え、えーと……。ゆるすもなんも……実のとこ、昨日の呼び出しからの、いるんなら彼氏に逢わせて、がなければ、黎とは再会できてもいなかったかもしれない。そしてまさか、例え役でも彼氏になってもらえるなんて。
少し考えてから、顔をあげた。
「じゃあ、これから先、他の人に今までみたいなことはしないでほしい。あと、桜城くんは私にとったら大すきな人の弟だから、もし……桜城くんに彼女が出来たときは、その……相手のこと、いじめたりは、しないでほしい」
反発を喰らうか、受け容れてもらえるか……少々危険な橋渡りの注文だった。
「わかった。約束する」
「みんなも、ね」
同意を求められた女子たちは、各々肯いた。
「いい、の……?」
「いいもなにも、こっちが訊きたいくらいだよ。……あたしたちが傷つけたのは桜木さんなのに、まだわからない人のことでゆるしていいの?」
「私は全然問題ないけど……。じゃあ、これからはよろしくお願いします」
私の顔がほころぶと、女子たちの顔も、更にどこか柔らかくなった気がした。
「うん。よろしくね」
「梨実さんにも、早く学校来てねって、伝えておいてね」
「あたしたちも今度、お見舞いに行ってもいいかな……?」
冷えていたものが急に融けて、気持ちが嬉しいものになっていく気がした。
+
黎と桜城くんの舌戦は、黎がかわして終わったようだ。
「じゃ、俺戻るから。またな、真紅」
「あ、うん。急にごめん。ありがと――
う、と言おうとして、私の思考回路は爆発した。今、『またな』、って言った……? ただの挨拶かもしれない。でも、また逢える可能性があるということかもしれない。
「俺はもうちょっと追い詰めてくるね」
まだ言い足りないのか、桜城くんは爽やかに言って黎のあとを追った。
「れ――兄貴!」
公園を出る前に兄貴に追いついて、そう呼んだ。兄貴は緩慢(かんまん)に振り返る。
「架……お前よくあんな口上手くなったな」
「兄貴が家にいない所為で色々処世術を。それより……」
「なんだよ。病院、無理に抜けて来てるから戻らねえと澪がうっせんだけど」
「みおって……兄貴に血をあげてる人だっけ?」
「いらねえって言ってんだけどな」
「それって、真紅ちゃんの血なら欲しいってこと?」
「………」
俺の誰何(すいか)に、兄貴は目を細めて睨んで来た。思わずため息が出る。
「古人様は、兄貴と真紅ちゃんのこと知ってるの?」
「……なんでじじいにそんなこと話さなきゃなんねんだよ」
「……は? 古人様、真紅ちゃんのこと知ってるだろ?」
「なんで」
「………もしかして兄貴、真紅ちゃんが『何』だかわかってないの……?」
「真紅は真紅だろ」
もっともな返事に、兄貴は本当に知らないのだとわかった。思わず片手で顔を覆う。
「……だから家に興味持てって言ってんだろ……」
「? うちと関係あんのか?」
………なんと説明しようか。
「――とにかく、今日帰ったら必ず古人様に、真紅ちゃんのこと話せ。桜木真紅って名前は知っている。……古人様なら、兄貴が真紅ちゃんと一緒にいる方法を考えてくれるかもしれない」
「……なんで俺が真紅と一緒にいるとか、お前がぐだぐだ言うんだよ」
「え? だって兄貴、真紅ちゃんのこと好きだろ?」
「………」
「………」
三秒ほどして、兄貴の顔が真っ赤になった。
「あ、兄貴……?」
「ちょ、ちょっと待て架。落ち着け」
「いや、別に焦ってないけど。落ち着くべきは兄貴だろ」
急にしどろもどろになった兄貴。なんていうか……乙女化している気がする……。似合わな。
「あー……傍(はた)から見るとそう見えんのか?」
「そうとしか見えなかったけど。病院で逢ったときも、俺が真紅ちゃんの友達だから腹立ててたんだろ?」
病院で真紅ちゃんを見つけたとき、傍らにいた兄貴。俺が真紅ちゃんの名前を呼んだら、兄貴と真紅ちゃんの間に割って入ったら、ものすごく不機嫌になっていた。
「……お前、なんで誤解受けるほど真紅の傍にいるんだよ」
「………だから家に興味持てって言ってるんだよ」
「お前こそ真紅のこと……」
「俺のはそういうんじゃない」
俺が真紅ちゃんの傍にいる理由は、恋愛感情どうのではない。
堂々巡りは、結局そこに帰ってしまう。
兄貴が何も知らないから、真紅ちゃんが何も知らないから。
俺だけが、知っているから。
「とにかく、黒藤様に知られて動かれる前に古人様を頼れ。俺から言っていいのは、たぶんこれだけだ」
本当は、兄貴に総てを話してしまいたい。でも、それでは混乱させるだけだともわかる。
立場上、俺には何の解決策も講じられないから。
……話せば、最悪の方法をとってしまう可能性もある。
「真紅ちゃんと、欠片の時でも一緒にいたいんだったら、家のことを知れ」
