今日は僕にとって特別な日だ。僕が生まれた日。つまり、僕の誕生日。
と言っても、誕生日を祝ってもらった記憶がない。いや、覚えていないと言った方が正しいのかもしれない。遠い昔……と言ってもまだ十数年程前に、もしかしたら両親に祝ってもらったことがあるのかもしれない。
僕の両親は僕が物心つく前に事故で亡くなってしまった。
一人っ子で兄弟もおらず、親戚中をたらい回しにされていた僕は所謂厄介者であった。
誕生日を祝ってもらいたいという気持ちがなかったと言えば嘘になる。誕生日ケーキや誕生日プレゼントというものに憧れていた。けれど、当時の僕にそんな我儘を言うことはできなかった。住める場所と食事がもらえるだけありがたいことなのだと、幼心に何度も何度も自分に言い聞かせた。
友達と呼べる存在もおらず、誕生会というものにも呼ばれたことはない。勿論、呼ぶ側なんて論外だ。
あれから数年経った今も、こんな僕の誕生日を祝ってくれる人なんているはずもなく――
「お誕生日おめでとう!」
……そう、目の前にいる一人の少女を除いては。
言葉とともに、ぱん、と乾いた音が辺りに響いた。中から飛び出してきた色取り取りの紙吹雪がひらひらと足元に落ちる。
それを目で追った後に顔を上げれば、彼女は嬉しそうに笑っていた。
「さてさてさーて、それではお楽しみのケーキと参りましょうか!」
「自分が食べたいだけだろ?」
「その通り!」
「おい、少しは包み隠せよ」
さも当然と言ったようにのたまった彼女に思わず突っ込んだ。
けれども、当の本人は特に気にすることなく、用済みとなったクラッカーをしまって傍に置いてあった箱を取り出した。
箱の中からは、小さな小さなホールケーキが出てきた。銀色の器に盛られたそれは、生クリームでコーティングされた生地の真ん中に艶やかな苺がちょこんと一つ乗っており、その周りは生クリームで綺麗に飾りつけられている。小さいながらも立派なケーキだった。
しげしげと見つめていると、「持ってくるのに苦労したんだからね!」と彼女が胸を張って言った。
確かに、器は高杯の形をしており、持ち運ぶには不安定だっただろう。それなら別の容器にしろよと思わなくもないが、突っ込む権利なんて僕にはないことはよーくわかっている。
でも、それでも――
「仏飯器の上にケーキはないだろ……」
僕は頭を抱えて突っ込んだ。
いやだって、ケーキが乗っているのはケーキスタンドなんて可愛らしいものではなく、仏飯器の上なのだ。本来ならば仏様のご飯を盛るはずの器に、当たり前のようにケーキが乗っている。
「これってどう考えてもアウトだろ」
「一応炊飯器使って生地作ったんだよ」
「いや、問題はそこじゃないと思うんだけど。せめて、プリン乗せる器で代用するとかさ……って、これ手作りなの!?」
「ん?そりゃあ、こんな小さなケーキなんて普通売ってないでしょ。炊飯器で生地作って、型でくり抜いて、生クリームでコーティングして、苺を乗っけて、更に生クリームでデコレーションすればあら簡単!ミニケーキの出来上がりだよ!」
「へ、へぇ……」
なんてことない風に彼女は言ったが何が簡単なのかさっぱりわからない。仏飯器におさまるサイズのケーキを作ってしまうなんて器用すぎやしないか?
