「いやぁ、初めて会った時はほんとにびっくりしちゃいましたよ」
澄み渡る青天の下、緑なす黒髪を風に靡かせながら。
10にも満たないような見た目の愛らしい“少女”は、
あっけらかんと言い放った。
「だって――」
「本日はよろしくお願いしますっ」
ぴょこんっ、と下がったまるい頭を見下ろして、僕――クルト・シュタインベルクは非常に困惑していた。どうしてこうなった……。
まさか、と思った。不敬にも、聖騎士長様が指名する者を間違えたのかとすらも思った。
いやそんな、おかしいじゃないか。今日僕と合同任務に当たるのは、経験知識ともに豊富な騎士だと聞いていたんだが――。
まあ要するに、である。
目の前で頭を下げているのは幼女だった。
(なんでだ……!!)
小さな身体にぴっかぴかの騎士服を纏い(どっからどう見ても新品)、下げた頭は小さい。長い黒髪に、透き通るようなラピスラズリ色の瞳。くりくりとまあるい目を直視して、僕は思わず眉間の皺をつまんでしまった。
そもそも、こんな小さな子をSランク魔物の討伐に連れてけ、というのか。いくら聖騎士長様のご命令だとはいえ、あまりに無茶がすぎるのではないだろうか。
――フロラシオン皇国騎士団とは。
有史以来人類の敵とされる怪物、魔物。どこからともなく現れ、人を敵視し、殺し、あるいは食らう、異形の化け物。その魔物を討伐するのが、皇国騎士団であり、僕が所属する組織だ。
名称こそ騎士団とあるが、軍事を担当しているわけではなく、あくまで魔物に対抗するための組織だ。
聖騎士団とはあまり仲が良くないが、対魔物以外の国防は陸海軍が担っている。
そして、魔法もしくは剣、あるいは戦術考案など、広義に戦闘に長けた者のみが厳しい入団試験を突破することができ、正式に騎士団員になることで、魔物を討伐する騎士を名乗ることができるようになる。
はず、なんだが――。
なんで幼女?
僕は内心、盛大に頭を抱えた。
今回僕に回ってきた任務とは、とある山岳中腹で起きた集団失踪事件に関するものだった。
事件解決にと派遣された上級騎士たちが尽く音信不通になり、その結果僕が出張る事態となった。
にも関わらず、幼女が任務に同行するという。
派遣されるのは経験豊富な騎士であるという話だったはずだ。
どうしてこうなった……。
――騎士団の中でも、優秀な討伐成績を修め、幹部とされるのが【聖騎士】だ。
今回は、僕が聖騎士に選ばれて初めての任務だった。
戦闘に関して、氷の聖騎士の名を冠するものとして、ある程度の自信がある。父も引退して商人になる前は、氷の聖騎士の名を皇帝陛下から戴いていたそうだ。僕はこの名に誇りを持っているし、聖騎士長様に与えられた任務は完璧に熟すことを己に課している。
だが。
だけど。
しかしながら。
上級騎士たちが軒並みやられるような現場に、小さな少女を連れて行き、守りつつ魔物と戦えるのかと言われると正直どうなんだという感じだ。
――彼女が経験豊富、と。
やっぱり間違いではなかろうか。
背中に担いでいる剣が引き摺られているんだが?
