追加の下描きに二日間の時間をかけて、ついに今日から着色が始まる。塗ってしまえば、もう下描きを加えることも直すこともできない。ここで見落とせば後戻りはできないと思うと、美術室に向かう足が重くなった。こんな調子で本当にできるのか。
「お、佐知じゃないか」
美術室に向かう途中、廊下で大荷物を抱えた宮地さんと会った。珍しく正面玄関から入ってきたようで、首に「来校者」と書かれたカードを下げている。
「宮地さん、こんにちは。どうしたんですか?」
「灰の調整が終わったから持ってきた。それとうちの嫁から差し入れのおにぎり。佐知が絶賛してたキムチとたくわんのおにぎり、入れてあるってよ」
「あ、ありがとうございます!」
初めて宮地さんの家でお昼を御馳走になったときに感激したおにぎりを、奥さんが覚えていてくれたことに胸がいっぱいになる。たまに家でも作ることがあるけど、やっぱり奥さんの味には敵わない。
おにぎりの入った重箱の袋を受け取って、一緒に美術室に向かう。宮地さんがこっそりと訊いてきたのは、やはり高嶺先輩のことだった。
「千暁の容態について聞いた。あれから連絡はあったか?」
「……いいえ。まだ何も」
高嶺先輩のお母さんに容態の変化があったら連絡をもらうようにお願いしている。今のところ音沙汰もないから、未だ集中治療室で眠っているのだろう。
「下描きだからって全力を注ぎすぎたんだ。後ろには佐知も悠人も、俺もいるってのによ」
「宮地さん……」
「それよりずっと気になってたんだが……悠人の奴、スランプ気味か?」
鋭い宮地さんの視線に、私はどきりと心臓を突かれた気がした。顔に出ていたのか、宮地さんは「やっぱりな」と零しながら溜息をつく。
「病室で下描きの立ち合い、工房で灰の準備……分担にした時から思ってたんだ。ここしばらく、悠人は筆どころか、鉛筆さえも握っていない。休憩中も何かデッサンをしているかと思ったら、すぐにクロッキー帳を破って捨てていた。いつも顔に出さないから驚いたよ、アイツが絵を描くことを躊躇っているのを、初めて見たから」
躊躇っている――それを聞いて少しだけ納得した。高嶺先輩が倒れたあの日、美術室の床に破かれたクロッキー帳が散らばっていたのは、やはり先輩なりに焦りを感じていたのだろう。
「最後まで千暁にやらせたい気持ちと、完成させないといけないプレッシャー。これがスランプを引き起こしているとしたら、悠人自身が乗り越えないとダメだ」
「それは、そうかもしれませんけど……」
宮地さんの言うことはもっともだ。スランプを克服するには、いくら周りのフォローがあっても、結局は自分が動かなければ意味がない。
話しているうちに美術室に到着し、いつものように戸を開けた途端、私は目を疑った。
何枚もののクロッキー紙が床に散乱している。まるで荒らされた跡のようだ。
「な、なんだこれ!? 一体誰が……」
「……宮地さん、私たちの心配は杞憂だったかもしれません」