好きになった人は吸血鬼でした。―さくらの血契1―【完】


言って、反対の手を私の後頭部に廻して引き寄せた。唇が重なる。

「⁉」

黎のいきなりな行動に思いっきり硬直してしまった。

少しして黎が顔を離すまで、されるがままだった。

「うん。やっぱりこっちだな」

「れ、黎明の! 女性にいきなり何するんだお前は!」

「ヤローにいきなりこんなことする方が問題じゃないか? 御門の主」

「そういう問題じゃない!」

と泡喰っていきり立つ白ちゃんを、進み出た黒藤さんが抑えた。

「黎。白は純粋なんだ。急に目の前でいちゃつかれても困る。それに――真紅に至っては魂抜けちまってるんじゃないのか?」

私は硬直が融けないでいたけど、名前を黎に呼ばれて直後に顔を真赤にさせた。熱さが昨夜の比ではない。沸騰するんじゃないだろうか。

黒藤さんが呟いた。

「黎の鬼性(きしょう)だけを浄化したか。変わった退鬼の法もあったものだな」

一人納得する黒藤さん。黎との間に割って入られて、背後に廻された白ちゃんはやっと落ち着いて来た。

「どういうことです? 若君。影小路の姫の血を吸って――黎は無事なのですか?」

みおさんが訊ねる。黒藤さんは「うん」と肯いた。

「真紅は、今は滅んだ退鬼師・桜木の末裔(まつえい)でもある。黎が真紅の血を吸ったっていうのは、妖異に襲われて失血死しそうだったところを、黎が助けた際のことだ。黎が真紅の血を吸った時、反対に真紅に黎の血を送ったんだろう? それで真紅の身体は、異物である黎の血の、鬼性を浄化したんだ。それに呼応されて、黎自信の血からも鬼性が退治られた。黎、真紅の血を吸ってから一度でも他の血を欲したか?」

「いや――それを考えるとむしろ吐き気がして……真紅の血をもらったのが最後だ」

「澪、その間、黎の体調に問題は?」

「ない、です。……祖父が、実験的に間隔を伸ばしているものと思っていました」


「なら、真紅の血を吸った直後くらいには黎はもう、鬼人でも吸血鬼でもなくなっていたんだろう。今見ても、徒人(ただびと)と変わりない。な? 白」

「ああ……今の黎明のから、鬼性は感じられない。妖異はまだ視えるだろうが、霊感の強い人間と、そう大差ないだろう」

黒藤さんと白ちゃんの言葉を聞いて、黎と顔を見合わせた。

「黎……人間に、なったの……?」

黒藤さんが再び問いかける。

「真紅を、血を欲した者の傍にいて、その血を求める気はないんだろう?」

「あ、ああ……でも、そんなことって……」

「有りえないことがないかもしれないのが、世界だ。真紅。本当にもう心配ないよ。黎は人間になって、真紅の血による命の心配はなくなった。――共に生きること、叶うぞ」

言いよどむ黎を制して、黒藤さんが言い放った。微笑とともに。

共に、生きる。

「……きんせいし、たてまつる」

甦って来た記憶の中に、月の色をした女性の口が、そう動いていた。私の唇も同じように動く。それを聞いた白ちゃんははっと息を呑み、黒藤さんは片目をすがめた。

私は片手を、黎の方へ伸ばす。この言葉は、あなたのため。

「かの、ものより、きしょうをとりはらいたまえ」

思考より先に口をついて出る音の意味を、遅れて頭が理解する。どこかで聞いたような言葉。身体の奥底で紡いだことのある言霊。

 謹製し奉る

 彼の者より鬼性を取り祓い給へ

「急々如律令――」

きゅうきゅうじょりつりょう――今すぐそうせよという、意味の言霊。

私の言霊は、空気を一変させた。

漂っていた鬼性――黎から掃き出された妖力の残滓が、ことごとく浄化されていく。そして黎は私を抱き寄せて深く息を吐いた。

その吐息が、最後だった。



私はただ、黎に抱き付いていた。涙を止めることは出来ないけれど、離れることの方がもっと出来ない。黒

藤さんと白ちゃんは、みおさんと白衣の男性に説明するからと言って、部屋に私と黎を二人きりにして出て行った。

黎も、私を腕の中に置いて離れようとはしなかった。

生きている。私の力が戻っても、血が目覚めても、黎は、この人は生きている。

吸血鬼として、鬼人として、最後の息を吐ききった黎は、もう人間(ひと)だ。

――そして私には、記憶が戻っていた。

過去の記憶総ての中に、妖異はいた。私の意識が認識していなかっただけで、私の周りには人間じゃないものが当たり前のように存在していた。

そして、血が目覚めた私の意識は、それらを意識せずとも認識していたことを思い出させた。これからは、彼らの姿や声があることが、私にとっての日常になるとわからせてきた。

