ベンは下腹部をさすりながらうずくまったが、マーラのことであれば無視もできない。括約筋に喝を入れ、よろよろと立ち上がると、はぁはぁと荒い息をしながら魔法使いの後を追った。

 しばらく歩くと広場があり、丸太が積み上げられている。奥には石材がゴロゴロとしていて、資材置き場として使われているようだ。リリリリとにぎやかに虫たちが合唱をしている。

 魔法使いはくるっと振り返り、月夜に目をキラっと光らせて言った。

「マーラがね、行方不明なのよ。あんた何か知らない?」

 ベンは戸惑った。彼女はまじめな人だ。いきなりいなくなるとは考えにくい。事件にでも巻き込まれていたら大変なことである。しかし、彼女とはダンジョン以来話もしていない。

「それは気になりますね。でも、知りませんよ。なんで僕に?」

「あんた、マーラに目をかけてもらってたからね。連絡が来たら教えて」

 魔法使いはベンの身体を舐めるように視線を這わせながら言った。

「分かったよ」

 ベンは気持ち悪く思い、一歩下がりながら適当に返事をした。

 勇者が負けたことで勇者パーティも崩壊しつつあるということだろうか。ざまぁと思うところもあるが、それがマーラを悩ませてしまっていたとしたら申し訳ないなと思った。

 だが、考え事は良くない。

 ぐぅ、ぎゅるぎゅるぎゅる――――!

 胃腸が暴れ始め、ポロン! と『×100』の表示が出る。

「そんだけですか? じゃあ帰ります」

 そう言って(きびす)を返すと、魔法使いは後ろからベンをすっとハグした。

 へ?

 エキゾチックな大人の女性の香りがふんわりとベンを包んだ。

「これからが本番よ。あなた、なぜ、あんなに強くなったの?」

 豊満な二つのふくらみを押し付けながら、耳元で魔法使いはささやく。

「秘密です。なんであなたに言わなきゃならないんですか!」

 ベンは必死に魔法使いの腕を振りほどく。

「あなたの薬の小瓶は全部いただいちゃったわ。もう強くなれないでしょ? クフフフ」

 嫌な声で笑う魔法使い。一体何がやりたいのかベンは困惑した。

 言われてみれば予備の小瓶は三つ。確かにさっき勇者が全部飲んでしまっていた。

「お前が盗んだんだな!」

 ベンは下腹部を押さえながら怒った。

「その強さの秘密、調べて来いと言われてるの。でも、別に言わなくてもいいのよ、死体から聞くから」

 そう言うと魔法使いは月の光にキラリと輝く小さな針を出し、ベンの首筋にピン! と飛ばして刺した。

 ぐわっ!

 痛烈な痛みにベンは気を取られ、肛門の守りが手薄となる。

 ピュッ、ピュルッ!

 ピロン! と鳴って『×1000』の文字が浮かんでいる。

 今までにない決壊にベンは青い顔をしながら、針を抜いた手でそのまま魔法使いを撃つ。

 魔法使いは素早く避けたがベンの千倍の攻撃は鋭く、かすっただけでビキニスーツがパンとはじけ飛んだ。

 月明かりに白く美しい裸体を晒す魔法使い。

 一瞬焦ったベンだったが、その豊満な胸の乳首のところにはギョロリとした目があり、お腹には巨大な口が牙を晒していた。

 はぁ!?

