花乙女は愛に咲く【他サイトでジャンル別ランキング1位!】

(いけない……。ちゃんとドレスとネックレスを持って帰らないと、サラティアナさんが困るわ……)

リンファスは意思の力でその場に足を踏ん張った。そしてドレスの入った箱を荷馬車の荷台に置くと、その足取りでカーンの店のドアを開けた。

丁度店に来ていたと思しき客が出て行ったところで、リンファスはその入れ違いで店に入った。

「ごめん下さい」

店に入ると、ロレシオが居た。そう思っていると、店主はロレシオ越しにリンファスを見て声を掛けてくれた。

「いらっしゃい、お嬢さん。少し待っててもらえるかな」

リンファスは店主に頷いてドアの横に待機した。

心なしか、やはり体に力が入らないような気がする。それでも用事を放り出すわけにはいかなかった。仕事の出来ない人間は要らないのだと、ファトマルから散々教えられてきたからだった。

「それで、カーン。時計は直ったのか」

カーンと呼ばれた店主が、黒いトレイに載せたものをロレシオに見せている。

「見て頂ければ分かるでしょう、ロレシオさん。秒針も間違いなく時を刻んでますよ」

「ふむ……」

ロレシオはトレイから銀に輝く懐中時計を取り上げて目線の高さに持つと、まじまじとその盤面を見ていた。

「ちゃんと動いているな。ありがたい。この数日、外出すると時間が分からなくて困っていた」

「お役に立てて光栄ですよ」

にこりとカーンが笑って、やっと店主がリンファスの方を見る。

「お嬢さんは何を持ってきたのかな?」

「あ、サラティアナさんのネックレスを受け取りに来ました」

これ伝票です、とリンファスはスカートのポケットに入れていた預かり票を出して、サラティアナのネックレスを出してもらうようお願いしようとする。

ロレシオが店の外に居る、と言ってドアを開けた、その時。

その入れ替わる空気の動きに合わせてリンファスの体が揺れた。
目の前が歪んでいく様子が瞼の裏に映り、リンファスはその直後、意識を真っ暗な闇に手渡した。

ふわっと。

まるで体の芯が空気になったみたいにリンファスはその場にくず折れた。カーンが慌てたような声を出した。

「お嬢さん!?」

店を出ようとしていたロレシオも、カーンの声に店の中で倒れたリンファスを振り向いた。

ロレシオの目の前でリンファスが床に倒れている。手に持っていたと思しき伝票は長い髪が散らばった近くに落ち、その顔は少し青ざめている。

体調が悪かったのか? 荷馬車で隣に座って居たけれど、それらしい仕草は見せなかった。

しかし、ついでの用があったとはいえ、護衛した花乙女の体調を見抜けなかったのはイヴラとして失敗ではないだろうか。

ロレシオはちっと舌を鳴らすと、リンファスの傍らに膝をついた。
やはり顔色が悪い。
頬も自分の知っている花乙女とは違って線がシャープで体つきも貧相だ。倒れた拍子に伝票を手放した手の先が荒れている。
花乙女で花が付いていないというだけでも驚きなのに、王都(ここ)での生活で、彼女の体は回復しなかったのだろうか?

