エレベーターを待ちながら、近くの窓からまた空を見る。
夏の初めの空は好き。来週からとんでもなく暑くなりそうだけど、暑いのも夏らしくて好き。去年は海に沢山行ったなぁ。泳ぎはしなかったけどドライブ行ってカフェを巡って、いつも隣には彼がいたっけ……過去形です。空が綺麗って思えるのなら、私も少しは前向きに立ち直って来たはずだ。お腹も空いてきたし。
まだ切ないよ。
本音を言えばまだ傷付いてるし、恨んでいるのか戻ってきてほしいのか自分でもわからない。でも、自分にも悪い所はいっぱいあった。付き合いが長くなって慣れ合いになり、わがままを言ってたかもしれない。ちょっとしたケンカもいつもの事と思って甘くみていた。ケンカしても最終的に仲直りするからって軽く見てたかもしれない。産まれてくる相手の子供には罪はない。子供は元気に産まれてほしいと思いつつ……やっぱり……ムカつくような……。
あぁわからない。
わからないけど空が青いから大丈夫だ。
仕事に生きよう!午後イチの大切な会議に参加して、昇進の階段をつかもうって言うのは大げさだけど、目の前のことからひとつひとつ頑張ろう。色んな感情もあるけれど前向きに頑張ろう。いい女になって出世して見返してやるっ!
「よしっ!」
自分に気合を入れるように声を上げ、私は降りて来たエレベーターに乗り込むと……誰も乗ってない。これは珍しい。エレベーターが開くと、正方形のスペースは空っぽだった。大きなオフィスビルだから、フロアごとに専用エレベーターがあるけれど、こんな偶然は初めてだ。いい事あるかな?今日は2階のコンビニじゃなくて、ちょっと贅沢をしてカフェに行こうかな。
自分で気分を上げながら2階のボタンを押すと、すぐ下の14階でエレベーターは停まってしまった。やっぱりエレベーター独占はならず。苦笑いで14階で扉が開くのを待っていると、開いたと同時にひとりの女性がスッと音もなく乗り込んできた。
そして私は、その女性を見て息を止めてしまった。
なぜならば、彼女の服装が完璧コスプレだったから。コスプレがコスプレを越えているというのか、美しさとその品のある立ち姿に圧倒されたというのか、つまり異次元だった。おっ……お姫様?
えっ?14階って広報課のフロアだっけ?来月とかイベントあったっけ?
彼女はエレベーターのボタンも押さず、狭い箱の中で私の正面に身体を向けてジッと目を見る。
とても美しい人だった。デコルテを出したグレーのドレスはシルクだろうか、艶があり優雅に広がっている。両方の肩からウエストにかけて金の刺繍をあしらい胸元には細かいアンティークレース。絞られたウエストが細くて下に広がるドレスのラインを美しく見せている。
そのドレスに負けないのが着ている本人である。
私より背が高く、腰まである髪は柔らかくウェーブがかかっていた。黄色がかった薄い茶色の髪が輝いている。あぁこれが亜麻色の髪なのね初めて見た。そして透けるような肌の白さとスミレ色の瞳。
やばい。これはかなりの美形。どこかのモデルさんかな。緊張してしまう。なんて品があって、透明感があって美しい女性だろう。ブラウスにベストにカーディガンという、定番の自分の事務服が急に恥ずかしくなる。
「何階ですか?」声を出して聞いても返事はなかった。日本語ダメかな?ここは英語チャレンジしましょうか。
「Which floor would you……」
「△◇☓☓……□☓△!」
最後まで聞かないうちに、女性は聞き取れない言葉を発して、痛いほど強い力で私の左手を握る。えっ?そしてまた何か小声で言ってから、スッと扉を開けてエレベーターから降りてしまった。
夢?
エレベーターは急に動き始め、普通の時間が私に戻る。綺麗なモデルさんが乗ったよね、そして降りたよね。私の手を握ったよね。おそろしく冷たく痛い感触だけは残ってる。握られた左手に違和感を感じて目を向けると、いつの間にか薬指に真っ赤な丸い石が入った銀の指輪がはまっていた。
なんで?
なんで指輪をしてるの私?この指輪……何?さっきの綺麗な女性が私にいつの間にかはめたの?イリュージョン?自分の小指の爪ぐらいある大きな赤い石。真っ赤な石はなんだろう珊瑚かな。珊瑚だったらとんでもない値段じゃない?いやどうしちゃったの?とりあえず外そう。外してから考えて……って外れないっ!
