「約束を、違えなかったのだな、君は」
耳心地の良いテノールが暗闇に響いて溶けた。
声の方を見ると、其処に人影が立っていた。
こんな暗闇でも微かに届く広間の灯りで分かる淡い金の髪が背中から右胸に垂れている。間違いなく、ロレシオだ。
「こ……、この前は、花をありがとうございました……」
こんな暗がりで大きな声を出すのが躊躇われて、声は小さなものになった。それでも彼は言葉を拾ってくれた。
「どうだろう……? あの時君が、あそこに来る前に広間ですれ違った誰かからの花だったかもしれないじゃないか」
「……だから、あんな風におっしゃったのですか……?」
――『わからない……』
確かにあの時彼はそう言った。
自分で咲かせた心当たりがなかったから、彼はそう言ったのではないだろうか。だったら、あの花のことをこの人にありがとうと言うのは相手が違う。
しかしその時。
やはりこの前のように体の奥からあたたかく込み上げてくるものがあると感じた。そのぬくもりはだんだん左の手首に集中していき、其処にこの前と同じような小さな花弁をふわりと花開かせた。
「花が……」
「……まさか、二度も……? まさか、本当に僕が……?」
リンファスはこの前と同じように花が咲いたことに驚いている目の前の人がぼんやりとしている間に、この前の失敗を取り戻そうと思った。
あの時はロレシオと喋っているときに花が咲いて驚きのあまりその場で花の色を確認できなかったが、今日は二回目ということもあり、突然のことだったけどこの前よりは落ち着いて行動することが出来ている。
……つまり、花の色を確かめようと、左手首を目の前に持ってきた。
淡い花芯のその花は、花弁を闇と同じ濃い色にしており、暗闇でよく見ると胸の蒼い花の形によく似ていた。
ハラントは胸の花のことを『同情』の花だと言っていた。
もし今ロレシオがこの花をくれたのだとしたら、この人はリンファスの何に同情したのだろうか?
「……お尋ねしても良いでしょうか……?」
リンファスが声を掛けるとロレシオははっとした様子で、なんだ、と応えた。
「……この花は……、私の胸の花に似ています。
……ハラントさんが言うには、私の胸の花は『同情』の花なんだそうです。
……もし貴方がこの花をくださったのなら、……貴方は私の何に、……同情してくださったのですか……?」
リンファスの言葉に、彼は少し息を吐いたようだった。
それは、安堵の吐息に似ていた。そして息を漏らすように、ふふ、と静かに笑った。……口許が、歪んでいる……。
「同情……。……そうか、同情か……。それなら説明が付く……」
「説明……、ですか? どんな説明なんですか?」
ロレシオの言葉から推測するに、彼はこの花を自分の花だと認めたようだった。
その理由が同情にあるのだろうか。
リンファスは口を黙って彼の答えを待っていると、彼は口を開くとリンファスが驚くようなことを言った。
「以前、君がカーンの店で倒れた時に、僕が君を宿舎まで運んだことはケイトから聞いているんだろう。
あの時、僕がセルン夫人を呼んだ。
『母なる愛情の花』で癒せばいいことは知っていたが、男の僕があの館に長居するわけにもいかなかったからだ。
あの後『母なる愛情の花』で手当てを受けていたのを見て、驚いた。
『母なる愛情の花』をあんなにたくさん使って癒さなければならない程、愛情に縁遠かった君を哀れに思ったんだ」
「まあ!」
じゃあ、命の恩人だ。
あの時にセルン夫人からの治療を受けて、リンファスはまた働けるようになったのだから。リンファスは慌てて頭を下げた。
「そんな恩人とは知らず、失礼致しました。おかげでこの通り、元気になりました」
そうか。だからこの人はリンファスに同情してくれたのだ。
分けてもらう花も栄養にならず、治療の花に頼るしかなかったリンファスのことを、哀れだと思ったのだ。
でもそれで分かった。あの後スカートに咲いた最初の花は、確かにこの人からの贈り物だったのだ。嬉しい。花の贈り主に会えたのだ。
「あの……! この前食べてしまったことを懺悔した花は、確かに貴方からの花だったと思います……!
だって、治療するしかなかった私を、憐れんでくださったのでしょう……!?
