大学の門を出て行くと長い桜並木がある。そこは春になると薄紅色の桜が咲きほこり、新入生を毎年のように出迎えている。私もかつてはその新入生の一人として入ってきたのだ。あの時私は大学の門の前にある、恥じらうようなうっすらとした紅色の花々を見て、とっさにスケッチをしたくなった。
自分の喜びの気持ちとこれから始まる期待を一心に背負った象徴。それが満開の桜だった。この喜びを表現したい。そう思った私だったけれども、入学式もあったので、その願いを仕舞い込んで式へと向かった。
今年もその桜が散り、代わりに新しく生えてきたまだ未熟な薄い緑色の葉が、ゆらゆらと揺れている。今の私は満開の桜でもなく、若い緑の葉でもない。あの頃いろいろ描こうと思っていた気持ちはどこにいってしまったのだろうか。
ウーッ、ワンワン
突如私の思考が打ち破られた。見ると目の前には
「アリス?!」
私がとっさにそう叫ぶと、向こうから駆けてきた男の子が言った。
「違うよ、これはうちの犬のコロだよ」
男の子は私の周りを嬉しそうに走り回っているビーグル犬を懸命に捕まえると、首輪にリードをつけた。
「おねえちゃん、犬飼っているの?」
「え? なんで?」
「だって今、うちの犬見て、アリスって言ったもん」
野球帽をかぶっている男の子は、小学五年生ぐらいに見えた。
「うん、昔飼っていた犬がアリスって言うの。君の飼っているビーグル犬にすごいそっくりだったから、つい名前がでちゃったの」
「ふーん。で、その犬今はどうしているの」
「おねえちゃんが君ぐらいの年齢の時に亡くなっちゃったの」
「ふ、ふーん。そうなのか……」
男の子はまずいことを訊いたと思ったのか、目をきょろきょろさせながら、帽子を目深に被った。よく見ると男の子はひざ小僧から血を流していた。
「怪我してるじゃない。これいったいどうしたの」
私は慌ててティッシュを取り出し、血を拭き取ってやった。ひざ小僧の上がこすれたようにすり傷がついている。
「さっき、コロを追いかけているうちに、公園の前の階段で、転んですりむいちゃったんだ」
血はすでに止まっているようだったけど、砂がひざの傷に入り込んでいるようにも見えた。
「一応消毒した方がいいわね。おねえちゃんの家すぐだから、消毒してあげる」
「えっ、いいよ」
男の子は困ったように私の顔を見上げた。その顔には親から怪しい人には近づかないようにと教え込まれている表情が窺えた。
自分の喜びの気持ちとこれから始まる期待を一心に背負った象徴。それが満開の桜だった。この喜びを表現したい。そう思った私だったけれども、入学式もあったので、その願いを仕舞い込んで式へと向かった。
今年もその桜が散り、代わりに新しく生えてきたまだ未熟な薄い緑色の葉が、ゆらゆらと揺れている。今の私は満開の桜でもなく、若い緑の葉でもない。あの頃いろいろ描こうと思っていた気持ちはどこにいってしまったのだろうか。
ウーッ、ワンワン
突如私の思考が打ち破られた。見ると目の前には
「アリス?!」
私がとっさにそう叫ぶと、向こうから駆けてきた男の子が言った。
「違うよ、これはうちの犬のコロだよ」
男の子は私の周りを嬉しそうに走り回っているビーグル犬を懸命に捕まえると、首輪にリードをつけた。
「おねえちゃん、犬飼っているの?」
「え? なんで?」
「だって今、うちの犬見て、アリスって言ったもん」
野球帽をかぶっている男の子は、小学五年生ぐらいに見えた。
「うん、昔飼っていた犬がアリスって言うの。君の飼っているビーグル犬にすごいそっくりだったから、つい名前がでちゃったの」
「ふーん。で、その犬今はどうしているの」
「おねえちゃんが君ぐらいの年齢の時に亡くなっちゃったの」
「ふ、ふーん。そうなのか……」
男の子はまずいことを訊いたと思ったのか、目をきょろきょろさせながら、帽子を目深に被った。よく見ると男の子はひざ小僧から血を流していた。
「怪我してるじゃない。これいったいどうしたの」
私は慌ててティッシュを取り出し、血を拭き取ってやった。ひざ小僧の上がこすれたようにすり傷がついている。
「さっき、コロを追いかけているうちに、公園の前の階段で、転んですりむいちゃったんだ」
血はすでに止まっているようだったけど、砂がひざの傷に入り込んでいるようにも見えた。
「一応消毒した方がいいわね。おねえちゃんの家すぐだから、消毒してあげる」
「えっ、いいよ」
男の子は困ったように私の顔を見上げた。その顔には親から怪しい人には近づかないようにと教え込まれている表情が窺えた。