『まあ、前の俺が、影小路に縁あったことは事実だ。黒藤とも無関係では……ないが……。早めに言っておくなら、黒藤の式の無月(むつき)も俺と同じ顔だ。驚くなよ?』
「むつき?」
『黒の若君には三基の式がおる。涙雨と、無月殿と、縁(ゆかり)殿という。無月殿は寡黙(かもく)ゆえ怖いと思うかもしれんが、面倒見の良いお方じゃ。黒の若君のことも、白の姫君のことで暴走したときは首根っこ摑んでぶっ飛ばして止められるお方ゆえ』
「………」
式――配下――に首根っこ摑んでぶっ飛ばされて暴走を止められる……それって主と呼んでいいのだろうか。そしてそれって面倒見がいいといっていいのだろうか。
無炎さんとるうちゃんが話を逸らした感じから、あまり踏み込まれたくない話題なのかもしれない。これ以上は訊ねないことにした。
「斎陵学園ってどんなところなんですか?」
『百合緋嬢のご家族が経営母体じゃな』
「えっ? それって……理事長とか、そういう?」
『そうじゃ。百合緋嬢は一族の中心からは外れておるが、実は現当主の一人娘でのぉ。本来なら跡取り娘であったかもしれん』
「……何か理由があるんだ?」
『まぁの。それが、百合緋嬢が御門におる理由でもある。百合緋嬢はその名前から、学校では理事長一家の娘と知られておるゆえ、腫れもの扱いというか……あまり仲の良い友人とやらもおらぬようじゃ。いつも白の姫君が共におって、白の姫君にもよく懐いておられる。……白の姫君大すきな我が主様とは険悪じゃ。黒の若君に敵意はないのじゃが、表では男として通している白の姫君を嫁にすると言ってはばからん主様じゃからな。百合緋嬢は主様を毛嫌いしておる』
……毛嫌いって……。
「私、百合緋ちゃんと仲良くしてもいいのかな?」
私が――小路の娘ということもあって――黒藤さんの側であることは確定しているので、少し迷って問うと、無炎さんから応答があった。
『友人関係に他人の関係を入れる理由もないだろう。それに、黒藤は百合緋を嫌っているわけではない。百合緋も、白桜を取られるみたいな感覚で個人的に黒藤に苛立っているだけで、仕事や家の話になれば無理なことは言わねえよ』
公私の区別はつけている。無炎さんに言われて、軽く肯いた。
『真紅の母君のこともある。転学の件は、白桜も急いでいないし急かさないさ。ゆっくり考えてくれればいい』
最後まで顕現(けんげん)しなかった無炎さんに見送られて、ママのアパートへ戻った。
……迷う必要と時間は、もうないのかもしれない。
大方の職員も帰り、夜勤の医師と看護師、入院患者に救急で来た患者や付き添いしかいない夜半過ぎ。
院長秘書室で一人、そっとパソコンを閉じた。俺は小埜家の方針で、現状医学生だ。
……ため息が出る。
真紅が影小路に連なるとは、昨日知ったばかりだ。
そして、真紅には申し訳ないが、勝手に調べさせてもらった。
真紅の姓である桜木家は、今は廃れてその体をなしていないが、元は退鬼師の血筋らしい。
――退『鬼』師。
俺は鬼人の血を継いでいる上に、吸血が必要なことからわかるように、その本性(ほんしょう)は吸血鬼だ。
真紅を助けたとき、自分の血も送っているが、その前には真紅の血を吸っている。
そのため真紅の血が俺の身のうちを流れているが、今のところ不調ということはない。
退鬼師……しかも血で浄化するタイプだって言うんだから、本来なら俺はもうやられているんじゃないか?
