前回のあらすじ
少女リリオは慣れない一人旅で無謀にも馴染みのない森に挑んでしまう。
疲れた足を引きずる中、道中に転がるは無残な獣のむくろ。
あまりにも無造作な、そして圧倒的な殺戮の傷跡を前に少女は葛藤し、そして決める。
美味しくいただこう、と。
ストーカー犯罪宣言の次は、唐突に始まった飯レポ。
いったいこの物語はどこへ進もうというのだろうか。
はっと目を覚ますと、すでに朝日が東の際に見え始めていました。焚火を見れば絶えることなく燃えていますから、覚えはないですけれど、なんとか心地よい眠りに抗って薪をくべることに成功したようです。
朝食として昨夜の残りのお鍋を食べ終え、私は手早く片づけを終えました。昨日食べ過ぎたのでしょうか、それとも朝だから特にお腹が空いていたのでしょうか、思ったより量が少ないように感じました。まああのような幸運はそう続かないでしょうから次のお肉が今から恋しくてそんな思いにもなったのでしょう。
鎧を絞め直し、靴紐を結び、鞄を背負って剣を帯び、私は再び森の中を歩き始めました。
境の森は名前の通り、森を境界として東西を分断する南北に長い森です。そのため森の北と南では植生も、住まう動物の種類も異なってきます。中心に近いこの辺りは、角猪のように毛のある獣や、鹿雉のように羽のある獣、狼蜥蜴のように鱗のある獣が入り混じると聞いています。もっと南にいくと鱗獣が増えてその体も大きくなり、一方で毛獣や羽獣は少なくなり、体も小さくなるそうです。北は逆に毛獣や羽獣が増え、その体もやはり大きくなると聞きます。
他には全域を通して蟲獣も多く、特にかたい殻の中に良質な肉を持つ動きの遅い大甲虫や、地上では目の利かない螻蛄猪などは狩人の良い獲物だそうです。
昨日の角猪のように獰猛な獣も多くはあるようですけれど、魔力を使う魔獣の類はそれほど多くはなく、きちんと準備をして挑めばそれほどの危険はないそうです。
まあ、私の場合は一人旅の上にきちんとした準備も覚悟もできていないうえで来てしまっているので、精一杯気を付けていかなければ本当に危なそうです。あののんきな兄が順調に旅を終えてけろっと帰ってきたので私にも簡単にできると思いましたけれど、あれでも兄は優秀で、それに連れもいましたからね。
さて、四日目となる今日は、良質なお肉を頂いたこともあってか、かなり元気よく進めているように感じます。調子に乗って勢いをつけすぎると後半でばててしまうのは目に見えていますけれど、調子のよいうちに進んでおきたいのは確かです。もう森の半ばは過ぎているはずですので、この調子でいけば明日の夕方には森の際にたどり着き、明後日には森を出ることができそうです。
食料は多めに持ってきていますけれど、森を抜けて次の宿場町までまだかかることを考えると、今日明日はなるべく狩りをして食料を節約したいところです。
とはいえ、狩りも簡単な事ではありません。いくらか経験はあるとはいえ、ここは勝手もわからない他所の森で、その上、弓もないし、移動し続けなので罠を仕掛けることもできません。あ、いえ、野営するときにあたりに罠を仕掛けておけばよかったかもしれません。迂闊でした。今夜体力に余裕がありそうだったら試してみましょう。
ともあれ、狩りです、狩り。
弓がないのなら作ればいい、と言えればいいのですけれど、これが結構手間です。手持ちの道具とそのあたりで拾えそうなもので作ると、手間の割に実用性に乏しそうなものしか作れそうにありません。元々あまり弓が得意ではなかったので、そういう技術も磨いていないのです。
