どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい――こんな自分のことが大嫌いだ。
中学生の時、友達の何気ないあの一言からずっと、私は私が受け入れられない。

「鈴子の声って変だよね。もしかしてわざとやってるの?」

「え……?」

あの時、ふいに友達から投げかけられたのは思いがけない言葉だった。

「だから、その声だよ。今まで誰かに言われたことなかった?変だよ、鈴子。ぶりっ子みたい。一緒にいると私まで悪目立ちしちゃうから、やめてよね」

そんなことを言われたのは初めてだった。
自分の声について気にしたことなんてなかったし、誰からも指摘されたことなんてなかったからだ。
当時の私はそれがどういうことなのか理解できなくて、ただ唖然とすることしかできなかった。

「分かる。鈴子ってちょっと声大きいよね」

「私たち鈴子の為に言ってあげてるんだよ。鈴子がこのままだと、将来困るんじゃないかって思ってさぁ」

一緒にいた他の友達は、「私の為に」といいながらもくすくす笑っていた。
今思い返せば、あれは絶対に私のことを思っていたのではないのだと分かる。
けれど当時の私は、こんなむき出しの悪意をぶつけられたのは初めてで、言い返すことなんてできもしなかった。

「なに、その顔?みんな鈴子のこと心配してるのに、なんで鈴子が怒るの?意味わかんない」

すっと胸の温度が冷たくなるのを感じる。
意味が分からないのはこっちだ。
でも、私の口から出たのは反論ではない。

「ご、ごめん!怒ってるんじゃないよ。ただ、私の声が変だってことを言われたの、初めてで……ちょっとびっくりしちゃっただけ!」

あはは、と愛想笑いを浮かべてその場を取り繕った。
その後なんて答えたのかなんて覚えていないし、覚えていたくもない。
ただ一つはっきり分かるのは、彼女たちが私に刺した棘は、今もまだ私の喉に刺さったままだということだけ。



あの日から、二度春が巡った頃。
私は高校生になった。

「鈴子ちゃん、おはよ!」

「おはよう」

朝、高校に入ってから新しく出来た友達に挨拶をする。
私の声はずいぶんと変わった。
小さい声量、というよりもわざと声色を変えて喋っているのだ。

私の入学した高校は地元から少し遠く、中学の時に仲の良かった子たちはみんな違う学校へ行った。
にも関わらず、私はわざと声を変えている。
気にしないでおこうとしても、学校へ行って何か話す度に、頭の中にあの光景がフラッシュバックするのだ。

『鈴子の声って変だよね』

もしまた同じことを言われたら。
そう考えるとどうにも上手くいかない。
だが、当たり前だと思ってきたものを否定されて、人は普通でいられるのだろうか。
私はそうではなかった。
だからこうして、少しでも正常に近づけるように声を変えて話している。
違う声の自分でいれば、あの時言われたことは全て過去になる。
そんな思い込みからだったが、いつの間にかこれが当たり前になってしまった。

でも、それでいい。
もう一度、あんな気分を味わうくらいなら。

周りからは、「鈴子ちゃんはちょっと低い声なんだね」とか「ハスキーな感じでいいんじゃない?」だとか言ってもらえる。
受け入れてくれていることの証拠なんだろうけれど、もし本当の声で話したら、どんな風に思われるのかを考えると、やっぱり安心できなかった。

「今日の放課後、ついに席替えだよねぇ」

憂鬱そうなその声に、思わず苦笑いになる。

「だね。一番前じゃないといいけど、隣が誰になるかも心配だよね」

「そう!なんでわざわざくじ引きなんかしちゃうんだろ。せっかく一番後ろの席なのに、変わっちゃうのもったいなさすぎるよ」

彼女は幸運にも窓際の一番後ろの席を引き当てていた。
多分、みんなが思うであろうベストポジションそのものだ。
でもそれも今日の放課後に変わってしまうのだから、惜しむ気持ちもよく分かる。