剣、大きすぎないか? 振れるのかきちんと。怖い。見てるだけで怖い。
一応は試験を通っているはずなので、確かに力がない、わけではないのだろう。が、些か幼すぎやしないか。 騎士服の様子からして完全に新人だ。初任務の可能性すらあるんじゃないか。
「……ええと。こちらこそよろしく頼む」
「はいっ!」
とりあえずは、と挨拶を返すとこれまたいい返事。
愛らしい笑顔を満面に湛えるその様子は、まさに騎士ではない普通の子供のようで。
……本当にどうしたものだろう。
「僕はクルト。クルト・シュタインベルクだ。よろしく」
「ごていねいにっ! わたし、サラです。聖騎士長様からご命令をいただいたんですが、内容についてはくわしく聞けてないんです。お手数ですが、内容を教えていただけませんか?」
「……君は本当に僕の合同任務の相手だったのか」
「えっ疑われてた? ひどいっ! こんなナリですがお仕事はちゃんとできるんですからねっ」
サラは頬をふくらませて怒っているが、うーん……。
「聖騎士長様のご命令と言ったけど、君はきちんと聖騎士長様のことを知っているんだな」
「? もちろんですとも! フロラシオン皇国騎士団員としては当然のことですっ」
「いい心がけだな」
新人騎士は騎士団の階級構造について詳しく把握していない場合も多い。魔物討伐部隊に配属される人間の中には、魔法力や戦闘力自慢の平民も数多くいるためだ。僕も、多少裕福ではあるが平民の商家の出身だ。
が、どうやら彼女は違うらしい。聡明な少女のようで、この歳にしてはしっかり話すし礼儀も弁えている。経験の有無はともかく、聖騎士長様が推薦するだけの知識や能力は、きちんと備えているのかも。
「それでは歩きながら説明をしよう、サラ。
今から僕たちが向かうのは、一般人に加え上級騎士も失踪が相次いで報告されている、ある山中の村だ」
――任務の概要とはこうだ。
その山は昔から何かを祀る神殿とやらがあることで登山客が多く、それなりに名の知られた観光地だったらしい。何しろ山であるので、毎年数人の行方不明者は出てはいる……のだが、ここ数年消えていった登山客が明らかに増えているのだという。しかも何故かおおやけの捜索隊は動いていないようだ。
「それで、山の中の唯一の村があれなんですね?」
「ああ」
「どうしましょう、クルトさま。今日は村に泊まってみるしかないんじゃないかと思いますけど……」
「その通りだな。とはいえ罠は警戒する必要はあると思うよ」
そうですね、とサラが神妙な顔で頷いた。
あまり考えたくはないことだが、村の人間が魔物の協力者であることも視野に入れておく必要があるだろう。よほどの敵でなければ、騎士の中でも優秀な上級騎士がことごとく魔物にやられるなんてことはないはず。ならば油断してしまう相手、つまり人間に何かされた可能性が高い。
魔物はランクが高いほど知性が高く、人間の姿に近づいていく傾向があり、また一定以上のランクの魔物は僕らと同様魔法を使うようになる。人間の協力者を得ていても不思議ではない。
*
――登山をしに来た叔父と姪という設定で、僕らは薬師のもとに赴いた。
兄妹にしては似ていないが、なんとか二親等なら設定としていけるだろうという判断だった。事実、受け入れてくれた村1番の金持ちらしい薬師はそれで納得してくれたようだ。
「うーん、少なくともこれまで目立った動きはないですねえ。もちろん、まだ警戒する必要はありますけど……そう思いませんかおじちゃん」
「そうだな、今夜にも調べられることは調べてしまおう。それからおじちゃんはやめてくれ。僕はまだ20だ」
「誰が聞いているかわからないから……」
「う、それはまあ」
「まあいないんですけどねだれも」
僕が黙り込んだその瞬間にあっけらかんと言い放つサラ。
おちょくられている……。怒ってもいいのかこれは。相手は幼女だけれども。
閑話休題。
……ここは薬師の家の客室の1つだ。
チェストや照明、ベッドなど、山奥の邸であるにも関わらず舶来の調度品まである。 村1番の金持ちとはいえ、街に比べて閉ざされた空間の山の中に、邸と言える広さの家だ。いったいどこから金を得ているのか。
腕のいい薬師、医者といえども集落の者から得られる金なんてたかが知れているだろうに。登山客が怪我をした時に治療を施し、金を貰っているのだとしても違和感は残るな。
「サラも気がついたことがあったら言ってくれ」
「ありますよ!」
ニコニコしながらサラがそう言い、
――次の瞬間、彼女の雰囲気ががらりと変わった。
まるで百の時を生きた賢者のような静かなその目に息を呑む。
「端的に言って、怪しいです。調度品は高級品、ただの薬師がここまでの財を築けたのは不可解です。気配からして薬師さまの正体が、魔物が人間に化けている姿である、という訳ではないと思いますが。
そもそも邸自体がさほど古くない。つまり新しい邸に越してきたんです、薬師さまは。どこかから」
「……なるほど」
「おうちを見るまでは、この集落で『もっともよく人を泊める者』が魔物と通じており、かつ登山客を生贄にしているだけの案件かと考えていました。騎士もそれに巻き込まれただけかと」
だがそれだけだとこの家が富を得た理由にはなりえない。
山の集落の薬師が、この家だけが、これほどまでに富んでいるのは一体何故なのか。
「ちょっと調べたいことができました」
徐にサラが立ち上がる。
外見に囚われていたが――彼女は子どもでありながら、大人顔負けの頭脳を持っているのではないか?