では投石紐はどうでしょう。これは簡単な物であればすぐできます。適当な布を用意して石でも拾えばいいですから。問題は命中率が低いことです。慣れたものならば百発百中と行くのでしょうけれど、あいにくと私はさっぱりです。重さも形も整っていない石を当てる自信はありません。
となると小刀か斧でも投げるか、となりますけれど、うーん、まあ、できなくはなさそうですけれど、小刀で致命傷を与える自信はありませんし、斧を遠くまで狙い通りに投げる自信もありません。
打つ手なしですね。
自分の使えなさに涙が出そうです。
結構いろいろできるつもりでいたのですけれどさっぱりです。
近くにさえいれば自慢の剣の腕を振るえるのですけれど、獲物となるような動物は警戒心も強いので、近寄らせてはくれないでしょう。もし近づける相手がいるとすれば、それは向こうからこちらに寄ってくる、つまり人間くらいは捕食対象としてバリバリ食べてしまえるような、強気で襲い掛かってくるような強い獣たちです。
昨日の角猪(コルナプロ)のように大きなものだと、多分私一人では手に負えないですし、話に聞いていた猛獣たちも一筋縄ではいかなそうです。戦って勝てないなどとは決して言いませんけれど、余裕で勝てる、楽勝だなどとも言えません。お肉を得たいがために満身創痍になって森の中で動けなくなってしまってはたまったものではありません。
……諦めて木の実やキノコ、運が良ければ間抜けな小動物で我慢しましょう。
私は歩きながら視線を巡らせ、木の実がなっていないか、また下生の陰にキノコが生えていないか、気にしながら進んでいきました。
もちろん、馴染みのない森で、そうそう簡単に良いものばかりが見つかるわけではありませんけれど、初夏の森には生き物だけでなく恵みも満ち溢れているものです。ほとんど獣道のような細道を、下生をかき分けながら進んでいく中でも、私は道々いくつか実りを見つけては取っていくことができました。
程よい日陰の木々を覗けば、私にも見分けられる食用のキノコがいくつか見つけられました。キノコの類は見分けるのが難しいので、慣れたものでもうっかり毒キノコと間違えることもあるのですけれど、このキノコは大丈夫です。万一毒キノコの方と間違えても、うっかり食べ慣れているので毒に耐性が付きましたから。
美しい紫の花を咲かせる螺旋花(ヘリツァ・フローロ)の傍では、蜜を求めてひらひらと美しく飛び交う玻璃蜆をいくらか捕まえることができました。あちらこちらへと飛び回っている時の玻璃蜆は少しの風でもひらりひらりと舞うので簡単には捕まえられませんが、蜜を吸っているところに布や袋をかぶせると比較的楽に捕まえられます。
また運が良いことに、木のうろに兎百舌(レポロラニオ)の巣を見つけ、捕まえることができました。兎百舌は虫や蜥蜴など、自分より小さな動物は大抵何でも食べるのですけれど、お腹が空いていなくても動いていれば捕まえてしまい、巣の近くに集めるので見つけやすくはあります。しかしあごの力が強く歯が鋭いので、私のように丈夫な革の手袋でもしていないと大怪我をしかねません。
なかなかの収穫に心も弾んだのか、予定よりもよく進めたように思います。
足取りも軽く私は次の野営地を見つけ出し、手早く竈を組んで鍋を構えました。せっかくいろいろ手に入ったので美味しくいただきましょう。
水を張った鍋にまだ生きたままの玻璃蜆を沈め、蓋をして火にかけます。このとき蓋に重しとして石を置いておきます。玻璃蜆に蓋を落ち上げるほどの力はありませんけれど、それでも一時に飛び上がったら蓋がずれて、逃げられてしまうかもしれませんから。
湯が沸くまでの間に、私は捕まえた時にしめて血抜きをしておいた兎百舌をばらします。ふわふわと柔らかな羽をむしり、血のついていないところは袋にまとめておきます。この羽はとても暖かく防寒に優れますし、柔らかいので割れ物を包むにも良いのです。