 凍りつくベン。魔法使いはなんと魔物だったのだ。勇者はいままで魔物と一緒にダンジョンを攻略していたということになる。つまり魔法使いは魔王軍のスパイだったのだ。

 その時、さらにいっそう大きく腸がうねった。

 くふぅ……。

 激しい便意にガクッとひざをつくベン。

「あらら、バレちゃった。でも、あなたに打ち込んだ毒は象でも倒せる猛毒。残念だったわね。ここで死んでいきなさい。クフフフフ」

 魔法使いは淡く紫色に輝く魔法シールドを展開し、その中でお腹の大きな口を揺らしながら笑う。

 しかし、ベンは止まらない。毒耐性も千倍なのだ。象はたおせてもベンはたおせない。

 ベンは腹を押さえ、何とか括約筋に喝を入れ、脂汗をたらたらと垂らしながらピョコピョコと内またで駆け出し、魔法使いとの距離を詰める。

「死にぞこないが何をするつもり?」

 余裕な顔であざける魔法使い。

「便意独尊!」

 ベンはこぶしに気合を込めると、叫びながら魔法使い向けてありったけのパワーで撃ちぬいた。

 千倍の破壊力は全てをぶち壊す。

 魔法シールドは爆散し、そのまま魔法使いのみぞおちをぶち抜いた。

 ゴフゥ――――!

 魔法使いはものすごい勢いで吹き飛ばされ、野積みの丸太に直撃し、まるでボウリングのピンのように丸太を夜空に高くかっ飛ばす。そして、野積みの石の山にめり込んで止まった。

 はぁはぁはぁ……。

 荒い息をしながら、ピョコピョコと近づくベン。

「小僧、なんてパワーなのよ……。こんなの……人の力じゃない。化け物め……」

 魔法使いはお腹の大穴から青い血をダラダラと流しながら言った。

「化け物ってひどいな。お前の方が化け物じゃないか。スパイなんかしてどうするつもりだったんだ?」

 魔法使いの身体は徐々に薄く透けていく。そして、最期にニヤリと笑うと、

「私は魔王軍四天王のナアマ……。『ベンという少年を(たお)せ』って伝令を飛ばしたの。お前はもう逃げられないわ、クフフフ……」

 と、言いながら消えていった。

 後には紫色に輝く魔石がコロコロと転がる。

 キー! キー! キー!

 不気味な鳴き声がして、ベンが夜空を見上げると、無数のコウモリが暗黒の森の方へと飛び去って行くのが見えた。

 昨日までFランクの荷物持ちだった少年は、あっという間に人類最強として騎士団の顧問になり、魔王軍の中枢からターゲットにされるハメになってしまった。

 どうしてこうなった?

 物陰で用を足しながらベンは、この数奇な運命をどう解釈したものかわからず深いため息をついた。

 しばらく鳴きやんでいた虫たちが、またリリリリとにぎやかに響き始める。

















12. 接待ダンジョン

 しばらくベンは騎士団顧問としての準備に追われた。宮殿の近くに部屋を借り、制服を作り、メンバーにあいさつし、任命式で正式に顧問となった。

 もちろん、騎士団と言えば街の精鋭ぞろいである。皆ビシッと背筋を伸ばし、筋骨隆々として、子供の頃から延々と振ってきた剣さばきも見事だ。それに対し、ベンは剣もまともに扱えないヒョロっとした小僧である。訳わからない呪文で勇者に勝ったからと言って、入団を許していいのかという不満は皆持っていた。特に、ベネデッタに気に入られているというのが許しがたい様子である。騎士団のアイドル的存在ベネデッタが、あんな小僧を目にかけているなど許しがたかったのだ。

 社会人経験の長いベンもそのくらいは分かっている。分かってはいるが、ベンのスキルはおいそれと見せられるものでもない。そこは折を見て少しずつ理解して行ってもらうよりほかない。そもそも自分は商人になりたかったのだ。

 帰りがけに警護班の班長に呼び止められる。

「顧問! これ、指令書。読んでおいて」

「え? 何?」

「いいから、読めばわかるから!」

 不機嫌を隠そうともせず、仏頂面で封筒を突き出す。

「あ、ありがとう」

「あなたには何も期待してないので、ただ、後をついてきてくれるだけでいいです」

 吐き捨てるようにそう言うと、班長はカツカツとブーツのヒールを鳴らしながら去っていった。

「ふぅ、初日から大変だぞこりゃ」

 若いっていいなぁと思うところもあるが、前途多難な状況に思わずため息が漏れる。

 指令書には、明朝に西の城門集合で、ベネデッタの親戚のベッティーナのダンジョン攻略の警護をせよと書いてあった。

 はぁ!?