それだけ言い置いて、踵を返した。
兄貴は、血を与える主に真紅ちゃんを望んだのかもしれない。でも、昨日病院で逢うまで、二人は寄り添ってはいなかった。
……何があったのかは知らないが、どうやって出逢ったのかは知らないが、明らかに真紅ちゃんは兄貴を、兄貴は真紅ちゃんを、想っている。
鬼人の一族でありながら、人間と妖異の調停を主とする桜城一族。その家に生まれた、異国の血を持った半分だけの吸血鬼。
そして、真紅ちゃんの桜木家は――退鬼師(たいきし)の末裔だ。
誰ともなしに喋って、いつの間にか笑顔が浮かんで。公園でみんなと別れてから、海雨への報告が増えたことを嬉しく思う。みんな、海雨のことは気になっていたそうだ。ただ、私ばかりが傍にいるから、近づくに近づけなかったらしい。……みんなには悪いことをしてしまっていたかもしれない。
このまま病院へ行こうかな。ママは朝来てくれたから、夜すれ違う心配もない。
海雨に話したい。……黎に逢いたい。
あ、でも黎はお仕事なんだった。
黎からは聞いていないけど、海雨は病院の職員だと言っていた。そのあたり、逢ったら訊いておこう。黎から言質(げんち)は取った。「また」と言ったのは何があっても忘れない。
公園を出ようとしたところで、人目を引く青年がこちらを見ているのに気づいた。ブレザー姿だから、学生だろうか。
黎ほどではないけど長身で、黒髪に銀の前髪が一房混じっている。きりっとした面立ちで、何故かじっと私を見ていた。あれ? あの髪の色、どっかで……。
危ない人かと思い、迂回しようとしたとき。
「桜木真紅?」
フルネームで呼ばれて、振り返ってしまった。その声は、青年からだった。
「――黒藤様!?」
直後、黎を追って行ったはずの桜城くんが戻って来た。
くろとさま? って、さっき黎と話していた……?
青年を見て顔面蒼白といった様子の桜城くんに、黙るように、とでもいうように青年は口元に一本指を立てた。それを受けて、桜城ははっと息を呑んだ。
「黒藤(くろと)」
「黒藤さ――ん。どうされたんですか」
「うん、ちょっとな。黎はもう行ったのか?」
「このまま病院に戻ると……黒藤さんは、一体……?」
「母上が目覚める前に真紅に挨拶しておこうと思ってな」
「! 紅緒(くれお)様が……?」
喉を引きつらせた桜城くん。私はさっぱり意味がわからない。っていうか『様』ってなに。青年はまた私の方を見た。
「はじめまして、影小路黒藤だ。真紅の母君の、紅亜様の双児の妹が俺の母にあたるから、従兄妹だな」
「………」
え。
「若君! 真紅ちゃんは影小路とは関係のないはずです。なんで今更……!」
青年――黒藤さんとやらに指摘された呼び方も戻ってしまっている。桜城くんは何をそんなに慌てているんだろう……?
「関係なくはねえよ?」
「ですが、紅亜様は影小路より離れられた身。桜木とももう関わりは……」
「いや、真紅は生まれる前に俺の母上と関わっちまってるから、どうしようもねんだわ」
必死な桜城くんとは裏腹に、黒藤さんは軽い様子で答える。
「あ、あの……」
「うん?」
呼びかけると、黒藤さんは人のいい笑みで応える。
「あの……さっきからさっぱり話が見えないのですが……?」
「うん。それは俺も覚悟してた。ちょうどいい。架も補足説明して」
「若君……」
マイペースな黒藤さんに、桜城くんは疲れたように声を押し出す。
「まず、真紅の母君の紅亜様と俺の母の紅緒は双児の姉妹だ。影小路っていう家で、代々陰陽師をしている」
……おんみょうじ?
「て、あの安倍晴明、とかの……?」
訊き返すと、黒藤さんは肯いた。
「そう。紅亜様は双児の姉で本家の長子でもあるから、影小路の直系長姫にあたられる。が、生まれてすぐに桜木の家に養子に出されたんだ。それは知ってるか?」
「あ、はい……。ま――お母さんが養子に入って、そこで結婚したっていうのは……」
その桜木家とも、今は縁切りされているんだけど……。
「紅亜様は陰陽師としての力はないんだ。かわりに、俺の母は力が大きく、先代の当主だった。今は眠っているが」
眠って? それは……もう亡くなられたっていうこと……?
「真紅は――あ、呼び捨てにしていいか? 俺のことも呼び捨てていいから」
「構いませんが……桜城くんは『若君』って呼ぶような方なんですよね?」
言いながら、戸惑いを隠せず視線を桜城くんに向ける。
桜城くんは苦い顔で口を動かした。
「……うちにとっての主家(しゅけ)っていうのかな。俺たちの桜城家は、影小路に仕えているんだ。若君――黒藤さんはそこの先代の御子息で後継者だから、俺にとってはそう呼ぶ対象なんだ」
しゅけ?