ああ、ありがとうございます……! 貴方は二重に私の恩人です……!」
嬉々として礼を述べるリンファスに、ロレシオは戸惑ったようだった。息を詰めたような音をさせた後、何も言わない。
「……あの……」
なにかおかしなことを言っただろうか。もし彼の機嫌を損ねていたらと思うと、リンファスはそれだけで身が縮む思いだった。
やがて、ふう、と大きなため息を零したその人は、本当に不思議な花乙女だ、と呟いてこう言った。
「確かに僕はあの時、君のことを憐れんだ。
花乙女なのに一つも花を持たず、治癒の花に頼るしかない君のことをそう思った。
おまけに君は、その後も花がないのに仕事を続けただろう? 同情を買いたいんだと思っても、当然だとは思わないか?」
風を震わせるテノールが滲むように響く。リンファスは彼の言葉を不思議に聞いていた。
「……確かにケイトさんがおっしゃる通り、愛されていなかったのかもしれません……。だからこそ、働かなければいけないのだと思うのですが……」
「そうかい? 立っていられなくなるほど愛情に飢えていたんだ。
同情ではなく、僕らイヴラに愛してもらおうとすることが、体調回復の近道だったとは思わなかった?
……例えば他の乙女たちがしているように、身なりに気を付け、マナーを学び、社交を覚えることを、君は考えなかったの?」
彼の口から出た言葉を、不思議な気持ちで聞いた。そんなこと、思いつきもしなかった。だって。
「だって私のように役立たずな人間は、働く事しか出来ないんですもの……」
――『お前のような奇異な子供は働く事しか出来ることはないだろうが!』
常々ファトマルから言われていた言葉だ。
だからリンファスは身を粉にして働いてきた。そうすることでしか、居場所を見つけられなかった。
そう言うと彼は、ほう……、と頷いた。
「……興味深いね。君は愛情に飢えていた筈だ。しかしそれに反し、働くことを選び、結果として同情の花しか咲かなかった。
その状態で、君は満足できるの?」
リンファスは彼の言葉を聞いて、自分の言葉にかみ砕いた。
愛情に飢えていた……。
そうだろうか。愛してもらえないのは、自分が至らなかったからだ。
ファトマルの役に立たなかったから愛されなかった。
至らない所があるのであれば、それを補うために働くのは当たり前だ。
その結果が同情の花なのであれば、それはリンファスに相応しい花なのではないだろうか……?
「私が至らなかった結果が、この花なのだと思っています。だから、私はこの花で満足です」
勿論、ハンナの言うように『愛されて幸せになって、アスナイヌトの役に立つ』為には、この花で満足しては駄目だろう。
でも今はこれで十分なのだ。一つも咲かなかったイヴラからの花がロレシオのおかげで咲いたのだから。
「君は本当に不思議な花乙女だ。……僕が知っている花乙女とは、随分違うようだ」
彼はそう言って、かすかに笑った。
その時リンファスの胸に咲いていた『同情』の花と今咲いた左の手首の花が落ち、代わりにもう一輪蕾が姿を見せると、紅茶にミルクがほどけるように花びらがゆらりと解けた。
『同情』の花とは花弁の形が違う。これは、何の花なのだろうか……?
「これは……? 今、何を思ってくださったのですか……?」
「僕が? 僕は今、君を面白いと思ったんだよ。
僕が今まで知っていた花乙女とは全然違う。
君は何も持っていなくて、でも、何も求めていない。
そんな人がこの世に居るなんて、今まで思いもしなかったんだ。
……だから、敢えて言うなら『興味』だろうか。……そう、君に興味がわいた。君のことを、もっと知りたいと思うよ。
これで説明になるかい?」
興味……? 興味だって……!? リンファスのことを知りたい? リンファスの、何を知りたいのだろう……?
「……知って、……どうされるのですか……?」
純粋な疑問だった。今まで誰にも興味を持たれたことがない。
プルネルは友情の花をくれたが、それと同じような事だろうか……?