けど……。
失いたくないから、離れた。
自分では、真紅を殺してしまうんじゃないかと不安になった。――ほしいと思ってしまったから。血の一滴、髪の一筋ですら。
……だから、真紅にはもう、逢わないように。生きていてほしいから、離れた。
最期の時だけ、と心を封じて。
……誰かを、大事に愛する方法を知らない。
父のように、母だけを恋人にして、けれど恋人を亡くした許嫁も護るなんて、俺には考えられもしない。
真紅しかいらないと、正直に心は話す。
父のように器用には、出来そうもない。
「……まさか架に教えられるとはな……」
昨日の架の指摘、実は結構効いていた。
真紅に恋情を持つ前のところで踏みとどまろうとしていた。なのに架はあっさり、それを踏み越えていることを教えて来た。
理由はわからない。ただ、いつの間にか恋情があった。今は、愛情もあるかもしれない。
一目惚れ、とかそういうやつなのだろうか。
――調べたところ、退鬼師桜木は、特殊すぎる力のために滅んだ一族らしい。
その血で妖異を浄化する、他の退鬼師族にはない、異端の能力。
その血さえ生きていれば、退鬼師桜木の人間でなくても扱うことが出来る。
……空恐ろしい話だが、簡単に言ってしまえば、退鬼師桜木の術師は、捕えられ、血をしぼりとるために幽閉され、やがて数を減らしていったようだ。
陰陽師の大家(たいか)、影小路の庇護下(ひごか)に入った頃には、実戦闘に出たことがあるものはないほどに。
そうして、名前だけを残して、望まれながらも忌まれた退鬼師一族は、退鬼師としての名と地位、伴って能力も失くして行った。
命を継ぐために、一族を滅ぼしかねない能力を捨てることを選んだのだろう。
……今代に入り、イレギュラーが起きた。
影小路家より養子に出された娘――その理由まではわからなかった――が産んだ子が、影小路家に重要な存在であった。
……始祖の転生。
その呼称と意味を知って、納得するものがあった。
真紅が倒れていた時、明らかに致死量以上の血は流れていた。
だが真紅は瞬きをし、かすかながら喋ることも出来た。
並ではなかった生命力。それも、始祖の転生という特殊な生まれの命ならば、理由になる。
……真紅は、知ったのだろうか。
最初に逢った時は、真紅は何も知らないようだった。
妖異なんかも視えていなかった。
だが、架が言っていた。
『黒藤様に感づかれる前に―ー』
影小路の目的はわからないが、真紅に接触する気があるのは確かだ。もう接触しているかもしれない。
そして、真紅にはどんな力があるというのだろう――。
………。
腕(かいな)に抱いたとき、重さを感じなかった。
血と共に生気まで流れ出ていったかと思ったほどだ。でも、その指先が動いて――
逢いたい。一度逢ってしまえば、引き返すことなんて出来ない。わかっていながら、摑みかかって来た真紅の手を摑んだ。
……退き返す気なんか、もうないのかもしれない。
「………」
一つ、考えていたことがある。
どうせもう、真紅から離れられそうにない。
ならば、俺の一生は、真紅とともにあればいい。
「一人で残業?」
「勝手に入ると怒られるぞ。俺が」
「兄貴が怒られるだけなら毎日侵入してやろうか」
どうやって警備の目を抜けて来たんだか……弟だった。
「さっき梨実さんとこ来なかったけど、真紅ちゃんに逢わなくてよかったの?」
「……俺が行っても迷惑なだけだろ。お前は真紅を送って戻って来たのか? 忙しい奴だな」
「俺のはすきでやってるからいいんだよ」
真紅が架とともに梨実を訪れたことは知っている。でも、逢いにいけなかった。
「真紅ちゃん、若君と、御門の主(あるじ)とも逢ったよ」
「―――――」
月御門白桜にも?
真紅が影小路ゆかりの娘と聞いたときから、黒藤の存在は考えていた。だが、同じ稼業とはいえ違う流派の月御門まで出てくるのか?
