十数人しかいないほどの使い手ということになる。
「衛兵!! 今すぐこちらに来てくださいませ!!」
「「どうされましたか!? 大丈夫ですか!?」」
すぐに衛兵たちが集まってきて、男を捕らえてくれた。
もう大丈夫だ。
ホッと一息つく。
「奥様、お怪我はございませんでしたか!?」
男を衛兵に引き渡すと、バーチュさんが大慌てで駆け寄ってきた。
初めてみるくらい心配そうな顔をしている。
「は、はい、大丈夫です。バーチュさんが守ってくれたので」
「何はともあれ、奥様にお怪我がなくて安心いたしました。さあ、今日はもうお部屋に戻りましょう」
「は……い……」
バーチュさんに付き添われて歩き出したけど、足が前に出ない。
それどころか、頭までぼんやりしてきた。
「奥様……? どうされましたか、奥様!」
「い、いえ……大丈夫……で、す」
急にフラフラしてきて、座り込んでしまった。
思い返せば、ずっと緊張していた。
おそらく、魔力を使いすぎたのだろう。
そのまま、私は意識を失ってしまった。
□□□
「……うっ……ここは……」
目を開けたら白い天井が見えた。
身体はふかふかの毛布にくるまれている。
私はお部屋のベッドに寝ていた。
「目が覚めたかい、キュリティ。ああ、良かった。アンタが倒れたと聞いてすっ飛んできたよ」
「オ……オールドさん……」
ベッドの脇にはオールドさんがいた。
心配そうな顔で私の手を握っている。
「侵入者を見つけたんだって? 大変な目に遭っちまったねぇ。でも、そいつはもう監獄に入れられたから安心しなね」
「それならよかったです。私もさすがにビックリしました」
「なかなか手練れの魔術師だったみたいでね。王宮の警備をすり抜けちまったのさ」
王宮にだって一流の魔術師たちが揃っている。
それをかいくぐるくらいだから、やはり力のある人物だったのだろう。
「アンタには疲れが溜まっていたんだろうね。アタシも気づけなくてごめんよ」
オールドさんはいるけど、バーチュさんはいなかった。
「あの、バーチュさんはどちらですか? 助けてくれたお礼をまだちゃんと言えていないんです」
「アンタが目を覚ましたら、すぐにディア坊主を呼びに行ったよ」
オールドさんが話し終わるや否や、お部屋の前がドタバタした。
「キュリティ、大丈夫か!?」
勢い良く扉が開きディアボロ様が入ってきた。
走ってきたようで、ゼイゼイハアハアと息切れしている。
ベッドに座っている私を見ると、すぐにホッとしたような顔になった。
「良かった……大丈夫なようだな」
「ディアボロ様、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。ただ疲れで倒れてしまっただけですので大丈夫です」
「キュリティが謝る必要はまったくない。しかし……あってはならないことだ。君には多大な心配と迷惑をかけてしまったな。申し訳ない」
ディアボロ様は頭を抱えて深刻な顔をしている。
その様子から、心の底から私の身を案じてくれたのだとわかった。
「ディア坊主、とりあえず座りなさんな。キュリティは大丈夫だよ。疲労が溜まっていただけさ」
「ああ、座らせてもらおう。……取り調べの結果、侵入者は隣国の密偵だったようだ。相当の術士らしい。王宮にも手練れの警備隊が集まっているが、彼らを欺けるほどの腕前だからな」
「いったい何が目的だったのでしょう」
あのとき捕まえられて幸運だった。
野放しにしたら何をするかわからない。
「まだ調べているが、おそらく私を暗殺するために情報を集めていたんだろう」
「えっ!? ディセント様の暗殺なんて……」
「ヒュージニア帝国の周りは、政情が安定しているとは言い難い。だから、私の命を狙う者も少なからずいるんだ。警備をもっと厳重にするよう伝えてきたから、もう大丈夫だろうとは思うが」
ディアボロ様を殺そうとしていたのか……。
やっぱり、密偵たちが考えることは怖い。