「……なんだか現代風ではないね……」
「それなのに普通に話せとか言われて……。若君にため口なんて聞いたら俺は一族に吊るし上げられます」
「そんくらい助けてやるって。で、本題だ。真紅は三日後、十六歳の誕生日だよな?」
「そうですが……?」
「真紅ちゃんの誕生日が何かあるんですか?」
「うん。簡単に言うと、生まれた時刻を迎えたら、真紅は一気に陰陽師としての力を取り戻す公算が大きい」
「……へ?」
「わ、若君……? 何を仰っているのです……?」
私も桜城くんも、気の抜けた声を出してしまった。
「小路(こうじ)の家でも本家筋と各家の長しか知らない話だが――」
と、黒藤さんは前置きをした。
「真紅は影小路が始祖の一人の転生なんだ。母上は、真紅の力を封じておくための術をかけ、反動で眠りについた。真紅が誕生した時刻を迎える瞬間、母上は目覚める。そして、封じられていた真紅の陰陽師としての力は目覚める」
「………」
いきなり過ぎる話に、ぽかーんとするしかない私。桜城くんはただ蒼ざめている。
「簡単に言うとこうなるんだけど……すぐには理解しきれねえよな」
黒藤さんは自嘲気味に笑った。
「そ、それでは、なんですか? 若は真紅ちゃんを小路に入れるおつもりなんですか……?」
「小路に入る入らないは真紅の自由だ。俺の今一番の目的は、封じが解かれた瞬間に、真紅を護ること。母上の守護の術は絶大だ。いきなり解ければ、真紅の存在――小路の始祖がいると妖異に知られ、真紅は狙われる。……脅すつもりではないが、始祖は強大霊力を持つから、妖異に狙われやすい」
「狙われる……?」
私が反芻すると、黒藤さんは顎を引いた。
「小路の始祖の転生の血肉を得れば、妖異はまた大きな力を得る。……簡単に言うと、守護を失った真紅は、妖異に喰らわれる可能性が否定できない。それから護る目的で、俺は今日ここに来た」
「………」
話が、突飛過ぎる。
「………なんとゆうか……」
私はようよう口を開いた。
二人の視線を感じる。
「桜城くんが来てなかったら、私逃げてただろうなって思う……」
どんなファンタジーを話しているんだか、この人たちは。黒藤さんは苦笑した。
「だろうなあ。俺も、危ない人扱いで警察呼ばれるだろうから、ストレートに話すなって白(はく)――幼馴染に怒られてきたとこだ」
「御門のご当主も真紅ちゃんのことご存知のなんですか?」
「みかど?」
新しい言葉が出て来た。私が訊き返せば、黒藤さんが答えた。
「月御門(つきみかど)――御門流って呼ばれる、陰陽師の一派だ。影小路は小路流って呼ばれていて、日本では御門と小路が一番でかいかな」
「その月御門の当主と若君が幼馴染で……白桜さんにはまだ嫌われてるんですか?」
「白には嫌われてねえからな。白里じいさんにだけだから。白とは仲いいから」
「わかりましたから二度言わないでください。惨めです。そんなことより……」
桜城くん、何気に毒を吐いた。
「真紅ちゃんは何も知りません。俺も、真紅ちゃんが始祖の転生だなんて初めて知りました」
「それは、本家筋の人間、十二家の長しか知らん。紅亜様のことがあるとはいえ、真紅を本家筋の人間だと見る向きはあるからな」
「ですが……」
「急にこんな話されても理解出来ないよな。いきなり悪い」
言いよどむ桜城くん。黒藤さんは私に向かってすまなそうに言った。がんばって黒藤さんと桜城くんの言葉を噛み砕いた。
自分とこの人は、従兄妹。母同士が姉妹。ママには双児の妹がいた。
ママは長子であったけど、何故か養子に出された。
ママから、『かげのこうじ』なんて名前を聞いたことはない。桜木家に養子に入って、そこで結婚したとは聞いていたけど。
それから、自分は陰陽師? みたいな力が眠っているそう。
「でも私、妖怪? とかおばけとか、見たこともないですよ?」
いわゆる霊感というものだろうか。そんなもの、欠片もなかった。
「これ、視えるか?」
と、黒藤さんは右掌を上向けて見せた。
「……鳥? 紫色の……」
黒藤さんの右掌の上を旋回し出したのは、小鳥だった。
私の答えを聞いて、黒藤さんは「ふーむ」と唸った。驚きを見せたのは桜城くんだった。
「真紅ちゃん……視えてるの? 涙雨(るう)のこと……」
「るう? 小鳥がペットなの?」
紫色の小鳥は、ふっと姿を消した。