「ロっ、ロレシオさん、どうしましょう!? 医者を呼んだ方が良いんでしょうか!?」

気が動転している様子のカーンがおろおろと叫ぶ。落ち着け、と諭したうえで、ロレシオは言った。

「僕が花乙女の館に連れて帰る。花乙女に普通の薬は効かない。カーンはベジェモットの屋敷に行ってセルン夫人を館に呼んでくれ」

「わ、分かりました!」

そのまま店を飛び出そうとするカーンを、ロレシオは呼び止めた。

「ああ、この子が持ってた伝票の品、僕が代わりに届けるから出して行ってくれるか」

「はっ、はい!」

カーンは店の奥に取って返すと、ガタガタと音をさせた後、少女が取りに来た品を出してくれた。

「ありがとう。僕はこのまま荷馬車で館に戻る。セルン夫人を頼んだぞ」

「はい!」

ロレシオは倒れているリンファスを抱き上げてまた驚く。外見から想像していたが、こんなに軽いとは……。
ロレシオはリンファスを荷馬車に乗せ、馬を走らせた。






「ケイト!」

ロレシオが男でありながら花乙女の館に踏み込むと、館の中からケイトがロレシオの呼びかけに大慌てで出てきた。

「何だい!? 男性はこの館に……、……ど、どうしたんだい、リンファス!」

ケイトは少女を認めると顔を青ざめさせて駆け寄って来た。ロレシオは簡単に経緯をケイトに説明する。

「街へ行くこの子の護衛を頼まれて一緒に行ったが、行った先の店でこの子が倒れた。今、カーンがセルン夫人を呼びに行ってくれている。取り敢えずこの子を医務室へ運ぼう」

「そ、そうだね。こっちだよ」

ロレシオはケイトの案内で屋敷の一階一番奥の医務室に入り、リンファスをベッドに寝かせた。白いシーツに寝かされたリンファスはやはり顔色が青い。ケイトがリンファスを心配そうに見る合間に此方をちらりと見た。

「……あんた、その髪の色、イヴラなのかい……? それにしては、茶話会では会ったことがないね……?」

ロレシオはケイトの疑問に淡々と応じた。

「それは今この状況で必要な質問か?」

必要以上に干渉して欲しくなくてそう言うと、ケイトは穏やかに微笑んで必要だよ、と言った。

「リンファスが目を覚ましたら、きっと此処に連れて来てくれた人のことを問うと思うよ。その時に、恩人のことを教えてあげられなかったら、申し訳ないよ。リンファスにも、あんたにも」

「この子に僕がしたことは教えなくて良い。どうせ僕は茶話会に出ないし、これきり会うことはない。
この子が店で受け取っていた荷物を持ってくるから、ドアは開けておいてくれ」

そう言ってロレシオはケイトの質問から逃れた。
門の前に止めてあった荷馬車からヘイネスの店の名前が入った水色の箱とカーンの店で受け取った黒いベルベットの箱を持って、もう一度屋敷に戻る。
医務室ではケイトが待っていて、彼女に持っていた二つの箱を渡した。

「僕が分かる範囲でのこの子の持ち物だ。これ以外に忘れているものがあれば、体調が戻ってから取りに行くように言ってくれ」

「ありがとう。私が聞いていた限りでは、これで全部だ。リンファスも安心するよ」

礼を聞いて、ロレシオは医務室を出た。医務室とは反対の壁側に作られた部屋の内のひとつから、少女たちが顔をのぞかせている。談話室のそのドアを開けたところに、一人の少女が立っていた。
「貴方の声が聞こえたと思ったら、リンファスを抱えて来るんだもの、驚いたわ。どうして茶話会にも出てこない貴方がリンファスを連れてくるの?」

「其処をどいてくれないか、サラティアナ。此処に男が居てはまずいだろう。僕は帰りたいんだ」

「私の問いに答えてないわ、ロレシオ。貴方、自分の役目をどう思っているの?」

「答える義務がない。帰るぞ」

サラティアナの質問に答えず、ロレシオは廊下を突っ切った。サラティアナの横を通り過ぎようとした時に腕を取られたが、力任せに外した。

「ロレシオ!」

「裏切ったのは君が先だ、サラティアナ」

言いおいて、ロレシオは花乙女の館を去った。残されたサラティアナは悔しそうに叫んだ。

「裏切ってなんかないわ! どうして信じてくれないの!」

廊下にサラティアナの声が響いた。





程なくしてセルン夫人が宿舎に着いた。夫人は医務室でリンファスの痩せ具合を見て、一体何を食べさせていたの、とケイトに問うた。

「花だよ。だってリンファスは花乙女だから」

「この子には花が咲いてないじゃない」

そうだ。だから他の少女たちから集めた花を食べさせた。そう言うと、それでは駄目なのよ、とセルン夫人は言った。

「花乙女はアスナイヌトさまの子だけど、どんな花でも良いというわけではないわ。
乙女は自分に咲いた花しか受け付けないのよ。アスナイヌトさまはどんな乙女からの花でも召し上がるけど、乙女はそうではないの。
貴女、他の乙女の花を食べたことあって?」

「……ないよ……。……だって、子供の頃に自分の花を食べることを教わったから……」

「そうでしょう、それしか基本的に受け付けないから、そう教わるのよ。
それも無理なら、人間の食べ物しかないわね。
花乙女はアスナイヌトさまの子ですけど、人間から生まれますからね。
花乙女でも赤ん坊の時は母親のお乳で育つでしょう。花乙女が花を食べ始めるのはお乳を卒業してからですから、この子くらいの年になると人間の消化機能はかなり衰えている筈ですけど、でも機能は生きているわ」

