次の日、僕は学校帰りに橋の下に行くことにした。
お姉さんにごめんねと、そしてありがとうを言いたくて。
昨日はたまたまいなかったんだろうな、なんて深く考えてなくて。
でもそこに、お姉さんはいなかった。
その次の日も、その次の次の日も。
橋の下は空っぽのままだ。
僕に怒ってしまったのだろうか、別の事で忙しくなってしまったのだろうか。
いくら考えたって答えは分かるはずもなくて。
お姉さんに聞いてもらいたい事がたくさんあるのに。
お母さんに国語を教えてもらった話、リフティングが3回出来るようになった話、
井上の家に行ってチャーハンを食べた話、まだまだたくさん。
お姉さんを見つける手掛かりもなくて、僕は毎日橋の下に行った。
お姉さんのいない空っぽの鉄骨を見つめて、暗くなる前に帰る。
僕にはそんなことしか出来なくて。
そんなある日。
いつも通り橋の下に寄ってから家に向かっていれば、
向かい側から歩いてくる女の人に目を奪われた。
高いヒールの音が響いて、茶色い髪が風になびく。
その顔は、お姉さんによく似ていて。
交差点で見かけたあの日を、思い出した。
あれはお姉さんのお母さんだ。そう分かったけれど、声が出ない。
立ち止まってしまった僕を不審そうに横目で見つつ、
お姉さんのお母さんは僕の横を通り過ぎていく。
早く声をかけないと。
お姉さんがどこにいるのか知りたいんだ。
待って、
待って、
「待って!!」
思ったより大きな声が出てしまって自分でも驚く。
ジロリと僕を睨み、気味悪そうにしながらも、
お姉さんのお母さんは立ち止まってくれた。
「あのっ・・・」
「なに?」
「・・・お、お姉さんは、どこにいますか。」
我ながら間抜けな質問をしてしまった。
けど仕方ない、僕はお姉さんの名前すら知らないんだから。
案の定お姉さんのお母さんもますます不審そうな顔をして、
僕の顔をじっと見つめる。
「なに?由利か菫の知り合い?」
ゆり、すみれ。
きっとお姉さんと、お姉さんのお姉さんの名前だ。
何と説明すればいいか分からなくて、
でもどうしてもお姉さんの居場所を聞きたくて。
つっかえながらも、お姉さんの事を話した。おでこにしわは寄ったままだけど、
お姉さんのお母さんは最後まで話を聞いてくれた。聞き終えて、ああ、と頷いて。
「じゃあ由利の事ね。」
ゆり。
初めて知った、お姉さんの名前。
「お姉さ・・・ゆりさんは、元気ですか?」
僕の質問にお姉さんのお母さんははあ、とため息をつく。
その人を馬鹿にするような表情に、僕は悲しくなった。
「さあねえ。最近高校もサボりがちらしくて。
普段から全然話さない子だし。可愛くないよねえ、ほんとに。」
その言葉に何とも言えない気持ちが体中を駆け巡って、苦しくなる。
でもここで僕が泣いちゃだめだと、ぎゅっとこぶしを握り締めた。
「まあ菫とは結局出来が違うのよねえ。」
出来が違う、お姉さんも自分でそう言っていた。
きっと何回もこの人に言われてきたのだろう。
「菫は昔から勉強出来てさ。ああ、菫って由利のお姉ちゃんね。
でも由利はあんまり出来なくて。」
ふっ、と鼻で笑う。
「高校も頑張っていい所入ったけど、結局菫と比べたら、ねえ。
結局今みたいにサボっちゃうわけだし。」
元々人と話すことは好きなのか、お姉さんのお母さんは僕が何か言わずとも話し続けた。
「なんでか分からないけど高校も理数科に進学したのよね。
昔っから数学出来ないくせに。」
「りすうか?」
「ああごめんね、算数とか理科を勉強する所よ。」
算数とか、理科。
その言葉を聞いて、お姉さんの声が頭の中に流れる。
『小さい頃にね、一回だけお母さんに褒めてもらったことがあるの。』
お母さんに褒めて欲しくて、笑いかけて欲しくて。
たくさん勉強をして、算数のテストで一番の点数を取った話。
その話をしているときのお姉さんは、本当に嬉しそうだった。
「お母さんにほめられたから。」
「・・え?」
「お姉さんが算数を頑張る所に行ったのは、お母さんに褒められたことがあるからだと思います。」
「・・・なにそれ。」
僕の言葉にお姉さんのお母さんは首をかしげて、
お姉さんから聞いた話を、そのままお母さんに話す。
「・・なにそれ。」
もう一度そう繰り返して、お姉さんのお母さんはまたバカにしたように笑う。
笑ったけど、さっきとは少し違って、困ったように眉が下がっていた。
あ、この顔。・・・お姉さんの泣きそうな笑顔に、よく似ている。
「その話をしてる時、お姉さん・・じゃなくてゆりさん本当に嬉しそうで。」
「・・・」
「その時ゆりさん言ってました。私でも褒めてもらえるんだなって思ったって。」
「っ・・・そんな事覚えてたのあの子。それで理数科に?数学嫌いなのに?」
ばっかじゃないの、そう言った声は震えていて。
「なに菫と勝手に張り合ってんのよ。わたしは別に、あの子が勉強嫌いなの知ってたから・・・そんなの別に・・・」
大人はきっとそんなに大人じゃない。僕は知っている。
お母さんだってお父さんだって、辛い事があるし悲しい事があるし怒るし泣く。
家族だから何でもわかるわけじゃないし許されるわけじゃないし、僕はこの人のことはやっぱり好きになれない。
でも、お姉さんのお母さんは世界でたった1人のこの人だけだ。どこを探しても、この人しかいないんだ。
それがどんなに大切な事か、説明できないけど、でも、僕にだって分かる。
