夢見る気持ち

周囲の人達が、私達を不思議そうな目で見た。私と小林さんは慌てて、ルノワールの絵から離れると、他の人の邪魔にならないように、順路の合間に設置されていた椅子に陣取ると、小声で話した。
小林あかりさん。私と同じ油絵学科の彼女は、勉強のために今日はこの展覧会を観に来たのだと言った。
「風景画も気になったけど、私実はずいぶんゴッホ好きなの」
彼女がそう言うと、嬉しくなって私もそうなんだと答えていた。いつもなら彼女を遠い存在に感じるところなのに、自分と同じゴッホ好きと知って、近しい共通点を見つけた気がした。それはそうだ。彼女がとても偉大な画力を持っていたとしても、過去の素晴らしい功績の画家に尊敬の念を抱くのは、私と変わらないはずだ。だったら今日は引け目を感じず、単なる知り合いでいいのではないかと思った。
「この展示会の順路は、印象派の作品で終わりだね。次がゴッホのひまわりが展示されてる場所だから、よかったら残りの絵画一緒に鑑賞しない?」
小林さんにそう訊かれて、私はこくりとうなずいた。
「うん、そうしよう」
それで私達は残りの展示物を、二人で観て歩いた。私はルノワールの絵も好きだと思ったけれど、ピサロの「ルーヴル美術館」という題の絵も素敵だと思った。柔らかな風味の色合いのタッチで仕上げられたその絵は、ルノワールに比べると、型破りには見えず、端正に描かれていた。私の描く風景画もどちらかというと、そっちよりだった。どう見ても型破りではないのだ。きちんと描こう、描こうとしているそういう感じだ。でも私が求めているものは、そういうのではなく、誰が見てもすごいと思われる何かだ。それは構図なのか、技法なのか、色彩なのかわからない。
いよいよゴッホのひまわりの展示室に入った。私達二人は、どちらも無言でひまわりの絵の前で立ち止まった。ひまわりの絵は結構大きなキャンバスで描かれている。私が横に両手を広げて伸ばして届くぐらいの横幅はある。
ゴッホのひまわりは七点描かれたと言われている。ゴッホの最初の構想では、十二点のひまわりを描く予定だったと言う。でも結局描かれたのは七点だけだった。こんな大きなひまわりの絵を七点も短期間のうちに描くなんて、その体力と集中力はすごいものだったのだろうと思う。しかしやっぱりその黄色の色合いに迫力を感じる。力強く厚く塗られた黄色の絵の具。ゴーギャンはその厚くこってり塗った描き方に反論したようだけれども、誰になんと言われようと貫き通した意志の強さと、しっかりと塗りこめられたひまわりの絵の具が調和し、それらが全てを物語っているような気がした。彼は狂気の人だったと言われることもあるけれど、絵からはそんな感じは受けない。狂気だったら、こんな計算尽くされたたくさんの黄色を出すことはできなかっただろう。ただひだすら真摯だったのだ。絵にひたすら真摯だったのだ。私はそんなことを考えながら、じっとひまわりを見つめていた。
小林さんはどんなことを思いながら、鑑賞しているのか、それはちっともわからなかったけれど、私と同じぐらいじっとひまわりを見つめていた。それから彼女は小さなため息をついた。視線はずっとひまわりに注がれながら、彼女はささやくような声で私にこう語った。