「クルトさま。ぜひお力をお貸しください」
「これは聞いてもいいのか迷っていたんだが、聞いてもいいかな」
「はい、なんでしょう」
食事を終えたあと、僕らは部屋には戻らず、薬師の目を盗んで調査を進めていた。
サラは先程から、いくつかの部屋に入っては床の音を叩いて反響音を確かめている。
「いや、君のような幼い少女が、どうして聖騎士になろうと考えたのか、気になってな」
「ああ……」
サラはほわりと雰囲気をやわらかくさせると少し目を伏せ、「よくある話ですよ」と言った。
「……わたしの家は、母の生家がいわゆる軍系の良家で、それなりに裕福だったんですが、ある日いきなり高ランク魔物に襲われたんです。
父母は外出していて無事だったんですが、弟とわたしを除き、きょうだいは全員殺されまして。さらにわたしがこれまたやっかいな呪いにかかってしまったんです。魔物の、呪いです。
わたしは呪いを解く方法を探るために騎士団に身を投じることにしたんです」
「……そう、だったのか……」
「さらに、身体には魔物の呪いが馴染んでしまっていたらしく……。
聖騎士長さまでも解呪は無理なんだそうで。こまったことです」
苦笑したサラが、再び視線を床に戻した。
彼女がこんこんと床を叩く音を聞きながら、僕は口を閉じる。
――彼女が聖騎士団に所属しようとした理由の一端が、少し見えた気がした。
少しだけ、気持ちが分かるような気がする。
僕も商家の出身でありながら騎士を目指したのは、幼い頃、友人が魔物に喰い殺されたからだ。
「……だが、ご両親は君が騎士団に入ることに反対はしなかったのか?」
「しましたよ。しばらくはしていましたけど、まあ、今はもう……両親も死んじゃったので。あ、魔物のせいとかじゃないですよ。老衰です。安らかな死に顔でした」
「そうか、それは………………」
――いや、まて。
老衰???
聞き間違いだろうか。
サラの両親の年で老衰で死ぬなんてそんなことあるか??
「あ、」
と、そこで、サラが床を叩くのをやめて軽く目を見開いた。
僕がどうした、と尋ねるよりも先に、サラがおもむろに床に手を伸ばし、
……そして、がたりと音がして。
「ビンゴですよ。クルトさま」
床にあった隠し扉が開き。
ひと、1人ずつならば入れそうな隙間から、地下へと続く階段が見えた。
灯りひとつない闇の中でも騎士はだいたい夜目が利くため、無理なく足を進めることができる。闇に紛れて人を襲う魔物に対処するには、新月の日でも地形を把握し攻撃をしなければならないからだ。
だからこそ、階段を下って、降り立った地下に灯火がなくとも、僕は容易に周りの様子を把握することができた。
今ここに人はいないようだが、ずっと使われていないというわけでもないようで、気配の名残がある。つい最近にここに誰かが入ったんだろう。
「クルトさま、わたしたちのいる壁際から、道の反対側に十数歩、歩いてみてください」
「え? わ、わかった」
一瞬戸惑ったが、言われたとおりの方向に足を進める。
少し歩いたところで目の前に障害物があることに気が付いた僕はそれに手を伸ばし……目を丸くした。
「これは、」
僕が掴んだのは、鉄格子だった。
格子のあいだに手をやれば、さらに奥に空間がある。手が感じる、鉄格子を越えた檻の中の空気は、地下室のそれよりも心做しか湿っており――また澱んでいて冷たかった。
「まさか、地下牢か……!」
「まちがいないですね。やはり薬師さまが人を攫っていたんでしょう」
「ということは、ここに囚われた客や騎士たちはやっぱりもう、」
「……さて、それはどうでしょうねぇ」
え、と僕は目を見張る。
「……そうじゃない、のか?」
「薬師さまが知性ある魔物と繋がっていると仮定した上で、ここにある地下牢に囚われた人間すべてを捧げていたとすると……あまりにここは魔物の臭いが薄すぎる。魔物が無関係の人攫いというのも不自然ですが、捕らえた人間すべてを献上していたというのもまた不自然です。となると」
淡々と分析を進めるサラが、自身も手を伸ばして鉄格子に触れた。
――そして。
「……なるほど、そういうことか。
聖騎士長さまがわたしを派遣した意味がやっと判りました」
静かに息を、呑む。
サラは冷たい瞳をしていた。耳に届いた呟きもひどく冷ややかで、纏う剣気は鋭く凍てついている。その剣気はまるで嵐の前の静けさ。
……本当に、彼女は、見た目通りの年なのか?
