今日は卒業式だ。大和と私が中高6年間を過ごしたこの学園に、晴れ渡る空の下さよならをする。全寮制中高で、家族よりも長い時間を一緒に過ごした。6年間出席番号が隣で、同じテニス部の大和とは双子のように気が合った。四六時中一緒にいた私たちが恋仲になるのに時間はかからなかった。大和を大和と呼ぶのは私だけ。私を八千代と呼ぶのは大和だけ。

 私たちが付き合っていることは誰にも言わなかった。秘密の恋だった。だからペアリングは薬指ではなく、右手の人差し指にしていた。


 教室に着くと、クラスメイトがガヤガヤしていた。いつもは着崩した制服と、寮でのラフな格好しか見ていなかったから、きっちりとボタンを留めたみんなの制服姿が新鮮だった。


「晴れてよかったねー!行事毎年ほとんど晴れてたし、この学年、きっと晴れ女がいたんだねー!」

「はいはーい!私が晴れ女でーす!」

「いやいや、サオリだけはないわ。サオリ日頃の行い悪いし」

「ひっどーい!私こんなに良い子なのにー!」


 いつもと変わらない他愛の無いやり取りをする者、これから始まる卒業式の話をする者と様々だった。


「答辞ってシホだっけ?」

「ううん。答辞は私」

「あ、謝恩会の挨拶がシホか」

「そうそう」

「やばい、あたし今から泣きそうなんだけどー!」

「えーユウカ泣くの早くない?」


 ガヤガヤとした教室だが、一際大きな声でクラスメイトのミユが窓際に人を呼び寄せた。


「ヒナぁ。いまのうちに写真撮ろうよ!みんなも集まってー!」


 ぞろぞろと大勢が窓際に集合する。


「もうちょいみんな真ん中寄って!ユウカはもっとかがんで!」

「ちょっと、今私目つぶったからもう1回!」

「あとでクラスラインに貼っといてねー」


 ミユやユウカと窓際で写真を撮る大和は、廊下側でクラスメイトと話す私と目を合わさない。私の寝顔も、泣き顔も知っている大和に、私の今の顔はどう映るのか。

 大和は私の青春のすべてだった。お互いのいいところも駄目なところも全部知っていた。私が、中学2年生の時好きな漫画のキャラの真似をして「俺」と言って男言葉をしゃべっていたこと。大和が実はあがり症で、生徒会長選挙の前にガチガチになっていたこと。私が、作文が苦手なこと。私が書いた応援演説の原稿は日本語がおかしくて、ほとんど大和に修正してもらった。

 二人で生徒会にいたときは、忙しいながらも充実していた。文化祭や生徒総会の前は日曜日を返上して寮の部屋で、二人きりで作業を進めた。朝からずっと作業をして終わったときには夕方なんてこともざらにあった。部屋に差し込む西日の眩しさが今も忘れられない。


 思えば、寮の部屋から見える夕日はとても美しかった。初めてキスをした日も窓から鮮やかな夕焼けが見えた。夕焼けに照らされた大和の美しさを自分だけのものにしたくなった。どちらからともなく、私たちは唇を重ねた。

 大和の愛読書カミュの『異邦人』の中では主人公のムルソーが、太陽がまぶしかったという理由で殺人を犯すらしい。太陽は人を衝動的にするのだろうか。
 難しくてよく分からなかったけれど、犯行そのものは命の危機を感じての正当防衛が成立するシチュエーションであったらしい。しかし、実際には「太陽がまぶしかったから」と供述したことで正当防衛は適応されず、ムルソーは処刑される。

 いけないことだと分かっていた。生きたいと願うことが人間の本能ならば、愛したいと願うこともまた本能なのだろう。太陽は人の本能を呼び覚ます。私たちは、夕日のせいにして毎日のように狭い部屋で唇を重ね合わせた。13歳の幼い恋は歯止めがきかなかった。初恋は叶わないと昔の誰かが言ったけれど、夕日が言い訳をくれた恋を永遠にしたいと願った。




 ある夕方、キスをした後、私たちは窓辺に立って夕日を眺めた。手を繋いで指を絡めて、遠い未来を夢見た。

「大人になったら駆け落ちしよう」

「そうしたいけど、いけないこと、だよね」

「これは俺達の恋を守るための正当防衛だよ」

 手を握る力は、どちらからともなく強くなった。

「……じゃあ必ず私をさらってね」

「約束する。だって、こんなにも夕焼けは綺麗だから」

初恋を守るための聖戦を大人に挑む約束は、果たされることはなかった。


 私が内部推薦で大学進学することが決まった日に、大和が卒業後フランスの大学に留学することを知った。大学を卒業した後、向こうで院に行くかもしれないし、向こうで就職するかもしれない。いつ戻ってくるかは分からない。大和は普通の大人になった。いつまでも子供のままごと遊びのような恋にとらわれるよりも、無限の可能性のある将来を選んだ。

 出発の便は卒業式当日の17時すぎに出るらしい。卒業式は出られるけれど、そのあとの謝恩会には出席できないと言われた。

 少しずつすれ違いは進んでいった。留学準備の段階で、進路が分かれただけで私たちの生活は少しずつ変わっていった。きっと、いつか耐えられなくなる。私たちは、高校を卒業したら別れることにした。夕日の中の思い出を永遠に綺麗なままにしておくために、残りわずかな時間を大切にしようと決めた。


 寮の荷物をすべて実家に郵送した昨日、最後の夕焼けを眺めながら、あの日と同じように窓辺に立って手を繋いで指を絡めた。

「八千代、友達に戻ろう」

「うん。わかった」

「本当に好きだったよ」

 もしも願いが何でも1つだけ叶うのならば、あの手を永遠に離したくなかったのに。


 卒業生のコサージュ、胸元の花の花言葉も物知りな大和なら知っているんだろうか。そんなことをぼーっと考えながら講堂に移動し、卒業式が始まる。

「赤城沙織」「はい」「浅川みゆ」「はい」「石崎優花」「はい」

 卒業証書の授与が始まった。出席番号順に並んだ講堂で、私のすぐ隣に大和がいる。手をほんの数センチ動かせば、大和の手に触れられるのにもう触れることはできない。

 大和と手を繋いで夕日を眺めたあの日々。もう大和はペアリングを捨ててしまったのだろうか。左手の薬指に指輪をはめて、繋ぎとめることはできない。いつか大和は私以外の誰かと同じ指輪をして、私以外の誰かと手を繋ぐんだろう。


 式が終わった後、講堂から校舎に戻る途中で大和を見失ってしまった。少し遅れて教室に戻ると、大和の荷物も大和の姿もなかった。最後のホームルームを待たず、空港に向かうらしい。私は大和を探して教室を飛び出した。

 昇降口に大和の上履きも革靴もなかった。もう出発してしまったのかと思ったけれど、そんなに時間は経っていない。もしかしたら裏口の方から出たのかもしれない。


 私は裏口に走って向かった。すると、スーツケースをひいている大和を見つけた。大和を呼び止める。

「ああ、見つかっちゃった」

息を整える。

「見送りに来てくれたの?」

「うん」

 言いたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にできないことがもどかしい。

「そっかありがとう」

 大和が私の頬に手を添える。そして、大和の唇が私の唇に触れた。学校の校舎内でキスをされたのは初めてだった。


「さよなら八千代。愛してた」


 それだけ言うと、重そうに見えるスーツケースを持っているとは思えないくらい軽やかに走り去っていった。スーツケースのガラガラという音だけが廊下に響いた。最後まで声が出なくて返事はできなかった。