セルン夫人の言葉にケイトは以前出したお茶にミルクを入れていたリンファスを思い出した。
花茶のミルクティーを飲んだ時、今まで花を食べていた時とは明らかに違う顔をしていた。驚きと、安心を混ぜたような表情をしていた。
あれは、リンファスの人間の消化機能が機能したからなのだと理解した。

「だとしたら、これからこの子は人間の食べ物を食べていくしかないのかい? 
この子は自分に花が着いていないことを、それはそれは苦にしていたんだ。
みんなが花を食べているときに一人だけ人間の食べ物を食べることになったら、余計に花乙女としての自信をなくしちまうよ……」

リンファスは花乙女としてこの宿舎に居られる為に、出来ることを精いっぱい頑張っている。
それに水を差すようなことはしたくなかった。
ケイトが不安な顔になったのを見て、セルン夫人は微笑んだ。

「そういう時のために、庭で紫の花を育てているのよ。ケイト、庭の紫の花をたくさん摘んできて頂戴」

「紫の花を……?」

「そうよ。兎に角お願い」

夫人に言われて、ケイトは分かったよ、と庭に急いだ。
館の東の庭では昔から一種類の花を栽培していた。
その花は『母なる花』と言われていて、形は丁度肉親からの愛情の花の形に似ており、伝説では人間の郷に生まれた花乙女を救うためにアスナイヌトがこの花を食べさせたという花だった。

「……まさか、あの伝説は本物……?」

独り言を言いながら、ケイトは腕一杯に紫の花を摘んで医務室に戻った。

「ケイト、上出来よ。その花をこの子の周りに敷き詰めましょう。花が体に触るように……、そう……」

ケイトとセルン夫人は二人でリンファスの周りに紫色の花を置いていった。
リンファスを囲むように紫の花を置いていくと、リンファスに触れた花からどんどんしおれて枯れていく。
花の変化の様子にケイトは驚いた。

「花が……」

「これは、この子が花から栄養をもらって癒してもらっている証拠なのよ。
この紫色の花は花乙女の栄養……母なる愛情の花よ。
この花は、自分が持つ栄養を花乙女に与え切ってしまうと、役割を終えて枯れていくの。
枯れた花は新しい花と入れ替えてね。この子は栄養不足過ぎたわ。暫くこの作業が必要ね」

ケイトはセルン夫人と二人で可能な限りリンファスの眠るベッドに紫色の花を敷き詰め続けた。どんどん枯れては落ちる花を退けながら新しい花を宛がう。

暫くそうしていると、リンファスの頬に赤みが戻って来た。セルン夫人はそれを見届けて、もう暫くこのまま様子を見ましょう、と言った。

「……そうかい、あのアスナイヌトさまの伝説は本当だったんだね……」

「そう……。でも大昔と違って今は花乙女の伝説が行き渡っているから、知っている人も限られるわね。私は花乙女の医師だった祖母から聞いたのよ」

「そうかい……、勉強になったよ」

「いいえ、こんなことが必要じゃなくなる世の中にならなければならないのよ……」

本当にそうだ。ケイトにとってはこの館に居るどの少女も等しく幸せになって欲しいと思う保護対象だった。
リンファスにも他の少女と同じくらいの幸せが訪れると良い。ケイトはアスナイヌトに願った。






ロレシオがイヴラの館に戻ると、丁度窓からケイトが庭で花を摘んでいる様子が見えた。
ケイトが慌ててその花を抱えて館に戻っていくと、開け放たれた医務室の窓の中でセルン夫人とケイトがリンファスの周りに花を敷き詰めているのが見えた。

ロレシオの母親の話が本当なら、あの花は花乙女の癒しの……母なる愛情の花だ。
あの花を次々と枯らしていく様子を見ていると、リンファスが一体どれ程愛情に恵まれていなかったかが分かる。

それを思うと、先ほど会ったサラティアナは沢山の花を咲かせていた。それほどの愛に囲まれながらもなにが不満なのか、ロレシオに茶話会に参加しない理由を問うてきた。
あんなに愛情を一身に受けているサラティアナにロレシオの気持ちが分かる筈がない。