「……そうだな……。まず、君の人となりが分かる。そうしたら僕は、次に君に会った時にどんなことを話そうかと考えることが出来る……、のではないかな?」
「また、会ってくださるのですか?」
「嫌かい?」
とんでもない! まさかリンファスにまた会いたいなどと思ってくれる人が現れるとは、考えてもみなかった。
思えばこの前約束した時も、何故約束をしたのだろうと疑問だったのだ。
だとしたら、あの時も、リンファスに興味を持ってくれていたのだろうか……?
「この前の舞踏会で今日のお約束をくださったのは……、それでなのですか……?」
リンファスが問うと、ロレシオは暗闇に口の端を曲げて上げた。
「実に真を突く皮肉だね。……あの時は、僕も多少動揺していた。……自分の中の変化を認めるのには、時間がかかるものなんだよ」
「そうだったのですか……。いえ、すみませんでした。でも、お約束を頂けたおかげで、花の贈り主が分かって、その上、新しい花までいただいてしまって……」
本当にあの時のロレシオには、感謝しかない。でも……。
「私……、貴方が知りたいと思うことを、話せるでしょうか……」
結果が出せなければ役立たずになる。それは生まれてからの生活で身に染みていた。
不安になってそう問うてみると、焦ることはないさ、と声がやわらかく返った。
「周りの乙女たちに聞いてごらん。きっとどの乙女も、一朝一夕に愛情の花を満開にした子は居ないと思うよ。君もそう考えればいいのではないかな」
リンファスのことを思いやってそう言ってくれているのだと、声音で分かった。
この人はやさしい人だ。リンファスは月のない夜にそう思った。
次の茶話会当日、リンファスはルロワの店で買ったリボンをもう一度、プルネルに結んでもらった。
鏡に映るリンファスはやはり、どこか落ち着かなげで、でも口許が嬉しそうに引きあがっている。
自らを飾ることでこんなにも胸が高揚するのだということを、リンファスはこの前の舞踏会の時のように感じていた。
プルネルはリンファスを誘って一緒のテーブルに着いてくれた。部屋に入って来たイヴラたちもそれぞれ思う席に座る。
リンファスの……、というよりはプルネルの前に立って挨拶をしたのはアキムだ。
「こんにちは、プルネル。この席、良いだろうか?」
人当たりのいい笑顔を浮かべたアキムに、プルネルはどうぞ、と席を勧めていた。プルネルに許可を得たアキムが席に座ると、彼はリンファスを見た。
「こんにちは、リンファス。今日もプルネルとリボンがお揃いだね。よほどお気に入りなのかな? かわいらしいリボンだと思うよ」
さらりとリンファスを褒めるアキムを凄いと思う。男の人はこうやって女性の身なりを何時も見ているのだろうか。
「そうなんです……。プルネルが選んでくれて……、とても気に入っているんです……」
彼には二回会っているから、多少緊張は抜ける。それでも小さくなってしまうリンファスの返事をアキムは拾ってくれた。
「そうだったんだね。友達同士仲が良くていいことだよ。
ルドヴィックときたら、いつもサラティアナの事ばかりで、親友の僕のことは忘れられているらしい」
ははは、と白い歯を見せて笑うアキムはそれでも親友のことを応援しているらしかった。街に新しく出来た菓子店にサラティアナに贈るプレゼントを一緒に買いに行ったそうだ。
「小さなね、飴のようなもので、『花砂糖』という食べ物らしい。珍しいものを見つけたと言って、勇んで買いに行くんだと連れていかれたよ。
あいつ、気合はあるくせにかわいらしい店には一人で入りにくいと言ってね。今度音楽ホールで王族の方々も参加される音楽劇があるだろう。どうもその社交の場にサラティアナを誘いたいらしくて、頑張っている」
アキムの話を聞くと、その気持ちが報われると良いなと思ってしまう。そこまで一人の人を想うという気持ちは、どこからくるのだろう。
リンファスの生活は今まで、ファトマルが機嫌よく過ごせるために尽くすことが当たり前だった。そこにルドヴィックのように相手の為を想って行動する、という気持ちは含まれていなかった。
常にファトマルの顔色を窺い、出来の悪い自分をなんとか追い出さないで欲しいと願っての、自己中心的な考えからだった。
