冬になって、どこからもらってきたのか淀野がインフルエンザに罹った。
「処置、大袈裟。全然、大丈夫」
 声が出しにくくなったので、短い単語で意思疎通を図る。ふたりは正しく意図を受け取ったようだが、それでも噛み締めた唇が緩むことはなかった。
「絶対俺らの所為だろ……学校でもインフルエンザの奴何人か出てるし」
「ごめん……苦しかったよね」
 淀野はもう一度同じ単語を言おうとして、辞めた。その代わり苦笑いをして違う単語を発する。
「ありがと」
 心配してくれて。
 今度も意図は正しく伝わったようで、ふたりは「友達なんだから当たり前だろ」と言った。
 これを機に、淀野は喋ることが減っていく。



 春になってふたりは三年生になった。義務教育で留年などないので淀野も三年生ではあるのだが、さすがに実感は持てない。
 そんな中、富川がこんなことを言った。
「ヨドサクと卒業式したい」
「……?」
「いきなりどうした」
「ヨドサクと卒業式したいんだよ。今日また担任になった菅谷っちがさ、卒業式は中学校生活の集大成、みんなで堂々と卒業出来るように勉強がんばろー! って言ってたから」
「……悪いが、堂々と卒業するために勉強するっていう繋がりも分からねえし、その話が何でヨドサクと卒業なのかも分からねえ」
 淀野もこくんと頷いた。そもそも卒業式は出られないと、数週間ほど前に話したばかりだったのだ。ただ卒業証書をもらうだけ。それも義務教育だから卒業出来るというだけで、高校だったら単位不足で留年か退学である。
 堂々と卒業は、出来ないだろう。
 動きにくくなった唇で、それを言う。しかし富川は、ぶんぶんと頭を振った。
「違うよ。というかボクにも堂々と卒業って意味が分からないけど」
「何だよおまえもかよ」
「ただみんなでって言葉と、集大成って言葉がさ、ならヨドサクもいなきゃじゃんって」
「……あー、なるほどなぁ」
 稲戸が納得いったように頷く。淀野は少し考えて、富川の言いたいことが分かった。
「つまりおまえは、ヨドサクも一緒に卒業式やらねえと寂しいって言いたいんだろ」
「うん、そういうこと。というわけで、卒業式出よう、ヨドサク」
 淀野はその夢物語みたいな誘いに戸惑う。この動かない体では、難しい話。けれど、富川のまっすぐとした瞳に諦めていた気持ちが息を吹き返していく。
 何事もなければ当たり前のように出ていたはずの行事。
 参加出来なかった文化祭、体育祭、バスケの大会。諦めていた。淀野は今に全力を出して寿命を縮めるよりも、いつか開発される特効薬を待つ道を選んだから。
 けれど、そう言ってくれるのならば。
「卒業式、頑張ろう」
 淀野が言うと、富川はぱあっと顔を綻ばせた。
「うん! みんなで出ようね、卒業式!」



 そのためにも、まずは医師に相談した。
「……難しいけれど、淀野くんは頑張って病状が悪化しないようにしていたし……うん、卒業式の一日だけだったら、頑張れるかもだね」
 次に祖母。
「言っただろう、君に協力すると」
 それから担任の菅谷。
「え、車椅子で淀野を? ……もちろんいいよ! みんなで卒業式を迎えよう! 他の先生方には俺から話を通しておくね!」
 というわけで、後は淀野の努力次第となった。
 と言っても、いかに筋肉を使わないかという話なのだが。
「今まで以上に動かないようにってなると、暇すぎて無理だろ。だったら寝とく方が精神的に良い」
「……一番いいのは回復することなんだけど……何かないかなー」
「うーん……そういう話は医者に任せておくのが一番だろ。俺は余計なことして悪化させたくない」
「そっかー……ヨドサクはどう思う?」
 ふたりの話をぼんやり聞いていた淀野は、ゆっくり答えた。
「富川と、稲戸の話……聞く」
 ふたりはぱちくりと目を瞬かせた。
「え……俺らの話聞きたいのか?」
「いつもと同じだよ?」
 淀野は首を振る。
「学校での話」
 富川と稲戸は顔を見合わせた。実はこのふたり、口を開けばバスケがどうだの安いスーパーがどうだのと、学校生活の話はほとんどしていないのだ。
 学校生活とはほど遠い日々を送っている淀野は、その話も聞きたかったのである。
「んじゃあ、菅谷っちが今度結婚する話からするねー」
「あー……菅谷先生のファンが阿鼻叫喚した話か」
 まさかそんな話から始まるとは思わなかった淀野は、少し目を見開いて、それから楽しそうに口元を緩めた。



 それからあっという間に一年が経ち、卒業式前日。
「いよいよ明日だな」
 稲戸が言う。楽しみだね、と富川が笑う。淀野は目を輝かせて頷いた。
 この一年、淀野はその日を楽しみにしていた。
 もう何も出来ないと思った自分の、目標。夢。
 いよいよ、明日だ。