前回のあらすじ
少女落下中……。
『ユヅル! 起きて!』
眠い。
とにかく眠かった。
結弦は鉛のように重い瞼を押し開けようと先程から努力はしているんだとまどろみのなかで言い訳し、ふわふわすべすべと寝心地の良い、ぬくぬくと温かい何かに抱き着いた。これだ。これがいけないのだ。この寝心地のいい何かがいけないのだ。
『ユヅル! 起きてるでしょこれ!』
本当に眠かった。
最近は寝不足気味で、授業中に居眠りしそうになることもしばしばだった。それもこれもすべては放課後にパトロールを強要し、夜間もヒーラー業を要求し、土日祝日も関係なく働くことをせまる魔法少女組合のせいだった。ひいてはそんな魔法少女組合の横暴を許容する妖精たちの怠慢のせいだった。
『そう言うの後でいいから! ほんとに起きてよユヅル!』
声ではない声で脳に直接呼びかける妖精テレパシーがうっとうしかった。
それにやけに揺れる。
結弦とてわかっていた。
これは本当に起きなければまずいやつだと。
しかしそれでも、瞼は重く、体も重く、心も重かった。
たとえどんなにいけないとわかっていても、そう、必要な睡眠時間はいつだってあと五分なのだから。
『起きてーッ!! ユヅル起きてーッ! 起きないと永眠しちゃうからーッ!』
いっそ永眠した方がいいんじゃなかろうかとも思い始めるくらい最近の超過勤務は結弦の精神をごりごり削っていたけれど、さすがに生命の心配をされるレベルだと狸寝入りも楽しめない。
ふわふわすべすべと温かいノマラの背中の上で、結弦はあくびを漏らしながら瞼をこじ開け、
「うわっ」
そして閉めた。
『ユヅル今の起きたでしょ絶対! 夢じゃないから!』
「夢だってこれ……夢でしょ……憧れとかはあったかもしれないけど……」
『夢だけどー夢じゃなかったー!』
「ぐへぇー! なにこれー!」
自称高速道路も走れる程度の走力を誇るノマラの背中の上で、結弦は現実と戦うべきか否かを選ばされていた。
乙女らしからぬ悲鳴を上げさせたのは、自称ヘアピンカーブも楽勝の脚力を誇るノマラを追走する、角の生えた猪とそれにまたがる緑の肌の巨漢たちだった。毛皮をまとい、鋲を打った棍棒を振り回して、獣のようにこちらを吠え立てる、特殊メイクではちょっとなさそうな牙をはやした巨漢たちである。
緑の肌の巨漢たち!
余りに現実離れした光景に思わずじっくり眺めて数えてしまったが、結弦の目が確かなら彼らは十人近くの群れを成して、この貧相な女子中学生を追いかけまわしているのだった。
先程まで薄暗き魔法少女ワールドを満喫していたところに、急に荒れ果てた世紀末とゆきてかえりし物語 が足して二で割らずに襲い掛かってきたようなショックだった。
サービス残業にあえぐ労働基準法違反の女子中学生であるところの結弦はそのどちらも実際のところ映画館に見に行く余裕などなかったが、テレビのコマーシャルで見る限りはあまり間違っていなさそうではある。
『ワタシが聞きたいよ! ユヅル前世でどれだけ悪行働いたの!?』
「わたしの前世次第でオークみたいのに襲われるの!?」
『今世でユヅルが頑張ってきたのは、ワタシ知ってるからね』
「ノマラ……」
『だから前世はきっと反吐が出るような邪悪だったんだろうなあーって』
「ノマラーッ!」
さて。
いくら現実離れしているとはいえ、これ以上ショートコントなどしてじゃれついている暇などはない。
ノマラは一向疲れた様子など見せないし、相変わらず距離は縮んでいないが、それもいつまで続くかわかったものではない。
見渡せば辺りはだだっ広い平野で、うまく連中を撒くための障害物も見当たらない。
他に何か――目を凝らした先に、結弦は希望を見つけた。
「ノマラ!」
『アレだね、わかった!』
指さす先に、ノマラは走り出す。緑の巨漢たちも奇声を上げながらそれに続く。
結弦が指さした先には、石造りの巨大な壁が見えた。あまりなじみのあるものではないけれど、少なくとも人工物であることは確かだろう建造物だ。
漫画や映画で見ることのある、街壁で囲われた都市なのだろう。
いや、きっとそうだ。そうに違いない。そうでなかったら許さないからね。
もはやいろんな意味でぎりぎりの結弦は心の中でそう祈りながら都市へと向かった。
「ぐへぇっ、ノマラ! なんか飛んできた!」