指輪が外れないっ!下がるエレベーターの中でひとり悶える私。どうして外れないの?だってさっきは手を握っただけでスッと入ったのでしょう?なんでーー!身体をくねらせながら指輪と闘っていたら、エレベーターが停まった。
お昼休みのうちに外さなきゃ、こんなの着けて会議になんて出れない。どこぞのセレブのマダムでしょう。
指輪に夢中になりながら、開いた扉を一歩踏み出すと
膝から崩れた。
膝カックンされた?身体が崩れて力が抜けて、もう何も考えたくなくてその場に倒れると、人の声が遠くに聞こえた。
「ミドルフロアのエレベーター使用中止だって」
「えー。どうすりゃいいの?」
「階段使ってアッパーフロアまで上がるか、10階まで下がって専用エレベーター使うかにして」
「了解でーす」
ミドルフロアのエレベーター
私使ってましたけど……あぁダメだ……眠たい。こんな状態でなぜ眠たくなるの?
寝ちゃダメだよ。こんな会社で倒れて寝てはいけない。午後イチの会議もあるんだからね、課長クラスに混ざって会議に出るのだからね。出世への階段の第一歩なのだから
寝ちゃ……ダメ……なの……よ……。
波の音が聞こえる
母親の胎内にいるような、遠く懐かしい音が一定のリズムを保ち心地よい。潮の香りも気持ちいい。手足を伸ばして地球に身体を預けてるような解放感。大切な会議があるけれど、もう少し、あと少しだけ目を閉じていたい
あれ?誰かが私の身体を揺すっている。
誰?ちょっと力が強いんじゃない?、こんな気持ちよく人が眠っているのに。ここ最近一番の眠りを邪魔するなんて誰?って、仕事中だった。ごめんなさい起きますと、ふらつきながら身体を起こしゆっくり目を開けると「ひっ!」って、自分の声とも思えないような高い声が出た。
目を覚まして、いきなりの言葉が『ひっ!』で申し訳ないけれど、まさしく『ひっ!』しかなかった私の声だった。。
まだ私は夢の途中にいるらしい。
だってここは会社じゃなくて海辺で、目の前には馬がいて、もっと私の目の前には乙女ゲーに出てくるような、イケメン外人騎士がいるのだから。
イケメン騎士は片膝を地面に着け、私に向かって頭を下げている。
値段の高いファンタジーなホストクラブ?じゃないよね。
「待ちしておりました救世主様。我が国を救って下さい……」
目の前の男性の声は低く、よく通る素敵な声だ。そしてスムーズなる日本語を続けていた。外人さんなのに日本語できるの?それよりいや救世主って何?思いきりわけがわからない。本気でパニックだよ私。ここはどこ?会社はどこ?なんで海なの?
「いやちょっと待って!お兄さんどなたですか?ここはどこですか?外人さんですよね、馬?うまぁ?本物?いや言葉……言葉が通じるのはなぜでしょう?日本語お上手なんですか?」
喉はカラカラ心臓バクバクめまいクラクラ。
「ニホンゴ?」目の前の男は厳しい顔で私を見つめたので、私も彼の顔を見た。
しっかり見るとやっぱり完璧なイケメンだ。ブラウンの長い髪をひとつにまとめ、ブラウンとグリーンが混ざったような瞳がとても美しい。中世風の紺の衣装に金の刺繍。長い足に黒のロングブーツが似合ってる。腰には大きな銀の剣を差し、黒いマントを背負ってる。両肩にあるマントの留め金は大きなエメラルドで、それをグルリと細かく小さなダイヤが支えている。片方の宝石だけで家が一軒買えるかも……いや、今はそれどころじゃないんだよ私。
「だってここ日本でしょう、えっとですね……あの、私は会社の中にいて、これからお昼で、その……あの、えーーっ!どんなドッキリ?モニタリング?いやいやスケール大きすぎ、私はただの普通の女ですから!」
「救世主様ですよね」
さっきから救世主ってうるさいなー。何それ?心臓の薬?マンがの守り神?
「誰が?私は宮本里奈。株式会社 エースツーの総務課勤務。男に振られて仕事に生きる女で趣味は……どうでもいいからここはどこですか?あなたは誰?」
「救世主ではないと?」
「ただのいっぱんピープルです」ここ本当にどこ?