 ベンは目が点になる。なぜ貴族様がダンジョンになど潜るのか?

 しかし、何度読み直してもそうとしか読めなかった。ベンは大きく息をつく。

 ただ、班長は『何もするな』って言っていたし、後をついていけばいいだけだろう。お貴族様の後をついていくだけの簡単なお仕事です!

 ベンは深く考えることは止め、下剤やポーションなどダンジョンに潜るアイテムの買い出しに出かけた。


        ◇


 翌朝、まだ朝霧も残る早朝の街を、あくびしながらベンは西門へと歩く。朝露に濡れた石だたみにオレンジ色の朝日が反射し、街は美しく輝いている。

 西門が見えてくると、女の子が手を振っている。あれがベッティーナ……、ということだろうか? 隣にはもう班長がいてビシッと立っている。

 近づいてみると、ベネデッタが仮面舞踏会につけるような変なアイマスクして嬉しそうに手を振っている。

「あれ? ベネデッタさん、どうしたんですか? そんな仮面して」

 ベンが聞くと、ベネデッタは途端に怒り出し、

「我はベネデッタではないのだ! ベッティーナ!」

 と、言って口をとがらせて横を向いてしまった。

 訳が分からず班長の方を見ると、人差し指を一本立てて口に当て『シーッ』というしぐさをしている。

 どうやらベッティーナというのはベネデッタのお忍び用のコードネームらしい。貴族様はいろいろ自由が無くて大変そうだ。ベンは大きく息をつき、

「これはベッティーナ様、大変に失礼いたしました。本日はよろしくお願いいたします」

 と、言いながらひざまずいた。

 するとベネデッタはニヤッと笑い、

「分かればよいのだ! それではシュッパーツ!」

 と、楽しそうにダンジョンへ向けて歩き出した。


        ◇


 不機嫌な班長から道すがら聞いた情報を総合すると、ベネデッタは月に一回くらいこうやってお忍びで魔物狩りをするらしい。一応王家の血筋なので魔法の才能はあるものの経験には乏しく、駆け出し冒険者レベルということだった。

 今日も三階辺りを一周して帰ってくる予定だそうだ。であるならば本当に出番などないだろう。ベンとしても下剤を飲むようなことは避けたかったので都合がいい。

 ふぁ~あ。

 麦畑をわたる風が、朝日にオレンジ色に輝くウェーブを作り、ベンはその平和な美しい景色を見ながら伸びをする。

 こんな簡単なお仕事で高給もらえるなら実は天国かもしれない。数日前まで飢え死にを心配していた事がまるで嘘のようである。ベンは運気が向いてきたとニコニコしながら気持ちよい風に吹かれた。


       ◇


「ベン君! 見ててよ!」

 ベネデッタはそう言うと、エレガントに魔法の杖を掲げ、呪文を詠唱し始める。

 背筋をピンと伸ばし、目をつぶりながらブツブツとつぶやくベネデッタは薄く金色の光をまとい、気品のある美しさをたたえていた。

 そして、目をカッと見開くと、

「ホーリーレイ!」

 と、叫んで杖を振り下ろした。

 ダンジョン内に閃光が走り、聖なる黄金の光の奔流(ほんりゅう)がダンジョンの奥へと打ち込まれていく。

 グギャー! グアー!

 ダンジョン内をうろうろしていた骸骨の魔物、スケルトンが次々と倒れ、消えていった。

 パチパチパチ!