『手斧だね。石斧じゃなくて金属製だ。意外と文明が発達してるのかな』
「そういうこと聞きたいんじゃないよ!」
とはいえ、さすがに緑の巨漢たちも焦れてきたらしく、ノマラ曰く金属製の手斧を投げかけてくるという積極的な手段に訴えかけてきた。幸いノマラが機敏に回避してくれたからよかったが、おかげで上に乗っている結弦は盛大にむちうちになりかけたが。
「ノマラもなんかないの! 銃とか!」
『あるわけないでしょ。ユヅルこそなにか――何もなかったね』
「あったら苦労してないよ!」
身体能力こそ魔力で強化すればそこそこにはなる。
それこそビルの上を跳んで渡るくらいは、慣れれば簡単なものだ。
しかしそんな強靭な身体能力を持つ魔法少女でありながら、結弦が味噌っかすの役立たずの回復魔法以外見るべきところのない最底辺として見なされてきたのは、いや、まあ本当にそんな風に思っている魔法少女がいたかどうかというのは結弦の主観に過ぎないが、ともかく結弦が自分でも思う位に役立たずなのは、それ以外に本当に何もないからだ。
魔法少女として基本的な身体強化と、魔法少女として非凡な回復魔法。
この二つだけという、ピーキーすぎる仕様だった。
魔法少女として手にした武器はなにやら高価そうな杖だけで、剣や弓といった攻撃力の高そうなものでは決してない。見た目通りの鈍器としての性能しかないし、暴力に慣れない結弦が振るったところで、何十発か頭を殴りつけてようやくお互い血みどろで決着がつくような、その程度の殺傷能力でしかない。
ましてや遠距離武器等、望むべくもない。
「うー……鞄になんか入ってなかったかな……」
『投げて威力が出せるような重いものってそうそうないもんねえ』
「防犯ブザーくらいしかない……」
『助けてくれる人がいればねえ』
せめて一対一ならばなんとかなったかもしれない。
これでも結弦は魔法少女だ。
身体強化すればフライパンくらい平気で曲げられるし、軽自動車にはねられるくらいなら大丈夫だ。どちらも実践済みだ。
こちらに殺傷能力の高い武器がないのは痛手だが、しかしどれだけ攻撃を喰らおうと回復魔法持ちの結弦とタフネス勝負となれば相手もさすがに敵わないだろう。これも実践済みだ。初のダークソーンとの対決は血まみれ土まみれの泥仕合だった。
しかし、さすがに相手が十人近くいるとなると話は違う。
これだけ数が違うと、回復ができるとかそう言うのはもはや意味をなさない。こちらに反撃のしようがないのだから、ひたすらにぼこぼこにされる未来しか見えないし、仮に連中が空腹だった場合、消化吸収されながらでも回復が利くのかどうかはさしもの結弦も試したことがなかった。というか想像もしたくなかった。
こんな、ビルから落ちたらオークに追いかけられましたみたいな意味不明な展開のまま、何もわからないまま食われて死ぬなんてのは嫌だ。嫌だけど、では状況をどう解決しようかという手段はここにはなかった。容赦なく手斧を投げてくるあたり、くっ殺せ、女の喜びを、といった歪んだ形での生存も期待できない。
自殺か。自殺するのが一番楽なのか。でも多分自動で回復魔法が発動して延々苦しむ羽目になるんだろうな、ということはよくよくわかっていたので、せめて痛覚だけでも切っておこうかと覚悟を決めた時の事である。
「あべればっ」
「え」
『おっと』
奇声を上げたのは結弦ではない。
結弦を追いかけていたオークもどきの一人が、その脳天から何かを生やしていた。
「おけっ」
「へばっ」
「あぼろべっ」
続けて三人が、頭から何かを生やす。
いや、何かではない。
あれは、
「……矢?」
魔法少女としては割とポピュラーな遠距離武器であるから、結弦も何かと見かけた覚えがある。とはいえ、いまオークの頭に突き刺さった矢は、魔法少女たちが使うものほどきらきらしてもいなければピカピカしてもいなかったが。
「大丈夫かー!」
ぽかん、としているところに聞こえてきたのは無事を確認する声である。
オークたちもようやく襲撃に気付き、猪を巧みに操って敵を探し始める。
その間にもまた一人、矢の一撃を受けて転げ落ちる。
「は、はーい! 大丈夫でーす!」
「そっかー! 当たらなくて良かったよー!」
「そっち!? 誤射の心配!?」
下手すると自分にもあたっていたらしいことに怯える結弦であったが、声の主は気にした風もなく次々とオークを仕留めていく。