そうしないとリンファスは住まいも食料も奪われて、生きていけなくなることを何処かで察知していたからだった。
それに比べると、ルドヴィックのサラティアナを想う気持ちは、リンファスから見ると実に新鮮さにあふれた、みずみずしい感情としてリンファスに印象を残した。
(……父さんも、母さんにそういう気持ちを持ったのかしら……)
今となっては聞くことは出来ないが、リンファスが生まれているくらいなのだから、『愛し合っていた』のだと思う。その感覚を、リンファスは理解できないけど。
「あいつのことを見ていると、恋に溺れるのも程々にしないと自分を見失うな、という反面教師に出来るよ。
あいつの気持ちが通じれば一番良いんだが、いかんせんライバルが多すぎる。
ルドヴィックは誠実で腕の立つ良いやつだけど、それだけで彼女に振り向いてもらえるかどうか……」
アキムの言葉は冷静だったが、サラティアナが座るテーブルを取り囲んでいるイヴラの中にいるルドヴィックのことを心配そうな目で見ている。
最初に二人に会った舞踏会の時に彼のことを『親友』と言っていたから、きっと言葉では突き放しているけれど、ルドヴィックを心配しているんだろう。
『親友』というのはリンファスとプルネルの間に結ばれた「友情」よりも親しい間柄だと、あの舞踏会の帰りにプルネルが教えてくれたから。
そういう風にアキムとルドヴィックの関係を見ていた時に、プルネルがそっと背を押した。思い出すのは、プルネルの言葉。
――『人と話さなければ、自分のことを分かってもいただけないし、愛してもいただけないのよ』
リンファスははっとした。花乙女は、愛されて幸せにならなければならない。リンファスにはまだ愛情の花は咲いておらず、いずれは誰か……イヴラの誰かに自分を知ってもらって、愛してもらわなければならないのだ。
そう気づいて思い出した。……この前の舞踏会の庭でロレシオはリンファスのことを知りたいと言わなかったか?
愛されないリンファスのことを知りたいだなんて不思議な人だと思ったが、もしかして、彼と話をして行く先に、そう言う未来もあるのだろうか……? そう考えてリンファスは首を振った。
(馬鹿ね……。役立たずの私を愛してくださる人なんて居ないわ……。
あの方も、他の乙女と比べてちょっと変わった私に『興味』を持っただけで、それ以上でもそれ以下でもないわ……)
自分のことは自分が一番よく知っている。何をしても至らないし、不景気な顔もやせぎすな体も相変わらずだ。他の乙女たちとは違う。
(……『興味』の花を頂いただけでも、喜ばなくては……)
この花がもし咲き続けてくれるのなら、その間はアスナイヌトの役に立てる。どうか落ちないで、とリンファスは思った。
そう思いに耽ったリンファスを心配したのか、プルネルがリンファスを呼んだ。
「どうしたの? リンファス。何か心配事……?」
「あ……。違うの、ごめんなさい……。それにしても、アキムさんはルドヴィックさんのことが大事なんですね」
先のアキムの言葉を思い出してリンファスが言うと、アキムはリンファスに向けて苦笑の笑みを漏らすと、不本意ながらね、と答えた。
「宿舎に入ったのが同時期でね。それに部屋も隣同士だった。
ルドヴィックはサラティアナに対してはああだけど気は良いやつで、僕も幾度となく彼の屈託ない性格に助けられている……。
ああ、こんなこと、ルドヴィックに言っては駄目だよ? 調子に乗ると、手が付けられない」
最後に片目を閉じて合図をしてくるアキムは、本当にルドヴィックのことを親友として好きなんだろう。その好意を素晴らしいと思った。
ウエルトの村では知り得なかった人が人を好きになるということが、いとも簡単にリンファスの前で繰り広げられている。リンファスはそのことに感動を覚えていた。
「あの、……上手く伝わるか、分かりませんけど、そういうお気持ち、素敵だと、思います」
自分が思ったことを相手に伝えると言うのは、なんて難しくて、なんて恥ずかしいんだろう。
ファトマルには悲しい顔も辛い顔も辛気臭いと言われてきたから、そんな顔は見せられなくて懸命に堪えた。
