風のうわさという言葉を1度は耳にしたことがあるだろう。そして、誰もがうわさを経験しているであろう。しかし、なんとなく耳に入った情報の原因ついて、深く考えたことはないだろう。
このうわさの種を大昔に創り出したのは、一人の神様だった。
どこからともなく耳に入ってくる情報や風の便りと言われるうわさの発端はうわさの種が原因だ。だれも気にも留めていないけれど、大昔に人々の情報を操作するという目的で神様に作られたものだ。そして、風の便りについていえば、大昔から運び屋が存在していたらしい。うわさを運ぶ見えざるものがこの世のどこかに存在している。
うわさの種を使って、流行を作るということに成功したベンチャー企業があった。なんとなく面白いといううわさが口コミで広がったゲームだ。こんなにも広がったのはうわさの種と風の便りのおかげだろう。
「外出できないならば、自宅で冒険しよう」
そんなキャッチフレーズが国民の心を惹きつけた。
世界的に蔓延したウイルスのせいで、外出制限や自宅待機を余儀なくされた年にバーチャルリアリティーゲームが流行した。
そのゲームは瞬く間に大ヒットして子供や大人の運動不足の解消に貢献していた。自宅でできる体験型ゲームはカロリーの消費を促すということもあり、中高年や女性にもはまる人が続出した。というのも自宅にあるテレビと機器をつなげるだけで仮想空間が楽しめるというものだったので、手軽ということが国民の心を惹きつけた一つだっただろう。
日本にある小さな企業の博士が世界的なブームを起こした。バーチャル空間を体験できるという夢のようなソフト。機器をつなげるだけで、異世界にトリップでき、まるでその世界にいるかのような気分になることができる。
「ただ歩くだけ」という触れ込みに中高年以上のユーザーが殺到し、大人気となった旅行ソフトだった。
それは、実際の観光地を見ながら散歩したような気分になるという優れものだった。自宅の中で安全に旅行ができ、運動不足解消と気分転換もできるというものは、年齢層の高い顧客すらも虜にするという画期的な商品開発となった。
今まで仮想空間などに興味がなかった年齢層のユーザーをも顧客としたベンチャー企業は一気に会社の規模が拡大し、業績は軒並み右肩上がりが続いた。それは、日本の経済の低迷を抑え、経済の活性化につながる貢献すらも担っていた。そして、それは外国からも需要が高まる存在となった。
ひとつの小さな企業が大きく発展するのに時間はいらなかった。それは、そのソフトの性能のよさと発売のタイミングが重なったのだと思う。時代に必要とされるものが売れるということは需要と供給の原則から見ても当然のことだ。
事業計画には、市場調査や顧客のニーズを把握するのが必要なのだが、今回は時代のニーズに合っていたということが大きな勝因だろうと思われていたが、実際はうわさの種と風の便りを使った商法が功を奏したのだ。
旅行ソフトでは物足りない年齢層には、本格的なアドベンチャーゲームを好む若者や子供は体験型アドベンチャーゲームにはまった。流行は、日本から世界に大きく羽ばたいたのだ。
少年たちがはまったアドベンチャーゲームのひとつを紹介しよう。それは、自分が異世界にトリップして戦いながら宝を探し出すというゲームなのだが、のちに生産中止となり、幻のソフトとなったものだ。
なぜならば、そのゲームをした後で具合の悪くなる者が急増したのだ。実際にソフトの中で怪我をすると現実に痛みがしばらく続くというものだ。そんなことがあるのだろうか? あくまで仮想空間だ。それなのに、現実と仮想空間がリンクした痛みが残るということだった。実際に肌に傷はなくても、痛いと感じる。それは、戦いがあるゲームならば尚更だった。
剣で戦った後に、刺されたような痛みが続く。火を浴びれば、焼けるような痛みが続く。その症状が瞬く間に日本の若者を襲った。すぐさま販売停止になったのだが、一体なぜそのような現象が起こったのだろうか?