ようやくその射手をのせた馬の姿がユヅルにも確認できた頃には、オークたちはそれぞれが一発ずつ脳天に矢を受けて絶命していた。
結弦には弓の腕の良しあしはわからないが、移動し続け、警戒もしていた相手に対して、全て一撃で仕留めるというのはまったく生半な腕ではなさそうである。
「やあ、やあ、大丈夫かい?」
「え、ええ、大丈夫です、お陰様で」
「よかったよかった。豚鬼の群れを見かけて追いかけていたんだが、間に合ってよかったよ」
馬上から声をかけてきたのは、金属製の鎧を身にまとった長身の女性だった。鎧と言っても全身を覆うほどのものではなく、胸や肩といった部分部分を覆った動きやすそうなものであり、騎士というより傭兵といった身なりであった。
手にはまだオークたちを倒した弓が油断なく携えられており、背中の矢筒の矢も十分に数があった。
「見たとこ、街を目指してたんだろう? せっかくだ、一緒に行こうじゃないか」
「いいんですか?」
「なに、旅人を無事に送り届けるのも、遍歴の騎士の仕事さ」
女性は遍歴の騎士アルコ・フォン・ロマーノと名乗った。
用語解説
・角の生えた猪
角猪。
森林地帯に広く生息する毛獣。額から金属質を含む角が生えており、年を経るごとに長く太く、そして強く育つ。森の傍では民家まで下りてきて畑を荒らしたりする害獣。食性は草食に近い雑食だが、縄張り内に踏み入ったものには獰猛に襲い掛かる。
・豚鬼
緑色の肌をした蛮族。動くものは基本的に襲って食べるし、動かないものも齧って試してから食べる非文明人。
人族以上の体力、腕力と、コツメカワウソ以上の優れた知能を誇る。
角猪を家畜として利用することが知られている他、略奪した金属器を使用する事例が報告されている。
・遍歴の騎士
騎士は通常、主君に仕えているものだが、中には自分の武勇を試したり浪漫を求めて諸国を漫遊している騎士もいる。彼女の場合は遍歴が義務であるという、この世界特有の騎士の在り方のようだ。
少女落下中……。
『ユヅル! 起きて!』
眠い。
とにかく眠かった。
結弦は鉛のように重い瞼を押し開けようと先程から努力はしているんだとまどろみのなかで言い訳し、ふわふわすべすべと寝心地の良い、ぬくぬくと温かい何かに抱き着いた。これだ。これがいけないのだ。この寝心地のいい何かがいけないのだ。
『ユヅル! 起きてるでしょこれ!』
本当に眠かった。
最近は寝不足気味で、授業中に居眠りしそうになることもしばしばだった。それもこれもすべては放課後にパトロールを強要し、夜間もヒーラー業を要求し、土日祝日も関係なく働くことをせまる魔法少女組合のせいだった。ひいてはそんな魔法少女組合の横暴を許容する妖精たちの怠慢のせいだった。
『そう言うの後でいいから! ほんとに起きてよユヅル!』
声ではない声で脳に直接呼びかける妖精テレパシーがうっとうしかった。
それにやけに揺れる。
結弦とてわかっていた。
これは本当に起きなければまずいやつだと。
しかしそれでも、瞼は重く、体も重く、心も重かった。
たとえどんなにいけないとわかっていても、そう、必要な睡眠時間はいつだってあと五分なのだから。
『起きてーッ!! ユヅル起きてーッ! 起きないと永眠しちゃうからーッ!』
いっそ永眠した方がいいんじゃなかろうかとも思い始めるくらい最近の超過勤務は結弦の精神をごりごり削っていたけれど、さすがに生命の心配をされるレベルだと狸寝入りも楽しめない。
ふわふわすべすべと温かいノマラの背中の上で、結弦はあくびを漏らしながら瞼をこじ開け、
「うわっ」
そして閉めた。
『ユヅル今の起きたでしょ絶対! 夢じゃないから!』
「夢だってこれ……夢でしょ……憧れとかはあったかもしれないけど……」
『夢だけどー夢じゃなかったー!』
「ぐへぇー! なにこれー!」
自称高速道路も走れる程度の走力を誇るノマラの背中の上で、結弦は現実と戦うべきか否かを選ばされていた。
乙女らしからぬ悲鳴を上げさせたのは、自称ヘアピンカーブも楽勝の脚力を誇るノマラを追走する、角の生えた猪とそれにまたがる緑の肌の巨漢たちだった。毛皮をまとい、鋲を打った棍棒を振り回して、獣のようにこちらを吠え立てる、特殊メイクではちょっとなさそうな牙をはやした巨漢たちである。
緑の肌の巨漢たち!