取り逃していたらと思うと、恐怖でぶるっと体が震えるようだった。
「ディアボロ様がご無事でよかったです」
「これもキュリティのおかげだ。手練れの魔術師を見破るなんて、君はすごい力を持っているな。王宮にとっても欠かせない人間だ」
「でも、捕まえてくれたのはバーチュさんです……そういえば、バーチュさんはどちらにいらっしゃるのですか? ちゃんとお礼を言いたいのですが」
「彼女は密偵を捕まえたときの状況を話に行っている。時期に戻るだろう。彼女に会ったら伝えておく」
ああ、そうか。
大事な目撃者だもんね。
そして、ディセント様は立ち上がった。
「念のため、今日はバーチュに夜通し見張りと護衛を頼んでおいた。君のことは何があっても絶対に守るから安心しなさい」
「アタシもしばらくは、この屋敷で寝泊まりするよ。こう見えても意外と力が強いんだ」
「ありがとうございます。とても心強いです」
ベッドに横たわると、すぐに瞼が重くなってきた。
あんなことがあったわけだけど、不思議と怖い気持ちはない。
オールドさんがいれば、バーチュさんがいれば……いや、それよりも……。
――ディアボロ様がいれば全然怖くない。
安心した気持ちで夢の世界に誘われていった。
「おはようございます、奥様。お身体の具合はいかがでしょうか」
「おはよう、キュリティ。今日も診せとくれね。調子はどうたい?」
「なんとなくお腹が張っているような気がします」
その後、お腹はちょっとずつ大きくなっている。
妊娠の実感がようやく湧いてきた。
私のお腹に赤ちゃんがいるのか。
自分の体だけど自分だけの物ではないというのは、不思議な感覚だった。
「じゃあ、お腹を触るからね。横になっておくれ」
「お願いします」
「ほいよ、<イグザム>」
オールドさんが優しく私のお腹を撫でる。
これもまた日常の光景になりつつあった。
「……うん、赤ん坊も順調みたいだね。母子ともに経過は良好だよ。きっと、キュリティに似ている子どもだろうね」
「私はディアボロ様に似ているような気がします」
お腹を触りながら子どものことを考える。
色々あったけど、元気に生まれてきてくれるのが一番だ。
そのとき、王宮の方から悲鳴が聞こえてきた。
お屋敷は少し奥まったところにあるけど、それほど離れているわけではないから良く聞こえる。
何かに追われているような声だ。
「どうしたんでしょう」
「ずいぶんと騒がしいね」
「私が様子を見てまいります」
バーチュさんがお部屋から出て行く。
数分経たずに、勢い良くお部屋に入ってきた。
「奥様、大変でございます! すぐにお逃げください!」
バーチュさんはとても切羽詰まった表情をしている。
いつもの冷静な彼女からは想像できない。
「バーチュさん、どうしたんですか!?」
「王宮で呪いが氾濫しているのです!」
「「呪いが!?」」
慌てて窓から王宮を見る。
<見破りの目>を使わなくても、黒いオーラが見えた。
王宮全体を覆うようにまとわりついている。
「奥様、急いで避難しますよ! このままではお屋敷も危険です!」
「で、ですが、解呪の方はどうなっているんですか!?」
「解呪師たちが懸命に対処しておりますが、上手くいきません。どうやら、呪いの分析に手間取っているようです」
呪いは魔法の中でも特殊な存在だ。
正しいまじないで解除しないと、より大きく邪悪になってしまう。
魔法に疎い私でも、それくらいの知識は知っていた。
「でしたら……私が呪いの性質を見破ります」
<見破りの目>は魔法を見破る。
呪いにも効果があるはずだ。
「何言っているんだい、キュリティ! アンタが呪いに襲われたら大変だよ!」
「なりません! 王宮には専門の解呪師もたくさんいます! 彼らに任せましょう!」
「でも、このままでは皆さんが危ない目に遭ってしまいます!」
今も王宮は呪いに侵食されていた。
建物に染み込んで腐敗させているようだ。
