コローの絵と解説文を読みながら観ていくと、コローは、風景画の中に村人を描き込んでいるが、それは実際そこに村人がいたわけではなく、何かの象徴として存在していなかった村人を溶け込ませたと書かれていた。私はそれを読んで、美香さんのことをふと思い出した。大学の前で彼女が描いた桜並木と想像上の美香さんの姿が描かれたあのスケッチが浮かんでくる。彼女もコローのように絵を現実と想像を再構成していたのだと思うと、彼女の才能を改めて感じずにはいられなかった。
一方、コローが風景画重視だったことに対してゴッホは人物画を主眼に置いていた。たぶんそれは、モデルとなる人々の生活、苦悩、人生を彼は描きたかったのだろうと思う。本当はそういう描き方がいいのかもしれないと思うけれど、私はなんだかそういうのが怖かった。人の悩みを汲み取るということは、私自身の悩みも取り上げなくてはいけない。自分の悩みにも向かいあえない者が、他人の人生の苦悩を果たして描けるだろうか。いや、そんなはずはない。描けるはずがない。そう考えると風景画を描く方が自分は気が楽だった。そもそも気が楽で風景画の方がいいとか言っているような自分が、画家を目指すのもどうなんだろうと思ってしまう自分がいた。
私は一枚一枚名画をのぞきこみながら、ゆっくり歩いた。この色合いはどうなんだろう。自分だったらどう表現する? これはいったいどの色合いの絵の具と絵の具を混ぜ合わせたのだろう? 筆のタッチの仕方はどんなだろう? この風景画は何を主眼に置きたかったのかとか、ともかく熱心に観て回った。
コローの作品の中で「突風」という題の絵があったけれども、勢いよく風になびく木々のうねるような姿に荒々しい強烈な風の強さを感じた。すぐその場で風を感じさせるような木の描き方を観て、それこそ食い入るように見つめ、今の自分の絵に足りないものを見つけようとした。どうしたらすばらしいと絶賛される絵が描けるのか、そのヒントを見つけようと私は、目を皿のようにして眺めた。
周りには、私のように一人食い入るように見つめる鑑賞者もいれば、友達同士で、小声でしゃべりながら、批評している人達もいた。あとは恋人同士だけれども、どちらも美大出身らしく、専門的な言葉を並べ立て、ああでもないこうでもないと言いながらも、楽しげに鑑賞していく姿があった。
一方、コローが風景画重視だったことに対してゴッホは人物画を主眼に置いていた。たぶんそれは、モデルとなる人々の生活、苦悩、人生を彼は描きたかったのだろうと思う。本当はそういう描き方がいいのかもしれないと思うけれど、私はなんだかそういうのが怖かった。人の悩みを汲み取るということは、私自身の悩みも取り上げなくてはいけない。自分の悩みにも向かいあえない者が、他人の人生の苦悩を果たして描けるだろうか。いや、そんなはずはない。描けるはずがない。そう考えると風景画を描く方が自分は気が楽だった。そもそも気が楽で風景画の方がいいとか言っているような自分が、画家を目指すのもどうなんだろうと思ってしまう自分がいた。
私は一枚一枚名画をのぞきこみながら、ゆっくり歩いた。この色合いはどうなんだろう。自分だったらどう表現する? これはいったいどの色合いの絵の具と絵の具を混ぜ合わせたのだろう? 筆のタッチの仕方はどんなだろう? この風景画は何を主眼に置きたかったのかとか、ともかく熱心に観て回った。
コローの作品の中で「突風」という題の絵があったけれども、勢いよく風になびく木々のうねるような姿に荒々しい強烈な風の強さを感じた。すぐその場で風を感じさせるような木の描き方を観て、それこそ食い入るように見つめ、今の自分の絵に足りないものを見つけようとした。どうしたらすばらしいと絶賛される絵が描けるのか、そのヒントを見つけようと私は、目を皿のようにして眺めた。
周りには、私のように一人食い入るように見つめる鑑賞者もいれば、友達同士で、小声でしゃべりながら、批評している人達もいた。あとは恋人同士だけれども、どちらも美大出身らしく、専門的な言葉を並べ立て、ああでもないこうでもないと言いながらも、楽しげに鑑賞していく姿があった。


