夢見る気持ち

それが成美にとっての夢なのだろう。夢は人それぞれだ。私の夢は画家になりたい、ただそれだけなのに、なぜこうも空回りなのだろうか。夢と現実を比べた時、なぜこうも現実は厳しいのだろうかと考え込んでしまう自分がいた。
駅を何駅か通り新宿駅にたどり着いた。電車の扉が開くのと同時に降りる人が席を立ち、まばらに散って行く。私もその人々の隙間を縫いながら、降り口の階段を降りていく。改札口を出ると、たくさんの人達が買い物をしにデパートや家電屋に向かって歩いて行く。私は私でバスロータリーを通りながら、高層ビルの合間を歩き、目指すべき美術館に向かった。
美術館に着くと、常設展示とは別に他の展示会もやっていた。ちょうどコローから印象派へといった流れの風景画の展覧会だった。私はせっかくなのでそちらの展示も観れる券を買い求め、絵画を観賞に来た人達の列に並んだ。私みたいに一人で観に来た人もいれば、友人同士だったり、恋人同士だったりといろいろだ。
ゴッホは印象派から多大の影響を受けている。印象派に出会う前のゴッホの描く作品は非常に暗い色彩で染まっている。ゴッホは画家になる前は、画商をしたり、牧師を目指したりして、紆余曲折の末に画家になっていた。それぞれの仕事での挫折、ゴッホ自身の性格による人間つき合いとか、きっとそれまでのいろんな物が暗い色調を呼び起こしているのかもしれない。私はその頃の作品は、あまり好きではないけれど、彼が生きた人生がそこに現れているような気がして、観ていると気持ち的に痛かった。誰にも相手にされず、思い通りに進まない進路に苛立ち、絶望的になる気持ちは、なんとなく共感を覚えた。今回の風景画の展示会には、ゴッホの作品は含まれていないけど、彼はどんな気持ちで、色鮮やかな色調の他の人達の作品を観たのだろうかと、観て回った。
順路の最初の展示はコローだった。コローは風景画の先駆者で、戸外に見える風景を写生し、それをアトリエで描きあげた人物だ。その後の印象派は、アトリエではなく、実際の戸外で描きあげるというものだけど、コローが風景画を重視して描いたことによって印象派が自然の中で描くことになっていく。