ほんの数秒前まで笑って話していた人が血を流して倒れる瞬間を目の当たりにした私は、その場から動くことも、目を逸らすこともできなかった。
 ヒビの入ったレンズ越しに捉えた光景に、香椎先輩は狼狽えながらも何度も高嶺先輩を呼びかける。宮地さんも駆け寄って、建設工事中の足場になっていた鋼管や踏板の下から、高嶺先輩と姑さんを引きずり出した。姑さんは状況がわかっていないのか、「触るな! やめろ!」と喚いて宮地さんが強引に離れた場所へ連れていく。こうでもしなければ、また危害が及ぶかもしれない。
 私は震える脚を引きずって高嶺先輩の方へ向かう。香椎先輩が頭を動かさないように、何度も耳元で呼びかけた。
「高嶺、起きろ! 起きろって!」
「先輩……」
「頼むからっ……こんなことで終わるな!」
 泣き叫ぶような、悲痛な声で繰り返す。その時、微かに高嶺先輩の指が動いた。応えられないだけで意識はあるのかもしれない。私はハンカチを取り出して、額が切れて出血した場所に押し当てた。じわりとハンカチが赤く染まっていく。止まって。早く止まって。――この人を奪わないで!
「高嶺先輩、しっかりしてください!」
「高嶺!」
 足場が崩れた音と私達が叫ぶ声が聞こえたのか、近隣の住民が何事かと出てくると、その惨状を見て唖然とする。一気に騒ぎになってすぐに救急車が呼ばれ、高嶺先輩が病院に搬送された。
 残った私達は手当てを受けながら、何があったかを説明している傍らで、姑さんは呆然としたまま家族に回収されていった。ようやく状況を把握できるほど落ち着いたのか、打って変わって黙ったまま立ち去った。
 一通りの説明を終えると、念の為に病院で検査を受けることになった。宮地さんも、奥さんに事情を説明しに一度家に戻ってから来るという。
 病院に向かう間、香椎先輩は一言も話さず、指が手の甲に食い込むくらい祈るようにして握っていた。絵を描く人が手を傷つけては、と止めようとしたけど、いつになく辛い表情を見て何も言えなくなってしまった。私だって高嶺先輩が心配だ。目の前で身近な人が倒れている場面に遭遇するなんて初めてで、あの場に香椎先輩が叫ぶ声と宮地さんがいなかったら今頃――。
 最悪の光景が頭を過ぎる。ダメだ、こんなこと考えちゃいけない。
「香椎先輩、きっと大丈夫です。……信じましょう」
 根拠なんてない。ただ自分に言い聞かせて落ち着かせようとしているだけかもしれない。
 それでも今は願うしかなかった。手のひらにこびり付いて取れない褐色の線を、ぎゅっと握った。