腹を裂いて内臓を取り出し、もったいないですけれど処理が大変なので、穴を掘って捨ててしまいます。内臓を取り出したら水筒の水で軽く洗い、骨を外していきます。腿と左右の身に分けたら、木の枝にさして竈の火で皮目を炙り、残った羽を焼いてしまいます。
そうしている間に湯が沸いてくると、鍋からかちかちかんかんと、玻璃蜆が逃げようとしては蓋にぶつかる音が聞こえてきます。あまり激しいと殻が割れてしまうのですけれど、このくらいなら大丈夫そうです。
すっかり音がしなくなったら、石をどけて蓋を取ります。すると途端に素晴らしい香りが立ち上りました。玻璃蜆の身は小さく、殻からいちいち取り出して食べるのは大変ですけれど、こうして火にかけるととても良い出汁が出るのでした。このままお吸い物にしてもいいくらいの良い出汁ですけれど、今日は兎百舌が主役です。
表面をあぶってうま味を逃がさないようにした肉を、食べやすい大きさに切り分けて鍋に放り込み、香草をいくつか、それにキノコを加えて煮込みます。今日は胡桃味噌(ヌクソ・パースト)は使わず、出汁のうまみとほんの少しの塩だけで調えます。
程よく煮込んで日も暮れた頃に、いい具合にお腹も減って、いざ実食です。
まずは出汁を一口。
胡桃味噌のような濃厚な味わいではなく、しかししっかりとしたうま味が舌に感じられました。玻璃蜆の小さな身の中にギュッと詰まったうま味が、螺旋花のどこか甘い香りとともに広がります。そしてまた兎百舌の出汁もよいです。玻璃蜆だけでは、堅実ではあるけれど少し弱い。しかしそこにじわじわっと兎百舌のもつさっぱりした脂と肉のうまみが加わり、深みが出ています。
そっと取り上げた腿肉にかぶりついた時のこの感動を何と言い表したものでしょうか。ぴん、と張った皮を歯が食い破ると、その下のぎゅうと詰まった身が柔らかく、しかししっかりと歯を受け止めてくれます。それをえいやっと力を込めてかじると、顎に染みるようなうま味が込み上げてくるのです。
兎百舌だけではちょっとたんぱくな味わいですが、そこを玻璃蜆の出汁が支えてくれます。良く締まってぎむぎむとしたしっかりした歯ごたえは、ああ、ものを食べるってこういうことなんだなあという喜びを顎を通して伝えてくれます。またそうしてじっくりと噛み締めていくと、たんぱくにも感じられる身からはじんわり滋味があふれてくるのです。
そしてキノコ。忘れたころにちょっと鍋の中から顔を出すこいつをすくって食べてみると、さっくりとした歯応えが、肉を噛むのに頑張っていた顎になんとも優しい。そしてまたほろほろ崩れながら中にたっぷりと染み込ませた出汁を溢れさせては、食欲を掻き立てるのでした。
味があっさりとしているものですからついつい食べ過ぎてしまいそうになりましたが、ここは我慢、我慢の時です。残りは朝ごはんにしようと、昨夜と同じように布で巻いておき、さて寝る準備でもと思ったところで、私は不思議なものを発見したのでした。
それはたぶん、鞄から毛布を取り出そうとちょっと顔を背けた瞬間のことでした。
毛布を取り出してさあ寝やすそうな場所をと見まわして、私は竈の傍につい先ほどまではなかったはずのものを見つけたのです。
それはなにやらつやつやと赤い、果実のようなものに見えました。
そっと近づいて恐る恐る拾い上げてみると、へこんだ部分から飛び出ているヘタと言い、確かに何かの果実のようでしたけれど、このような果実は初めて見ました。大きさは大人の拳ほどはあるでしょうか。きれいな球状で、磨きでもかけたかのようにつやつやとした表面には傷らしい傷の一つもありません。貴族の果樹園の果物だって、こんなに綺麗な物はそうそうないでしょう。よほどに手間をかけなければいけないでしょうから。