「ベッティーナ様、凄い! お見事です」

 班長はまるで接待ゴルフのようにほめまくった。

「ナイスショットー」

 ベンは拍手をしながらやる気のない声で、異世界人には分からない掛け声をかける。

「ふふん! 我だって少しはやるのだ!」

 ベネデッタは得意げに胸を張った。









13. 堕ちていく下剤

 ベネデッタに活躍させては拍手する。そんなことを繰り返しながら三階へと降りていく。

 戦闘は基本、班長が前衛をやり、ベネデッタが後衛をやっている。ベンは後ろから襲われないようにするただの護衛だった。

 とはいえ、こんな低層階で後ろから襲ってくる魔物などいないわけで、楽しそうに魔法を操るベネデッタを眺めながら、ベンは子守をするおじさんの気持ちで見守っていた。


        ◇


 そろそろお昼なので、あくびを噛み殺しながら撤退の声を待っていると、ベネデッタが部屋のドアを開けた。すると、奥には宝箱がいかにもという感じで置いてある。

「あっ! 宝箱発見なのだ!」

 小走りに宝箱に駆けだすベネデッタ。

「あっ! 走っちゃダメです!」

 班長が急いで後を追い、ベンも仕方なくついていく。

 直後、カチッ! という音が部屋に響き、床がパカッと開いた。落とし穴だったのだ。

「キャ――――!」「うわぁ!」「ひぃ!」

 漆黒の底なしの穴が一行を飲みこんでいく。

 班長は険しい表情でポケットから魔法スクロールを出すと一気に破った。

 スクロールからは金色の光がぶわぁっと噴き出し、三人をふんわりと包んでいく。その金色の光に支えられるように、落ちる速度が徐々にゆっくりとなっていった。

「ゴ、ゴメンなのだ……」

 しおれるベネデッタ。

「ダンジョンは絶対走らないでくださいね!」

 班長は目を三角にして厳しく言った。班長がベネデッタに怒るなんてよほどのことである。

「これ……、どこまで行くんですかね?」

 ベンはどこまでも続く漆黒の闇をのぞきこみながら班長に聞く。

 班長は下の方をじーっと見つめ、渋い顔で、

「こんな長い落とし穴は初めてです。三、四十階……、もっと行くかもしれません」

 と言って、首を振った。

「えっ! そんな?」

 ベネデッタは青い顔をする。中堅冒険者パーティの限界が四十階と言われている。そこから先では一般には生還が絶望的だった。

 ベンは大きく息をつくとリュックを下ろし、下剤を取り出そうとする。

 その時だった。

「ベン君! 助けて!」

 そう言って、ベネデッタがいきなりベンに抱き着いてきた。

「うわぁ!」

 その拍子にリュックはベンの手を離れ、真っ逆さまに落ちていく。この場を切り抜ける唯一の希望、下剤はあっという間に漆黒の闇の中へと消えていった。

 あぁぁぁぁ……。

 茫然自失(ぼうぜんじしつ)となるベン。便意が無ければただの小僧。ベネデッタより弱いのだ。彼女を守ることなんて到底できない。

 ベネデッタは申し訳なさそうにベンを見るが、ベンには余裕がない。

 頭を抱えて必死に考える。

 何かないか? 便意を呼べるもの!

 しかし、そんな都合のいいものある訳がない。班長達にも持ち物を聞いたが、下剤など持ってるはずがない。

 絶体絶命である。ダンジョンの深層で戦力は実質班長だけ。とても生還できない。

 くあぁぁぁ……。

 万事休す。落ちた荷物を見つけられるかどうか、一行の命運はその一点にかかっていた。


         ◇


 やがて一行はフロアに降り立つ。

 そこは草原だった。

 澄み通る青空には白い雲が浮かび、草原にはさわやかな風が走り、小川は陽の光を浴びてキラキラと光っていた。奥にはうっそうとした森が広がり、ダンジョンでなければ気持ちいい高原の風景である。

「こ、これは……」

 ベンは絶句する。地中の洞窟の奥底にこんな草原が広がっているなんて、想像もしていなかったのだ。

「これは……、六十階台だな」

 班長が悲壮な顔をして言う。

「六十!?」

 ベネデッタは目を真ん丸くして驚いた。

 上級冒険者でも危険と言われる領域に来てしまったことに、一行は押し黙る。

「ベン君! 大丈夫よね?」

 ベネデッタはベンの手を取ってすがるように言うが、下剤のない今、ベンはただの小僧だった。

「荷物が見つからないと何とも……」

 そう、渋い顔をして返すしかなかった。

 しかし、草原の草は胸の高さ近くまで生い茂り、この中を荷物なんて探せそうになかった。

 であるならば、下剤の効果のある野草でもムシャムシャ食べればいいのではないか、とも思ったが、ススキみたいな薬効などなさそうな植物ばかりで、いくら食べても効果は期待できそうになかった。