余りに現実離れした光景に思わずじっくり眺めて数えてしまったが、結弦の目が確かなら彼らは十人近くの群れを成して、この貧相な女子中学生を追いかけまわしているのだった。
先程まで薄暗き魔法少女ワールドを満喫していたところに、急に荒れ果てた世紀末とゆきてかえりし物語 が足して二で割らずに襲い掛かってきたようなショックだった。
サービス残業にあえぐ労働基準法違反の女子中学生であるところの結弦はそのどちらも実際のところ映画館に見に行く余裕などなかったが、テレビのコマーシャルで見る限りはあまり間違っていなさそうではある。
『ワタシが聞きたいよ! ユヅル前世でどれだけ悪行働いたの!?』
「わたしの前世次第でオークみたいのに襲われるの!?」
『今世でユヅルが頑張ってきたのは、ワタシ知ってるからね』
「ノマラ……」
『だから前世はきっと反吐が出るような邪悪だったんだろうなあーって』
「ノマラーッ!」
さて。
いくら現実離れしているとはいえ、これ以上ショートコントなどしてじゃれついている暇などはない。
ノマラは一向疲れた様子など見せないし、相変わらず距離は縮んでいないが、それもいつまで続くかわかったものではない。
見渡せば辺りはだだっ広い平野で、うまく連中を撒くための障害物も見当たらない。
他に何か――目を凝らした先に、結弦は希望を見つけた。
「ノマラ!」
『アレだね、わかった!』
指さす先に、ノマラは走り出す。緑の巨漢たちも奇声を上げながらそれに続く。
結弦が指さした先には、石造りの巨大な壁が見えた。あまりなじみのあるものではないけれど、少なくとも人工物であることは確かだろう建造物だ。
漫画や映画で見ることのある、街壁で囲われた都市なのだろう。
いや、きっとそうだ。そうに違いない。そうでなかったら許さないからね。
もはやいろんな意味でぎりぎりの結弦は心の中でそう祈りながら都市へと向かった。
「ぐへぇっ、ノマラ! なんか飛んできた!」
『手斧だね。石斧じゃなくて金属製だ。意外と文明が発達してるのかな』
「そういうこと聞きたいんじゃないよ!」
とはいえ、さすがに緑の巨漢たちも焦れてきたらしく、ノマラ曰く金属製の手斧を投げかけてくるという積極的な手段に訴えかけてきた。幸いノマラが機敏に回避してくれたからよかったが、おかげで上に乗っている結弦は盛大にむちうちになりかけたが。
「ノマラもなんかないの! 銃とか!」
『あるわけないでしょ。ユヅルこそなにか――何もなかったね』
「あったら苦労してないよ!」
身体能力こそ魔力で強化すればそこそこにはなる。
それこそビルの上を跳んで渡るくらいは、慣れれば簡単なものだ。
しかしそんな強靭な身体能力を持つ魔法少女でありながら、結弦が味噌っかすの役立たずの回復魔法以外見るべきところのない最底辺として見なされてきたのは、いや、まあ本当にそんな風に思っている魔法少女がいたかどうかというのは結弦の主観に過ぎないが、ともかく結弦が自分でも思う位に役立たずなのは、それ以外に本当に何もないからだ。
魔法少女として基本的な身体強化と、魔法少女として非凡な回復魔法。
この二つだけという、ピーキーすぎる仕様だった。
魔法少女として手にした武器はなにやら高価そうな杖だけで、剣や弓といった攻撃力の高そうなものでは決してない。見た目通りの鈍器としての性能しかないし、暴力に慣れない結弦が振るったところで、何十発か頭を殴りつけてようやくお互い血みどろで決着がつくような、その程度の殺傷能力でしかない。
ましてや遠距離武器等、望むべくもない。
「うー……鞄になんか入ってなかったかな……」
『投げて威力が出せるような重いものってそうそうないもんねえ』
「防犯ブザーくらいしかない……」
『助けてくれる人がいればねえ』
せめて一対一ならばなんとかなったかもしれない。
これでも結弦は魔法少女だ。
身体強化すればフライパンくらい平気で曲げられるし、軽自動車にはねられるくらいなら大丈夫だ。どちらも実践済みだ。
こちらに殺傷能力の高い武器がないのは痛手だが、しかしどれだけ攻撃を喰らおうと回復魔法持ちの結弦とタフネス勝負となれば相手もさすがに敵わないだろう。これも実践済みだ。初のダークソーンとの対決は血まみれ土まみれの泥仕合だった。