放っておくと、人体にも影響が出るかもしれない。
「それに、王宮の外にも呪いが出てくるかもしれません。ここで解呪するのが大事だと思います」
「まぁ、それはそうだけどさ……キュリティは皇后なんだよ。何かあったらどうするのさ」
「私は……この子を守りたいのです」
大きくなってきたお腹を撫でる。
母としての自覚が湧いてきたような気がした。
「……奥様、<見破りの目>は呪いにどれくらい近づけば発動できますか?」
「バーチュ!」
「オールド様、私はこれでも一通り魔法が扱えます。奥様の身に危険が及ばないよう、防御魔法でお守りいたします」
オールドさんは渋い顔をしていたけど、やがて諦めたように呟いた。
「ったく! 何かあったらアンタをおぶってでも逃げるからね!」
「ありがとうございます、オールドさん……王宮にもう少し近づければ見破れると思います」
「ご安心ください。私が絶対にお守りいたします」
お部屋からでも王宮は見えるけど、少し距離が遠い。
しっかり見破るにはもっと近づかないと。
「では行きますよ、奥様。少しでも危険が及ぶようだったら、すぐに撤退します」
「はい、わかっています」
バーチュさんはいつにも増して真剣な表情をしている。
無理を承知でお願いしたんだ。
私も気を引き締める。
「<セイクリッド・バリア>」
バーチュさんが魔法を唱える。
私たちを白っぽいバリアが覆った。
魔力のオーラが何層にも重なっている。
「こりゃあ、ドラゴンのブレスにも耐えられるっていう防御魔法じゃないかい……!」
「す、すごい! バーチュさんはこんな魔法も使えるんですね!」
「私にできる最高峰の防御魔法でございます。では参りましょう」
バリアに守られながら慎重に歩き出す。
王宮が少しずつ近づいてきた。
呪いはうねるようにして建物にまとわりついている。
ここまで来れば見破れるはず……魔力を目に集中した。
<見破りの目>!
少しずつ状況が掴めてくる。
黒いオーラの中に不審な魔力の流れが見えた。
建物を腐食するだけじゃなくて、魔力を送り込んでいる。
「この呪いは無機物を操作できるタイプの呪いです!」
大きな声で叫ぶ。
集まっていた解呪師や魔法使いたちがこっちに気づいた。
「「あ、あなたはいったい……!? それより、今言ったことは誠ですか!?」」
「この子は王宮の保安検査場で働いてたんだ! 魔法を見破る力は一級品さ! アタシが保証するよ」
すかさず、オールドさんが私の代わりに言ってくれた。
解呪師たちも互いにうなずく。
「「まずは小さな力で魔力を込めてみよう! <ディスペル・タイプ・オペレーション>……ほんとだ! 効いているぞ!」」
彼らの放った魔力が呪いに当たると、そこだけキレイに消えた。
でも、少し経つとまた復活してしまった。
ということは……。
「どこかに呪いを生み出している元凶があるはずです!」
「「元凶ですって!?」」
「みんなで探しましょう!」
呪いに注意しつつ辺りを探す。
きっと、この近くにあるはず。
「「……あった! あれではありませんか!?」」
解呪師の人たちが近くの森を指した。
木陰に大きな箱が置かれていた。
呪いと同じ黒いオーラがにじみ出ている。
あれが元凶に違いない。
「「みんな、絶対に解呪するぞ! 最後まで気を抜くな、<ディスペル・タイプ・オペレーション>!」」
解呪師たちがいっせいに魔力を込める。
箱から黒いオーラが消え去り、王宮を覆っていた呪いも消えていった。
バーチュさんが慎重に箱へ近づく。
「おそらく、公爵家の名を騙った呪われた荷物が送りこまれたようですね」
表面には、薄っすらと公爵家の名前と家紋が見える。
「どうしてそんな物が王宮に入ってきたのでしょう」
「……保安検査をすり抜けてしまったようです。何はともあれ、奥様のおかげで王宮は救われました。今は喜びましょう」