私はあたりを見回してみましたが、木の実のなるような木は見当たりません。ましてこんなに綺麗な木の実がどこかから転がってきたというのはとても不思議な話でした。
森の魔物か、悪戯好きの妖精が、私をからかおうとしているのでしょうか。
不安に思いながらすんすんとにおいをかいでみると、これがまた得も言われぬ甘い香りがするのです。
このとき、罠を警戒して剣の柄をしっかりと握りしめた私を褒めてください。
そして罠なら罠ですでに後手なのだから食べるだけ食べてしまおうという欲望に負けた私のことは忘れてください。
何しろそれだけ魅力的な匂いだったのです。
甘い匂いにつられて果実に歯を立てると、しゃくりと実に軽やかな歯ごたえとともに、あっさりと実が口の中に転がり込んできました。何という柔らかさでしょう。また、歯を立てた途端にあふれてくる果汁の何と豊かな事でしょう。ほとんど表面に絵の具でも塗っただけといったような薄い皮の内側には、罪深ささえ感じるほどに美しく真っ白な果実がのぞいていました。それがじわっとあふれてくる果汁に濡れているところなど、例え罠でも後悔はないというほど魅力的でした。
私はもう夢中になってその不思議な果実にかじりつき、真ん中に残った種の、本当にぎりぎりのところまで丁寧に身を食べつくしてしまいました。
ほう、と漏らしたため息さえ甘い香りで、これは夢か何かなのだろうかと思うほどでした。それは全く私の知る果実とは別物と言っていい味わいでした。驚くほど甘いのに、後味はあくまでもさっぱりとしていて、後を引くということがありませんでした。また程よい酸味が甘さの中にあって、そのおかげもあってついつい次の一口を、また次の一口をと急かされるようでした。
私はしばらくの間余韻に浸ると、残った種を丁寧に包んで鞄に大事にしまいました。これは何としてもどこかで育てて、また食べたいものです。
これも何かの思し召しと、指を組んで境界の神プルプラに祈りを捧げ、私は満たされた心地でゆっくりと寝入ったのでした。
用語解説
・鹿雉(ツェルボファザーノ)
四足の鳥類。羽獣。雄は頭部から枝分かれした角を生やす。健脚で、深い森の中や崖なども軽やかに駆ける。お肉がおいしい。
・狼蜥蜴(ルポラツェルト)
四足の爬虫類。鱗獣。耳は大きく張り出し、鼻先が突き出ており、尾は細長い。群れで行動し、素早い動きで獲物を追い詰める。肉の処理がひと手間。
・大甲虫
大型の節足動物。蟲獣。人間が乗れるくらい巨大なワラジムシを想像すると早い。甲は非常に頑丈だが、裏返すと簡単に解体できる。動きが遅く、肉が多いので、狩人にはよい獲物。
・螻蛄猪(タルパプロ)
蟲獣。半地中棲。大きく発達した前肢と顎とで地面を掘り進む。が、割と浅いところを掘るのですぐにわかる。土中の虫やみみず、また木の根などを食べる。地上では目が見えず動きが遅いのでよく捕まる。
・螺旋花
レナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプター図案のように、らせん状に花弁を広げる花。甘い蜜を蓄える。
・玻璃蜆
飛行性の二枚貝。ハリシジミ。主に花の蜜などを吸う。産卵や休息などは水中で行う。基本的にどの地方にも住むが、好んで吸う花の蜜などによって味わいの違う、地方色が出やすい食材。
・兎百舌(レポロラニオ)
四足の鳥類。羽獣。ふわふわと柔らかい羽毛でおおわれており一見かわいいが、基本的に動物食で、自分より小さくて動くものなら何でも食べるし、自分より大きくても危機が迫ればかみついてくる。早贄の習性がある。
