夢見る気持ち

それから、二、三日後、まだ大学はゴールデンウィーク中で、休みだった。それなので私は一人でゴッホのひまわりを観に行くことにした。ゴッホの絵は好きだった。特にひまわりのあの独特な色使いが私の心をつかんで離さなかった。美大を志望した時、専攻を油絵学科にしたのもゴッホが油絵を描いていたからに他ならなかった。絵を描くのを好きだったけれど、ああいった色使いを出していくことも楽しいのではないかと思って、油絵学科を専攻した。それもあったけれど、今ではこんなに有名なゴッホの絵も、彼が生きていた時はちゃんと売れたのはたったの一枚だけだったという点も気になった。他人に認められなくても、妥協せずに描いてく彼の精神力、確かに最後は精神を病んでしまったとはいえ、その姿勢は生きること、描くことを全うした人生だったように感じていた。そういった彼の生活風景や考えに触れるうちに、自分はどうなんだろうと最近よく考えるようになった。
何度も観に行くけど、ひまわりのあの黄色が様々な色合いの黄色を使い、ほとばしっていくひまわりの様子は観る度に変わっていった。数日前、理恵や成美に会ったけれど、こういった悩みは彼女達に話したところで解決はしないだろうと思っていた。それはみんな同じことだとは思う。いくら親友だと思っていても、自分の心の芯の部分までは理解できないだろう。それは逆の立場でも同じことだ。たとえば、理恵や成美の悩みがあったとしても、本当の芯の部分を理解してあげることなどできるはずはないのだ。そう考えると、いくら友人がいたとしても、人は孤独な気がした。その点ゴッホは人寂しい性格ではあったようだけれども、それほど友人に恵まれた人ではない。まさに孤独の中で生きた人だ。そうであっても、自分の信念を曲げずに描き続ける強い姿勢に私は憧れのようなものを抱いていた。私にはないもの。それを見つけに私は今日もまたゴッホのひまわりを観に行くことにした。
美術館までは、約一時間ぐらいあれば行けるので、それほど遠くはない。電車に乗ると、ゴールデンウィーク中のせいか、普段の時より空いている。運よく座席に座れると、私はゴッホの美術書を開きながら、彼の人生を考え、これからの自分の人生も考えていた。私の目の前には父と母と女の子の三人連れがこれから見に行くアニメ映画のことで、盛り上がっていた。女の子はお気に入りのキャラの名を熱心に連呼し、その子の親は笑顔ではあったけれども、声を静かにとたしなめていた。微笑ましい状況で、子煩悩の人にとってはたまらない情景かもしれない。そこには心地よい笑顔があって、私もいずれこういった家庭を作りたいと思うようになるのだろうかと、ちょっと疑問に思った。その点成美は、私と違って早く結婚して家庭に入りたいと思っているタイプで、暇さえあればそんなことばかり口走っていた。
「だったら、なんで大学に行ったの? 大学行かずにお見合いでもしてすぐ結婚すればいいじゃん」
と私が以前訊いたことがあったけれど、それに対して成美は
「だって大卒の人の方が給料もいいじゃない。私が高卒だと大卒の人と出会う機会になんてそんなにないでしょ。それにやっぱり大学行って学園生活もエンジョイしてみたかったからね」
と、ふふっと笑って答えていた。
「でも私、子供は好きなのよね。二人と言わず、三人ぐらいは子供が欲しいの」
そうしてまだ見ぬ未来について、ああでもないこうでもないと彼女はしゃべり続けていた。