「魔法は?」魔法?いや意味不明でしょう。どんな冗談?
「そんなの使えません。使えるわけがないでしょう。早く戻して下さい!午後イチで大切な会議があるんです、いや冗談でしょう、太陽が沈んでるってこれどーゆーこと?会議終わった?」会議ーー!大切な会議がーー!ヤケになって走ろうかと思っていたら、いきなり目の前の男が剣を抜いて私に向けるので、恐怖と驚きで息が止まった。
本物?こんなの持ってたら逮捕でしょ?初めて見る大きな凶器に怖くてペタリと座り込む。
「リアムさまー。救世主様でしたか?」遠くの遠くから声が聞こえた。声を追うと砂浜の向こうにある高い場所から聞こえたので、目をこらすと木の上で人が宙づりになっているではないか。
「リーアムーさーまー」
「うるさい!ただの行き倒れだ」
イラつきMAX状態で男は軽く手を叩くと、宙づりになってた人影のフリーズが溶けたように動き出し、落下しながら人間の姿を一回転すると、その姿は鷹になり、私の目の前に風よりも速いスピードで現れた。
そして鷹が着地すると、素朴な青年の姿にまた変化する。何これ?どうなってるの?やっぱり夢なの?
「こんにちはお嬢さん」柔らかそうな黒い髪がふわりと浮き、青年は人懐っこい笑顔を私に向けた。
私はパクパクと口を開くけど声が出てこない。鳥……でしたよね。さっきまで鳥で、ここまで飛んで来ましたよね。
「救世主様じゃないんですか?」
「行き倒れだ!怪しいからここで斬る!」
銀の剣が頭の上で夕陽に輝く。ちょっと待って!斬るって言った?
「それはいけませんリアム様!王様への報告が義務です」
「黙れ」
「救世主様じゃなくてガッガリする気持ちはわかります。でも騎士団長としてまずは報告です」
ジャニーズ系の青年が爽やかに怒る男を諭し、男は唇を噛んで剣を下ろした。
助かったかも。鳥さんありがとう。感謝のまなざしを青年に向けると、彼はニッコリと微笑んだ。あ、やっぱり爽やかジャニ系で可愛い。
「そうだな……城に連れて帰る。お前は先に帰り王に話をしてほしい。生かすも殺すもそれからだ」
ギロッとにらまれてしまった。生かすも殺すもって、やっぱりまだ命は危ないの?
それにしてもここはどこなんだろう。沈む夕日をジッと見つめて頭を巡らせても答は出ない。ただ海が綺麗で夕陽も綺麗で空気も綺麗で、目の前の男達も綺麗だった。
怖い方の男に「行くぞ」と言われたので、もうここは行くしかないだろう。下手に逃げたら殺される。顔はいいけどかなり怖いよこの人。
白い馬が遠くから現れ、鳥青年は軽々とそれに乗る。
「お前は馬より飛ぶ方が速いだろ」
「僕が乗りたいんだから放っておいて下さい。先に行きますね、お嬢さん後からまたお会いましょう」
爽やか青年はそう言って立ち去るので、見捨てられた仔犬気分で心細く見送ってたら、男に冷たく「乗れ」って言われた。
乗れ?乗れって馬に?馬なんて小学校の遠足で牧場見学へ行って見たっきり。乗った事なんてないんですけど。
それでも男の目線が怖くて挑戦してみるけれど、馬の背中って高くない?どうすりゃいいの?きっとこの、馬の口元に結ばれている革の紐みたいなのを引っ張って勢いをつけて……ウロウロしてると自分の身体がふわりと浮きあがった。
見かねた男が私の身体を軽々と持ち上げ、上手に横座りで乗せてくれた。
「馬にも乗れないのか」
「すいません」怒られて謝る私。なんで怒られなきゃいけないんだろう。普通乗れないでしょう。
男は慣れた手つきで馬の手綱を取り、私の後ろにまたがった。そして乱暴に自分のマントを外し、私の身体にかけてくれた。意外と優しい?ツンデレ系?
