放課後、言われた通りジャージに着替えて美術室に向かうと、すでに香椎先輩が待っていた。見慣れた眼鏡姿で驚くことはないが、下描きしたカンバスを眼鏡をかけたまま見つめているのは珍しいと思った。それほどまでに視力が低下してきているのだろうか。
私が入ってきたことに気付いたのか、先輩はカンバスからこちらに目線を移した。
「……佐知か?」
「はい、私ですけど……どうしました?」
「……いや、悪い。芸術コースの奴かと思った」
「え? ……あっ!」
申し訳なさそうな顔をする香椎先輩を見て気付く。
この高校のジャージは、入学して来た年ごとに色分けされている。主に紺、赤、青をローテーションしていく中で、今年の一年生には青が割り当てられた。香椎先輩たち三年生は紺色だ。そして私は、今まで先輩たちの前で青のジャージを着たことがない。だから先輩は、放課後に作業することが多い芸術コースの一年生が間違えて入ってきたのだと錯覚したのだ。いくら眼鏡があって視野が確保されていても、日に日に悪化していく先輩の視力をフォローするのには限界だった。
「気にしないでください。私だと気付いてくれただけで嬉しいです」
「佐知……」
「それよりもほら、宮地さんのところに行きましょう!」
辛そうに見えた香椎先輩の顔を見ないように、私は近くの机に荷物を置いて急かす。それにつられて先輩も一緒に美術室を出た。
「そういえばクラスはどうだ? 最近クロッキー帳を見ても、描いているのは美術室か家ばっかりだし、教室で描いたモンが一つもない。やっぱり居づらいとかあんの?」
「絵で判断するんじゃなくて直接聞いてくださいよ。何の為の口ですか」
「直接聞くも何も、俺と高嶺はお前をクラスから孤立させたようなモンだろ。いくら俺が不愛想だからって、気まずいモンは気まずいんだよ」
それが行動に現れているのか、香椎先輩はいつもより足早に先を行く。後ろから見る先輩の横顔は、どこか申し訳なさそうな顔をしていた。
「……私は、あのクラスから離れて正解だと思いました」
私がその場に立ち止まると、つられて先輩も足を止め、顔だけをこちらに向けた。
「私は入学当初からあの教室で浮いていました。それは早紀と一緒にいたからじゃないし、部活に入らないことを長谷川先生に嗤われたからじゃない。元々馴染めない存在でした。――いつか孤立するのが、このタイミングだっただけの話です」
和気あいあいとするクラスの中に溶けこめなかったのは、今に始まったことではない。むしろ私は、二人が連れ出してくれたことに感謝すらしている。
「だから先輩たちは何も悪くありません。溶けこむ努力をしなかった自分が悪いんです」
「お前……」
「あっれー? 浅野さん?」
香椎先輩が言いかけた途端、後ろから聞き覚えのある声が私を呼んだ。同じクラスの女子グループだった。教室と第八美術室は真逆の方向にあるが、昇降口は同じ場所にある。だから必然的にここで合流することになるけど、まさかまだ教室にいたなんて。一番後ろには早紀の姿もあった。
「やっぱり! なんとなくそうかなーって思って」
「ジャージって珍しいね、部活?」
「えっと……」
同じクラスとはいえ、授業中のグループ学習か、委員会や係のことくらいしか話したことがない。現に声をかけてきた二人の名前も曖昧だ。
つい数秒前に先輩に向かって悪くないと格好つけて言ってしまったけど、事の発端は自分のコミュニケーション不足が引き起こした結果だ。だから急に呼ばれると、どうしていいか分からない。
「――なにそれ」
「……え?」
グループの後ろから早紀が呟いた。今まで聞いたことのないほどの低い声は、どこか苛立ちを感じる。