ああ、実を言うと、この店に来たのは久しぶりなんだ。
オーナーが変わっていたなんて事も今日知った。そうか、営業時間が変わったから、もう他の客もいないんだな……
※※※
そのBARの新しいオーナーは、僕の友人の従兄弟で、紹介されたのは昨年の事だった。僕は酒があまり飲める性質ではなかったから、普段は一人では来ないのだが、オーナーである彰吾(しょうご)さんに仕事を頼まれて今日は一人でやって来た。
その仕事はボランティアみたいなものだったから、金を取るような事はしていない。けれど仕事が終わった後、省吾さんに「腹ぐらい満たしていって下さい」と気を遣われ、少しのつまみとアルコール数の低いカクテルを一つもらい、ちびりちびりと飲んでいたところで一人の男の存在に気付いた。
少ない客達は閉店間際になって、ほとんどが席を立っていった。そんな中、その男は他の人間とは違う空気を漂わせて、カウンターの隅でぼんやりと酒をやっていた。
スーツ越しにも分かる引き締まった身体は長く、年頃は三十前くらいだろうか。普段は活気溢れていると思わせるような、はっきりとした切れ長の瞳が印象的だった。
男の顔立ちは精悍の一言に尽き、楽にした姿勢で酒を呑む姿も、どこか品が漂って様になっていた。姪っ子や甥っ子にも下に見られる僕からすると、兄貴風のその貫禄がすごく羨ましい。
思わず見つめていると、ふっと目が合った。
省吾さんからラストオーダーの旨を告げられたその男が、頼んだロックの酒のグラスを受け取った後、ついでとばかりに僕のいる方まで移動してきた。そして彼は、一口酒を呑んだかと思うと、前触れもなくぽつりぽつりと思案するように言葉をこぼし始めたのだ。
切り出した言葉は、実にあっさりとしたものだった。
彼は、「この世界にいた男の話をしよう」、とそう言った。
話を聞く中で僕がいくつか控えめに質問すると、男はこちらに顔を向けて、目尻に小さな皺を刻むような苦笑を浮かべた。後悔に揺れ、膨れる悲しみに困り果て、それでも自分でどうにか消化しなければと強がるような表情のように思えた。
副業で続けていた仕事柄、僕は彼の事が放っておけなくなってしまった。
「構いませんよ。続きを話してください。閉店まで、まだ時間がありますから」
省吾さんに目配せすると、彼は理解したと言わんばかりに傍観者を決め込んでグラスを磨き始めた。きっと彼は、営業終了時刻には外看板の電気を消灯するだろうが、閉店時間を少しくらい過ぎてしまっても、多めに見てくれるだろう。
僕が話の先を促すと、男は少し思案するようにグラスを持ち上げ、それから、思い出すように語り始めた。
親父は厳しい人だった。自分の意思が強い人で、お酒が好きで――俺と親父は、昔から喧嘩が絶えなかった。いつも一方的に俺が負かされて、結局、最終的に従わされるのは俺の方だった。
酔うと荒れる親父に困らされ、一方的に負かされる喧嘩の無意味さに口を閉ざすようになり、母親は俺が幼い頃に出ていった。俺と親父も同じようなもので、二人きりの暮らしの中で互いに交わす言葉はめっきり減った。
俺は高校を卒業したその日、親父に絶縁を告げて家を出た。
一人の暮らしは楽だった。家にいて苦痛じゃないという時間は、俺にとって初めてだった。親父に押し付けられていた家事の経験と知識のおかげで、独り暮らしに苦労も不便も感じなかった。
しばらくアルバイト生活を続けた後、店先の店長のすすめで、俺は就職活動を始めた。資格も持っていない普通高校卒業の身だったので、軽く数十の採用試験に落ちた。もともと正社員として働く気もあまりなかった俺は、諦めかけていた矢先に支店企業の採用が確定し、フリーターを卒業したのだ。
採用を決めてくれた課長には、感謝している。あのままフリーター生活を続けていたとしたら、俺は親父みたいな荒くれ者になっていた未来もあったかもしれない。
というのも、俺は会社で過ごす中で、自分が昔から喧嘩っ早かったようだと遅れて気付かされた。負けず嫌いで、自分の意思を曲げない頑固なとろこがある――上司や先輩にそう指摘され、精神的にも大人になれるよう自分を抑える努力をした。
俺の生活はしばらく順調だったが、俺が本社で部署リーダーに就いた頃、親父が倒れたと病院先から連絡あった。
安定した日常を邪魔するような父親の存在に、俺は過去に追いやっていた激しい憎しみと嫌悪感が蘇った。電話先の病院事務員に怒りのまま、「関係がないから勝手にやってくれ」と乱暴に告げて電話を切った。