「女が下着姿で恥ずかしい」
「下着じゃありません」しっかり事務服着てますよ。
「行くぞ!」
人の話を聞かない男は馬の横腹を蹴り、私の身体は衝撃を受けてしまう。落馬しそうになるのを必死でこらえ早く悪い夢から覚めるように願うしかなかった。
到着したのは豪華なお城。
大きな大きな大きなお城で、ディズニー映画に出てくるような美しいお城だった。
重厚な門から見て目立つのは中央にそびえる高い塔だ。その塔は雲の上まで続いていて、空を突き破りそうな勢いの高さがあり、その左右にある円柱状の白い建物を軸にして、バランスを取りながら美しく豪華に広がっている。
門に入ると色鮮やかな花々とプールのような大きい噴水に迎えられ、感動の声を上げ奥へと進む。城の入口で私は馬から下ろされ、男のマントで身体を包みながら、拘束されて城の奥へと進んだ。囚人みたいで悲しい。
「灯りも点けずに」
不機嫌そうに男はそう言って軽く手を上げると、高い場所にあるキャンドルが次々と点火され古城に灯りが点く。やっぱりイリュージョン。キャンドルの灯りが揺れる仕草は、とっても優しくて温かい。
どれだけ歩いたのだろう。ちょっと疲れた頃に男は立ち止まり、海に光が射しているような模様が描かれている両開きの扉を開くと。
そこはまた別世界。
キラキラしたシャンデリアが輝き、天井画では青い空に天使がラッパを吹きながら飛び回っていた。2mほどの窓が5つ並び、そんな大きな窓があっても天井はまだまだ高くて余裕がある。壁は真っ白。高そうな食卓テーブルは大理石だろうか。卓上には金の果物皿があり、その皿にはリンゴ・オレンジ・桃・キーウィ・ぶどう・パパイヤ……沢山の果物を見て、こんな場面なのにお腹が空いてきた私だった。
そんな物欲しそうな私の気配に気付いたのか、奥の方から白い生物がゆっくり動いてテーブルに近寄り『お前にはあげないよ』的なオーラを出して、果物をむしゃむしゃ食べ始めた。それは絵本でしか見たことのないユニコーンだった。
ユニコーンって想像上の生き物では?
さっき乗って来た立派な白馬のミニミニサイズ。私の身長より低い仔馬だけど、真っ白なたて髪に黄金の角が生えてある。フェイク?いや馬のくせに上から目線を感じてしまう。圧がすごい。絶対私より上だと思ってるでしょ。空腹のせいかユニコーンにケンカを売りそうになってしまう。そんな私の肩を、男は強い力で押さえ込んだ。
「ただいま戻りました王様」
男はそう言って片膝を着いたので、押さえ込まれた私の身体も同じ体制になってしまった。
王様?
今度は王様登場?
怖い人ならどうしよう。すぐ殺されるかも。こんな知らない国で殺されるのは嫌だよ。早く夢から覚めてちょうだい!半泣きで唇突き出して床を見ていたら、目の前に人影が現れたので顔を上げると
王様降臨。
王様の印象はキラッキラ。
とにかくキラキラ輝いている王様だった。
背が高くて超イケメン。これぞ王!きんぐおぶきんぐ。やっぱりお城がディズニーなら、王様もディズニー仕様なのだろうか。
黄金の髪は長く輝いている。緑の瞳は優しくて、口元はひきしまり鼻筋は通っているし、私を連れてきた怖い男もイケメンだけど、こっちは甘い甘いイケメンさん。なんて美しくまぶしいんだろう。
マントは羽織ってないけれど、白くゆったりとした袖のドレープも美しいシルクのブラウスの上に、金の細かい刺繍が入った深い緑のベストを着ていた。品があるなぁ。
「ジャックから話は聞いている。御苦労だった」声が優しい。隣の男が乱暴なせいか、王様の優しい声が心に響く。癒し系だな王様。
「顔を上げよ」
王様は私の前に座りスッと手を出して私のアゴをクイッと上げる。近くで見ると王様オーラに圧倒されそう。
「リアム」
「はっ!」
「私の夜伽相手か?」
夜伽?よとぎって……夜の身体のお相手?いやいやいやいや、いくらイケメンでも初対面の人と寝れません。
「救世主様と思えば、ただの行き倒れでした。そうぞ王の意のままに」
「うむ。好きにしていいのだな」
「御意」
そんな会話を目の前にして、恐怖で身体が震えてしまう私の頬を、王は優しく触れる。
「冗談だよ。怖い目にあったのだろうかわいそうに。リアムは乱暴だからね」
急にくだけて優しい口調になり、吸い込まれそうなエメラルドの瞳で私を見つめた。
王様……いい人。隣の怖い男より、上から目線のユニコーンより、きっといい人と信じたい。