そう思って、おそらくリンファスの気持ちも、サラティアナには分からないんだろうな、と思った。


ロレシオがサラティアナに初めて会ったのは王城の謁見の間でだった。
物心ついた時には既に親との交流はなく、乳母とたった一人の家庭教師、ルーカスが居ただけの生活だったので、王城の『月の間』に呼ばれたときは、誰か人に会えるんだ、とわくわくしていた。

『月の間』はその名の通り、夜空に浮かぶ月のような淡い黄色の石で出来た謁見の為の部屋で、『太陽の宮』と呼ばれる王位を継いだ者が住まう宮殿と対になっている『月の宮』の一室だった。
主に直系王族が即位するまでの間に使われる部屋で、ロレシオはこの時初めてこの部屋に入った。

ロレシオが部屋に入り、ロレシオが上座の席に座るとルーカスが客人を連れてきた。

「ロレシオ王子、お目通りありがとうございます」

そう雲雀(ひばり)が鳴くような声を発して優雅にお辞儀をしたのは、利発そうな、かわいらしい女の子だった。

ロレシオの部屋にも飾られている絵画の、女神・アスナイヌトのようなきれいな白の髪と澄んだ紫の瞳で、髪の毛と左胸の所に一重の白い色の花が咲いている。
ロレシオはルーカスから『花乙女』のことを教わって育ったから、彼女が花乙女だということは直ぐに分かった。

「君! 君は花乙女だね!?」

ロレシオは興奮から、彼女に向かってそう叫んだ。女の子はにこりと猫が喉を撫でられた時のような目をして嬉しそうに、「そうですわ」と応えた。

ルーカスから自分の母親が花乙女だとは聞いていたが、記憶にある限り会ったことがないので、花乙女と対面するのはこれが初めてだった。

「すごい! 本物の花乙女に初めて会ったよ! 僕のお母さまも、君みたいにきれいな瞳なのかな」

弾む心でそう言うと、女の子は、

「カタリアナさまは、わたくしよりもお美しい瞳をなさっておられますわ」

と教えてくれた。女の子の教えてくれた母親の情報に、ロレシオは得意げになった。

「僕はお父さまとお母さまがご結婚された時の写真をもらってあるんだ。
写真は白黒で、お父さまの瞳の色は良く分からないけど、写真のお母さまが薄いグレイに写ってて、透き通った瞳をしているのが分かるんだ。
でも、実際に会ったことのある君が言うなら間違いないんだね。君の名前はなんていうの?」

「サラティアナ・アンヴァと申します、ロレシオ王子。父はグレン・アンヴァ公爵ですわ」

綺麗な発音で、女の子は自分の名を名乗り、ちょっと嬉しそうにはにかんだ笑みをこぼした。

「実はわたくし、カタリアナさまと名前が似ていることが、ちょっとした自慢なのですわ」

零れた嬉しさに、彼女は口許を手で覆った。

言われてみれば本当だ。ロレシオはその嬉しそうな微笑みに、一気にサラティアナに好感を抱いた。

「サラティアナ、君のお父さまはこれから王城に通うの?」

「父はこれからも何度か国王陛下にお目にかかる予定があるそうですわ、ロレシオ王子」

それは吉報だ。その時に彼女に一緒に来てもらえばいい。ロレシオは早速ルーカスを呼んだ。

「ルーカス、お願いだ。アンヴァ公爵がこれから城に上がるときには、サラティアナを連れてこられるよう、お父さまにお願いして欲しいんだ」

ルーカスはとても従順な家庭教師だったので、直ぐに頷いてくれた。

「公爵がおいでになれない時で、サラティアナさまがご希望されるようでしたら、近衛兵に通達して門を通れるよう、陛下にお願いしてまいりましょう」

「ありがとう、ルーカス! サラティアナ、もっとこっちに……、ああいや、僕がそっちへ行く。もっと花乙女の話をして。お母さまの話を聞かせて欲しい!」

「お望みのままにお話しますわ、ロレシオ王子」

サラティアナが賢い女の子で本当に良かったと、この時ロレシオは思った。この時のロレシオは、そのくらい両親……、とりわけ母親に飢えていたのだ。

「今日はいい日だったよ。なんて言ったって本物の花乙女に会えたんだ!」

夜になって寝間着に着替えたロレシオを、乳母のマリアは苦笑しながら窘めた。

「ロレシオさま、興奮が過ぎますよ。夕方からずっとその調子で……」

「だってマリア、これが興奮せずに居られる!? 
僕はずっと写真でしか花乙女のお母さまを見たことがなかったんだよ!? 
サラティアナは自分よりお母さまの方がきれいな髪と瞳だって言ってた。
お母さまはやっぱり写真よりもきれいなんだね!」