「「呪いの種類を見破ってくれてありがとうござました! おかげで迅速に対処することができましたよ!」」
解呪師や魔法使いたちが集まってくる。
みんな私の手を取り、口々にお礼を言ってくれた。
良かった、呪いが無事に解けて。
お腹が揺れないように気をつけて喜んだ。
□□□
「キュリティ、調子は大丈夫かい? あんなことがあって疲れたろう」
「やっぱり疲れましたね。でもちょっとだけです」
それから少しして、私はオールドさんの診察を受けながらベッドに横たわっていた。
バーチュさんは後始末があるみたいで、一足早く王宮に戻っている。
と、そのとき、扉がノックされ大柄な男性が入ってきた。
ディアボロ様だ。
「具合はどうだ、キュリティ。今日は大変だったな」
「いえ、ディアボロ様の方が大変だったと思います」
「キュリティが呪いの種類を見破ってくれたと聞いて、私は正直倒れそうになった。君に何かあったらどうしようかと思ってな」
ディアボロ様は優しく微笑んでいた。
オールドさんもからかったりせず、静かに見守ってくれている。
「お忙しい中、いつも様子を見に来てくださりありがとうございます」
ディアボロ様は毎日欠かさず私のお部屋に来てくれる。
そのお顔をみるだけで安心できる自分がいた。
「妻と子のことを気遣うのは、夫として当たり前だろう。それに、お礼を言うのは私の方だ。王宮と私たちの子を守ってくれてありがとう」
「ディアボロ様……」
「キュリティ、君たちが無事で本当によかった」
ディアボロ様は私の手を優しく握りしめてくれた。
「さて、貴様らの所業は説明するまでもないな」
「「うっ……」」
アタクシは王宮の広場で縛り上げられていた。
隣ではフーリッシュ様も縛られている。
目の前には宰相様と王宮の大臣たち。
どうしてこんな目に遭っているのよ。
宰相様が口を開いた。
「知っての通り、先日王宮は呪いに襲われた。調査の結果、シホルガ・チェックが見逃した荷物が原因と判明した。公爵家の名を騙って送られてきた物だ」
「えっ!?」
突如、あの箱が思い浮かんだ。
薄っすらと黒いオーラが出ていた荷物……。
まさか、本当に呪われていたなんて。
「保安検査係でありながら呪いを見逃した罪は大きいぞ、シホルガ・チェック」
「い、いや、しかし、大変にわかりにくい魔法でして……」
「言い訳は無用。何を言っても、貴様の罪が軽くなることはない」
「そ、そんな……」
宰相様はおろか、大臣たちも厳しい目つきを崩さない。
弁明する気力もなくなってしまった。
「そして、フーリッシュ・エンプティ」
宰相様に呼ばれるとフーリッシュ様はびくりとしていた。
この人のことだから、自分は関係ないと思っていたんだろう。
「わ、私がどうしたというのでしょうか」
「貴様がキュリティ嬢を無理矢理辞めさせて、シホルガ・チェックを保安検査係にしたことも知っている。貴様にも同等の罪があるぞ」
「うっ……!」
フーリッシュ様はダラダラと脂汗をかいている。
自分だけ逃げようなんて、そうはいかないんだから。
アタクシは静かにほくそ笑んでいた。
「そ、それは……シホルガに無理やり命じられたのです!」
と、思ったら、フーリッシュ様はアタクシのせいだと言い出した。
「ちょっと、どういうことですか!? そんなことを言った覚えはありませんわ!」
「わ、私は何も悪くありません! この娘が検査係にしないと殺すと言ってきて仕方なく! ……ぐああっ!」
フーリッシュ様、いや、フーリッシュのろくでなしに思いっきり噛みついた。
ふざけんじゃないわよ。
何が何でも道連れにしてやるんだから。
「ええい、やめないか! 衛兵、取り押さえろ!」
「「こら、離れろ! 見苦しいぞ!」」
衛兵たちがのしかかってきて、地面に押し付けられる。
「キュリティ嬢に対する不当な行いも、とうてい許されることではない。そして、貴様らの行いは皇帝様も全てご存じだ」
「「…………え」」
こ、皇帝様まで知っているの……?
