前回のあらすじ
身元不詳の女子中学生が体で払わせてくださいとお願いする回でした。
誇り高き放浪伯が剣、誉れ高き遍歴の騎士の名を頂いたアルコ・フォン・ロマーノが、定例の巡回経路を外れ、あり触れたさびれた街のひとつに過ぎないレモの街に訪れたのは、なにも旅の遊びの内ではなかった。
昨今帝国東部を騒がせる茨の魔物の跳梁を耳にし、アルコとその従者フラーニョはその噂を確かめるべくこのしなびた街へ向かったのだった。
レモの街に至る街道は代り映えのしないものだった。アルコたち遍歴の騎士たちが、またそれぞれの領主に剣を捧げた巡回騎士たちが盗賊や魔獣・害獣を討伐して回り、今も宿場を増やしつつある街道は、旅慣れた者たちにとっては歩き慣れた実家の庭ほども安全だ。
「実家の庭に豚鬼出るんですねアルコ様」
「出な……いや、たまに出たかな」
「辺境ですか」
「失敬な奴だな。第一ご近所さんだろう」
まあ安全といえども限度はある。
遍歴の騎士も巡回騎士も数に限りはあるのだ。旅路の完全な安全の達成、盗賊や魔獣・害獣の駆逐にはまだまだ時間がかかるだろう。
何しろ盗賊の絶えたためしはなく、魔獣や害獣とはいずこからともなく湧いてくるようなものだからだ。
ともあれ、無事豚鬼の群れと角猪たちを狩りつくし、アルコとフラーニョは使用した矢を回収し、討伐の証明として豚鬼は左耳を切り取り、角猪は角を圧し折って革袋に詰めた。
矢の数は、豚鬼の数とぴたりそろった。
この程度の相手に自慢する程ではなかったが、アルコは《無駄なし》の異名を誇る弓の名手である。
余りにも平然と盗賊を、魔獣を、そして害獣を仕留める手腕は全く淀みというものがなく、傍目から見る分には自分にもできるのではないかと思わせるほどに手軽にやってのけるが、もちろんこれは言うほどには簡単な事ではない。
まして今回の相手はただの豚鬼ではなく、旅人を追いかけまわしているその最中であった。
敵の注意が他所に向いているというのは一見してこちらに有利であるばかりのように思えるが、実際のところはそう簡単な話ではない。
射かける側としては、逃げる旅人が次にどちらへ逃げてどう動くのかを把握した上で、それを追いかける敵を狙わなければならない。
ましてお世辞にも安定しているとはいいがたい角猪の上にある、暴れに暴れる豚鬼たちを、こちらも揺れる騎馬の上から射掛けるのだから、生半な腕ではまず、当てることさえ難しい。
それをすべて、滑りやすい頭に正確に命中させ、ただの一発ずつで絶命させているのだから、これは、
(全く、相変わらず化け物じみている……)
と言ってよい。
助けた旅人は奇妙ななりであった。
ふわりふわりと柔らかな布をふんだんに使う、どこか神官の法衣のような印象なのだが、妙に露出があったり、やけに飾りが多かったりと、踊り子のようでもある。
またしがみつくようにまたがった馬も珍しい、というよりは見たことがない。
山猫や豹と言った大型の猫のようにも見えるが、よく見れば目や口といったものがないのっぺらぼうで、時折主と何かしら話し合っているようにさえ見える。
妙な魔獣である。
ユヅルという名も聞き慣れぬ響きである。
西方の響きによく似ているが、ユヅルの話す交易共通語はなまりのない綺麗なものである。
また奇妙な所はさらに続いた。
レモの街の街門に辿り着き、遍歴の騎士に与えられた通行手形を見せたまではいいが、助けた旅人は手形も、身分を証明するものも、何も持っていないという。
「フムン、どこかで落としてきてしまったのかな」
「服もきれいですし、近くで仲間がはぐれているのかもしれませんね」
考えてみれば、どうにも頼りなさそうな小娘が馬を頼りに一人旅をするなどというよりは、旅の仲間とはぐれてしまったと考える方が真っ当である。
とはいえ、そのはぐれた理由とはぐれた先とを考えると、まず真っ先に思い当たるのが先の豚鬼どもであるから、アルコとフラーニョは顔を見合わせた。
まさか今にも泣きだしそうな小娘に確かめてみるわけにもいくまいと思っていると、おもむろに娘が顔を上げた。