ロレシオは写真立てに入っている両親の写真を眺めた。硝子の上から母親の顔を指で撫でる。

「カタリアナさまはご存じの通り花乙女でいらっしゃいますから、ウオルフ王と愛し合っておられます。
花乙女がこの世で唯一の愛するイヴラとしか結ばれないのをご存じですね? 
でしたら、ウオルフさまを愛し、ウオルフさまに愛されるカタリアナさまがお美しいのは自明の理でございます」

「それは教えてもらったけどさ。でも写真では分からないこともあるだろう? 
例えばあの紫の瞳! 
この写真ではうすぼんやりとしか分からない。お父さまよりも淡い色だって言うのは分かるけど、分かるのはそれくらいだろう? 
ルーカスに絵の勉強も見てもらったけど、絵の具の紫とは全然違ったよ! 
本当に吸い込まれそうなきれいな瞳だった!」

ロレシオはサラティアナの瞳を思い出していた。例えるならアメジストのような奥深い紫……。写真や絵の具の色を見ているだけでは分からなかったことだ。

「それにしてもサラティアナは良いな。お父さまとお母さまに会ったことがあるんだ……。
息子の僕でも会えない方なのに、サラティアナが会ってるのは、ちょっと悔しいな……」

ロレシオがぽつりとつぶやいて視線を下げる。マリアは何故か可哀想な人を見るような痛ましい目でロレシオを見た。





それから何度かサラティアナは王城を訪れた。
最初、ロレシオが精いっぱいのもてなしとして、紅茶やスコーン、ケーキやクッキーを取りそろえたティーセットをサラティアナの前に並べたら、サラティアナは笑って、

「わたくしはこれで十分なのですわ」

と言って、自分に咲いている花を摘んで食べた。
ロレシオは知識として花乙女は自らに咲く花を食べるということは知っていたが、現実としてそうなのだということを認識したのはこれが初めてだった。

「花だけでお腹は空かないの?」

「わたくしは人の食べ物だけではお腹は満腹にならないのですわ。
花は一つ食べれば十分すぎるお食事ですの。
折角ご用意してくださったのに申し訳ないのですけど、これが花乙女だと割り切って頂くしかございませんわ」

眉を寄せて苦笑するサラティアナに、いいや、僕こそ配慮が足りなかったよ、とロレシオは謝罪した。
ロレシオはあたたかいスコーンを手で割り、クリームとジャムを付けて口に運ぶと、サラティアナに聞いた。

「花ってどんな味がするんだろう? 僕が食べても美味しいのかな?」

「まあ、ロレシオさま。良かったら一つ食べてみられますか?」

くすりと笑って、サラティアナは自分に咲いている白い色の花を摘むと、ロレシオに差し出した。

ロレシオはサラティアナの花を受け取ったが、見たり触ったりする限り、城の庭に咲いている花と変わりないように思えた。
そしてサラティアナがするように、一枚花弁をはぎ取って口に運んでみた。
……しかし、食事に出てくるサラダに使われているリーフの食感より若干厚みのある食感と無味の味に顔をしかめた。
「ふふっ、美味しくない、って顔に書いてありますわ」

サラティアナが面白そうに笑った。

「美味しくないよ……。まだカンテ(茄子の一種)を食べる方がましだ。君はこれを美味しいと感じているの?」

ロレシオの疑問にサラティアナは、それは私にとって、太陽が夜に現れないのと同じことですわ、と応えた。
ロレシオは残った花の花弁を一枚取って、指先でくるくるとひらめかせてみる。