「ま、隣の席が結城くんとかなら全然許せるんだけどねー」

「結城くん?なんで?」

「なんでって、そりゃあイケメンだからでしょ。恋愛的な意味で好きってわけじゃないけど、どうせ席替えするなら格好良い人が隣の方が嬉しいじゃん?」

絶対みんなも思ってるよ、と彼女は笑った。
もちろん彼のことぐらい私も分かっているが、他の子たちのように夢中になったりはしていないので、いまいちピンと来なかっただけ。
結城という名の男子、整ったスタイルと賢そうな顔立ちで、生徒の間で人気が高い。
もちろん、私とはほとんど関わりのない生徒だ。
正直、性格もよく知らない。こうやって、他の子たちから噂話を聞くぐらい。
それなりに人付き合いもするようで、たまに男子たちと談笑する姿も見られるが、基本的にはヘッドホンで何か音楽を聴いていて、ちょっと近寄り難い雰囲気もある。
だがそれがかえってミステリアスな魅力があるのだとか言われて、一部ではますます人気を集めてあるのだとか。

「結城くんかぁ……。隣の席になったらいいね」

個人的には、隣人との会話が少ない方が気楽なので、その意味でも結城という可能性は良いものかもしれない。
とはいえ、もしも本当に隣になったら間違いなく嫉妬の対象になるだろうから望むことは無いが。

「でもやっぱりうちのクラスで一番かっこいいのは北見くんだなぁ」

「北見くん、モテるもんね」

北見という同級生の男子は、結城よりもさらに人気のある生徒だ。
クラスでは学級委員を務めるリーダー的存在で、文化祭などのイベントごとで中心になってくれていた。
まさに、輝かしい青春真っ只中にいるような眩しい人だ。

「そのへんの芸能人よりよっぽどかっこいいもん。将来モデルになってたりして」

「分かる。北見くんなら絶対似合うよね」

北見結城とならんでこれだけ目立つ人が二人も集まっているのだから、脇にいる私に目を向ける人なんて居ないので過ごしやすくてありがたい面もある。
クラスの雰囲気もまとまって和気あいあいとしているので、尚更北見くんには感謝したい。
しかしクラスの雰囲気が明るいからこそ、明らかに『陰』の部分に位置する私がその空気を壊したくないという思いもある。

(隣の人、あんまり喋りたくないんだよね……)

できれば小テストの採点とか、授業中の意見交換程度の交流で終わらせたい。

聞くところによると、自分の声というものは自分が認識しているものと、他者が聞いているものとでは音が異なるらしい。
距離が近ければ近いほど、その分よく聞こえる。
どれだけ自分が違う声を出していると思っても、うっかり気づかれるなんてことがあったら堪らない。

席替えの度に一々そんな細かなことまで気にしていては、自意識過剰と思われるかもしれないが、それも承知で考えている。
私のことを常に意識するのは私以外いないのだから、自意識を大切にしないで一体誰が気にしてくれるというのか。
そもそも、ほとんどの人にはコンプレックスというものが少なからず備わっているのだ。

例えば、顔。体型。成績。才能。

人によって千差万別で、私の場合たまたまそれが声だった。
それだけの、こと。



「6って……窓際の一番後ろだ」

いつもの一日が終わり、ついに迎えた放課後の席替え。
教卓の上にはくじが入ったクッキー缶が置かれている。
その中に手を伸ばして選んだくじには、6番と書かれていた。
座席表に目を走らせれば、それが件のベストポジションであることに即座に気づいた。

「うそっ、鈴子ちゃんいいなぁ」

「相原さん羨ましい!そこ変わって欲しいよー!」

周りの子たちから次々とそう言われる。
自分でもまさかこんないい席を引くなんて思ってもいなかった。
冗談めかして交換してくれと言う子に笑い返しつつ、自席に戻ろうとする。
その時だった。

「隣、相原?よろしく」

ふいにかけられたその声は、聞きなれないものだった。
ハッと顔を向ければ、ヘッドホンを外した結城くんがこちらを見ていた。

一瞬で皆の視線がこちらに集まる。
背筋がすぅっと冷える感覚がした。
終わった。完全に、終わった。
今朝の会話はフラグだったというのか。
こんな馬鹿な展開が許されるものか。
テンプレもテンプレ、コテコテの少女漫画的展開。
ありえない、としか言いようがない。
普通ならときめく場面だろうが、こんなの今の私にとっては不都合でしかなかった。