少女リリオは慣れない一人旅で無謀にも馴染みのない森に挑んでしまう。
疲れた足を引きずる中、道中に転がるは無残な獣のむくろ。
あまりにも無造作な、そして圧倒的な殺戮の傷跡を前に少女は葛藤し、そして決める。
美味しくいただこう、と。
ストーカー犯罪宣言の次は、唐突に始まった飯レポ。
いったいこの物語はどこへ進もうというのだろうか。
はっと目を覚ますと、すでに朝日が東の際に見え始めていました。焚火を見れば絶えることなく燃えていますから、覚えはないですけれど、なんとか心地よい眠りに抗って薪をくべることに成功したようです。
朝食として昨夜の残りのお鍋を食べ終え、私は手早く片づけを終えました。昨日食べ過ぎたのでしょうか、それとも朝だから特にお腹が空いていたのでしょうか、思ったより量が少ないように感じました。まああのような幸運はそう続かないでしょうから次のお肉が今から恋しくてそんな思いにもなったのでしょう。
鎧を絞め直し、靴紐を結び、鞄を背負って剣を帯び、私は再び森の中を歩き始めました。
境の森は名前の通り、森を境界として東西を分断する南北に長い森です。そのため森の北と南では植生も、住まう動物の種類も異なってきます。中心に近いこの辺りは、角猪のように毛のある獣や、鹿雉のように羽のある獣、狼蜥蜴のように鱗のある獣が入り混じると聞いています。もっと南にいくと鱗獣が増えてその体も大きくなり、一方で毛獣や羽獣は少なくなり、体も小さくなるそうです。北は逆に毛獣や羽獣が増え、その体もやはり大きくなると聞きます。
他には全域を通して蟲獣も多く、特にかたい殻の中に良質な肉を持つ動きの遅い大甲虫や、地上では目の利かない螻蛄猪などは狩人の良い獲物だそうです。
昨日の角猪のように獰猛な獣も多くはあるようですけれど、魔力を使う魔獣の類はそれほど多くはなく、きちんと準備をして挑めばそれほどの危険はないそうです。
まあ、私の場合は一人旅の上にきちんとした準備も覚悟もできていないうえで来てしまっているので、精一杯気を付けていかなければ本当に危なそうです。あののんきな兄が順調に旅を終えてけろっと帰ってきたので私にも簡単にできると思いましたけれど、あれでも兄は優秀で、それに連れもいましたからね。
さて、四日目となる今日は、良質なお肉を頂いたこともあってか、かなり元気よく進めているように感じます。調子に乗って勢いをつけすぎると後半でばててしまうのは目に見えていますけれど、調子のよいうちに進んでおきたいのは確かです。もう森の半ばは過ぎているはずですので、この調子でいけば明日の夕方には森の際にたどり着き、明後日には森を出ることができそうです。
食料は多めに持ってきていますけれど、森を抜けて次の宿場町までまだかかることを考えると、今日明日はなるべく狩りをして食料を節約したいところです。
とはいえ、狩りも簡単な事ではありません。いくらか経験はあるとはいえ、ここは勝手もわからない他所の森で、その上、弓もないし、移動し続けなので罠を仕掛けることもできません。あ、いえ、野営するときにあたりに罠を仕掛けておけばよかったかもしれません。迂闊でした。今夜体力に余裕がありそうだったら試してみましょう。
ともあれ、狩りです、狩り。
弓がないのなら作ればいい、と言えればいいのですけれど、これが結構手間です。手持ちの道具とそのあたりで拾えそうなもので作ると、手間の割に実用性に乏しそうなものしか作れそうにありません。元々あまり弓が得意ではなかったので、そういう技術も磨いていないのです。