自分の内側を晒すことは、リンファスにとって生きにくくなるだけの行為だったはずなのに、今ルドヴィックについて語ったアキムに対して、リンファスは心に沸きあがった素直な気持ちを伝えたいと思った。
……これは、なんていう感情からだろうか……。それに、あの夜リンファスに興味を持った、と言ったロレシオがあの時持った感情はいったい……。
リンファスはアキムに湧き出た気持ちを伝えきってしまうと、少し後悔した。こんな、出来損ないの花乙女から気持ちを伝えられたって、彼もいい迷惑に違いない。アキムはプルネルに挨拶したついでにリンファスに挨拶してくれただけに過ぎないのに……。
『お前に、分かったようなことを言われたくない』
そういう言葉が降ってくると思っていた。ファトマルの機嫌を先回りすると、何時も言われていた言葉だ。……だけど実際リンファスに掛けられた言葉は、想定外の言葉だった。
「……そうか。少し話をしたばかりの君にそう見えてしまうということは、僕も彼に染まってお人よしになったということだね?」
くすくすと笑いながらアキムが言う。実にいたずらっぽい笑顔だった。
村の隅で固まって遊んでいた子供たちがしていたような、そういう邪気のない笑み。アキムがリンファスに、そう見られても良い、と言っているみたいに見える。
ぽかんとしてアキムを見つめていると、やはりアキムはくすくすと笑っている。機嫌の良さそうな猫みたいだ、と思っていると、プルネルの花が咲いていた隣に、アキムの瞳の色の花がぽん、と弾けるように咲いた。
それを見たプルネルが、嬉しそうにアキムに言った。
「まあ、嬉しいわ、アキム。リンファスを信頼してくれたのね」
「流石、プルネルの人を見る目は間違いがないね。リンファスが何故花を着けていないのか、不思議なくらいだよ」
微笑みながら話をする二人を、リンファスはじっと見ていた。なかなか上手に会話に入っていけないが、どうやらアキムはリンファスのことを『友達』として認めてくれて、『友情』の花を咲かせてくれたらしい。それについては、お礼を言わなければ。
「あ、あの、……アキムさん」
「アキムでいいよ」
呼び掛けたら微笑んでそう言われたので、呼び方を改める。
「あの、……アキム……、……私に花を、あ、ありがとう、ございます……」
リンファスがどきどきしながら言うと、アキムはあっさりと、こういった。
「僕は友人というものは沢山居ればいるほど、自分が豊かになると思ってるんだ。だから礼には及ばないよ。
僕が花乙女だったら、ここで君の花が咲くところだったのかな」
アキムは冗談も交えて、リンファスの気持ちが自分に開いているかどうかを訊ねた。
アキムはリンファスのことを、言葉を交わしたうえで受け入れてくれた。……リンファスに、それが出来るだろうか……?
プルネルの友人としてではなく、リンファスの、アキムに対する感情は……?
「え……、ええと……」
直ぐに答えが出なくて、リンファスは口ごもった。それに対してアキムは、そうだな、と頷いた。
「それで良いんだよ、リンファス。プルネルと違って、君はここに来てまだそんなに時間が経っていないだろう?
プルネルと仲良くなるのにだって、時間が掛かった筈だ。それと同じだけの時間を、僕たちに掛けてくれていいんだよ」
アキムはリンファスの頭のまわらないことを理解してくれて、そしてそれでもいい、と言ってくれた。そのことに安堵し、リンファスはこれだけは言える、と思った。
「あ、あの、アキム、ありがとう……。……私、貴方の事、いい人だと、思います」
おどおどと発言してみるとアキムが、それはありがとう、とリンファスに礼を言った。リンファスの心がじんわりとあたたかくなる。
……自分の気持ちを受け入れてもらえるって、こんなに嬉しいことだったんだ……。
ウエルトの村では勿論、インタルに来てからも、自分の気持ちを言うなんてことは殆どなかった。
仕事は食事と住まいがあることへの恩義だったし、花乙女としての役割を果たしていないことへの罪悪感から、それが当たり前だと思っているからやりたいと言っただけだ。
もし自分が花乙女として役目をはたしていたら、そんな引け目を感じずに居られたかもしれない。
でも現実としてリンファスに咲いている花は現在でも少なく、毎朝食事の後に摘み取るたびに咲く花はプルネルの花とロレシオの蒼い花だけだ。