――ほんと、彼女はいったい何者なのだろう。
と、考えて一人小さく笑う。そんなこと考えるなんて今更すぎる。
僕が考えている間に、彼女はぶすりと豪快にケーキにロウソクを突き刺した。
懐からライターを取り出して火を灯す。そして、にこりと僕を見遣った。……嫌な予感しかしない。
「はっぴばーすでーとぅーゆー」
「え、何歌い始めてんの?」
「はっぴばーすでーとぅーゆー」
「歌わなくてもいいよ。恥ずかしいから」
「はっぴばーすでーとぅーゆー」
「え、無視?無視ですか?」
声を掛けているというのに彼女は歌うことをやめようとしない。しかも、何を思ってかずっと「はっぴばーすでーとぅーゆー」を繰り返している。このままだとエンドレスリピートしそうなので、仕方がなしに口を閉ざせば、漸く歌は先へと進んだ。
最後まで無事歌い終えた彼女に「おめでとう!」という言葉とともに拍手を送られる。
何となく照れくささを感じつつも「ありがとう」と言葉を返す。
けれど、目の前の彼女の笑みは増すばかりで……あ、嫌な予感、再び。
「さあさあ、遠慮せずひと思いに火を消したまえ」
「……いやいや、無理だって」
「そんな恥ずかしがらなくても。ふっ、てやるだけだからさ」
「いや、それもあるけど、そうじゃなくてさ……」
「ほらほら私もやってあげるから」
「いやだから無理だって」
「はいはいいくよーせーのっ!」
「え、ちょ、」
慌てながらも彼女に倣って半ばやけくそでロウソクの火にふっと息を吹きかけた……いや、吹きかけようとした。けれども、その前に火は消えた。消したのは言わずもがな、目の前の彼女である。
「あの、まだ僕やってなかったんだけど……」
「あらあらフライングしちゃった。では、もう一回……」
「いやいいです」
「何言ってるの?君に拒否権なんてないよ。もう二つあるんだから」
ニシシ、と悪戯っぽく笑う彼女はきっと……いや、絶対に確信犯だろう。
有無も言わさず二つ目のケーキを箱から取り出して、ぐさりとロウソクを突き立てる。
……ケーキと箱の大きさが釣り合わないと思ってはいたけどまさかそういうことだったとは!
「さあさあさあ!」
ロウソクの火を灯し、きらきらと輝かんばかりの笑顔で再度促してきた彼女に僕がかなうはずもなかった。
*
「……ねえ、それ食べていい?」
それから暫くして、残ったままのケーキを見ながら彼女が訊いてきた。断る理由もないので「どうぞ」と言えば、遠慮することなく「わーい」と喜びながら、何処からともなく取り出したフォークでケーキを食べ始めた。
幸せそうに頬張る彼女の姿が微笑ましい。
ケーキが小さかったせいか、それとも彼女が食いしん坊なせいか。三つの器に盛られたケーキはあっという間になくなった。
もうちょっとだけ彼女の食べる姿を眺めていたかったのだが……うーん、残念。
「いやー、美味だったわー。流石は私」
「自分で言うか?」
「いいじゃない。でもまあ、君にも食べて欲しかったかな」
「……食べれなくてごめんね」
「まあ、それはしょうがないよ。そんなことより、はい、誕生日プレゼント」
彼女が僕の足元に置いたのは花束だった。真っ白な花を基調に、淡い青や紫の花々であしらわれている。それらは陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。
「男の人に花束ってどうかと思ったんだけどね……まあ、兼用ということで」
どの花にしようか頑張って考えたんだよー。
のんびりと話す彼女に対して、僕は黙り込む。贈られた花束をただただ見つめていた。
手作りの誕生日ケーキに、一生懸命に選んでくれたという花束のプレゼント。
食べることもできないし、触れることもできないのは少し悲しいけど、それでも僕はそれ以上に嬉しくて、とても幸せだった。
ずっと誰かに誕生日を祝ってもらいたかった。それは幼い頃からの小さな願いだった。