では投石紐はどうでしょう。これは簡単な物であればすぐできます。適当な布を用意して石でも拾えばいいですから。問題は命中率が低いことです。慣れたものならば百発百中と行くのでしょうけれど、あいにくと私はさっぱりです。重さも形も整っていない石を当てる自信はありません。
となると小刀か斧でも投げるか、となりますけれど、うーん、まあ、できなくはなさそうですけれど、小刀で致命傷を与える自信はありませんし、斧を遠くまで狙い通りに投げる自信もありません。
打つ手なしですね。
自分の使えなさに涙が出そうです。
結構いろいろできるつもりでいたのですけれどさっぱりです。
近くにさえいれば自慢の剣の腕を振るえるのですけれど、獲物となるような動物は警戒心も強いので、近寄らせてはくれないでしょう。もし近づける相手がいるとすれば、それは向こうからこちらに寄ってくる、つまり人間くらいは捕食対象としてバリバリ食べてしまえるような、強気で襲い掛かってくるような強い獣たちです。
昨日の角猪(コルナプロ)のように大きなものだと、多分私一人では手に負えないですし、話に聞いていた猛獣たちも一筋縄ではいかなそうです。戦って勝てないなどとは決して言いませんけれど、余裕で勝てる、楽勝だなどとも言えません。お肉を得たいがために満身創痍になって森の中で動けなくなってしまってはたまったものではありません。
……諦めて木の実やキノコ、運が良ければ間抜けな小動物で我慢しましょう。
私は歩きながら視線を巡らせ、木の実がなっていないか、また下生の陰にキノコが生えていないか、気にしながら進んでいきました。
もちろん、馴染みのない森で、そうそう簡単に良いものばかりが見つかるわけではありませんけれど、初夏の森には生き物だけでなく恵みも満ち溢れているものです。ほとんど獣道のような細道を、下生をかき分けながら進んでいく中でも、私は道々いくつか実りを見つけては取っていくことができました。
程よい日陰の木々を覗けば、私にも見分けられる食用のキノコがいくつか見つけられました。キノコの類は見分けるのが難しいので、慣れたものでもうっかり毒キノコと間違えることもあるのですけれど、このキノコは大丈夫です。万一毒キノコの方と間違えても、うっかり食べ慣れているので毒に耐性が付きましたから。
美しい紫の花を咲かせる螺旋花(ヘリツァ・フローロ)の傍では、蜜を求めてひらひらと美しく飛び交う玻璃蜆をいくらか捕まえることができました。あちらこちらへと飛び回っている時の玻璃蜆は少しの風でもひらりひらりと舞うので簡単には捕まえられませんが、蜜を吸っているところに布や袋をかぶせると比較的楽に捕まえられます。
また運が良いことに、木のうろに兎百舌(レポロラニオ)の巣を見つけ、捕まえることができました。兎百舌は虫や蜥蜴など、自分より小さな動物は大抵何でも食べるのですけれど、お腹が空いていなくても動いていれば捕まえてしまい、巣の近くに集めるので見つけやすくはあります。しかしあごの力が強く歯が鋭いので、私のように丈夫な革の手袋でもしていないと大怪我をしかねません。
なかなかの収穫に心も弾んだのか、予定よりもよく進めたように思います。
足取りも軽く私は次の野営地を見つけ出し、手早く竈を組んで鍋を構えました。せっかくいろいろ手に入ったので美味しくいただきましょう。
水を張った鍋にまだ生きたままの玻璃蜆を沈め、蓋をして火にかけます。このとき蓋に重しとして石を置いておきます。玻璃蜆に蓋を落ち上げるほどの力はありませんけれど、それでも一時に飛び上がったら蓋がずれて、逃げられてしまうかもしれませんから。
湯が沸くまでの間に、私は捕まえた時にしめて血抜きをしておいた兎百舌をばらします。ふわふわと柔らかな羽をむしり、血のついていないところは袋にまとめておきます。この羽はとても暖かく防寒に優れますし、柔らかいので割れ物を包むにも良いのです。