愛されて幸せになる役目を果たせないうちは、自分の気持ちなんて持つべきものではないと思っていただけに、アキムの言葉はリンファスの心に深く染みた。
茶話会ではその後ルドヴィックも一緒の席で談笑した。
サラティアナに、音楽劇のパートナーはもう決まっていると言われてしょげていたルドヴィックを、アキムとプルネルが慰めていた。
二人の様子が本当にやさしくて(アキムは言葉尻こそきつかったが、やさしい目を見れば終始ルドヴィックを気遣っていることが、リンファスにも分かった)、思いやりは人の間で巡るものなのだな、とリンファスは感じた。
ルドヴィックはサラティアナしか目に入らない青年かと思っていたら、意外とリンファスとも打ち解けてくれた。
アキムが『気が良いやつ』と評しただけあって、明るく前向きな青年だった。今日駄目でも次回の茶話会か舞踏会でサラティアナのパートナーになりたい、と何度も言っていて、一途な様子はいじらしかった。
リンファスがサラティアナのことを励ますと、ありがとうと言ってはにかんだ笑顔を浮かべた。
その時にルドヴィックの花がアキムの花の横に弾けるように開いて、リンファスはこれで四つの花持ちとなった。
リンファスに咲いた花を記念して、アキムが今度君たち二人の絵を描いてあげるよ、と言った。
アキムは絵を描くことが趣味らしく、週末は時々写生に出掛けていると言っていた。
対してルドヴィックは音楽に造詣が深いらしく、音楽会や歌劇などを嗜むと言っていた。二人とも良かったら一緒に行かないか、と誘ってくれて、気安い雰囲気を出してくれてリンファスを安心させた。
しかし。
(ロレシオさん、またいらっしゃらなかったわ……。お会い出来たら良かったのに……)
今度の茶話会にロレシオは現れなかった。
見れば一目でわかるだろう、淡い金の髪のイヴラは居なかったのだ。
茶話会も舞踏会も強制ではないと聞くが、イヴラは花乙女と結ばれるために集められていると聞いたから、今日も都合が悪かったのだろうと思った。
いつか茶話会で彼を見つけたら、頑張って声を掛けてみようと思う。
そして、自分に興味を持ってくれてありがとう、と伝えたい。気持ちをもらうことが、こんなに嬉しいことなのだと改めて知った。
花乙女だから花が咲くことが嬉しい、ということではなく、リンファスのことを少しでも心に留めてくれたことにお礼を言いたい。
……早くその時が来て欲しい、とリンファスは胸を膨らませたのだった……。
次の舞踏会の日が来た。
リンファスのことを知りたいと言ったロレシオのことを考えると、お腹の底がそわそわした。
落ち着かなくて、プルネルにどうしたの、と問われてしまったほどだ。
何でもないと応えたけど、プルネルはリンファスを気にしたような視線を送ってくる。
どうしよう。プルネルに言ってしまおうか。
でも、なんて言ったら良いんだろう?
自分のことを知りたいなんて言われたことが初めてで、何を聞かれるんだろう、答えられるだろうか、とそんな心配ばかりしている。
自分のことで知っていることなんて片手で足りるほどだ。
誰にも見向きもされなかったこと、ファトマルから与えられた仕事さえ満足に出来なかったこと、不景気な顔、貧相な体、どれを取っても彼が聞いて楽しい話ではない。
そんなことを聞かされたロレシオがリンファスに『興味』を失ったら、この花もまた落ちるのだろうか……。そう考えると気持ちが沈む。
当たり前の結果ではあるが、一度咲いた花が着かなくなるというのは、甘いミルクティーの味を知ったのに、金輪際飲ませてもらえないことと似ている。
実際、今まで食べていた『同情』の花よりも、『興味』の花の方が甘い。
この味を知ってしまったら、あれ程美味しく感じた『同情』が味気なかったと思えるほどだ。
ウエルトの村では野菜スープだって飲ませてもらえないこともしばしばだったのに、贅沢になってしまったと感じる。それが恐ろしい。
贅沢という感覚は、自分には分不相応な感覚だと思うのだ。この感覚に足元を掬われないようにしないと、と思う。
(……だって私は出来損ないで役立たずなんだもの……)
リンファスは自分の立場を良く分かっていた。