夢見る気持ち

「あの、一之瀬さんはアリスちゃんの描いた絵はお持ちじゃないんですか」
「スケッチならありますよ。でもアリスが亡くなったのは私が小学六年生の時だったので、ものすごく下手ですよ」
いきなりそんなことを言われたので、なぜそんなことを訊くのだろうと思った。
「私、動物画に興味があるんです。ちょうど家にコロもいるし、コロのことを描いてあげようかと思ってるんです。よかったら見せてもらえませんか」
美香さんは先程とは違った様子で、にこにこしながら言ってきた。
「でもほんとに子供のらくがきですよ。そんなんでいいんですか」
今だってうまくもないが、小学校の自分の絵など、本当にらくがき以外のなにものでもないのだ。そんな絵を見せてしまっていいものかどうか、正直困った。それでも美香さんは熱心に言ってきた。
「いいんです。ほんとに参考にしたいだけなんで」
「僕も見たいなあ!」
横から健太君も言い出し、私もそれならと二人を二階の自分の部屋へと連れて行った。
昔のスケッチブックは私の部屋の押入れの中に大量に仕舞ってあったので、二人にも探すのを手伝ってもらった。実際のところ、私の他の絵も出てくるので、二人に見られてしまうのは気恥ずかしかった。上手でもない静物画や人物画がたくさん出てくる。絵心のない健太君は、ひたすら、うまいね! うまいね! を連呼していたが、美香さんは何も言わずスケッチブックを開いては調べていた。
そのうち私は古ぼけた一冊のスケッチブックを手に取った。それは青い色の表紙のF3のスケッチブックだった。それを開いてみると中からアリスが丸まって寝入っている姿が出てきた。
たどたどしい鉛筆の線で描かれたアリスが、ビーグル犬特有のつるりとした触感の毛の様子が、小学生なりの描き方で描かれてあった。スケッチブックの枠の中からはみ出るぐらい大きく描かれたその絵は確かにうまくはなかったけれども、アリスが寝息を立てて、身体がわずかに動くその様子を、瞬時にとらえていた。美香さんはその絵を一目見ると、目を輝かしてこう言った。
「本当に会ったことのないアリスちゃんが、今ここで寝ているみたいですね!」
ただのらくがきのような絵なのに、美香さんはどうやら本当に感心しているようだった。彼女は夢中になって次から次へとそのスケッチブックをめくっていった。散歩をしている時のアリス、家の中でひなたぼっこをしているアリス、行儀よくお座りしているアリス、美味しそうにごはんを食べているアリス。いろんな姿のアリスが、描かれていたけれど私はすっかりそんな絵を描いていたことを忘れ去っていた。そして一緒に生活したアリスとの思い出がたくさん、たくさん溢れ出し、一瞬目頭が熱くなった。
「このスケッチブックすごいですね。なんというか一之瀬さんのアリスちゃんに寄せる想いがいっぱいつまっているような気がします。それにとても絵に動きがありますね。まるで、まるで生きているような気がします」
美香さんがそう絶賛し、自分がかつて命を描こうと思っていたことを再び思い返した。あの温かみのある体温を肌に感じながら、それを描き写したいと思っていたあの頃、それとは別に妹のようにかわいがったアリスのことが大好きだったことを思い出した。美香さんはスケッチブックを何度も見返していたが、彼女の心をこんなにもつかんでいるものは、私がアリスに寄せた愛情なのだと感じた。そして今の私の絵に足りないものは愛情なのかもしれないと思った。