絵が完成したのは三日後のことだった。下描きを描き直した日は全体的に色を塗るための前段階だったようで、一日置いてからさらに色を追加していく。私が目撃したのは、まだまだ下準備だったのだ。
 そんな私は翌日からアルバイト三昧。しばらく放課後は美術室に行ってもやることがないからと高を括って、無謀にシフトを増やした結果がこれだ。完成までの工程を間近で見るチャンスだけでなく、もう一度あるかも分からない、灰を混ぜた絵の具を使った香椎先輩の描く姿を見る機会を自ら手放してしまった。
 完成したと連絡を受け取った私は、帰りのホームルームが終わるとすぐさま教室を飛び出し、美術室に向かう。すでに美術室には香椎先輩がいて、勢いよく開いた戸に驚いてこちらを見た。
「びっくりした……そんなに急いでこなくても絵は逃げねぇよ」
「逃げませんけど、早く完成した絵が見たくて…‥!」
「バイトも大変だな」
「無計画な人間の典型的な失敗例です……今後は先を見据えて、入れないようにしますから!」
 息を整えながら言う私に先輩は鼻で嗤った。絶対信用されてない!
「ところで、高嶺先輩は?」
「宮地さんを呼びに行ってる。絵の具も乾いてるし、置く場所も決まってるから、今日のお披露目は引き取りも兼ねてるんだ」
「え? じゃあもう見られないんですか?」
「飾るのは平屋の居間。工房に行けばいつでも見られるぞ。それとも先に見るか?」
 そう言って指を指したのは、先程から先輩がじっと見つめていた布がかけられたイーゼルだ。おそらくその布の下に完成した絵が、お披露目する時を今か今かと待ち構えているのだろう。
「宮地さんにみせてから引き取りですよね? だったらその時に見せてください」
「そうか」
 すると美術室の戸が開いて高嶺先輩と、首に来校者と書かれたカードを下げた、スーツ姿の宮地さんが入ってきた。宮地さんと会うのはこれで二度目だが、作業着姿とはまた違う新鮮さがある。
「遅かったな、高嶺。校内を迷ってたわけじゃないよな?」
「んなわけあるか。宮地さん、何度も学校の敷地内に立ち入ってるくせに、正面から入るのに躊躇ってたんだぜ」
「資材や機材を持ち込みは裏門しか通らねぇからよ。……それに、いくら母校だからって緊張するモンはするさ」
 緊張が行動にも現れているのか、先程からスーツの裾をずっといじっている。強面の顔つきにしてはなかなか可愛らしい。
「さて、これで全員揃ったんだ。お披露目といこうじゃないか!」
 高らかに声を上げた高嶺先輩は、イーゼルの横にいる香椎先輩とは反対に立って布の端を持つ。この布の下にあるカンバスがようやく現る。私もまだ見ていない、ベンチの灰を混ぜて描いた供養絵画。
「気に入ってくれるといいんだけど」
 高嶺先輩がそっと布を外す。――現れた絵に、私は息を呑んだ。
 パッと目に飛びこんできたのは、ベンチに座る女子生徒だった。解体前は劣化してほとんど灰色と化していたベンチが、生き返ったように焦げ茶の木目と深緑に塗装され、細かい飾り彫りがされた鋳鉄でできた脚さえも忠実に再現されていた。
 そこに座るセーラー服姿の少女は、両手に収まりきらないほどのカスミソウの花束を胸に抱え、口元を隠して笑っている。カスミソウは白と淡いピンクで愛らしく飾られている。確か花言葉は「清らかな心」と「切なる願い」。風に吹かれてなびく長い黒髪とともに、淡い水色で描いた涙がうっすらと描かれている。下描き段階では分からない、香椎先輩らしい工夫だ。
「――先生?」