「え、ええとですね、さっきの、豚鬼達に追いかけられていた所からはわかるんです。でも、それ以前のことは記憶があいまいで、頭をぶつけたせいだとは思うんですけれど。ここがどこかも、自分がどこから来たかもわからないんです。あ、名前とかはわかるんですけど」
何もわからないという現状に緊張と不安を感じているのか、早口でいささか挙動の怪しいところはあったが、言い分は成程わからないでもなかった。
特に荒事に慣れていない子供などは、凄惨な光景を心が受け止め切れず、咄嗟に心を閉ざして見なかったことにしてしまうということが多々見られる。大人でさえ時にそういった、現実を受け入れ切れずに心壊すことがあるのだ、この手弱女にそのような災難が降りかかっても致し方のないことと思われた。
もちろん、よくあることだけに悪党どものよく使う文言でもあるが、この水仕事もしたことがなさそうな指と言い、ふっくらとした頬と言い、いかにも小金持ちの商人の娘といった風情に、そのような疑いをかけられようはずもなかった。
よしんば偽りであったとしても、どうせ無理な婚姻でも押し付けられそうになって身一つで逃げ出してきた家出娘とか、そのようなことだろう。そういった家庭の事情に首を突っ込むのはいささか以上に、野暮だ。
アルコ達は深入りすることを止め、ただ身寄りのない娘を保護したということで、しばらくの面倒を見ようと決めた。
そういうアルコ達の気遣いを察してか、ユヅルは健気にも路銀の持ち合わせがないこと、また働いて返すつもりであることを告げてくれたが、仮にも遍歴の騎士が保護した娘を働かせて路銀を稼いだなどということがあってはならない。
その気持ちばかりは立派なものだから、何か形ばかりの仕事でも与えて満足させるべきだろうか。
アルコ達がそのような事を考えていると、思いもかけない言葉がユヅルの口からこぼれた。
「わ、わたし、魔法が使えるんです!」
フムン、とアルコは顎をさすり、馬上からちらとフラーニョを見やった。
フラーニョもまた、思案顔である。
魔法使い、魔術師というものはこれは才能が大きいものであるから、誰しもが使えるものではない。しかし逆に言えば才能さえあれば、農民でも気軽に使えるものもいるし、騎士などはみな一つや二つの魔法は覚えているものである。
それこそ水くみを楽にする程度のものも、魔法と言ってよいのだ。
「何ができるんだい?」
「その、き、傷を治したりできます。あと、疲れをとったり」
しかしユヅルの口にしたものは、どちらも身近な魔法と言っていいものではない。
魔法でも同じことはできるが、どちらかと言えば神の力を借りる神官の技である。
「以前、村の薬師がスリ傷や切り傷といった小さな傷を治すまじないを使うのを見たことがあります。その程度でしたら、有り得るのでは」
フラーニョもそういうことであるし、何より必死に言い募る小娘を嘘つき呼ばわりするのは、遍歴の騎士のすることではない。
「わかった、わかった。君の魔法については後で考えるとして、まず宿をとろう」
門前でつかえて、いい加減に流れが滞っていた。
宿と言っても、市井の宿を探す必要はなかった。
遍歴の騎士というものは言ってみればある種の公務員であり、その職務は公務であるから、村であれば村長に、町であれば町長に、レモの街のようなある程度の大きさの街であれば代官に宿を求めれば、これは余程の事でもない限り快く受け入れられるものである。
代官の屋敷について、馬とユヅルをフラーニョに任せると、アルコは一人応接間で代官と向き合った。
「これはこれは、まさか遍歴の騎士様がお出でなさるとは」
「茨の魔物が出たと聞き及び、微力ながらとはせ参じました」
「ありがたい。私はこの街の代官を任されております、郷士ジェトランツォ・ハリアエートと申します」
郷士ジェトランツォは上背のある堂々とした初老の人族男性だった。
物言いこそ丁寧ながら、むしろ度量の大きさのようなものがはっきりと見て取れ、いくら才気に富むとはいえ若造に過ぎないアルコにはいささか苦手とする相手である。
「それで、シニョーロ・ジェトランツォ」
「敬称はやめてくだされ。放浪伯の剣に頭を下げさせたとあっては」
「では、ジェトランツォ殿。よしなに」
「ええ、ええ。客室を用意させます。それで、お連れは……?」