「そこで何をしている!」
突然、上から声が降ってきた。 ……薬師の声だ。
僕はすぐさま身構え、剣の柄に手を伸ばす。
思ったより露見するのが早い。部屋を不在にしていたのはそう長い時間じゃなかったはずだが、やっぱり向こうもこちらの動向を気にしていたのだろう。
「お出ましですね。とりあえず、ふんづかまえてぼこぼこにしましょう」
「君は意外と過激だな……」
同感だが。
途端、真っ暗闇だった地下室に、わずかな光が差し込んでくる。おそらく隠し扉が開けられたのだろう。そして間を置かず、どたどたという足音とともに、見上げた階段が徐々に赤く照らされていく。これは灯火を持った薬師が下に降りてきている証だ。
僕は叫ぶ。
「薬師。隠し立てをせず正直に答えろ、登山客と騎士たちはどこだ!」
「答えると思うか!?」
叫び声とともに殺気、と、頭上に魔物の気配。
しかし、魔物本体が目の前に着地するよりも先に、こちらに迫るものがある……魔法か!
「ヒャッハァ! 間抜けどもめ!」
「くッ」
反射的に剣を横凪ぎに一振り。ほぼ同時に、振り抜いた剣が何かを斬る感触。
この感じは、植物……蔦か。蔦を操る魔法。薬師の手にした灯火のおかげで僅かに明るくなった地下の暗闇で、斬った蔦がすぐに再生するのが確認できた。
魔物の姿も見える。土色の肌に、緑色の髪をした人型の魔物だ。
――強い。
「やっぱり魔物と繋がっていたんだな、薬師!」
「だからどうした!」
魔物デモンに協力する人間は例外なく、王侯貴族であろうと捕縛され、罰を受けなければならない。
僕の氷魔法で氷漬けにして仮死状態にしてから、聖騎士団本部へ連れていく!
「ハッハァァ! よそ見をしている暇があるか騎士ども!」
「っ、サラ!」
しまった、と。その4文字が頭の中に浮かぶ。
優先すべきは魔物、罪人は後にすべきだった。
くそっ、守るべき新人に、強力な魔物の対処をさせようとするなど――、
……いや、だが、なんでだろう。
僕が薬師に刃を向け、サラが魔物を相手する。
それで構わないと、僕は無意識に思ってしまっていたんだ。
その分担の在り方に、まったく違和感を覚えなかった。
まるで同等以上の技量を持つ騎士と、任務にあたっているかのように。
「死ねッ、クソガキ!」
「おっ、最期の言葉としてはセンスがいいですねおにーさん。ごほうびに痛くないように殺してあげましょう」
ぶわり、と。
風が、いや、暴風が吹き荒れる。暗い地下室に風の通り道などないはずなのに。
……錯覚か。いや違う。
同僚たちがよく使う風の魔法よりもさらに荒々しい、そう、まるでこれは。
「【嵐よ。
風よ、竜巻よ、我が手に】」
踏ん張ってもなお吹き飛ばされそうな途轍もない暴風の中、彼女の詠唱は聞こえない。
しかし刹那、荒々しい風の音は、突如止む。
風――否、小さな嵐が、サラの手にした大振りの剣に、収斂されていく。
これは魔法剣だ。
上級騎士でも習得が難しいとされる、魔法と剣術を一体化させた技術――。
サラが地を蹴った。嵐の魔法を纏わせた剣を大上段に構えたまま。
次いで、魔物が迎撃のために伸ばした蔦ごと、首に向かって剣を振り下ろす。
そして――まるで、それが当たり前であるかのように。椿《カメリア》の花が、そのまま地面に落ちるがごとく、
ぼとりと、魔物の首が落ちた。
「――【そして罪人よ、花落つるを視よ】」