彼女は立ち上がって本棚に近づくと、犬の貯金箱を手に取った。ジャラジャラと何かが触れ合う音がするが、「お金じゃないよ」と彼女は言う。「私のね、宝箱」
 犬のお尻部分のゴム栓を開け、卓の上に軽く傾けた。たちまち、ガラスのおはじきやビー玉、ボタンやリボンが転がり出てくる。
「なにこれ」
「ちっちゃい頃から集めてた、宝物。最近はあんまり集めてないけど。綺麗でしょ」
 貯金箱には、いかにも小さな女の子が好みそうな物が詰まっていた。誇らしげに胸を張る彼女に、「へえー」と翔太は唸る。
「榎本さん、意外と子どもっぽいんだな」
「なんか、馬鹿にしてるでしょ」
「だって、あんなに本読んでるのに。そりゃあ意外だよ」視線を本棚にやる。漫画や雑誌、図鑑といった冊子は見当たらない。ほとんどが小説のようだ。
「私、本読むの好きだから。翔太くんと違ってね」
「俺だって、本ぐらい読むよ」
「ほんと?」
「嘘じゃない」
 小学校時代はクラスで最も本を借りた生徒として一位をとっていたと言うと、凛は驚いて目を丸くした。
「そっちだって馬鹿にしてるだろ」
「だって意外だもん。……じゃあさ、これ知ってる?」彼女は立ち上がると、本棚から真新しい一冊の文庫本を取り出した。
「うん、まあ……」曖昧に頷く。「病気の女の子の話だろ」
「そうそう! 私、この本好きなんだ。翔太くんも知ってたんだ!」
「確か、がんだよな。最後死ぬんだっけ」
「違うよ。克服するんだよ」勝手に殺さないでと笑いながら本を戻し、彼女は違う一冊を取り出す。
「こっちは?」
「あー、確か、誕生日順に殺されてくやつ」
「語りの人が犯人だったんだよね。で、二年後の閏年に殺されちゃうの」
「え、じゃあ、犯人って……」
「それで、二巻に続くってなるんだよ。年内発売だって」
 妙に話が噛み合わない。その違和感に気が付いた凛は、不思議そうな顔をした。
「翔太くん、本当に読んでる?」
 彼女の言葉に大きくため息をつくと、「ごめん」と翔太は呟いた。
「読みたいけど……うち、金ないからさ。市立図書館も遠いし。だから本屋で立ち読みするとか、あらすじだけ集めてる冊子あるだろ、あれ貰って見たりとか……」
 彼女への返事は、全てそのあらすじ集から得た知識によるものだった。だから大まかな流れは知っていても、最後のオチや真犯人といった核心は知りようがなかった。
「読むのは好きだから、学校の図書館ではよく借りるんだけど、ちょっと古いのしかないから。最近のはよく知らないんだ」
 言えば言うほど、情けなくて恥ずかしい。一日三百円がやっとの身分では、古本を買うことすらできない。まだ漫画雑誌を家で読んでいる小学生の方がずっと裕福だ。ただでさえこんな広い家に住み、全く金に困った暮らしを見せない彼女には信じがたい話かもしれないが。
 自分のみっともなさを突きつけられた気がして、翔太はすっかり消沈してしまった。
「そんなしょんぼりしないでよ」凛はそう言った。「それなら、貸すよ。翔太くんなら、絶対大事にしてくれそうだし。気になるのあったら、持って帰っていいよ」
 彼女はにっこり笑う。「なにか、読みたいタイトルある?」そんなことまで言う。
「えっと……」戸惑う翔太は何とか口にする。「いいの?」
「いいってば。だって、私だけでひとり占めするなんて、もったいないし。色んな人に読んでもらえる方が、きっと書いた人も嬉しいよ」
 凛は翔太がタイトルだけ知っていた本を、三冊手渡した。一冊は少し古いが、二冊は二、三か月前に発売された新刊だ。
 この日から、翔太は凛から本を貸してもらうことになった。学校で本を渡すと、彼女がお勧めする本を次の日に持ってきてくれる。そんな関係が二人の間には生じたのだった。