「私の従者と、門前で保護した娘です。豚鬼の群れに襲われていたところを拾いました」
「なんと、我が街の軒先でそのようなことが。よろしければこの街でお預かりいたしましょうか?」
「滞在中は面倒を見るつもりですが、娘が望むようであればよろしくお願いしたい」
「勿論、勿論」
「手慰みに仕事など与えていただけると助かります。あれが言うには、癒しの魔法が、」
豪華ではないがしっかりとした作りの椅子に腰を下ろし、水で薄めた蜂蜜酒を酌み交わしながら詳細を話し合おうとしたところで、窓の外から歓声が響いた。
「おお! おお! すごいぞ!」
「次は俺だ、俺を頼む!」
「いや、馬が先だ!」
「病は治るのか!?」
アルコとジェトランツォは顔を見合わせた。
窓から見下ろせば、中庭にずらりと男たちが並び、小柄な娘を取り囲んでいるようである。
娘はユヅルであった。
「おい、おい、貴様ら、なにをしておるか! 客人のお連れであるぞ!」
獅子の吠えるような声で郷士が怒鳴りつけると、男たちはさっと青くなって跪いた。その中できょとんとしたユヅルが、こちらを見上げて、よくわからないといった顔つきでためらいがちに手を振った。
「何があったというのだ。トリデント、説明しておくれ」
一喝した後はむしろどっしりと腰を落ち着けた様子で、郷士が下男の一人に尋ねると、下男は興奮した様子で物語った。
「き、傷が治ったんでさ!」
「なに? 傷が? 詳しく申せ」
「昨日馬に蹴られて腕の骨を折っていたんですが、この嬢ちゃん、いえ、こちらのお嬢さんが手をかざすや、あっという間に骨が接いで、痛みもなくなっちまったんでさ!」
「俺もです御代官様! ナイフでざっくり切っちまったところが、あっという間に跡も残らねえんだ!」
「馬たちの怪我も直してくださったんでさ!」
口々に叫ぶ男たちに囲まれて、ユヅルが困惑したように呟いた。
「や、やりすぎちゃった、かも……」
用語解説
・放浪伯
ヴァグロ・ヴァグビールド・ヴァガボンド(Vagulo Vagbirdo Vagabondo)放浪伯。
帝国各地に、大きくはないが点在する形で飛び地領地を数多く持つ大貴族。
過去の戦争中にあちらこちらで転戦して領地を獲得していった結果らしい。
本来であれば利便性の為にもどこかにまとめる筈だったらしいが、本人の放浪癖とあまりに力を持ち過ぎる事への懸念からあえて分散させている。
当人はいたって能天気で権力に興味はない。
旅の神ヘルバクセーノの加護により、一所に長くとどまることが出来ない代わりに、旅を続ける限り不死である。
・レモの街
(Lemo)
帝国東部の小さな町の一つ。放浪伯の所有する領地の一つ。
養蜂が盛んで、蜂蜜酒が名産の一つ。
・山猫/豹
大型のネコ科の獣。
・魔獣
魔法を使う獣の総称。
・交易共通語
帝国全土で用いられている公用語。種族、地域問わずに用いられるが、それぞれに訛りがある。
・魔法
魔力を用い、精霊の力を借りて奇跡を起こす技。
・神官の技
神の力を借り、奇跡を起こす技。法術。
・郷士(hidalgo)
貴族階級と平民の間にある身分。
主に貴族が不在地主である領地で、代官として領地を治める家。
一代限りであるが、通常は長男が次の郷士として叙任される。
・ジェトランツォ・ハリアエート(Ĵetlanco Haliaeto)
レモの街の代官として代々郷士に叙任されてきたハリアエート家の現当主。
五十を超えていい加減代替わりを考えねばならない年だが、長男がせめて一度でいいから父に土をつけるまではと代替わりを渋っている。
・シニョーロ(Sinjoro)
英語でいうSirにあたる。騎士、また郷士に敬称として用いる。
・蜂蜜酒(Medi-trinko)
蜂蜜を水で割り、発酵させた酒類。ここでは保存性、香りづけ、また薬効を高めるために種々の香草を加えたものを言う。
栄養価も高いことから医師の飲み物(Medicinista trinkaĵo)、略してメディトリンコと呼ばれている。その効能と安価なことから民衆にも親しまれている。
東部では養蜂が盛んで、レモの街でも製造している。
・トリデント(Tridento)
ハリアエート家に仕える下男頭。