けれど病院側も諦めなかった。彼の身内は俺しかいないのだと言い、末期癌で数日が峠かもしれない事を必死に説明してきた。最後は涙声になって、情に訴えるような説得までしてきたのだ。
幼い頃、数える程度に父親らしい顔をしていた親父の様子が浮かび、俺は結局のところ「分かった」と答えて病院に向かう事にした。会いに行かなければならないという妙な焦燥感と、会いたくないという苛立ちが胸中で渦巻き、胸の鼓動が耳元で煩かった。
久しぶりに会った親父は、弱りきって小さくなっていた。
再会してすぐ、思わず俺の口からこぼれたのは「なんでこんな事になってるんだよ」と怒りを孕んだ弱々しい声だった。
人目も憚らず「喧嘩別れした時のあんたは一体どこに行ったんだよッ」と怒鳴れば、親父の濁った瞳が、ようやく力なく俺の方に向いた。
「イツキ、か……?」
ひどく掠れた声だった。親父は、どこかぼんやりとした様子で俺を見ていた。みっともなく生えた無精髭、やつれた顔、骨が見えるほど細い手首。腹水のため腹部だけが膨れた身体――
その事実を視認した俺は、言いようのない衝撃に涙腺が緩みそうになった。勝手にくたばっちまえばいいと思っていたのに、望まない再会で俺の胸を貫いたのは、少ない親父との優しい思い出だった。
親父は、視線をゆっくりと彷徨わせて「イツキはどこだ」と、誰に問うたかも分からない呟きをもらした。看護師が「ここにいますよ」と説明しても、その言葉すら理解していないようだった。
俺の来院を知らされた担当医がやってきて、アンモニア数値が上がった事で痴呆のようになっているのだと、簡単にそう説明してくれた。親父は酒の飲み過ぎで肝臓がやられたらしい。健康診断なんて受けるような男じゃなかったから、今の今まで癌に気付けなかったのだ。
もともと、親父は太らない男だった。胃腸の調子が悪くなれば、自分で食事を整えるくらいに料理の腕も持っていた。昔のように薬局で胃腸の薬や栄養剤でも買って、酒の楽しみだけは死守していたのかもしれない。
「馬鹿だ。……あんたは、大馬鹿者だ」
俺が睨みつけても、親父は遠くをみるような眼差しを返すだけだった。
医者は帰宅を促し、俺に親父を引き取らせた。もう手の施しようがない。今の段階で手術の方法はないのだと告げた。薬を出すので、きちんと時間を計って飲ませてください、発作が起きた場合はすぐ病院まで向かわせて……
長々と医者は説明し、最後に「彼は長くはないだろう」と言葉をしめて、申し訳なさそうに俺達を見送った。
車に乗せられたようやく、親父は俺の顔を認めて「イツキか」と薄ら思い出したようにぼやいた。俺は、外に出たままだった親父の足を後部座席に収めながら、苛立ってこう言い返した。
「ああ、俺がイツキだよ。あんたの息子で、あんたが馬鹿にしてた不出来なガキだ」
親父は小さくなるように視線を落とし、足元の暗がりに顔を向けて「すまんなぁ」と弱々しい言葉をもらした。
やめてくれよ。
なんで今更、そんなこと言うんだよ。
俺は、無言で運転席に乗り込んだ。親父は、時間間隔も記憶もおぼろげな癖に、らしくもない表情と態度で「苦労をかけてすまない」ともう一度謝った。
俺は言葉もまなく車を走らせ、道沿いにあったドラッグストアで医者に教えてもらった大人用のオムツと、アルコール消毒剤、それから手袋を購入した。それから一時間もかからずに、親父の暮らす一軒家に到着した。
数年振りの実家は、記憶に残されている以上に古びていた。室内には物がひしめきあい、隣接している彼の自営の店の、機械修理工場の道具や商品も積み上げられていた。廊下や台所にはビール缶も転がっていて、とにかく室内は小汚かった。
今の親父は、自分の意思で排泄も出来なくなっていたが、尿意の感覚はあるらしい。帰宅早々に「トイレ」と呟き、慣れないようにオムツを自分で取り出したのを見て、俺は無言で肩を貸し、彼をトイレまで連れて行った。
親父は、今にも吐きそうな咳をしながら、長い間トイレにこもっていた。俺は苛々しながら、散らかった部屋のゴミを大雑把に片付けた。
冷蔵庫の中には食材がある程度は揃っていたが、食卓にはハサミやお茶パック、煙草の箱などが散乱していた。お粥のパックが大量に積まれていて、しばらく親父がお粥生活を送っていた事が分かった。