人は動揺すると本音が口走ってしまうらしい。どれだけ飲み込んでも嗚咽や顔色は生理現象で、他人にもバレてしまうことも時にはある。だから私もなるべく表に出さないように注意したけれど、あの絵の真実を知って動揺した。
 真っ青になった私の顔を見ながら、香椎先輩はフッと口元を緩めた。
「いいんだよ。それが正しい反応だから」
「……え、と……」
「芸術コースの奴らは皆、同じような顔をしていた。当たり前だよな、顔見知り程度だったとしても、その人の遺骨に触れ、絵の具に混ぜて一枚描くんだから。だから美術部にまわってきたんだよ」
「……どういう、ことですか? それと美術部が嫌われる理由がわからないんですけど」
 彼女の遺言に従い、美術部が戦争を彷彿とさせる絵を一枚描いたところで、批難される筋合いはないはずだ。
「おおう、浅野さん、意外にタフだね」
 そうだなぁ、と考えるフリをしながら、高嶺先輩は続けた。
「学校側が芸術コースにこの遺言をまわさなかったのには、二つの理由がある。一つは遺灰を使った絵――供養絵画だったことだ」
「供養、絵画……」
「絵に色を乗せる手法の一つに、絵の具に灰を混ぜることがある。別に珍しい手法じゃない。ただ理事長の遺言は『自分の遺骨を使った絵を描くこと』――そう、遺灰だ。遺骨をすり潰して絵の具に混ぜて描くことが前提だった。遺骨を骨壺に入れるとき、係員が全部入れられるように骨を最後に押し込むのを見たことがあるか? 俺はあれを実際に見て、ぞっとしたんだ。さも当然のように潰していくその顔を二度見したほどだ。理事長が何を考えて生徒に託そうとしたのか、今となっては分からないけど、『こんなことさせるなんて!』と批難の声がいろんなところから挙がった。でも遺骨は学校の名誉理事長だ。生徒よりも教師が世話になりっぱなしだったからな。失敗は許されないし、外部からの圧力も強い。周りから何を言われるかたまったもんじゃない。そんな張りついた緊張感を持ちこたえられるほどの生徒はいないし、失態は芸術コースの名に泥を塗ることになる。そしてもう一つは、理事長直々の指名が美術部だったからだ」
「……待ってください、芸術コースを設立したのは理事長ですよね? なんでわざわざ進学コースの生徒を選ぶんですか?」
 高嶺先輩が進学コースなら香椎先輩も同じだろう。もし芸術コースならこんな埃っぽい場所ではなく美術室を使わせてくれるだろうし、一人で隠れるようにして描く必要もない。生前、理事長が美術部を気にかけていたとしても、自分のこんな突飛な遺言を託すだろうか。
 私が眉をひそめると、高嶺先輩がいう。
「芸術コースの資本となった美術部を創ったのは理事長だったからさ。遺言はメッセージ性の強い絵を求めていたんだ。芸術コースの奴等は自画像や風景画が得意だけど、悠人はイラストが得意。だからまわってきたんだと思う」
「……そもそも、絵とイラストって何が違うんですか?」
「わかりやすく言えば、役割が違う。絵画は一枚で独立し、完成形として成り立つ芸術作品――つまり主役だ。それに対してイラストは挿絵のことをいう。文章と文章の間に挟んだり、添えられたりする脇役ってところだな。ウチの芸術コースは未来の主演を育てることに躍起になっているから、イラストレーターの教育には遅れているのが現状だ」
「はぁ……」
「遺言の内容は、理事長の遺灰を混ぜた絵の具を使った絵を描いて文化祭に展示すること。特にメッセージ性のあるものを描いてほしいと言っていた。断る理由もなかったから引き受けることにした。構図は亡くなる前に理事長と相談しながら決めて、亡くなった後に着色、完成まで香椎が仕上げた。俺はそのサポートや展示までの段取り、交渉に専念した。顧問の先生に頼ってられなかったからな」
「何ヶ月かかったんですか……?」
「話を聞いて半月、完成まで一ヶ月半ってところだ」
 つまり、香椎先輩は約二ヶ月であの絵を仕上げたことになる。
 下描きが完成していたとしても、つい先日まで話していた相手が遺灰となって手元にやってくる。
 ……ダメだ、私には耐えられない。受け取ったとき、絵の具に混ぜるとき――その瞬間ごとに手が震えて、絵を描くどころではない。想像するだけでぞっとする。
 高嶺先輩はさらに続けた。
「遺言どおり、完成した絵――『明日へ』は文化祭に展示された。来場者のほとんどは、理事長の供養絵画を興味本位で観に来た他校の理事や先生ばかり。『未来に向けた素晴らしい絵』だと高く評価してくれたし、香椎に至っては芸術コースの生徒よりも話を聞かれてた。あの時の悔しそうな顔、撮っておけばよかったなぁ」
 昨年の文化祭の展示ホールを思い出す。やけにスーツを来た人がじっくり絵を見ているなぁとは思っていたが、理事長の供養絵画が展示されていたからだっのか。私の横を通り過ぎる際に呟いていたあの来場客も、おそらく学校の関係者だったのだろう。
「そんなわけで、ただでさえ目の上のたんこぶだった美術部は、文化祭と理事長のせいで存在しないことになっている。……これが君が探していた、美術部の正体だ」
 喋りっぱなしだったからか、高嶺先輩は紙パックにストローを挿すと、そのまま一気にウーロン茶を飲み干した。空になった紙パックは潰れたまま固まっている。
「……え、それだけですか?」