「よ、よろしくね……結城くん」

愛想笑いで誤魔化したはいいものの、私の心臓がばくばくと音を立てて、どうにかなりそうで、そさくさと逃げることしかできなかった。

これから結城くんとはなるべく関わらないようにしよう。
そうする方が安全だし、他の子たちからわざわざ敵意を買う必要もない。
と、決意したはいいものの。

「相原、次の授業って何か分かる?」

「相原、ちょっと教科書見せてくれないか」

「相原、何読んでるの?その本面白い?」

結城くんが、やたらめったら私に話しかけてくるのだ。
授業の内容だったり、忘れ物を貸したり、他愛もない話ではあるものの、あの無口でクールな彼にしてはちょっと違和感がある。
あれなんか聞いてた話と違うぞ。
結城くんはもっと無口な人なんじゃなかったか。
なんて、そう思っているのは私以外にもいるようで、昼休み、いつもの友人数人と集まってお弁当を食べていた時、結城くんのことが自然と話題に上がった。

「相原さんって結城くんとよく喋るよね。もしかして、知り合いだったの?」

「ううん、それは違うよ。でも、どうしてあんなに私に話しかけてくるんだろ……」

「なんで?結城くんのこと、苦手なの?それとも、北見くんの方がよかったとか?」

「そ、そんなんじゃないよ!なんていうのかな、結城くん、思ったよりもたくさん話しかけてくれて、イメージと違うっていうか……」

「それって、結城くんに気に入られてるんじゃない?結城くんって本当に仲良い子としか関わろうとしないもん。鈴子ちゃん、羨ましいなー」

「あはは、そうだといいけどね」

本当に、どうしてなんだろうか。
直接理由を確かめられれば良いんだろうけれど、正面から「あなたは私のことが好きですか?」という主旨の質問をぶつけられるほどメンタルは強くないのでそれはできない。
単純に、人気者の生徒によく話しかけられてちょっと緊張する、ぐらいの話なら次の席替えまで耐えるだけだが、彼に限ってはそうもいかない。

私が結城くんが苦手だと思う理由は、もう一つある。
彼の声が、ラジオの配信者に似ているのだ。

きっかけは、彼の笑い声を聞いた時。
彼が北見くんと会話をしている横を通りすがり、たまたま彼の笑い声が耳に入った時に気づいた。
ちょっと控えめで穏やかだけれど、優しいそよ風みたいな声。
それは、私がいつも聞いているネットラジオのMCの声とよく似ていた。
ユウというネームの青年が一人で喋るだけの番組。リスナーは数百人程度。知ってる人は知ってるかもしれない、ぐらいの知名度だろうか。
毎週金曜にSNSで発信されている。
時々、彼の好きな音楽が流れたり、お悩み相談コーナーなどをやってくれる素朴な番組だが、私はこのネットラジオが大好きで、毎週金曜日を心待ちにしていた。
日々のささやかな出来事、お気に入りの曲の話。
この間は、コンビニスイーツの新作が美味しかったという内容で数十分は話していた。
どれもこれといって珍しいものでは無いが、楽しそうに気さくに話すユウがまるで友人のように感じられるのだ。
ただのいちリスナーで、顔も年齢も知らないのに、いつのまにかずっと前から知り合いだったかのように思えるなんて、自分でも不思議なことを言っているのは分かっている。
なにより、お悩み相談コーナーでは的確なアドバイスを返したりしつつも、「余計なことをあれこれ考えるのはかえって悩みを増やすだけだから、気楽に生きるのが一番」というスタンスを一貫しているところがちょっと憧れるのだ。
悩みの尽きない自分にとって、悩まないこと、というのは何よりも難しく、そしてまた、何よりも欲しいものでもあった。

彼は声だけじゃなくて、ユウと結城でネームまで似ているけれど、結局それは口に出さなければ思い過ごしで終わるのだ。
息苦しい日常の中での癒しをわざわざ自分の手で壊す必要は無い。

だからどうか、もう少しだけ、知らないフリをさせて欲しい。