今年も夏が始まった。
北海道の夏は少し遅い。
夏の訪れとともに始まるハードな練習。
蝉の鳴く声と共に、木管楽器のロングトーンが響く。
合奏のため、個人練習をやめて荷物を持ち、音楽室に入ると1人の女の子がくるりと振り返って僕に笑顔を向けた。
冷房の風と彼女の爽やかな笑顔が、僕のほてった体を冷やしていく。
…月明かりみたいだ。
直感でそう感じた。
「お疲れ様」
彼女は、夏の太陽と同じ明るさで声をかけてくれる。
「いいよな、お前はずっと室内で。」
「だって、楽器が割れちゃうから外で吹けないんだもーん」
軽くほっぺを膨らませ、サラサラのボブをなびかせて前を向いた。
そしてまた、ロングトーン。
そんなやり取りを、もう何度したことか…。
この短い休憩時間で外に出て練習をしているのは僕が好きでやっていること。
僕の以外に、休憩なのに暑い中外で練習する人はいない。
彼女が羨ましいなんて嘘だ。
ただ、話すきっかけが欲しくて。なにか話したくて、こんなくだらない会話を振るのだ。

彼女とは行き帰りも一緒だし、よく話すし、部活の相談をするのは必ず彼女で、俺の良き理解者だ。きっと、彼女から見た僕もそうだろう。
ただの友達。それ以上でもそれ以下でもない。
強いて言うなら、相棒、かな。
そんな僕たちを冷やかしてくる人はいる。
「本当に付き合ってないの?」「付き合っちゃいなよ」
なんて言葉は聞き飽きた。
確かに僕は、それを喜んでいる。でもそれは僕たちが仲がいいということを認められていると感じているからであり、決して恋愛感情が芽生えているわけではない。
僕らの答えは変わらず「友達」。
2年生の夏、僕が部長で彼女が副部長となり話す機会が増えて僕らの仲は深まっていっても相棒という関係は変わることがなかった。

そんな関係のまま、中学の3年間僕はほとんどの時間を彼女と一緒に過ごした。辛い練習も、初めてのことだらけで不安だった時期も、先輩だからこその悩みも、全て共有しながら部活生活を送った。


1番最後の定期演奏会。僕は彼女とソロを吹いた。
僕たちは受験期間で仮引退している時でさえ2人で練習した。受験でのストレスや、最後の集大成として演奏するソロへの熱い思いから意見がぶつかり喧嘩することもあった。
なぜか、このソロが失敗したら僕たちの関係を否定されるのではないかという感覚に囚われていた。

そんな心配は不要だった。僕たちのソロは大成功。
クラリネットとトロンボーンのソロなんて珍しいことだけど、僕たちはやり遂げたのだ。
彼女とはこれからもこの関係のままでいていい気がして、僕は安堵した。
部活を引退する日、僕は少し泣いた。
でも、それは3年間サボることなく朝練も土日の練習も頑張ったこの吹奏楽部との別れが悲しかったからであり、彼女との別れが寂しいからではない。
僕たちはこのままの関係のまま、ずっと生きていくのだと思っていたのだから。
大号泣している彼女をちらっと見た。目が合うと彼女は涙だらけのぐちゃぐちゃの顔でニコッと笑う。真夏の夜のような笑顔で。

高校は別々だった。お互い吹奏楽が強い高校を選んだ。違う高校でも、辛いことがあったら彼女に相談するし彼女もそうであると思っていた。

だけど、高校に入って3ヶ月。
急に彼女からの連絡頻度が減ったように感じた。
部活が忙しいのかなと思うことにし、自分の部活に専念した。

そんなある日、同じ中学だった友達と最寄り駅で偶然出会った。彼女と同じ高校に進学した友達に、
声をかける。
「久しぶり。元気?」
「元気だよ。お前の相棒も、元気にしてる。」
とりあえず、元気なら安心だ。
「良かった。部活忙しいのかな」
「そうだね、俺の学校、吹部かなり厳しいから。」
「そっか、最近連絡が来ないから心配してたんだ。」
「あれ、お前知らないの?あいつ、彼氏出来たんだよ」
「え…?知らなかった。」
その後は、普通に雑談をした。
僕の頭は彼女でいっぱいで、なに話したかなんて覚えていない。
友達と別れたあとなぜか涙が止まらなくなった。
心の中にあるモヤモヤと、自然と溢れてくる涙の理由を探した。
親友に彼氏が出来て、幸せにやっているんだから
嬉しいはず。
なんだ、この涙は…。

次の日になっても、もやもやは消えなかった。
まるで失恋じゃないか。
…ん?失恋、?
その瞬間、まるで梅雨の雨みたいに静かに涙が溢れ出した。
俺はあいつが好きだったのか。
だからこんなにも辛いのか。
気持ちはとても暗いのに、なぜだか外はずっと明るいままだった。そうか、今日は夏至か…。
僕の心は真っ暗で雨が降っているのに、外はいつまでも元気に明るかった。妙に長い1日、それがずっと親友だと思っていた彼女へのほんとうの感情に気がついた日だった。


月日は流れ、俺らは久しぶりに連絡を取った。
高校1年の夏に彼氏がいるのを知って、そこから2年。彼氏と別れたと知ったが、なんとなく連絡を取らなかった。
そして最新、なんとなく連絡を取り合う日々が始まったのだ。
どちらからかなんて、忘れてしまった。
定期演奏会に招待され、チケットを受け取るため、近くの公園で待ち合わせをした。
「久しぶり」
「久しぶり。はい、チケット。」
彼女はうっすらと笑った。
中学時代の爽やかな笑顔とは少し違い、大人びていた。髪の毛は、サラサラのままロングになっていた。
会えていなかった期間の話を、たくさんした。
いくら話しても、あの日から俺の中にあるモヤモヤは消えない。消し方は分かっていた。

風が葉っぱを揺らす音のみが響く時間。
俺は息を吸った。

「俺、お前のことが好きだった。」


再び響く静かな時間。
次は彼女が息を吸った。
「私も。」

月が彼女の笑顔を照らした。
そのせいか、目が輝いていた。

夏の魔法は、僕たちの恋を実らせることなくただただ静かな時間を与えた。

「それじゃあ。」

自転車で来たのに、俺は自転車を手で押して帰路に着く。
それは、隣に彼女がいるからではない。
目から溢れてくる水のせいで自転車に乗れなかったから。
梅雨の雨のように静かに流れる涙と、
夏なのに肌寒い夜のせいで寂しさが増す。
空では、鬱陶しいくらい星が輝きさっきまで彼女の顔を照らしていた月が、嘲笑うかのように俺を照らす。そんな晩夏だった。


この日、中学の頃からの気持ちがやっと伝えられた。
この日が本当の意味での中学卒業なのかもしれない。