しかし、さすがに相手が十人近くいるとなると話は違う。
これだけ数が違うと、回復ができるとかそう言うのはもはや意味をなさない。こちらに反撃のしようがないのだから、ひたすらにぼこぼこにされる未来しか見えないし、仮に連中が空腹だった場合、消化吸収されながらでも回復が利くのかどうかはさしもの結弦も試したことがなかった。というか想像もしたくなかった。
こんな、ビルから落ちたらオークに追いかけられましたみたいな意味不明な展開のまま、何もわからないまま食われて死ぬなんてのは嫌だ。嫌だけど、では状況をどう解決しようかという手段はここにはなかった。容赦なく手斧を投げてくるあたり、くっ殺せ、女の喜びを、といった歪んだ形での生存も期待できない。
自殺か。自殺するのが一番楽なのか。でも多分自動で回復魔法が発動して延々苦しむ羽目になるんだろうな、ということはよくよくわかっていたので、せめて痛覚だけでも切っておこうかと覚悟を決めた時の事である。
「あべればっ」
「え」
『おっと』
奇声を上げたのは結弦ではない。
結弦を追いかけていたオークもどきの一人が、その脳天から何かを生やしていた。
「おけっ」
「へばっ」
「あぼろべっ」
続けて三人が、頭から何かを生やす。
いや、何かではない。
あれは、
「……矢?」
魔法少女としては割とポピュラーな遠距離武器であるから、結弦も何かと見かけた覚えがある。とはいえ、いまオークの頭に突き刺さった矢は、魔法少女たちが使うものほどきらきらしてもいなければピカピカしてもいなかったが。
「大丈夫かー!」
ぽかん、としているところに聞こえてきたのは無事を確認する声である。
オークたちもようやく襲撃に気付き、猪を巧みに操って敵を探し始める。
その間にもまた一人、矢の一撃を受けて転げ落ちる。
「は、はーい! 大丈夫でーす!」
「そっかー! 当たらなくて良かったよー!」
「そっち!? 誤射の心配!?」
下手すると自分にもあたっていたらしいことに怯える結弦であったが、声の主は気にした風もなく次々とオークを仕留めていく。
ようやくその射手をのせた馬の姿がユヅルにも確認できた頃には、オークたちはそれぞれが一発ずつ脳天に矢を受けて絶命していた。
結弦には弓の腕の良しあしはわからないが、移動し続け、警戒もしていた相手に対して、全て一撃で仕留めるというのはまったく生半な腕ではなさそうである。
「やあ、やあ、大丈夫かい?」
「え、ええ、大丈夫です、お陰様で」
「よかったよかった。豚鬼の群れを見かけて追いかけていたんだが、間に合ってよかったよ」
馬上から声をかけてきたのは、金属製の鎧を身にまとった長身の女性だった。鎧と言っても全身を覆うほどのものではなく、胸や肩といった部分部分を覆った動きやすそうなものであり、騎士というより傭兵といった身なりであった。
手にはまだオークたちを倒した弓が油断なく携えられており、背中の矢筒の矢も十分に数があった。
「見たとこ、街を目指してたんだろう? せっかくだ、一緒に行こうじゃないか」
「いいんですか?」
「なに、旅人を無事に送り届けるのも、遍歴の騎士の仕事さ」
女性は遍歴の騎士アルコ・フォン・ロマーノと名乗った。
用語解説
・角の生えた猪
角猪。
森林地帯に広く生息する毛獣。額から金属質を含む角が生えており、年を経るごとに長く太く、そして強く育つ。森の傍では民家まで下りてきて畑を荒らしたりする害獣。食性は草食に近い雑食だが、縄張り内に踏み入ったものには獰猛に襲い掛かる。
・豚鬼
緑色の肌をした蛮族。動くものは基本的に襲って食べるし、動かないものも齧って試してから食べる非文明人。
人族以上の体力、腕力と、コツメカワウソ以上の優れた知能を誇る。
角猪を家畜として利用することが知られている他、略奪した金属器を使用する事例が報告されている。
・遍歴の騎士
騎士は通常、主君に仕えているものだが、中には自分の武勇を試したり浪漫を求めて諸国を漫遊している騎士もいる。彼女の場合は遍歴が義務であるという、この世界特有の騎士の在り方のようだ。