専門家の見解だと、これは、幻肢痛《げんしつう》に似たものであるようだ。幻肢痛というのは、実際に手足を切断した場合になぜか、あるばずのない体の部分が痛むという現象だ。
仮想空間の発展により、幻の痛みを感じるという人類の進化によるものだというのが専門家の結論だった。人類の仮想空間の進化によって、新しい現象が生まれるのだ。それは、新しいウイルスに対して新しい特効薬が開発されるとさらに強大なウイルスが生まれる。その構図に似たもののような気がする。
人類は常に進化と戦う。それは、進化することによって新しい脅威が襲い掛かり、それに人類は対抗してきたという事実と重なる。
幻のソフトは回収され、生産中止になった。その後、特に危険ではない旅行ソフトも売れ行きが悪くなり、結果、会社は倒産した。風評被害というものだろうか。イメージは多大なる影響を与えるということだろう。人々の評価は実にわかりやすく正直だ。きっとうわさの種と風の便りのしわざだろう。
小さな企業の博士はその後、新たな研究をはじめた。仮想未来や仮想過去に行けるというソフトの開発だ。人は歩みを止めたらおしまいだ。常に人がまだ未開拓の分野を進化させる。しかし、うわさの種の入手はそうそうできるものではないので、また入手できるまで研究を続けているらしい。
ある会社の社長はインターネットの世界を活用した新たな開発を進めた。研究が成功すると、たちまち人気が高まった。特に、若い頃の思い出を再体験したい年配者が多く、高齢化社会には大人気の商品となった。本人の描く過去を脳の映像として読み取るというものだった。これもうわさの種を入手して運び屋に運ばせたおかげで比較的すぐに流行が訪れたいい例だ。
ある研究所では、ネットの炎上や誹謗愁傷を商業的に利用しようと、人間の心理を巧みに利用したビジネスをはじめた。
ネットの世界は匿名で誰でも発言ができる。有名な人や悪いことをした人はすぐに叩かれる。弱い者いじめに似た感じもあるが、ある種の強い者いじめが成り立つのがネットという世界だ。自分よりお金も地位も名誉もある人に心無い言葉を浴びせる。これは正義を振りかざした嫌がらせだ。無名の一般市民が匿名で意見を言うことで、本人にダメージを受けさせる。どんなに擁護する人がいようと、正しい行いをしていようと、世の中嫌がらせはなくならない。これは、人間らしい行動だと博士は分析した。
そして、世の中に嘘のニュースを流すようになった。発信源が特定できないうわさの種を使ったのだ。風のうわさで、じわじわとフェイクニュースを流す。そして、人々は架空の事実に炎上する。炎上を商法として上手に利用する会社や芸能人もいる。
実際、炎上したブログには閲覧者が殺到して、書いている人に収入が入る仕組みになっている。ライバル会社を炎上させることで、自分の会社の好感度をあげて客を呼び込むという使い方もある。
植物の種もそうだが、育て方や植える場所次第でうまく育つこともあるし、うまく育たないこともある。うわさの種も同様で、使用者によってうまく利用できる価値のあるものにもなる。逆に、マイナス効果をもたらすこともある。
うわさの種を使って最後に笑うのは誰なのだろう。
うわさの種の発生源を探すことは非常に難しい。
火のないところにうわさがたつこともあるからだ。
大昔からこの種は存在していて、いまだに人々にその詳細は解明されていない。
うわさの種については、神様と運び屋が今でも管理しているらしい。
そして、種を創った神様と風の便りを運ぶ運び屋は、人間たちの情報に振り回される様子を見ることが唯一の楽しみだということは、私たちが知る由もない。
このうわさの種を大昔に創り出したのは、一人の神様だった。
どこからともなく耳に入ってくる情報や風の便りと言われるうわさの発端はうわさの種が原因だ。だれも気にも留めていないけれど、大昔に人々の情報を操作するという目的で神様に作られたものだ。そして、風の便りについていえば、大昔から運び屋が存在していたらしい。うわさを運ぶ見えざるものがこの世のどこかに存在している。
うわさの種を使って、流行を作るということに成功したベンチャー企業があった。なんとなく面白いといううわさが口コミで広がったゲームだ。こんなにも広がったのはうわさの種と風の便りのおかげだろう。
「外出できないならば、自宅で冒険しよう」
そんなキャッチフレーズが国民の心を惹きつけた。
世界的に蔓延したウイルスのせいで、外出制限や自宅待機を余儀なくされた年にバーチャルリアリティーゲームが流行した。
そのゲームは瞬く間に大ヒットして子供や大人の運動不足の解消に貢献していた。自宅でできる体験型ゲームはカロリーの消費を促すということもあり、中高年や女性にもはまる人が続出した。というのも自宅にあるテレビと機器をつなげるだけで仮想空間が楽しめるというものだったので、手軽ということが国民の心を惹きつけた一つだっただろう。
日本にある小さな企業の博士が世界的なブームを起こした。バーチャル空間を体験できるという夢のようなソフト。機器をつなげるだけで、異世界にトリップでき、まるでその世界にいるかのような気分になることができる。
「ただ歩くだけ」という触れ込みに中高年以上のユーザーが殺到し、大人気となった旅行ソフトだった。
それは、実際の観光地を見ながら散歩したような気分になるという優れものだった。自宅の中で安全に旅行ができ、運動不足解消と気分転換もできるというものは、年齢層の高い顧客すらも虜にするという画期的な商品開発となった。
今まで仮想空間などに興味がなかった年齢層のユーザーをも顧客としたベンチャー企業は一気に会社の規模が拡大し、業績は軒並み右肩上がりが続いた。それは、日本の経済の低迷を抑え、経済の活性化につながる貢献すらも担っていた。そして、それは外国からも需要が高まる存在となった。
ひとつの小さな企業が大きく発展するのに時間はいらなかった。それは、そのソフトの性能のよさと発売のタイミングが重なったのだと思う。時代に必要とされるものが売れるということは需要と供給の原則から見ても当然のことだ。
事業計画には、市場調査や顧客のニーズを把握するのが必要なのだが、今回は時代のニーズに合っていたということが大きな勝因だろうと思われていたが、実際はうわさの種と風の便りを使った商法が功を奏したのだ。
旅行ソフトでは物足りない年齢層には、本格的なアドベンチャーゲームを好む若者や子供は体験型アドベンチャーゲームにはまった。流行は、日本から世界に大きく羽ばたいたのだ。
少年たちがはまったアドベンチャーゲームのひとつを紹介しよう。それは、自分が異世界にトリップして戦いながら宝を探し出すというゲームなのだが、のちに生産中止となり、幻のソフトとなったものだ。
なぜならば、そのゲームをした後で具合の悪くなる者が急増したのだ。実際にソフトの中で怪我をすると現実に痛みがしばらく続くというものだ。そんなことがあるのだろうか? あくまで仮想空間だ。それなのに、現実と仮想空間がリンクした痛みが残るということだった。実際に肌に傷はなくても、痛いと感じる。それは、戦いがあるゲームならば尚更だった。
剣で戦った後に、刺されたような痛みが続く。火を浴びれば、焼けるような痛みが続く。その症状が瞬く間に日本の若者を襲った。すぐさま販売停止になったのだが、一体なぜそのような現象が起こったのだろうか?
