「鳴上先生!」
他に誰もいないのを確認する。大きい声を出しても大丈夫だ。
今日、この学校に来てからずっと探していたその姿を目にとめた瞬間、私は叫んでいた。
窓辺の――お気に入りの席で本を読む、白い小柄な姿。
トレードマークの白衣が、夕陽に照らされ淡いオレンジ色に変わっている。
「ん? ああ、相澤先生か」
振り返った恩師の、慣れない呼び方に一瞬固まる。
少し、他人行儀に感じて寂しい……。
けれど、明日からは慣れなくてはいけないのだ。
「お久し振りです!」
そう思って、私は笑って見せた。
明日から私は、この学校の国語科教師として働くことになっていた。
「久し振りだな、ほんと」
そう言ったのは、鳴上爽文先生。
国語科担当だが白衣を着ている、謎で小柄な先生だ。
一年から三年まで現文を教わって、私が三年時の担任でもあった。
「今日は挨拶に来たんですけど、先生をお見掛けしないので気になってたんです」
国語科の会議は授業中にここ、図書室で行われる。
国語科の鳴上先生が職員室にいなければ、ここかなと思ったのだ。
学生時代に部顧問を探して、よく図書室に来た当時の記憶が蘇ったという理由もある。
「なんとなくここかなって思って。やっぱりでした」
「さっすが、相澤! 俺のことよくわかってるなー」
一瞬、時が止まったように二人して固まった。
「やっぱ、だめだ。慣れなきゃいけないけど、ついつい先生付けずに呼んじまう」
先生が苦笑した。
私はそれでも良いんですけど、口を尖らせながら、出掛かった言葉を飲み込む。
いくら教え子と言っても、生徒の前で先生を付けずに呼び合うのは示しが付かない。
「――漱石ですか?」
私は先生が手にしていた本を見て、話題を変える。
「ああ」
先生は頷きつつ、何気なく時計を見てあっと声を上げた。
「もうこんな時間か! それじゃあ、また後でな、相澤!」
先生は用事を思い出したのか、漱石片手に白衣をなびかせ走って行ってしまった。
――後で、って。
「私、帰るんですけど?」
見えなくなった先生の後ろ姿に、そう問いかけた。