あ、あの、“極悪非道の皇帝”が……?
緊張で心臓がバクバクして倒れそうになる。
しかも、お義姉様を婚約破棄させたことまで知られているとは。
ま、まずいですわ。
どうにかして逃れる術を考えないと。
必死に考えていると、宰相様が淡々と言った。
「処分を言い渡す。貴様らは監獄行きとする」
「「か、監獄……行き……?」」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
か、監獄なんて絶対にイヤよ。
そんなところに閉じ込められたら、人生が終わってしまう。
「お、お待ちください! アタクシは何も悪くありませんわ! 全部この男のせいです!」
「いえ、違います! この女が全ての元凶です! 私は騙されたのです!」
「もういい、連れて行け」
「「はっ!」」
懸命に弁明するも、まったく意味がない。
宰相様が言った瞬間、衛兵たちが集まってきた。
乱暴に私たちを立たせる。
「ちょ、ちょっと、何をするの! そんなに引っぱったら痛いじゃないのよ!」
「お、おい、離せ! 僕は伯爵家の人間だぞ! こんなことをしていいと思っているのか!」
「「うるさい、いい加減にしろ! お前たちは罪人だ!」」
そのまま、有無を言わさず監獄に押し込まれた。
力いっぱい錠をおろされる。
「ここで一生おとなしくしていろ! 死ぬまで出てくるな!」
「お前らのせいで俺たちは死ぬかもしれなかったんだぞ!」
「殺されなかっただけ感謝しやがれ! 大罪人どもが!」
衛兵たちはひとしきり罵倒すると、あっという間にどこかへ行ってしまった。
監獄を不気味な静寂が支配する。
気持ち悪さに思わず身震いした。
「フーリッシュ様、アタクシたちはこれからどうなるのでしょう……」
伯爵家の力を使ってここから出れないかしら。
せめてアタクシだけでもいいわ。
「どうしてくれるんだ、シホルガ! 君のせいで僕まで監獄行きになってしまったじゃないか!」
いきなり、フーリッシュ様が怒鳴つけてきた。
もう我慢ならない。
「な、何ですって!? アタクシのせい!? アンタのせいでしょうが!」
「いたっ! 噛みつくんじゃない! クソッ、君なんか大っ嫌いだ!」
「アタクシだってろくでなしと結婚なんて願い下げですわ!」
狭い監獄の中でフーリッシュ様と喧嘩を始める。
あんなに好きだった婚約者も、今や憎いだけだった。
髪が乱れるのも構わず殴りまくる。
噛みつき叩かれしているうち、頭の片隅に一人の女性が思い浮かんだ。
艶やかな黒い髪に落ち着いた黒い瞳。
――王宮務めがしたかったのなら、お義姉様に頼み込んで仕事を教えてもらえば良かったじゃないの……。
いくら後悔しても現実は変えられなかった。
「だいぶ腹が大きくなってきたな。具合は大丈夫か、キュリティ」
「はい、おかげさまで健康に過ごさせていただいております」
「まだ出産までは気を抜けないけどね」
その後しばらくして、私のお腹も結構大きくなってきた。
みんなのおかげで母子ともに健康だ。
オールドさんの見立てでは、数か月後には出産らしい。
「それで、子どもの性別はもうわかるのか?」
「まだわからないよ。まったく、ディア坊主はそそっかしいね」
「オールド、これでも私はキュリティと子どもを心配しているのだ」
ディアボロ様とオールドさんのやり取りも、すっかり日常の風景に溶け込んでいた。
「じゃあ、アタシはそろそろ王宮に戻るよ。片付けておかないといけない仕事があるからね」
そう言って、オールドさんは部屋から出て行った。
ディアボロ様と二人っきりになる。
「あの、今日はバーチュさんはいないんですか? 朝少し見ただけで、それからはいらっしゃらないみたいですが」
「ああ、そのことなんだが……キュリティに伝えておかねばならないことがある」
「は、はい、なんでしょうか?」
ディアボロ様は真剣な顔で椅子に座りなおした。
つられて私も姿勢を正す。
「君の世話係として派遣していたバーチュだが……」
「はい」
なぜかディアボロ様は言いよどんでいる。
なかなか続きを話そうとしなかった。
「あ……」
「あ?」
どうしたんだろう。
ディアボロ様は本当に言いにくそうだ。
もしかして、バーチュさんは今日で辞めちゃうとか?