それが、まさか死んだ後になって叶うなんて思ってもみなかった。
「……ありがとう。凄く、凄く嬉しいよ」
触れることは出来ないから、ありったけの想いを込めて、真っ直ぐと彼女を見つめて僕は告げた。
「どういたしまして」
返された言葉はとても優しい声音で、まるで蕾が綻ぶように彼女は微笑んだ。
今日は僕にとって特別な日だ。
僕が生まれた日。つまり、僕の誕生日。
でも、それだけじゃない。
今日は僕が死んだ日。つまり、幽霊となった僕の誕生日。
そして、遡ること一年前。今日という二つの誕生日に僕は一人の少女と出会ったのだ。
幽霊が視えるという不思議な才能を持った目の前の少女と――。
と言っても、誕生日を祝ってもらった記憶がない。いや、覚えていないと言った方が正しいのかもしれない。遠い昔……と言ってもまだ十数年程前に、もしかしたら両親に祝ってもらったことがあるのかもしれない。
僕の両親は僕が物心つく前に事故で亡くなってしまった。
一人っ子で兄弟もおらず、親戚中をたらい回しにされていた僕は所謂厄介者であった。
誕生日を祝ってもらいたいという気持ちがなかったと言えば嘘になる。誕生日ケーキや誕生日プレゼントというものに憧れていた。けれど、当時の僕にそんな我儘を言うことはできなかった。住める場所と食事がもらえるだけありがたいことなのだと、幼心に何度も何度も自分に言い聞かせた。
友達と呼べる存在もおらず、誕生会というものにも呼ばれたことはない。勿論、呼ぶ側なんて論外だ。
あれから数年経った今も、こんな僕の誕生日を祝ってくれる人なんているはずもなく――
「お誕生日おめでとう!」
……そう、目の前にいる一人の少女を除いては。
言葉とともに、ぱん、と乾いた音が辺りに響いた。中から飛び出してきた色取り取りの紙吹雪がひらひらと足元に落ちる。
それを目で追った後に顔を上げれば、彼女は嬉しそうに笑っていた。
「さてさてさーて、それではお楽しみのケーキと参りましょうか!」
「自分が食べたいだけだろ?」
「その通り!」
「おい、少しは包み隠せよ」
さも当然と言ったようにのたまった彼女に思わず突っ込んだ。
けれども、当の本人は特に気にすることなく、用済みとなったクラッカーをしまって傍に置いてあった箱を取り出した。
箱の中からは、小さな小さなホールケーキが出てきた。銀色の器に盛られたそれは、生クリームでコーティングされた生地の真ん中に艶やかな苺がちょこんと一つ乗っており、その周りは生クリームで綺麗に飾りつけられている。小さいながらも立派なケーキだった。
しげしげと見つめていると、「持ってくるのに苦労したんだからね!」と彼女が胸を張って言った。
確かに、器は高杯の形をしており、持ち運ぶには不安定だっただろう。それなら別の容器にしろよと思わなくもないが、突っ込む権利なんて僕にはないことはよーくわかっている。
でも、それでも――
「仏飯器の上にケーキはないだろ……」
僕は頭を抱えて突っ込んだ。
いやだって、ケーキが乗っているのはケーキスタンドなんて可愛らしいものではなく、仏飯器の上なのだ。本来ならば仏様のご飯を盛るはずの器に、当たり前のようにケーキが乗っている。
「これってどう考えてもアウトだろ」
「一応炊飯器使って生地作ったんだよ」
「いや、問題はそこじゃないと思うんだけど。せめて、プリン乗せる器で代用するとかさ……って、これ手作りなの!?」
「ん?そりゃあ、こんな小さなケーキなんて普通売ってないでしょ。炊飯器で生地作って、型でくり抜いて、生クリームでコーティングして、苺を乗っけて、更に生クリームでデコレーションすればあら簡単!ミニケーキの出来上がりだよ!」
「へ、へぇ……」
なんてことない風に彼女は言ったが何が簡単なのかさっぱりわからない。仏飯器におさまるサイズのケーキを作ってしまうなんて器用すぎやしないか?