 危険なダンジョンの深層で生き残る手段はもはや便意しかない。しかし、その便意を呼ぶ方法が無い現実にベンは奥歯をギリッと鳴らした。











14. 一万倍の約束

 あまり使いたくない手だったが、この際なりふり構っていられない。ベンは少し離れて空に向かって叫ぶ。

「シアン様! お願いです! 出てきてくださーい!」

 すると、ポン! という音とともにぬいぐるみのシアンが現れる。

 シアンは楽しそうにクルクルッと回ると、

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン! やっぱり便意が欲しくなったでしょ?」

 と、ドヤ顔で言った。

 ベンはそのドヤ顔が悔しくてキュッと口を真一文字に結んだが、今は便意に頼らざるを得ない。

「お、お願いします!」

 ベンは頭下げて頼む。

「じゃあ一万倍出してね?」

 シアンは悪い顔でニヤッと笑って言った。

「い、一万倍!?」

 ベンは固まった。千倍でもあんなに苦しかったのに一万倍とか、このクソ女神はなんて無慈悲なことを言うのだろうか?

「嫌なの?」

「い、いや、一万は耐えられないですよ」

「やってみなきゃ分かんないでしょ?」
 シアンはプクッとほっぺたを膨らまして言う。

「やらなくてもそのくらい分かるんです!」

 ベンは目をギュッとつぶり、声を荒げて言った。

 すると、ズシーン! ズシーン! と地面の揺れる音が近づいてくる。音の方を見ると、森の奥で何かが動いている。目を凝らすとこずえの上に巨大な一つ目がニョキっと現れた。

 班長は真っ青になって、

「サ、サイクロプス!? 逃げましょう!」

 と、ベネデッタの手を引く。

 一行はダッシュで走り出した。

 サイクロプスは一つ目がギョロリとしたAクラスの魔物である。身長は十メートルを超え、筋骨隆々の躯体から繰り出されるパンチは全てを砕いてしまう。

 今のこのパーティではサイクロプスは止められない。班長ですら足止めも無理だろう。

 絶望が一行を包む。

「くぅ、一万倍かぁ……」

 ベンは走りながら顔を歪ませて言った。

「ほらほら、急がないと全滅だゾ! きゃははは!」

 シアンはとても嬉しそうにベンの耳元で笑い、ベンはギリッと奥歯を鳴らす。

 ズシン! ズシン! という音が地面を揺らしながら近づいてくる。もはや猶予はなかった。

「分かりました。一万倍出してみますからお願いします!」

 ベンはギュッと目をつぶると、あきらめて叫んだ。

 すると、シアンはニコニコしながらベンに耳打ちをした。

「はぁ!? マジですか?」

「マジマジ! ほら、急いで急いで!」

 くぅぅぅ……。

 ベンは泣きそうな顔をしながら二人を先に行かせ、木陰でズボンをおろした。そして水筒の細くなってる飲み口をお尻に差し込んで、まるで浣腸(かんちょう)のように一気に水を流し込む。

 おうふ!

 下腹部に入ってくる冷たい大量の水。それはベンの便意を一気に解放した。

 ポロン! 『×10』
 
 そして、最後の力を振り絞り、残りの水も全部流し込む。

 ポロン! 『×100』

「お、いいねいいね!」

 シアンは嬉しそうに言う。

 ぐはっ!

 ベンは鬼のような形相で水筒を引き抜く。

 冷たい水が腸を刺激し、

 ぐるぐる、ぎゅぅぅぅ――――。

 と、猛烈な勢いで暴れ始める。

 くぅぅぅ……。

 ベンは奥歯をギリッと鳴らし、何とか便意を手なずけようと必死に括約筋を絞った。

 そうこうしているうちにも、サイクロプスは巨人とは思えぬすさまじい速度で班長とベネデッタを猛追し、追いついてしまっていた。

「ほら、頑張れ、頑張れ!」

 シアンは無責任に煽る。

 くっ!