きっと、そうかもしれない。
だったら悲しいな。
でも、彼女にも自分の人生が……。
「…………あれは私だ」
「……………………え?」
あまりにも予想外な衝撃の事実を告げられ、頭が固まった。
ディ、ディアボロ様が……バーチュさん? ど、どういうこと?
私が石像みたいになっていると、ディアボロ様が慌てて説明を続けた。
「わ、私は変装が得意でな。もちろん女装もできる。バーチュに化けていたのは、君が心配で様子を伺いに来ていたのだ」
「そ、そうだったのですか。まさか、バーチュさんがディアボロ様だとは思いませんでした……ということは、私の今までの行いもディアボロ様は知っているということですか?」
「ああ、もちろん知っている。騙すような真似をして悪かった」
今になってわかった。
彼女がじっ……と見てきたのは、私の様子を見るためだったのか。
「しかし、どうしてそのようなことをされたのですか?」
「私がいては休めるものも休めなくなりそうだからな。ほら、この顔だ。君にも赤ん坊にもよからぬプレッシャーを与えるんじゃないかと思ってな」
ディアボロ様は自分を指しながら苦笑いしている。
傷ついたりして怖い顔が、私に圧力を与えると思っていたらしい。
そんなことないのに。
「私にとっては、とても素敵なお顔でございますわ」
「ほ、本当か?」
ディアボロ様はハッとしたように私を見る。
「初めてお会いしたときは怖く感じましたが、ディアボロ様の優しさを知ってからは怖い気持ちは無くなりました。ディアボロ様はお優しい方です」
「キュリティ……」
「もし、今後も怖いと言う人がいたら、ディアボロ様は優しい方だと私が伝えます」
「……そうか」
突然、ディアボロ様は膝をついた。
「ディ、ディアボロ様!? どうされたのですか!?」
「私は君に出会えて変われたんだ」
お部屋の空気が変わったような気がした。
ディアボロ様は静かに言葉を紡ぐ。
「私は若くして皇帝になっただろう? 常に周囲からのプレッシャーに押しつぶされそうになっていたんだ。だから、自分にも他人にも過剰なほど厳しくあたってきた。気がついたら、“極悪非道の皇帝”という二つ名がつくほどに……」
「……」
「そして、私はそれを変えようともしなかった。皇帝としてのプライドや忙しさを言い訳にしてな」
恐怖の象徴とされてきたそのお顔には、諦めにも似た笑みが浮かんでいた。
ディアボロ様の心の内を初めて知った。
「だが、妊娠しているにも関わらず健気に頑張る君を見ていて、私もこうありたいと思うようになったんだ。君のおかげで大切な物を取り戻せたような気がする」
「ディアボロ様……私はなんと申し上げたらいいのか……」
大事な人の気持ちを思うと涙が零れそうだった。
「キュリティ、私からお願いがある。私と……正式な夫婦になってもらえないか?」
その言葉を聞いた瞬間、私はハッキリと自分の気持ちを自覚した。
<見破りの目>は魔法を見破る。
でも、愛の魔法は見破れないのかもしれない。
ましてや自分にかかった魔法は……。
「はい……喜んで」
差し出されたその手をしっかりと握る。
がっしりして力強いディアボロの手は温かかった。
自然と、大きくなってきたお腹を一緒に優しく撫でる。
めでたく結ばれた私たちを祝うように、元気よく蹴り返された。