専門家の見解だと、これは、幻肢痛《げんしつう》に似たものであるようだ。幻肢痛というのは、実際に手足を切断した場合になぜか、あるばずのない体の部分が痛むという現象だ。
仮想空間の発展により、幻の痛みを感じるという人類の進化によるものだというのが専門家の結論だった。人類の仮想空間の進化によって、新しい現象が生まれるのだ。それは、新しいウイルスに対して新しい特効薬が開発されるとさらに強大なウイルスが生まれる。その構図に似たもののような気がする。
人類は常に進化と戦う。それは、進化することによって新しい脅威が襲い掛かり、それに人類は対抗してきたという事実と重なる。
幻のソフトは回収され、生産中止になった。その後、特に危険ではない旅行ソフトも売れ行きが悪くなり、結果、会社は倒産した。風評被害というものだろうか。イメージは多大なる影響を与えるということだろう。人々の評価は実にわかりやすく正直だ。きっとうわさの種と風の便りのしわざだろう。
小さな企業の博士はその後、新たな研究をはじめた。仮想未来や仮想過去に行けるというソフトの開発だ。人は歩みを止めたらおしまいだ。常に人がまだ未開拓の分野を進化させる。しかし、うわさの種の入手はそうそうできるものではないので、また入手できるまで研究を続けているらしい。
ある会社の社長はインターネットの世界を活用した新たな開発を進めた。研究が成功すると、たちまち人気が高まった。特に、若い頃の思い出を再体験したい年配者が多く、高齢化社会には大人気の商品となった。本人の描く過去を脳の映像として読み取るというものだった。これもうわさの種を入手して運び屋に運ばせたおかげで比較的すぐに流行が訪れたいい例だ。
ある研究所では、ネットの炎上や誹謗愁傷を商業的に利用しようと、人間の心理を巧みに利用したビジネスをはじめた。
ネットの世界は匿名で誰でも発言ができる。有名な人や悪いことをした人はすぐに叩かれる。弱い者いじめに似た感じもあるが、ある種の強い者いじめが成り立つのがネットという世界だ。自分よりお金も地位も名誉もある人に心無い言葉を浴びせる。これは正義を振りかざした嫌がらせだ。無名の一般市民が匿名で意見を言うことで、本人にダメージを受けさせる。どんなに擁護する人がいようと、正しい行いをしていようと、世の中嫌がらせはなくならない。これは、人間らしい行動だと博士は分析した。
そして、世の中に嘘のニュースを流すようになった。発信源が特定できないうわさの種を使ったのだ。風のうわさで、じわじわとフェイクニュースを流す。そして、人々は架空の事実に炎上する。炎上を商法として上手に利用する会社や芸能人もいる。
実際、炎上したブログには閲覧者が殺到して、書いている人に収入が入る仕組みになっている。ライバル会社を炎上させることで、自分の会社の好感度をあげて客を呼び込むという使い方もある。
植物の種もそうだが、育て方や植える場所次第でうまく育つこともあるし、うまく育たないこともある。うわさの種も同様で、使用者によってうまく利用できる価値のあるものにもなる。逆に、マイナス効果をもたらすこともある。
うわさの種を使って最後に笑うのは誰なのだろう。
うわさの種の発生源を探すことは非常に難しい。
火のないところにうわさがたつこともあるからだ。
大昔からこの種は存在していて、いまだに人々にその詳細は解明されていない。
うわさの種については、神様と運び屋が今でも管理しているらしい。
そして、種を創った神様と風の便りを運ぶ運び屋は、人間たちの情報に振り回される様子を見ることが唯一の楽しみだということは、私たちが知る由もない。