「黎……本当に大丈夫なの?」

「問題ない。少し言うなら、貧血みたいな感じにはなってるかな。血を吐いてはいるから」

私の声も、黎の返事も穏やかだ。

けど、と私は眉根を寄せた。

「問題あるでしょ。少し横になって? もう血は飲めないっていうんなら、睡眠と食事で血を回復しなくちゃでしょ?」

「ん。………」

黎を横にさせようと、やっと黎の背中から腕を離した。今は黎の体調が一番だ。

「え……何? なんで見てくるの?」

やけにじーっと見てくるので、慌てた。泣き過ぎてヘンな顔にでもなっているのかな……。

「寝ている間に真紅がいなくなってるんじゃないかなーと」

黎の心配に、思わず口元は綻ぶ。


「別にどこも行かないよ。……心配なら膝枕でもしてあげようか? それなら逃げられないでしょ?」

「……なら、頼む」

ソファの隣に座っていた黎が、私の膝に頭を載せて寝ころんだ。……え?

「ほ、本気でしたか……」

「真紅が言ったんだぞ?」

思わず敬語になってしまう。半ば、売り言葉に買い言葉だったから……。

いつもは見上げている黎を見下ろすのは、どことなく恥ずかしい。

「なあ、真紅」

「なに?」

「いつか、結婚しよう。真紅が、影小路の家とのこととか、この先にある陰陽師や退鬼師としてのこととか、全部気が済む形で落ち着いたら」

黎は、少し微笑んで、私の頬に触れながらそう言った。

――現状、私は本家筋の娘で、当主候補の一人として目されておかしくないらしい。私が小路を継ぐかどうかは、存在する問題だと黒藤さんも白ちゃんも言っていた。

「……私が黎をお婿さんにもらうんだよ?」

「なら、俺の嫁になってくれるか?」

黎の直球な言葉に、私の思考回路は慌てだす。言われた言葉が、だんだんと現実味を帯びて、理解を始める。ええと……。

「……私と一緒に、影小路に入ってくれる?」

「桜城の跡取りには架がいる。大丈夫だよ」

――黎が、私と同じ未来(さき)を見ている。

「……はい。よろしくお願いします」

私は小さい声で言った。黎の手が、頬をつまんでくる。

「ありがとう。……俺も、今は霊感が少し強い人間と大差ないらしい。力不足だけど、真紅の支えになれるようがんばるからな」

「うん、私も、黎のご家族に認めてもらえるようにがんばるから。……これからは、一緒にいてね?」

「ああ。……俺たち、一緒に生きていいんだからな」


「黎を巡る血の、鬼としての性(さが)だけが浄化された、と……」

病院の院長室の隣にある応接室には、澪と祖父である古人翁、澪の父で院長の白衣の男性――嗣(つぐ)さんが揃い、そろって渋面(じゅうめん)をしていた。

翁は、黎の異変に気付いた澪に急きょ呼ばれた。だが、翁が到着したころには、総て終わっていた。

「まさか、そのようなことが出来ようとは……」

「始祖の転生の力は、総ては解読されていない。俺たちにはまだ知らないものが含まれていよう。だが、予定より一日早いが、母上が目覚め、真紅の血の封じが解かれているのも事実。それを迎えて、黎は退鬼されるどころか、鬼性を含んだ血を吐きだして生きている。俺と白が見た限りでも、黎から鬼の妖力は欠片も感じられなかった。見鬼である人間程度の霊力があるだけだ」

黒の説明に、翁は「むう」と唸った。――紅緒様が目を開いたところを、黒は水鏡で確認しているそうだ。

「黎が真紅嬢の血を得たとは知っていましたが、かような結末を迎えるとは……」

「結末ではない、翁(おきな)」

俺が口をはさむ。

「真紅はこれより影小路の人間となる。本人が、こちらへ――陰陽師の世界へ入ると、断言した。小路が、鬼人であり吸血鬼であった黎明のを受け容れるかも問題になってくるし、過去に倣(なら)い、転生である真紅を当主にと望む者もあろう。結末は、死の先にもない」

