病院に到着して検査の結果待ちをしている間に、看護師さんから高嶺先輩が目を覚ましたことを教えてくれた。意識もはっきりしているらしい。
「落ちてきた足場の端で額を切った怪我、それから打撲ですね。大きな怪我は奇跡的にありません。ただ……」
 対応してくれた看護師さんが、言いにくそうに香椎先輩の方を見る。何か察したのか、先輩は前に出た。
「その後の話は自分が聞きます」
「わかりました。先生と直接お話いただけますか。浅野さんは先に彼の病室に行きましょう。こちらです」
「は、はい」
 別の看護師さんに連れられて病室に行くと、ベットで横になっている高嶺先輩がいた。大きな怪我はないと聞いたが、額はガーゼと包帯でぐるぐる巻きにされていた。その表情はなぜか残念そうで、いじけているようだった。
 私が入ってきたことに気付くと、先輩は点滴をしていない方の手を振った。
「おっ、佐知。怪我はなかったか?」
「……自分の心配してください!」
 あまりにもケロッと笑うから、思わず声を荒げてしまった。途端に気が抜けて、近くの壁に寄りかかりながらずるずるとその場に蹲る。危うかったはずなのに、どうして他人事のように笑えるのか!
 ちょうどそこへ、検査を終えた宮地さんが慌てて入ってくるものだから、同じように驚いて声を上げてしまい、看護師さんに注意されてしまった。
 高嶺先輩だけでなく、私たちの怪我も大したことなく、擦り傷程度で済んだのは本当に不幸中の幸いだった。
「お前が助けた姑さんは怪我無いってさ。うちの嫁から連絡があった」
「あー……よかった。皆無事だった」
 高嶺先輩ははぁ、といつになく大きな溜息をついた。
「お前が一番危なかったんだぞ」
「そうですよ! もっと自分のことを考えてください!」
「そうだな。……でも、これでよかったんだと思う」
 そう言って視線をそらす。私は先輩の言っていることをすぐには飲み込めなかった。まるで最初からわかっていたような言い草で、仕方がないと笑った顔は作り物のようだった。
 しばらくして話を終えた担当医と香椎先輩が入ってくると、上体を起こした高嶺先輩に言う。
「高嶺くん、検査も兼ねてしばらく入院です。香椎くんを通じて、ご家族には先程お話させていただきました」
「え? そうなんですか? ……困ったな」
「困ったって?」
「文化祭の絵だよ。もう下描きを始めないと、間に合わないだろ」
「……まず自分の心配をしませんか」
 いつも突発的ながらも有言実行してしまう高嶺先輩の気転は目をひくものがあるとは思っていたけれど、考えていることは美術部の事ばかりだ。呆れて言葉も出ない。宮地さんも頭を抱えた。
「千暁、お前はまず、身体を休めて治療に専念するべきだ。もうすぐ夏休みも近いんだろう?」
「そうだけどさぁ」
「――けどさぁ、じゃねーよ。アホ千暁(・・)!」
 突然、香椎先輩が高嶺先輩の胸倉を掴むとすごい剣幕で怒鳴りこんだ。あまりにも唐突で、その場にいた誰もが呆気を取られた。
「か、香椎……? ここ病室――」
「知るか。自分が何したのかわかってねぇだろ。人助けしたからって褒められるとでも思うな。見捨てていい命もねぇけどな、俺を押しのけてお前が行くことなかったはずだ」
 香椎先輩の言葉にハッとした。足場が崩れた時、確かに私は香椎先輩に覆いかぶさわれる形で倒れ込んだ。でもあの瞬間、視界の端で高嶺先輩が持っていたイーゼルを放って、香椎先輩を強引に逃げ場の多い私の方へ追いやったのが見えたような気がする。
 それが本当なら香椎先輩は、自分が高嶺先輩を怪我させたと思っているのではないのか。
「まだやることあるんだよ。勝手に終わらせようとするな。次やったらタダじゃおかねぇから。覚悟しとけよ」
「……わかった。ごめんな」
 滅多に声を荒げることのない香椎先輩を前に、高嶺先輩は素直に謝った。未だ香椎先輩は睨んでいたけど、「病室で怒鳴るなんて元気そうでよかったです」と後ろで待機していた担当医が満面の笑みを浮かべて、すぐに説教が始まった。そこになぜか、私と宮地さんまで叫んだことになっているのは癪全としない。一度怒られたのだからそれで充分じゃないか。
 その様子をどこか羨ましそうに眺める高嶺先輩が視界の端に映った。先輩が無事ならそれでよかったと思う反面、香椎先輩が告げた「勝手に終わらせようとするな」という言葉に、二人の間に何か隠されているような気がして、なぜかほんの少しだけ寂しいと思ってしまった。