お姉さんにごめんねと、そしてありがとうを言いたくて。
昨日はたまたまいなかったんだろうな、なんて深く考えてなくて。
でもそこに、お姉さんはいなかった。
その次の日も、その次の次の日も。
橋の下は空っぽのままだ。
僕に怒ってしまったのだろうか、別の事で忙しくなってしまったのだろうか。
いくら考えたって答えは分かるはずもなくて。
お姉さんに聞いてもらいたい事がたくさんあるのに。
お母さんに国語を教えてもらった話、リフティングが3回出来るようになった話、
井上の家に行ってチャーハンを食べた話、まだまだたくさん。
お姉さんを見つける手掛かりもなくて、僕は毎日橋の下に行った。
お姉さんのいない空っぽの鉄骨を見つめて、暗くなる前に帰る。
僕にはそんなことしか出来なくて。
そんなある日。
いつも通り橋の下に寄ってから家に向かっていれば、
向かい側から歩いてくる女の人に目を奪われた。
高いヒールの音が響いて、茶色い髪が風になびく。
その顔は、お姉さんによく似ていて。
交差点で見かけたあの日を、思い出した。
あれはお姉さんのお母さんだ。そう分かったけれど、声が出ない。
立ち止まってしまった僕を不審そうに横目で見つつ、
お姉さんのお母さんは僕の横を通り過ぎていく。
早く声をかけないと。
お姉さんがどこにいるのか知りたいんだ。
待って、
待って、
「待って!!」
思ったより大きな声が出てしまって自分でも驚く。
ジロリと僕を睨み、気味悪そうにしながらも、
お姉さんのお母さんは立ち止まってくれた。
「あのっ・・・」
「なに?」
「・・・お、お姉さんは、どこにいますか。」
我ながら間抜けな質問をしてしまった。
けど仕方ない、僕はお姉さんの名前すら知らないんだから。
案の定お姉さんのお母さんもますます不審そうな顔をして、
僕の顔をじっと見つめる。
「なに?由利か菫の知り合い?」
ゆり、すみれ。
きっとお姉さんと、お姉さんのお姉さんの名前だ。
何と説明すればいいか分からなくて、
でもどうしてもお姉さんの居場所を聞きたくて。
つっかえながらも、お姉さんの事を話した。おでこにしわは寄ったままだけど、
お姉さんのお母さんは最後まで話を聞いてくれた。聞き終えて、ああ、と頷いて。
「じゃあ由利の事ね。」
ゆり。
初めて知った、お姉さんの名前。
「お姉さ・・・ゆりさんは、元気ですか?」
僕の質問にお姉さんのお母さんははあ、とため息をつく。
その人を馬鹿にするような表情に、僕は悲しくなった。
「さあねえ。最近高校もサボりがちらしくて。
普段から全然話さない子だし。可愛くないよねえ、ほんとに。」
その言葉に何とも言えない気持ちが体中を駆け巡って、苦しくなる。
でもここで僕が泣いちゃだめだと、ぎゅっとこぶしを握り締めた。
「まあ菫とは結局出来が違うのよねえ。」
出来が違う、お姉さんも自分でそう言っていた。
きっと何回もこの人に言われてきたのだろう。
「菫は昔から勉強出来てさ。ああ、菫って由利のお姉ちゃんね。
でも由利はあんまり出来なくて。」
ふっ、と鼻で笑う。
「高校も頑張っていい所入ったけど、結局菫と比べたら、ねえ。
結局今みたいにサボっちゃうわけだし。」
元々人と話すことは好きなのか、お姉さんのお母さんは僕が何か言わずとも話し続けた。
「なんでか分からないけど高校も理数科に進学したのよね。
昔っから数学出来ないくせに。」
「りすうか?」
「ああごめんね、算数とか理科を勉強する所よ。」
算数とか、理科。
その言葉を聞いて、お姉さんの声が頭の中に流れる。
『小さい頃にね、一回だけお母さんに褒めてもらったことがあるの。』
お母さんに褒めて欲しくて、笑いかけて欲しくて。
たくさん勉強をして、算数のテストで一番の点数を取った話。
その話をしているときのお姉さんは、本当に嬉しそうだった。
「お母さんにほめられたから。」
「・・え?」
「お姉さんが算数を頑張る所に行ったのは、お母さんに褒められたことがあるからだと思います。」
「・・・なにそれ。」
僕の言葉にお姉さんのお母さんは首をかしげて、
お姉さんから聞いた話を、そのままお母さんに話す。
「・・なにそれ。」
もう一度そう繰り返して、お姉さんのお母さんはまたバカにしたように笑う。
笑ったけど、さっきとは少し違って、困ったように眉が下がっていた。
あ、この顔。・・・お姉さんの泣きそうな笑顔に、よく似ている。
「その話をしてる時、お姉さん・・じゃなくてゆりさん本当に嬉しそうで。」
「・・・」
「その時ゆりさん言ってました。私でも褒めてもらえるんだなって思ったって。」
「っ・・・そんな事覚えてたのあの子。それで理数科に?数学嫌いなのに?」
ばっかじゃないの、そう言った声は震えていて。
「なに菫と勝手に張り合ってんのよ。わたしは別に、あの子が勉強嫌いなの知ってたから・・・そんなの別に・・・」
大人はきっとそんなに大人じゃない。僕は知っている。
お母さんだってお父さんだって、辛い事があるし悲しい事があるし怒るし泣く。
家族だから何でもわかるわけじゃないし許されるわけじゃないし、僕はこの人のことはやっぱり好きになれない。
でも、お姉さんのお母さんは世界でたった1人のこの人だけだ。どこを探しても、この人しかいないんだ。
それがどんなに大切な事か、説明できないけど、でも、僕にだって分かる。