翁は、更に難しい顔をした。

「黎を預かっている身としては、まず桜城に話をつけねばなりませんな。今朝、桜城より黎を勘当(かんどう)――桜城とは縁を切ったと報せがありましたが、その出自は変わりません。なにゆえ勘当などという話になったかも、詳しい経緯(いきさつ)の説明を待っていたところです」

「黎明のを勘当? 何を慌てたことを……」

「ですが、桜城には、弟である架を正式にとの声が根強い。内部は、黎が就くよりは落ち着きましょう」

翁は、桜城の当主にはいち早く逢わねば、と付け足した。

「黎の処遇は翁にお任せします。桜城家と協議の結果は教えてください。早急の問題とすれば――」

「黒藤―! こんの馬鹿息子―っ!」

「……母上の対処です、翁方も小路の一派として逃れられませんこと、ご覚悟の上」


応接室に乗り込んで来たのは、着物姿の女性、先ほどまで離れた場所――天龍という山の中の影小路本家にいたはずの紅緒様だった。

「紅緒っ、病院で叫ぶんじゃないのっ」

後ろから小声で怒って紅緒を押さえたのは、同じ顔をした双児の姉である紅亜様。

「姉様(ねえさま)! 止めないでください! 黒藤は勝手にわたくしに解術(かいじゅつ)したのです! お前、わたくしが目覚める時間まで操作して何をする気だったのです!」

「……やっぱりお前の仕業かよ……」

いきり立つ紅緒様と、それを羽交い絞めにして止めようとする紅亜様。小埜家の三人は呆気に取られてしまい、紅緒様の言葉を理解した俺はため息を吐いた。

「紅緒様の封じに綻びなんてなかった。……黒が勝手にいじって、紅緒様の目覚めと真紅の封じが解けるのを早めた。……黎明のを生かすためか」

「まあな」

黒の軽い答えに、俺は苦虫を噛んだ。だからこいつは……とんでもないことを、なんでもない顔をして飄々とやってのけるんだからなー。俺が敵うわけないって。

「真紅の誕生日は、妖異の一部には知れていただろう。烏天狗に狙われていたくらいだからな。真紅の誕生日――明日まで待てば、始祖の転生を狙う烏天狗以外の妖異も一気に相手しなくちゃならない。それと同時に黎の件も片付けるのは少しばかり手がかかる。黎に何が起こるかまでは俺もわからなかったから、時間的余裕が必要だった。今回は、真紅の血の目覚めがよく自身が身のうちから真言(しんごん)を思い出してくれたが、最悪の場合も考えなくちゃならない。真紅が目覚めた力をコントロール出来ずに呑まれてしまうパターンだ。その場合でも、対応出来るのは俺と白だけ。真紅の封じが解けるのが早まれば、誕生日を狙っていた妖異はそれに気づくのも少しは遅れる。その差がほしかった。だから別に母上の目覚めは関係ないです。真紅の封じが、母上の予定より早く解ければよかっただけです」