身元不詳の女子中学生が体で払わせてくださいとお願いする回でした。
誇り高き放浪伯が剣、誉れ高き遍歴の騎士の名を頂いたアルコ・フォン・ロマーノが、定例の巡回経路を外れ、あり触れたさびれた街のひとつに過ぎないレモの街に訪れたのは、なにも旅の遊びの内ではなかった。
昨今帝国東部を騒がせる茨の魔物の跳梁を耳にし、アルコとその従者フラーニョはその噂を確かめるべくこのしなびた街へ向かったのだった。
レモの街に至る街道は代り映えのしないものだった。アルコたち遍歴の騎士たちが、またそれぞれの領主に剣を捧げた巡回騎士たちが盗賊や魔獣・害獣を討伐して回り、今も宿場を増やしつつある街道は、旅慣れた者たちにとっては歩き慣れた実家の庭ほども安全だ。
「実家の庭に豚鬼出るんですねアルコ様」
「出な……いや、たまに出たかな」
「辺境ですか」
「失敬な奴だな。第一ご近所さんだろう」
まあ安全といえども限度はある。
遍歴の騎士も巡回騎士も数に限りはあるのだ。旅路の完全な安全の達成、盗賊や魔獣・害獣の駆逐にはまだまだ時間がかかるだろう。
何しろ盗賊の絶えたためしはなく、魔獣や害獣とはいずこからともなく湧いてくるようなものだからだ。
ともあれ、無事豚鬼の群れと角猪たちを狩りつくし、アルコとフラーニョは使用した矢を回収し、討伐の証明として豚鬼は左耳を切り取り、角猪は角を圧し折って革袋に詰めた。
矢の数は、豚鬼の数とぴたりそろった。
この程度の相手に自慢する程ではなかったが、アルコは《無駄なし》の異名を誇る弓の名手である。
余りにも平然と盗賊を、魔獣を、そして害獣を仕留める手腕は全く淀みというものがなく、傍目から見る分には自分にもできるのではないかと思わせるほどに手軽にやってのけるが、もちろんこれは言うほどには簡単な事ではない。
まして今回の相手はただの豚鬼ではなく、旅人を追いかけまわしているその最中であった。
敵の注意が他所に向いているというのは一見してこちらに有利であるばかりのように思えるが、実際のところはそう簡単な話ではない。
射かける側としては、逃げる旅人が次にどちらへ逃げてどう動くのかを把握した上で、それを追いかける敵を狙わなければならない。
ましてお世辞にも安定しているとはいいがたい角猪の上にある、暴れに暴れる豚鬼たちを、こちらも揺れる騎馬の上から射掛けるのだから、生半な腕ではまず、当てることさえ難しい。
それをすべて、滑りやすい頭に正確に命中させ、ただの一発ずつで絶命させているのだから、これは、
(全く、相変わらず化け物じみている……)
と言ってよい。
助けた旅人は奇妙ななりであった。
ふわりふわりと柔らかな布をふんだんに使う、どこか神官の法衣のような印象なのだが、妙に露出があったり、やけに飾りが多かったりと、踊り子のようでもある。
またしがみつくようにまたがった馬も珍しい、というよりは見たことがない。
山猫や豹と言った大型の猫のようにも見えるが、よく見れば目や口といったものがないのっぺらぼうで、時折主と何かしら話し合っているようにさえ見える。
妙な魔獣である。
ユヅルという名も聞き慣れぬ響きである。
西方の響きによく似ているが、ユヅルの話す交易共通語はなまりのない綺麗なものである。
また奇妙な所はさらに続いた。
レモの街の街門に辿り着き、遍歴の騎士に与えられた通行手形を見せたまではいいが、助けた旅人は手形も、身分を証明するものも、何も持っていないという。
「フムン、どこかで落としてきてしまったのかな」
「服もきれいですし、近くで仲間がはぐれているのかもしれませんね」
考えてみれば、どうにも頼りなさそうな小娘が馬を頼りに一人旅をするなどというよりは、旅の仲間とはぐれてしまったと考える方が真っ当である。
とはいえ、そのはぐれた理由とはぐれた先とを考えると、まず真っ先に思い当たるのが先の豚鬼どもであるから、アルコとフラーニョは顔を見合わせた。
まさか今にも泣きだしそうな小娘に確かめてみるわけにもいくまいと思っていると、おもむろに娘が顔を上げた。