 ベンは歯を食いしばった。ただ、使命感だけが彼を動かす。ベンは朦朧としながら、完全に逝ってしまった目でサイクロプスを追った。

 サイクロプスは二人を瞬殺する勢いでパンチを繰り出してくる。極めてマズい状態だった。

「急が……なきゃ……」

 ベンは苦痛に顔をゆがめながらピョコピョコと走っていく。

 班長は盾でサイクロプスのパンチを受け止めたが吹き飛ばされ、ベネデッタは神聖魔法を放つもののほとんど効いていなかった。

 二人は絶望し、サイクロプスはニヤリと笑う。

「あの小僧どこ行ったんだ! 役立たずめ!」

 班長は悪態をつき、ベネデッタはベソをかきながら叫んだ。

「きっと助けてくれるのだ! ベンくーん!」

 サイクロプスは一メートルはあろうかという巨大なこぶしを、思いっきり振りかぶる。その高さは五階建てビル位に達するだろうか。そして、一気にすさまじいパンチを撃ちおろす。

「いやぁ――――!」「ひぃぃぃ!」

 二人がもうダメだと思った瞬間、サイクロプスの足が吹っ飛ばされ、あおむけに無様に転がった。

 地響きが派手に響いて、土埃が舞う。

「えっ……?」「あ、あれ……」

 不思議に思った二人は、土埃の向こうに少年がピョコピョコと動いているのを見つけた。

「ベンくーん!」

 ベネデッタは手を振る。

 ポロン! 『×1000』

「キタ、キター!」

 シアンはクルクルっと楽しそうに回った。

 ベンは脂汗を流しながらサイクロプスの頭に近づくと、

「便意独尊!」
 
 と、叫びながら思いっきり頭部をパンチで撃ちぬく。

 グギャァァ!

 まるで豆腐みたいに頭部が吹っ飛び、やがて魔石を残しながら消えていった。

 班長はその様子を見てゾッとし、凍りつく。サイクロプスの体躯は金剛不壊(ふえ)と呼ばれ、剣で斬りつけても刃こぼれしてしまうくらいの硬度を誇っている。パンチなどで傷をつけられるようなものじゃない。それをベンはパンチ一発で粉砕したのだ。

 もはや人間技ではない。

 班長は呆然としながら首を振り、見てはいけないものを見てしまったような後悔にとらわれた。あのパンチが自分たちに向けられたら即死である。騎士団全員で束になってもこの少年には勝てない。なるほど、騎士団顧問というのは正しかった。班長は自らの無礼な言動を心から反省し、冷や汗をたらりと流した。









15. 伝説の真龍

「ベンくーん!」

 ベネデッタはベンに走り寄るが、ベンにはもう全く余裕がなかった。強引に流し込んだ水が腸内でさっきからグルグルとすさまじい音を立て、肛門を襲っているのだ。もはや一刻の猶予もない。

「失礼!」

 ベンは脂汗を流しながら一言そう言うと、ベネデッタを小脇に抱え、次いで班長も抱え、ピョコピョコと走り出した。出口はシアンが教えてくれる。

 走ると言っても千倍のパワーの走りである。あっという間に時速百キロを超え、飛ぶように草原を一直線に駆け抜けていった。

 その圧倒的な速度に二人は圧倒されて言葉を失う。ベンの超人的パワーは明らかに人の領域を超えているのだ。ただ、大人しく運ばれるしかなかった。

 途中オーガやゴーレムみたいなAクラスモンスターが行く手をふさぐ。しかし、ベンは止まりもせずにただ膝蹴りで一蹴し、楽しそうに飛んでいくシアンの後をひたすら追っていく。

 しばらく行くと湖があり、その湖畔に小さな三角屋根の建物が見えてきた。どうやら、ここらしい。

 漏れる、漏れる、漏れる……。

 ベンは建物の入り口で二人を下ろし、急いでドアを開ける。

 奥に下り階段が見えた。ビンゴ!