腹を裂いて内臓を取り出し、もったいないですけれど処理が大変なので、穴を掘って捨ててしまいます。内臓を取り出したら水筒の水で軽く洗い、骨を外していきます。腿と左右の身に分けたら、木の枝にさして竈の火で皮目を炙り、残った羽を焼いてしまいます。
そうしている間に湯が沸いてくると、鍋からかちかちかんかんと、玻璃蜆が逃げようとしては蓋にぶつかる音が聞こえてきます。あまり激しいと殻が割れてしまうのですけれど、このくらいなら大丈夫そうです。
すっかり音がしなくなったら、石をどけて蓋を取ります。すると途端に素晴らしい香りが立ち上りました。玻璃蜆の身は小さく、殻からいちいち取り出して食べるのは大変ですけれど、こうして火にかけるととても良い出汁が出るのでした。このままお吸い物にしてもいいくらいの良い出汁ですけれど、今日は兎百舌が主役です。
表面をあぶってうま味を逃がさないようにした肉を、食べやすい大きさに切り分けて鍋に放り込み、香草をいくつか、それにキノコを加えて煮込みます。今日は胡桃味噌(ヌクソ・パースト)は使わず、出汁のうまみとほんの少しの塩だけで調えます。
程よく煮込んで日も暮れた頃に、いい具合にお腹も減って、いざ実食です。
まずは出汁を一口。
胡桃味噌のような濃厚な味わいではなく、しかししっかりとしたうま味が舌に感じられました。玻璃蜆の小さな身の中にギュッと詰まったうま味が、螺旋花のどこか甘い香りとともに広がります。そしてまた兎百舌の出汁もよいです。玻璃蜆だけでは、堅実ではあるけれど少し弱い。しかしそこにじわじわっと兎百舌のもつさっぱりした脂と肉のうまみが加わり、深みが出ています。
そっと取り上げた腿肉にかぶりついた時のこの感動を何と言い表したものでしょうか。ぴん、と張った皮を歯が食い破ると、その下のぎゅうと詰まった身が柔らかく、しかししっかりと歯を受け止めてくれます。それをえいやっと力を込めてかじると、顎に染みるようなうま味が込み上げてくるのです。
兎百舌だけではちょっとたんぱくな味わいですが、そこを玻璃蜆の出汁が支えてくれます。良く締まってぎむぎむとしたしっかりした歯ごたえは、ああ、ものを食べるってこういうことなんだなあという喜びを顎を通して伝えてくれます。またそうしてじっくりと噛み締めていくと、たんぱくにも感じられる身からはじんわり滋味があふれてくるのです。
そしてキノコ。忘れたころにちょっと鍋の中から顔を出すこいつをすくって食べてみると、さっくりとした歯応えが、肉を噛むのに頑張っていた顎になんとも優しい。そしてまたほろほろ崩れながら中にたっぷりと染み込ませた出汁を溢れさせては、食欲を掻き立てるのでした。
味があっさりとしているものですからついつい食べ過ぎてしまいそうになりましたが、ここは我慢、我慢の時です。残りは朝ごはんにしようと、昨夜と同じように布で巻いておき、さて寝る準備でもと思ったところで、私は不思議なものを発見したのでした。
それはたぶん、鞄から毛布を取り出そうとちょっと顔を背けた瞬間のことでした。
毛布を取り出してさあ寝やすそうな場所をと見まわして、私は竈の傍につい先ほどまではなかったはずのものを見つけたのです。
それはなにやらつやつやと赤い、果実のようなものに見えました。
そっと近づいて恐る恐る拾い上げてみると、へこんだ部分から飛び出ているヘタと言い、確かに何かの果実のようでしたけれど、このような果実は初めて見ました。大きさは大人の拳ほどはあるでしょうか。きれいな球状で、磨きでもかけたかのようにつやつやとした表面には傷らしい傷の一つもありません。貴族の果樹園の果物だって、こんなに綺麗な物はそうそうないでしょう。よほどに手間をかけなければいけないでしょうから。
