その言葉に、思わず泣きそうになった。
香椎先輩は失明まで二年を切っている。受け止めきれるわけがない。今まであったものが突然消えてしまう恐怖に人間は勝てない。それでも先輩は迷ず描くことを決めた。――いや、迷っている暇なんてなかった。
高嶺先輩だって、卒業した後も描き続けるかわからない。
非公認で在りながら活動を続ける美術部は、明日にも無くなってしまうかもしれない。
だとしたら、私は何の為にここに来たのだろう?
美術部が描いた絵に惹かれて、ここに来たんじゃなかったのか。
見てるだけでよかったなんて、ただ他人に押し付けているだけじゃないのか。
私は、先輩たちと美術部として活動したいと心の底から思ったんじゃないのか。
――なら、答えは一つしかない。
「やります。やらせてください」
「……それでいい」
ニヤリと笑みを浮かべた香椎先輩が、持っていた鉛筆を私に差し出した。使い込まれたそれを受け取ってカンバスの前に立つ。すでに描く範囲が薄く描かれている。
「気負うな。色は俺が乗せる」
「プレッシャーだから、それ。これ見本ね」
高嶺先輩がスマホに表示された画像を拡大して見せる。そこにはカスミソウの花束を抱えた、目を細めて嬉しそうに笑う女性の姿があった。鼻チューブをつけているのが恥ずかしいのか、花束で隠している。彼女を囲うようにいるのが、先輩たちと宮地さん、息子さん夫婦だった。
「この人……」
「理事長と最後に撮った写真。宮地さんがくれたんだ」
宮地さんの話だと、この写真を取った数時間後に花井先生は息を引き取った。ベンチに座っていた女子生徒の面影と重なって、急に鼻の奥がつんと痛む。初めて会った気がしないのは当たり前だ。
だって私は、すでに彼女と会っているのだから。
「佐知?」
「……っ、すみません」
――「あなたにもきっと見つかると思うの。自分がしたいこと、諦めていたことも、全部」
昨年の文化祭で『明日へ』の前で優しく声をかけてくれた彼女の言葉を思い出す。遺灰を混ぜて描いた供養絵画の前だったからこそ、泣いている私を心配してくれたのかもしれない。
震える手を抑えながら、カンバスに鉛筆の先を押し付けて描く。彼女が抱える花束のレースのしわや、カスミソウの他に挿しこまれた花たちを高嶺先輩と相談しながら描き進めていく。限られた範囲内でいかにメインであるベンチよりも強調を抑えて描けるか、試行錯誤する。
あの時貰った彼女の言葉がなかったら、今の私はここにいない。美術部の先輩たちや宮地さんにも出会えなかっただろう。自由気ままに描くことも、早紀との決別もすべて自分が望んで決めたこと。もう「何もできないちぃちゃん」なんかじゃない。私が一歩踏み出すために背中を押してくれた理事長先生に、手を差し伸べてくれた先輩たちに、今できる全てで応えたい。
花束一つを描き終えるだけで圧倒的な達成感に襲われ、その場に座り込んでしまった。集中しすぎて酸欠になりかけるも、なんとか息を整えて後ろにあった椅子に座らされる。私が描いた下描きを見て香椎先輩はしばらく黙っていたけど、いつになく優しい笑みを浮かべて呟いた。
「……うん。いい絵だ」
私が描いている間に用意していた、灰を混ぜた絵の具を揃えたパレットを片手に筆を取る。そしてずっと前から決めていたように色を取り、下描きに沿って塗り始めた。筆を置くたびに、絵の具に含まれているベンチの灰がカンバスになじんで溶けこんでいく。私にはそれが、新しい世界が色づく瞬間を目撃しているような気分だった。
香椎先輩は失明まで二年を切っている。受け止めきれるわけがない。今まであったものが突然消えてしまう恐怖に人間は勝てない。それでも先輩は迷ず描くことを決めた。――いや、迷っている暇なんてなかった。
高嶺先輩だって、卒業した後も描き続けるかわからない。
非公認で在りながら活動を続ける美術部は、明日にも無くなってしまうかもしれない。
だとしたら、私は何の為にここに来たのだろう?
美術部が描いた絵に惹かれて、ここに来たんじゃなかったのか。
見てるだけでよかったなんて、ただ他人に押し付けているだけじゃないのか。
私は、先輩たちと美術部として活動したいと心の底から思ったんじゃないのか。
――なら、答えは一つしかない。
「やります。やらせてください」
「……それでいい」
ニヤリと笑みを浮かべた香椎先輩が、持っていた鉛筆を私に差し出した。使い込まれたそれを受け取ってカンバスの前に立つ。すでに描く範囲が薄く描かれている。
「気負うな。色は俺が乗せる」
「プレッシャーだから、それ。これ見本ね」
高嶺先輩がスマホに表示された画像を拡大して見せる。そこにはカスミソウの花束を抱えた、目を細めて嬉しそうに笑う女性の姿があった。鼻チューブをつけているのが恥ずかしいのか、花束で隠している。彼女を囲うようにいるのが、先輩たちと宮地さん、息子さん夫婦だった。
「この人……」
「理事長と最後に撮った写真。宮地さんがくれたんだ」
宮地さんの話だと、この写真を取った数時間後に花井先生は息を引き取った。ベンチに座っていた女子生徒の面影と重なって、急に鼻の奥がつんと痛む。初めて会った気がしないのは当たり前だ。
だって私は、すでに彼女と会っているのだから。
「佐知?」
「……っ、すみません」
――「あなたにもきっと見つかると思うの。自分がしたいこと、諦めていたことも、全部」
昨年の文化祭で『明日へ』の前で優しく声をかけてくれた彼女の言葉を思い出す。遺灰を混ぜて描いた供養絵画の前だったからこそ、泣いている私を心配してくれたのかもしれない。
震える手を抑えながら、カンバスに鉛筆の先を押し付けて描く。彼女が抱える花束のレースのしわや、カスミソウの他に挿しこまれた花たちを高嶺先輩と相談しながら描き進めていく。限られた範囲内でいかにメインであるベンチよりも強調を抑えて描けるか、試行錯誤する。
あの時貰った彼女の言葉がなかったら、今の私はここにいない。美術部の先輩たちや宮地さんにも出会えなかっただろう。自由気ままに描くことも、早紀との決別もすべて自分が望んで決めたこと。もう「何もできないちぃちゃん」なんかじゃない。私が一歩踏み出すために背中を押してくれた理事長先生に、手を差し伸べてくれた先輩たちに、今できる全てで応えたい。
花束一つを描き終えるだけで圧倒的な達成感に襲われ、その場に座り込んでしまった。集中しすぎて酸欠になりかけるも、なんとか息を整えて後ろにあった椅子に座らされる。私が描いた下描きを見て香椎先輩はしばらく黙っていたけど、いつになく優しい笑みを浮かべて呟いた。
「……うん。いい絵だ」
私が描いている間に用意していた、灰を混ぜた絵の具を揃えたパレットを片手に筆を取る。そしてずっと前から決めていたように色を取り、下描きに沿って塗り始めた。筆を置くたびに、絵の具に含まれているベンチの灰がカンバスになじんで溶けこんでいく。私にはそれが、新しい世界が色づく瞬間を目撃しているような気分だった。