 だがその時、天井から閃光が放たれた。

 グハァ!

 ベンは天井に潜んでいたハーピーの攻撃をまともに受け、服が焦げた。千倍の防御力では身体は傷一つつかないものの、デリケートな下腹部にはこたえた。

 ビュッ、ビュルッ!

 たまらず肛門が一部決壊。オムツ代わりに仕込んでおいたタオルに生暖かい液体が染みていく。

 ポロン! 『×10000』

 ついに限界突破の一万倍に達してしまった。

「キタ――――! きゃははは!」

 シアンは大喜びである。

 ベンは奥歯をギリッと鳴らすと、

「エアスラッシュ!」

 と、叫んで初級風魔法を放った。初級とは言え一万倍の威力である、それぞれが普通の百倍くらいの威力を持った風の刃が数百発天井に向って放たれる。それはまるで竜巻が直撃したかのような衝撃でハーピーを襲う。

 キュワァァァ!

 断末魔の叫びが響き、ハーピーは屋根ごと粉々に吹き飛んでしまった。

 くふぅ……。

 ガクッとひざをつくベン。もう肛門は限界だ。しかし、まだこの先、ボスを(たお)さない限り外には出られないのだ。それまではこの便意を温存するしかない。休憩してもう一発水筒注入というのはもう耐えられそうになかった。

「ベン君……」

 ベネデッタはその尋常ではないベンの辛そうな様子に、思わず駆け寄って後ろからハグをする。しかし、それは下腹部を締め付けて逆効果だった。

 グハァ!

 思わず叫んでしまうベン。

 ビュッビュとまた少し決壊してしまう。

「ごめんなさい、わたくしそんなつもりじゃ……」

 オロオロするベネデッタ。

「だ、大丈夫。ちょっと待っててください」

 ベンは必死に肛門のコントロールを取り戻そうと大きく深呼吸を繰り返し、般若心経をつぶやきながら精神統一に全力を注ぐ。

 ベネデッタは心配そうな顔をしながら、癒しの神聖魔法をそっとかけたのだった。

 ベンの全身が淡く金色に光輝き、光の微粒子が舞い上がる火の粉のようにチラチラと辺りを照らす。

 ベンは激痛の走る下腹部をそっとなでながら、少しずつ癒されていくのを感じていた。


        ◇


「ありがとうございます。行きましょう」

 便意の波が少し収まると、ベンは立ち上がり、前かがみでピョコピョコと階段を降りていく。次の波が来たらきっと耐えられない。時間との勝負だった。

 そこには高さ十メートルはあろうかという巨大な扉があり、随所に金の細工が施され、冒険者の覚悟を試しているかのように静かにたたずんでいる。

 ベンはバン! と、扉を無造作にぶち開けて、中に突入して行った。

 すると、天井の高い巨大な大広間には中央に何やら小山のようなものがそびえている。そして、部屋の周囲の魔法ランプがポツポツと煌めき始め、部屋の様子を浮かび上がらせていった。

 ひっ! ひぃ!

 班長が思わずしりもちをついて叫ぶ。

 ランプが照らした小山、それはなんと漆黒の鱗に覆われた巨大なドラゴンだったのだ。それもこのドラゴンは鱗のとげも立派に伸びた真龍、もしかしたら神話の時代から生き延びている伝説の龍かもしれなかった。

「ダメです! ダメ! あれは我々の手に負えるものじゃない!」

 班長はドラゴンの圧倒的な存在感に気おされ、真っ青になって叫ぶ。

 確かにドラゴンというのはもはや災厄であり、一般的な攻撃は全く通じず、過去には一個師団が相対して多数の犠牲者を出しながらようやく仕留めることができた、というくらい破格の存在なのだ。

 しかし、ベンにとってはもはや一刻の猶予もなかった。

 早くも波が来てしまい、過去最悪レベルに腸は暴れまわり、グルグルギューとすさまじい叫びをあげている。

 持って十秒、それ以上は暴発か人格崩壊か、そのくらい追い込まれていた。