簡単そうに話す幼馴染を見て、心底からため息を吐いた。

現状では黒の霊力の方が勝っているとはいえ、十六年前にかけられた、命をかけた術に介入して、呆気なく自身の掌中(しょうちゅう)に収めて操ってしまう。

……当代最強の呼び名は、伊達ではなさ過ぎる。


紅緒様の目覚めと真紅の封じが一日早く解かれたのは、総て黒による操作の所為だ。

紅緒様のかけた封じに綻びはなく、黒が何もしないでいたら、双方の目覚めは予定通り明日だった。

黒の企みを聞かされた紅緒様は納得のいかない顔で、やっと暴れるのをやめた。紅亜様が安堵の息をついている。

「……それで、真紅はどうしたのです。真紅の封じを早く解きたいだけの理由は見当たらない」

「母上には予定外の来客がいまして。今は隣の部屋に、真紅は恋人といま

「真紅―!」

「だから叫ぶんじゃないっ」

黒の言葉を聞き終わる前に、紅緒様は姉を振り切って飛び出した。

「……お前の母上、評判通りだな」

「少しは落ち着いてほしかったなあ……」

さっきまで悪の親玉的企みを披露していた黒が一転、疲れた顔で言う。

「真紅んとこ行くか。せっかく助けた黎明のを、紅緒様に殺されちゃ可哀想だ」

「……悪いな」

紅緒様の乱入で一気に疲れが出て来た俺と黒は、小埜家への話は終わりだと立ち上がった。

「若君――」

「翁。今話したことが今回のことです。言いましたが、黎の処遇は決まり次第教えてください。母上の回復、始祖の転生等等は、十二家へは本家から通達がいくでしょう。……患者さんたちに迷惑をかけないうちに母上を連れて帰りますので、今日はこれで」

あの紅緒様の勢いで叫び廻られては、病院という場所の意味がない。紅緒様……。




「さあて。真紅と黎はどうやって紅亜様に許しをもらうのかなぁー」

「傍観者決め込んでるだろ、お前」

「むしろ近い将来、俺が白をもらうのの後学の為に――」

「紅緒様に殺されるぞ、お前。少しは口を慎――

言いながら、俺の右手がドアノブを廻した。そして固まった。

「――そう、じゃあ真紅と黎明のは結婚を前提に付き合っているわけね。――許すわけあるかぽっと出のガキ! わたくしの姪っ子に手を出したら黄泉路を歩かすわ!」

「紅緒! 真紅ちゃんは本当に黎くんのことがすきなのよ。私たちがとやかく言うことはないわ」

「姉様の審査が甘すぎるのです! 大事な娘を掻っ攫っていく野郎ですよ⁉ 真紅の為なら神龍退治くらい出来る奴じゃないと認めないわ!」

「だから何で母親の私より紅緒の基準のが厳しいの⁉」

……あまりな姉妹のやり取りに、俺、黒、揃って入り口から動けなかった。

室内では何故か、床に正座した真紅と黎明の、そして向かいに座した紅緒様と紅亜様がいた。

更にどうしてか、真紅は黎明のの腕に抱き付いている。

ど、どういう状況だ……⁉

黒とともに状況を理解出来ずに困惑していた。

すると俺たちに気づいた真紅が、助けを求めるような視線を向けて来た。

ちょ、ちょっと待ってくれ、と、困惑の俺は真紅に向けて片手をあげた。そして黒に囁く。

「おい黒。なんで激昂してるのが紅緒様で、紅亜様が黎をかばってるんだ?」

「全然わかんねえ……。母上はもともと激しやすい人ではあったけど……」

「突拍子のなさがお前以上だな」

「その言葉が最早俺への褒め言葉に聞こえるくらいひでえな、母上は」

こそこそと会話する二人。紅亜様と紅緒様の攻防は続く。


「大体ねえ紅緒。鬼神であった鬼の頭領を連れて来て結婚したあなたが、真紅ちゃんの相手に文句をつけられると思うの? お父様もお母様もどれだけ反対していたと思うの」

「「え?」」

項垂れ気味だった真紅と黎明のが、同時に顔をあげた。鬼神に鬼の頭領……黒は小さく呟く。

「紅亜様は知っておいでだったか……」

と、頭痛でも覚えたように額を押さえている。紅緒様はキリッとした顔で答える。

「姉様、わたくしのことは今、関係ないです」

「関係あるわよ。真紅ちゃんと黎くんのことを反対してるの、紅緒だけよ? その当人の立場を突き詰めるのは当然のことでしょう」

「~~~姉様は本当に頑固なんですから……」

「あなたの姉なんだから仕方ないと諦めなさい」

その言葉には紅緒様は反論しなかった。黒と、こそこそ話す。

「おい、紅緒様が言い負けたぞ」

「紅亜様のお姉さん感がハンパないな」

いつの間にか俺も流れで傍観者を決め込んでいた。

「………」

黎明のの腕に抱き付いている真紅が、泣きそうな顔でこちらを見て来たので、そろりと歩み寄った。

「真紅、何があったんだ?」

小さな声で尋ねると、真紅は震える声で答えた。

「紅緒様が飛び込んで来て……私が黎に膝枕してたら、いきなり黎のこと投げ飛ばして、摑みかかったとこへママが来て紅緒様を止めてくれたの……」

「……投げ飛ばされたのか」

と言うことは……

「真紅? お前の母は二人いるのか?」