考え込んでしまうと、架が言った。
「古人様が、御門の主を頼ったそうだよ。理由は、俺は聞いた」
「じじいが?」
胡乱に見返す黎俺に、架はため息をついた。
「またそんな呼び方を……。て言うか兄貴、俺には言わなかったよね? 真紅ちゃんとの初対面のとき、何したんだよ」
「………」
そこまでばれてるか。
「……お前には関係ないだろ」
「関係あるよ。真紅ちゃんは主家の姫であり、俺たちには真紅ちゃんと紅亜様をお護りするよう主命(しゅめい)が下っているんだ。……でも、最初に真紅ちゃんを助けたのは、兄貴なんだよね?」
「………」
「そんときに真紅ちゃんの血ももらった」
「……否定はしない」
「……大丈夫なの?」
「真紅は生きてるだろ」
「兄貴の方だよ。……若君も御門の主も断言はしなかったけど、……」
途中まで言いかけて、架は口を噤んだ。それ以上は、知っていても言ってはいけないことのように。
「架。一度家に戻る」
「……ん?」
「桜城の家に戻る。誠(まこと)さんには連絡してある」
+
「おかえりなさい! レイ!」
「……ただいま帰りました」
桜城家の門を弟とともにくぐった途端飛び出して来た母に、疲れた顔で応じた。それに架の母が継ぐ。
「まったくこんな夜更けに来るんだもの。昼間に来ていたらもっとみんなでお迎えしたのに」
「……それが嫌だからこんな時間なんですが」
そして父も待っていた。
「架も一緒ということは、兄弟喧嘩は終わったのか?」
「……そもそも喧嘩なんかしていません」
俺が桜城の敷地に入るなり、弾丸のように飛んできた三人。父の誠さんと、母の美愛さん。そして、架の母の弥生さんだ。
俺は父に似た東洋系の顔立ちで、純粋な西洋人である母に似ているのは瞳の色くらいだ。
架は、弥生さんの目鼻立ちのはっきりした面差しと――本人は知らないけど――実の父の柔らかい眼差しとを受け継いでいる。
兄が父当主にそっくりなのに弟は似ていない――という、本当のことを知らない親族の噂話が架の耳に入らないように、桜城に居た頃は苦心していたりする。
誠さんが架に視線を遣(や)った。
「架、とりあえずみんなを起こして――」
「やめてください! 寝静まっている時間です!」
とんでもない主命をくだそうとした父当主に叫ぶ。
……俺が小埜家へ出ることを簡単に承諾したのは、偏(ひとえ)にこのテンションが高くノリの良すぎる三人から離れたかったのもある。
「兄貴、やっぱ熱烈歓迎なんだけど。さっさと戻ったら?」
「……そんな簡単じゃない」
溜息をついていると、美愛さんが寄って来た。
美愛さんは十代で成長が止まったような容姿で、今の俺と並んでも母には絶対見られないだろう。
純粋な吸血鬼は不老不死とも言うから、美愛さんのもそれだろう。混血の俺は、それはないようだ。
「レイ、急にどうしたの? 小埜様にはちゃんと話してあるの?」
「じじ――小埜のご当主には、式に言伝を頼みました。それより誠さん、美愛さん、話したいことが――
「ママって呼んでって言ってるでしょ?」
と、自分と同じ銀色の瞳を向けてくる母。
「色々と無理です」
「私のことも父さんとか」
「わたしのことは弥生お母さんって呼んでね?」
「……誠さんはともかく、弥生さんは色々違うでしょう……」
この三人、複雑な関係ながらものすごく仲がいい。基本的にテンションがあまり高くない俺にはついていけない。
……架の父は、この三人の抑え役だった。
架もため息をついている。
「兄貴が戻ってくれたらこのノリ、半分くらい引き受けてほしいんだけど……」
はー……と疲れている弟。すまん。苦労させているな。だが、戻る気はないし、戻ることもないだろう。
「美愛、弥生、今は黎の話を聞こうか?」
兄弟(俺たち)を囲んでわちゃわちゃしている母たちに、誠さんが言った。
+
「俺を、桜城の家から勘当してください」
『――――』
母家(おもや)の居間に呼ばれて、まずそう言った。
向かいに座る父当主と、その隣の母。少し離れた隣に座った架と、その隣にいる弥生さん。
父のみが意味を噛み砕くような顔をしているけど、ほかの三人は呆気に取られて黙ってしまった。
「お前がいきなり帰って来たと思ったら……とうとうそんなことを言い出すか」
「申し訳ありません。いつかはと思っていましたが、少し早めたくなりました」
「理由は? 小埜家に養子でもなるよう言われたか?」
「そのようなことはありません。ただ……」
「うん?」
言い差して、言葉を区切った。どのように言うものだろうか……。
「ただ、離れたくなりました――」
「黎」
誠さんは、硬い声で遮った。
「嘘偽りを許すように育てた覚えはないが?」
鋭い鬼人の眼差しで言われ、口を引き結んだ。陰陽師の配下(はいか)に下ったとはいえ、人外をまとめあげている人だ。その鋭さは牙のよう。
俺も、腹を括った。
「――架を、正式に跡継ぎとして披露目(ひろめ)てください」
「兄貴っ? だから俺はそういうのは――」
「架。黙っていなさい」
誠さんに制されて、架は立ち上がりかけていたのを退いた。
今度は美愛さんが腰を浮かせた。
「レイ……桜城の名を、マコとおそろいのものを捨ててしまうの?」
美愛さんは、正式に誠さんの妻ではない。
桜城内部では長男の母で当主妻として認められているけど、対外的にはその位置は弥生さんのものだ。
『桜城美愛』という名も、戸籍上は名乗れない。まだ、『ミーア・ウォルフシュタイン』が、美愛さんの正式な名前だ。