「え、ええとですね、さっきの、豚鬼達に追いかけられていた所からはわかるんです。でも、それ以前のことは記憶があいまいで、頭をぶつけたせいだとは思うんですけれど。ここがどこかも、自分がどこから来たかもわからないんです。あ、名前とかはわかるんですけど」
何もわからないという現状に緊張と不安を感じているのか、早口でいささか挙動の怪しいところはあったが、言い分は成程わからないでもなかった。
特に荒事に慣れていない子供などは、凄惨な光景を心が受け止め切れず、咄嗟に心を閉ざして見なかったことにしてしまうということが多々見られる。大人でさえ時にそういった、現実を受け入れ切れずに心壊すことがあるのだ、この手弱女にそのような災難が降りかかっても致し方のないことと思われた。
もちろん、よくあることだけに悪党どものよく使う文言でもあるが、この水仕事もしたことがなさそうな指と言い、ふっくらとした頬と言い、いかにも小金持ちの商人の娘といった風情に、そのような疑いをかけられようはずもなかった。
よしんば偽りであったとしても、どうせ無理な婚姻でも押し付けられそうになって身一つで逃げ出してきた家出娘とか、そのようなことだろう。そういった家庭の事情に首を突っ込むのはいささか以上に、野暮だ。
アルコ達は深入りすることを止め、ただ身寄りのない娘を保護したということで、しばらくの面倒を見ようと決めた。
そういうアルコ達の気遣いを察してか、ユヅルは健気にも路銀の持ち合わせがないこと、また働いて返すつもりであることを告げてくれたが、仮にも遍歴の騎士が保護した娘を働かせて路銀を稼いだなどということがあってはならない。
その気持ちばかりは立派なものだから、何か形ばかりの仕事でも与えて満足させるべきだろうか。
アルコ達がそのような事を考えていると、思いもかけない言葉がユヅルの口からこぼれた。
「わ、わたし、魔法が使えるんです!」
フムン、とアルコは顎をさすり、馬上からちらとフラーニョを見やった。
フラーニョもまた、思案顔である。
魔法使い、魔術師というものはこれは才能が大きいものであるから、誰しもが使えるものではない。しかし逆に言えば才能さえあれば、農民でも気軽に使えるものもいるし、騎士などはみな一つや二つの魔法は覚えているものである。
それこそ水くみを楽にする程度のものも、魔法と言ってよいのだ。
「何ができるんだい?」
「その、き、傷を治したりできます。あと、疲れをとったり」
しかしユヅルの口にしたものは、どちらも身近な魔法と言っていいものではない。
魔法でも同じことはできるが、どちらかと言えば神の力を借りる神官の技である。
「以前、村の薬師がスリ傷や切り傷といった小さな傷を治すまじないを使うのを見たことがあります。その程度でしたら、有り得るのでは」
フラーニョもそういうことであるし、何より必死に言い募る小娘を嘘つき呼ばわりするのは、遍歴の騎士のすることではない。
「わかった、わかった。君の魔法については後で考えるとして、まず宿をとろう」
門前でつかえて、いい加減に流れが滞っていた。
宿と言っても、市井の宿を探す必要はなかった。
遍歴の騎士というものは言ってみればある種の公務員であり、その職務は公務であるから、村であれば村長に、町であれば町長に、レモの街のようなある程度の大きさの街であれば代官に宿を求めれば、これは余程の事でもない限り快く受け入れられるものである。
代官の屋敷について、馬とユヅルをフラーニョに任せると、アルコは一人応接間で代官と向き合った。
「これはこれは、まさか遍歴の騎士様がお出でなさるとは」
「茨の魔物が出たと聞き及び、微力ながらとはせ参じました」
「ありがたい。私はこの街の代官を任されております、郷士ジェトランツォ・ハリアエートと申します」
郷士ジェトランツォは上背のある堂々とした初老の人族男性だった。
物言いこそ丁寧ながら、むしろ度量の大きさのようなものがはっきりと見て取れ、いくら才気に富むとはいえ若造に過ぎないアルコにはいささか苦手とする相手である。
「それで、シニョーロ・ジェトランツォ」
「敬称はやめてくだされ。放浪伯の剣に頭を下げさせたとあっては」
「では、ジェトランツォ殿。よしなに」
「ええ、ええ。客室を用意させます。それで、お連れは……?」