――ほんと、彼女はいったい何者なのだろう。
と、考えて一人小さく笑う。そんなこと考えるなんて今更すぎる。
僕が考えている間に、彼女はぶすりと豪快にケーキにロウソクを突き刺した。
懐からライターを取り出して火を灯す。そして、にこりと僕を見遣った。……嫌な予感しかしない。
「はっぴばーすでーとぅーゆー」
「え、何歌い始めてんの?」
「はっぴばーすでーとぅーゆー」
「歌わなくてもいいよ。恥ずかしいから」
「はっぴばーすでーとぅーゆー」
「え、無視?無視ですか?」
声を掛けているというのに彼女は歌うことをやめようとしない。しかも、何を思ってかずっと「はっぴばーすでーとぅーゆー」を繰り返している。このままだとエンドレスリピートしそうなので、仕方がなしに口を閉ざせば、漸く歌は先へと進んだ。
最後まで無事歌い終えた彼女に「おめでとう!」という言葉とともに拍手を送られる。
何となく照れくささを感じつつも「ありがとう」と言葉を返す。
けれど、目の前の彼女の笑みは増すばかりで……あ、嫌な予感、再び。
「さあさあ、遠慮せずひと思いに火を消したまえ」
「……いやいや、無理だって」
「そんな恥ずかしがらなくても。ふっ、てやるだけだからさ」
「いや、それもあるけど、そうじゃなくてさ……」
「ほらほら私もやってあげるから」
「いやだから無理だって」
「はいはいいくよーせーのっ!」
「え、ちょ、」
慌てながらも彼女に倣って半ばやけくそでロウソクの火にふっと息を吹きかけた……いや、吹きかけようとした。けれども、その前に火は消えた。消したのは言わずもがな、目の前の彼女である。
「あの、まだ僕やってなかったんだけど……」
「あらあらフライングしちゃった。では、もう一回……」
「いやいいです」
「何言ってるの?君に拒否権なんてないよ。もう二つあるんだから」
ニシシ、と悪戯っぽく笑う彼女はきっと……いや、絶対に確信犯だろう。
有無も言わさず二つ目のケーキを箱から取り出して、ぐさりとロウソクを突き立てる。
……ケーキと箱の大きさが釣り合わないと思ってはいたけどまさかそういうことだったとは!
「さあさあさあ!」
ロウソクの火を灯し、きらきらと輝かんばかりの笑顔で再度促してきた彼女に僕がかなうはずもなかった。
*
「……ねえ、それ食べていい?」
それから暫くして、残ったままのケーキを見ながら彼女が訊いてきた。断る理由もないので「どうぞ」と言えば、遠慮することなく「わーい」と喜びながら、何処からともなく取り出したフォークでケーキを食べ始めた。
幸せそうに頬張る彼女の姿が微笑ましい。
ケーキが小さかったせいか、それとも彼女が食いしん坊なせいか。三つの器に盛られたケーキはあっという間になくなった。
もうちょっとだけ彼女の食べる姿を眺めていたかったのだが……うーん、残念。
「いやー、美味だったわー。流石は私」
「自分で言うか?」
「いいじゃない。でもまあ、君にも食べて欲しかったかな」
「……食べれなくてごめんね」
「まあ、それはしょうがないよ。そんなことより、はい、誕生日プレゼント」
彼女が僕の足元に置いたのは花束だった。真っ白な花を基調に、淡い青や紫の花々であしらわれている。それらは陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。
「男の人に花束ってどうかと思ったんだけどね……まあ、兼用ということで」
どの花にしようか頑張って考えたんだよー。
のんびりと話す彼女に対して、僕は黙り込む。贈られた花束をただただ見つめていた。
手作りの誕生日ケーキに、一生懸命に選んでくれたという花束のプレゼント。
食べることもできないし、触れることもできないのは少し悲しいけど、それでも僕はそれ以上に嬉しくて、とても幸せだった。
ずっと誰かに誕生日を祝ってもらいたかった。それは幼い頃からの小さな願いだった。
それが、まさか死んだ後になって叶うなんて思ってもみなかった。
「……ありがとう。凄く、凄く嬉しいよ」
触れることは出来ないから、ありったけの想いを込めて、真っ直ぐと彼女を見つめて僕は告げた。
「どういたしまして」
返された言葉はとても優しい声音で、まるで蕾が綻ぶように彼女は微笑んだ。
今日は僕にとって特別な日だ。
僕が生まれた日。つまり、僕の誕生日。
でも、それだけじゃない。
今日は僕が死んだ日。つまり、幽霊となった僕の誕生日。
そして、遡ること一年前。今日という二つの誕生日に僕は一人の少女と出会ったのだ。
幽霊が視えるという不思議な才能を持った目の前の少女と――。