失恋から立ち直ってくれたのはいい。けれど、もっと泥沼に足を突っ込もうとしている友を見捨てるのは、流石に出来なかった。
冷めたコーヒーを一気に飲み干して、正面の彼女へと真剣に視線を向ける。
「あのさ柚子。お金で話したり支えないといけないような人とじゃ、幸せになんてなれないよ?」
「……そんなことないよ、好きでやってるんだもん。その人に日々ドキドキや癒しを貰えて、今のゆず、とっても幸せだよ?」
確かに、今の柚子は幸せそうだ。
会話の途中にも、例の運命の人の写真を見ているのであろう。スマホを時折チェックしているし、その時は分かりやすく頬が緩んでいる。
身近な人に裏切られたばかりで、非日常な恋に憧れているのかも知れない。その人を想い支えることで、日々満ち足りているのかもしれない。ただの幼馴染みに、そんな気持ちを止める権利は、ないのかもしれない。それでも、心配だった。
「そんなに言うなら、その人に会わせて欲しい。柚子を任せるに値するか、きちんと見定める」
「会わせる……? えーと、会うのはちょっと……」
「反対されるって思うから?」
「……ていうか、ゆずも会ったことはないから……」
「……は?」
予想外の言葉に、思わずぽかんとしてしまう。
会ったこともない相手と、話すために貢いでいる?
訳がわからず、それ以上言葉を紡げずにいると、気付けば特大パフェもぺろりと完食していた彼女は、至極当然とばかりに笑う。
「そもそも、ウリエル様に会ったことある人なんて居ないよ」
「……う、ウリエル……様?」
「うん!」
突然提示された宗教色の濃い名前に、一瞬身構える。しかしその表情は、恋する乙女そのものだ。
「ええとねぇ……この人! ゆずの運命の人、VTuberの雨竜シエル。略してウリエル様!」
「……え」
彼女の差し出すスマホ画面に映されたのは、中性的なキャラクターが描かれた一枚のイラスト。
顔がいいと散々褒めていたのは、相手が生身ではなく美麗なイラストだから……納得したと同時に、最初に聞いた散々のディスりを思い出す。
「……つまり、配信内容やシエルの中身じゃなく、単純に見た目が好みだと……」
「配信内容も嫌いじゃないよ? 生配信は毎回リアタイしてるし……でもやっぱり、見た目補正がヤバイ。声も見た目も中性的だから、魂が男か女かもわからないけど。そんなところもマジ天使だし、推ししか勝たん!」
「……恋と言うより、推し感覚? それなら、まあ……」
「でも、毎日顔を見るだけでドキドキするから、もう推しなんて通り越して、ゆずは完全にウリエル様のガチ恋勢です」
「……」
しばらくスマホ画面を見詰めた後、そっと柚子へと返却する。そこから一時間、彼女の「この前投げ銭したらお礼コメントくれた」等の惚気を聞かされたのだが、それ以上突っ込んだり否定することは出来なかった。
*****
「それじゃあ、今日は色々聞いてくれてありがと! 今度空ちゃんも、ウリエル様の配信一緒に見ようねぇ」
「あはは……」
御機嫌な彼女と別れた帰り道、表向きいつも通り振る舞っていたものの、未だ心臓がばくばくと煩かった。
改めて自分のスマホで先程布教された動画を表示させて、一人溜め息を吐く。
「雨竜シエル……」
スマホを握る掌にじんわり汗が滲むのを感じつつ、先日の配信のアーカイブを開く。そして柚子が言っていた投げ銭とコメントを確認して、話の内容から彼女ハンドルネームをすぐに特定した。
「いや、大丈夫じゃないとか散々突っ込んだけど、客観的に見て大分酷いな……私」
雨竜シエルこと、雨宮空。
このまま幼馴染みに正体がバレないよう、如何にしてリアコを卒業させるか。
隠れ配信者の身に突如として降りかかったかつてないミッションに、冷や汗と動悸が止まらない。
配信で幻滅されるような何かをやらかそうにも、彼女が中身より見た目に惚れているのだから質が悪い。
眺めていたスマホに、彼女から「この動画おすすめ!」と幾つかのURLが添えられたメッセージが届く。
思わず固まってしまい返事をしないでいると「大食いYouTuberになったら、ウリエル様とコラボもワンチャンあるかな!?」等と更なる追撃が来る。
奇しくも先日の彼女の投げ銭で飲んだブラックコーヒーが胃を締め付けて、私の波乱の日々は、こうして幕を開けたのだった。