私はあたりを見回してみましたが、木の実のなるような木は見当たりません。ましてこんなに綺麗な木の実がどこかから転がってきたというのはとても不思議な話でした。
森の魔物か、悪戯好きの妖精が、私をからかおうとしているのでしょうか。
不安に思いながらすんすんとにおいをかいでみると、これがまた得も言われぬ甘い香りがするのです。
このとき、罠を警戒して剣の柄をしっかりと握りしめた私を褒めてください。
そして罠なら罠ですでに後手なのだから食べるだけ食べてしまおうという欲望に負けた私のことは忘れてください。
何しろそれだけ魅力的な匂いだったのです。
甘い匂いにつられて果実に歯を立てると、しゃくりと実に軽やかな歯ごたえとともに、あっさりと実が口の中に転がり込んできました。何という柔らかさでしょう。また、歯を立てた途端にあふれてくる果汁の何と豊かな事でしょう。ほとんど表面に絵の具でも塗っただけといったような薄い皮の内側には、罪深ささえ感じるほどに美しく真っ白な果実がのぞいていました。それがじわっとあふれてくる果汁に濡れているところなど、例え罠でも後悔はないというほど魅力的でした。
私はもう夢中になってその不思議な果実にかじりつき、真ん中に残った種の、本当にぎりぎりのところまで丁寧に身を食べつくしてしまいました。
ほう、と漏らしたため息さえ甘い香りで、これは夢か何かなのだろうかと思うほどでした。それは全く私の知る果実とは別物と言っていい味わいでした。驚くほど甘いのに、後味はあくまでもさっぱりとしていて、後を引くということがありませんでした。また程よい酸味が甘さの中にあって、そのおかげもあってついつい次の一口を、また次の一口をと急かされるようでした。
私はしばらくの間余韻に浸ると、残った種を丁寧に包んで鞄に大事にしまいました。これは何としてもどこかで育てて、また食べたいものです。
これも何かの思し召しと、指を組んで境界の神プルプラに祈りを捧げ、私は満たされた心地でゆっくりと寝入ったのでした。
用語解説
・鹿雉(ツェルボファザーノ)
四足の鳥類。羽獣。雄は頭部から枝分かれした角を生やす。健脚で、深い森の中や崖なども軽やかに駆ける。お肉がおいしい。
・狼蜥蜴(ルポラツェルト)
四足の爬虫類。鱗獣。耳は大きく張り出し、鼻先が突き出ており、尾は細長い。群れで行動し、素早い動きで獲物を追い詰める。肉の処理がひと手間。
・大甲虫
大型の節足動物。蟲獣。人間が乗れるくらい巨大なワラジムシを想像すると早い。甲は非常に頑丈だが、裏返すと簡単に解体できる。動きが遅く、肉が多いので、狩人にはよい獲物。
・螻蛄猪(タルパプロ)
蟲獣。半地中棲。大きく発達した前肢と顎とで地面を掘り進む。が、割と浅いところを掘るのですぐにわかる。土中の虫やみみず、また木の根などを食べる。地上では目が見えず動きが遅いのでよく捕まる。
・螺旋花
レナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプター図案のように、らせん状に花弁を広げる花。甘い蜜を蓄える。
・玻璃蜆
飛行性の二枚貝。ハリシジミ。主に花の蜜などを吸う。産卵や休息などは水中で行う。基本的にどの地方にも住むが、好んで吸う花の蜜などによって味わいの違う、地方色が出やすい食材。
・兎百舌(レポロラニオ)
四足の鳥類。羽獣。ふわふわと柔らかい羽毛でおおわれており一見かわいいが、基本的に動物食で、自分より小さくて動くものなら何でも食べるし、自分より大きくても危機が迫ればかみついてくる。早贄の習性がある。