「私の従者と、門前で保護した娘です。豚鬼の群れに襲われていたところを拾いました」
「なんと、我が街の軒先でそのようなことが。よろしければこの街でお預かりいたしましょうか?」
「滞在中は面倒を見るつもりですが、娘が望むようであればよろしくお願いしたい」
「勿論、勿論」
「手慰みに仕事など与えていただけると助かります。あれが言うには、癒しの魔法が、」
豪華ではないがしっかりとした作りの椅子に腰を下ろし、水で薄めた蜂蜜酒を酌み交わしながら詳細を話し合おうとしたところで、窓の外から歓声が響いた。
「おお! おお! すごいぞ!」
「次は俺だ、俺を頼む!」
「いや、馬が先だ!」
「病は治るのか!?」
アルコとジェトランツォは顔を見合わせた。
窓から見下ろせば、中庭にずらりと男たちが並び、小柄な娘を取り囲んでいるようである。
娘はユヅルであった。
「おい、おい、貴様ら、なにをしておるか! 客人のお連れであるぞ!」
獅子の吠えるような声で郷士が怒鳴りつけると、男たちはさっと青くなって跪いた。その中できょとんとしたユヅルが、こちらを見上げて、よくわからないといった顔つきでためらいがちに手を振った。
「何があったというのだ。トリデント、説明しておくれ」
一喝した後はむしろどっしりと腰を落ち着けた様子で、郷士が下男の一人に尋ねると、下男は興奮した様子で物語った。
「き、傷が治ったんでさ!」
「なに? 傷が? 詳しく申せ」
「昨日馬に蹴られて腕の骨を折っていたんですが、この嬢ちゃん、いえ、こちらのお嬢さんが手をかざすや、あっという間に骨が接いで、痛みもなくなっちまったんでさ!」
「俺もです御代官様! ナイフでざっくり切っちまったところが、あっという間に跡も残らねえんだ!」
「馬たちの怪我も直してくださったんでさ!」
口々に叫ぶ男たちに囲まれて、ユヅルが困惑したように呟いた。
「や、やりすぎちゃった、かも……」
用語解説
・放浪伯
ヴァグロ・ヴァグビールド・ヴァガボンド(Vagulo Vagbirdo Vagabondo)放浪伯。
帝国各地に、大きくはないが点在する形で飛び地領地を数多く持つ大貴族。
過去の戦争中にあちらこちらで転戦して領地を獲得していった結果らしい。
本来であれば利便性の為にもどこかにまとめる筈だったらしいが、本人の放浪癖とあまりに力を持ち過ぎる事への懸念からあえて分散させている。
当人はいたって能天気で権力に興味はない。
旅の神ヘルバクセーノの加護により、一所に長くとどまることが出来ない代わりに、旅を続ける限り不死である。
・レモの街
(Lemo)
帝国東部の小さな町の一つ。放浪伯の所有する領地の一つ。
養蜂が盛んで、蜂蜜酒が名産の一つ。
・山猫/豹
大型のネコ科の獣。
・魔獣
魔法を使う獣の総称。
・交易共通語
帝国全土で用いられている公用語。種族、地域問わずに用いられるが、それぞれに訛りがある。
・魔法
魔力を用い、精霊の力を借りて奇跡を起こす技。
・神官の技
神の力を借り、奇跡を起こす技。法術。
・郷士(hidalgo)
貴族階級と平民の間にある身分。
主に貴族が不在地主である領地で、代官として領地を治める家。
一代限りであるが、通常は長男が次の郷士として叙任される。
・ジェトランツォ・ハリアエート(Ĵetlanco Haliaeto)
レモの街の代官として代々郷士に叙任されてきたハリアエート家の現当主。
五十を超えていい加減代替わりを考えねばならない年だが、長男がせめて一度でいいから父に土をつけるまではと代替わりを渋っている。
・シニョーロ(Sinjoro)
英語でいうSirにあたる。騎士、また郷士に敬称として用いる。
・蜂蜜酒(Medi-trinko)
蜂蜜を水で割り、発酵させた酒類。ここでは保存性、香りづけ、また薬効を高めるために種々の香草を加えたものを言う。
栄養価も高いことから医師の飲み物(Medicinista trinkaĵo)、略してメディトリンコと呼ばれている。その効能と安価なことから民衆にも親しまれている。
東部では養蜂が盛んで、レモの街でも製造している。
・トリデント(Tridento)
ハリアエート家に仕える下男頭。