「お母さまも、こういう花を召し上がっているのかなあ……」

「そうでしょうね。愛される味は大変甘くておいしいですもの。ジャムなんて目じゃありませんわ」

サラティアナは事もなげに答えた。不思議な気持ちで花を見る。

「不思議だよ……。君という存在……、そして、花乙女という存在が……」

「すべてを知るには、アスナイヌトさまにならなければ分かりませんわ」

そう言って微笑むサラティアナをロレシオはじっと見た。

「君にも全ては分からないの?」

「そうですわ。だって私は人間のお母さまから生まれてますもの」

「お母さまにも分からないんだろうか……」

ロレシオの言葉にサラティアナは微笑んだ。

「わたくしよりはご存じだと思いますけど、でもカタリアナさまもお母さまは人間でいらっしゃるのでしょう? 人のコトワリから外れて考えるのは、難しいと思います。ただ」

「ただ?」

ロレシオが続きを促すと、サラティアナはこくんと頷いた。

「『愛』というものを実感できた時に、……アスナイヌトさまのお気持ちに近づけるんじゃないかと、わたくしは思っているんです」

「愛……」

そうです、愛ですわ、とサラティアナは言う。

「親愛、友愛、慈愛、恋愛……恋い慕う愛情、色々ありますわよね。
それらの花を身に着けるということの意味が分かったら、アスナイヌトさまのお気持ちも少しは分かるのではないかと……。
これは母からの聞かされたことなのですけども」

サラティアナの言葉を聞いて、ぼんやりと花乙女は良いなあと思った。
だって、会えなくても愛されているのならその証拠が花となって咲く。
ロレシオが花乙女だったら、カタリアナに愛されていればこの身に花が咲いて慈愛の印が見えるのに。

「……ちょっと妬けちゃうな、花乙女という存在に」

ロレシオの言葉に、サラティアナは微笑むだけだった。




「それではごきげんよう、ロレシオさま」

スカートをつまんでお辞儀をしたサラティアナが部屋から出て行って直ぐに気が付いた。サラティアナの席の横にハンカチーフが落ちていた。
きれいな刺繍で『A.S』と綴られており、直ぐにこれがサラティアナの母親がサラティアナの為に刺した刺繍なのだと分かった。

大切なものだ。直ぐに届けてあげなきゃ。

ロレシオはそう思い、部屋を駆け出た。ドアの外に居た衛兵が理由を問いたそうな顔をしたけどそれを話している余裕もなかった。

月の間を出た真っすぐの廊下には誰も居なかった。
西の突き当りに階段があって、この部屋に来訪者が来るにはあそこを通る。きっとあっちだと思ってロレシオはハンカチーフを持って廊下を走った。
角を曲がり、下を見ると、丁度短い階段の先の踊り場にサラティアナの後姿が見えた。

「サラティアナ、待って! 君、落とし物だよ」

ハンカチーフを上に掲げて振り向くサラティアナに見せる。驚いた顔のサラティアナが一瞬笑顔になって、それから大きな声を上げた。

「ロレシオさま!!」

何故かサラティアナが慌てて階段を駆け上がってくるのと、背中をドン、と押されたのを感じたのは同時。

「うっ!」

階段にうつぶせに倒されて、右足首を踏みつけられている。
なに……、と思って背後を見ると、衛兵の格好をした男が刀をロレシオに向かって振り下ろそうとしているところだった。

切られる!

そう思った時に大きな声が廊下に響いた。

「ロレシオさま!!」

ザシュッ、と刃が何かを切り裂く音がした。
しかしロレシオの背中に痛みはなく、その代わりあたたかい体がロレシオの背中を覆っていた。
視線を後ろに向けようとすると、そこには白く流れる髪の毛とだらりと垂れた腕に伝う赤い筋……。

「サ、サラティアナ!? え……、衛兵!!」

サラティアナの大声で既に集まっていたのか、サラティアナを切った男は直ぐに衛兵に捕えられた。
ロレシオはただただ狼狽して、サラティアナの体を揺さぶった。

「サラティアナ! しっかりして、サラティアナ!!」

ロレシオは背中から赤い血を流すサラティアナを抱き締めて、自らの上衣で背中の傷を押さえた。
しかし血は止まらない。
傷が深いのだろうか。それとも花乙女だから怪我の治り方が違うのだろうか。

「誰かお母さまを呼んで! 花乙女が怪我をしたんだ!!」

ロレシオの周囲で衛兵たちがバタバタと動く。ロレシオはただただサラティアナを抱き締めているほかなかった……。


サラティアナは空いていた部屋に運ばれた。カタリアナは直ぐに駆け付けてくれて、王城の医師・セルン夫人に城の庭に咲いている紫色の花を摘んでくるよう命じていた。

「花をどうするの? お母さま……」

あれ程会いたかったカタリアナが傍に居るのに、喜ぶ暇もない。
どういう意図からかは分からないが、ロレシオを訪ねてきたサラティアナが怪我をした。
それだけは事実だったから、サラティアナの怪我にとても責任を感じていた。

「これだけ血止めをしても出血が治らないのは、切りつけた相手が憎しみを持って刃(やいば)を使ったからなのよ……。
城の庭で栽培しているあの紫色の花は花乙女の治癒の為の花……母なる愛情の花なの。
花乙女に与えられる愛情が損なわれたときに、あの花を使って癒すのよ」

程なくしてセルン夫人が両手いっぱいに花を摘んできた。
カタリアナがその花をサラティアナの背中の傷に宛てていくと、紫色の花はサラティアナの出血を吸っては枯れていく。カタリアナはセルン夫人と共にどんどん花を入れ替えてサラティアナの治療をした。

あれほど止まらなかった出血が紫色の花を宛がうことでみるみる止まった。そして傷も、綺麗に治ってしまったのだ。
そして出血して蒼い顔だったサラティアナの頬に赤みが戻って来た。ロレシオは漸くホッとした。

ふうっとサラティアナが目を覚ます。ロレシオはベッドに乗りあげて、サラティアナの手を取った。

「サラティアナ、良かった……! 僕を庇ってくれてありがとう……」

恐ろしかった。
サラティアナが死んでしまうかと思った。
そのサラティアナが目を開けてロレシオを見た。
ロレシオは安堵でぽろりと涙を零してしまった。

その涙がサラティアナの右手首に落ち、弾けた瞬間に、蒼くて銀のグラデーショの花芯の小さな花が顔を出して花開いた。ロレシオはぱちりと瞬きをした。サラティアナもまた、ぱちりと瞬きをした。

「これは……、ロレシオさまの、花……?」

ぼうっとサラティアナが呟いた。

そうだと嬉しい。

ロレシオは今までずっと一人で寂しかった。

その独りぼっちだった心に住み着いた少女がサラティアナだった。

だから危険を顧みずロレシオを守ってくれた時、ロレシオは彼女を失うのではないかと恐れたのだ。

友愛の証の蒼い花。

それをサラティアナに咲かせられたことに、ロレシオは誇らしい気持ちになった。

「そうだよ、サラティアナ。僕は君を友達と認めるよ。これからはロレシオと呼んで欲しい」

嬉しそうにそうサラティアナに語り掛けたロレシオを、カタリアナがぎゅっと抱き締めた。

「お……、お母さま……?」

「ロレシオ……、お友達が出来て良かったわ……。お母さまは安心しました」

カタリアナもロレシオに友達が出来たことを喜んでくれているのだったらよかった。

「お母さま。僕、もっといろんな人に会いたい。会って、友達になりたい。友達になって、その子を大事にするんだ。きっといっぱい楽しいことがあるよ。だからお願い。僕も『太陽の宮』に行かせて」

ロレシオの言葉に、カタリアナは辛そうに眉を寄せた。

「ごめんなさい、ロレシオ……。それは出来ないの」

「何故? 僕が子供だから? でもサラティアナは子供だけど『太陽の宮』でお父さまとお母さまに会ったんでしょ? 何故僕はいけないの?」

ロレシオの疑問に、カタリアナは更にぎゅっとロレシオを抱き締めた。

「ごめんなさいね、ロレシオ……。そんな成りに産んだ私を許して……」

そんな成り、とはどういうことだろう。意味が分からなくて、ロレシオはカタリアナにもう一度せがんだ。

「ねえ、お願いだよ、お母さま。僕、もう寂しいのは嫌なんだ。お母さまとお父さまにもいっぱい会いたい。僕は『月の宮』でいい子にしてたでしょ? 何故駄目なの?」

目に涙を浮かべて訴えるロレシオを抱くカタリアナの、その抱き締めていた腕が外れる。置いて行かれるのは嫌だと思ってロレシオはカタリアナに抱き付いたが、大人のカタリアナが子供のロレシオを自分から離すのは訳なかった。

「マリア、ロレシオをお願い。きっと立派なイヴラに育てて……」

「はい、カタリアナさま。きっと」

「お母さま! 行かないで!!」

マリアの返事を聞いて、カタリアナは部屋を出て行ってしまった。取り残されたロレシオの目には涙が溢れていた。さっきの涙とは違う、母を求める涙が溢れていた……。