桂ちゃんと呼ばれた男は、冷え切った聖來に自分の着ていたコートを羽織らせると暖房をつけ、乱暴になりすぎないように気を使いながら聖來を立って歩かせてクッションの上に座らせた。

　桂ちゃん、本名・結城桂太は聖來の２０年来の幼馴染である。聖來の同級生で２５歳、現在は奨励会の３段リーグに在籍している。研究会とは将棋の研究会だ。聖來とは恋仲ではないが、桂太は聖來の一番の理解者であり、何かと不便な生活をしている聖來は時折桂太を頼ることがある。

「冷蔵庫開けるよ」

　泣いている聖來を落ち着かせるために、冷蔵庫の牛乳をマグカップに注ぎ、レンジで温めてホットミルクを作る。

「熱いから火傷しないでね」
「うん」

　聖來は桂太からマグカップを受け取ると、泣きながらもふーふーと息を吹きかけて、ホットミルクを口にした。何口か飲むと、息をついて小さな声で話し始める。

「今日、最後のオーディションだったの。ダメだった」

　壁にかかったカレンダーは週４回以上のペースでレッスンやボイストレーニングの予定が記入され、１２月２４日の日付に「オーディション」と書かれている。そのあとの日付はすべてマジックで黒く塗りつぶされている。カレンダーの写真は今をときめくアイドルで、サンタクロースの衣装を着てポーズをとっている。カレンダーの右下には「クラウディアプロモーション」という芸能事務所の名前が書かれていた。カレンダーの隣の年季の入ったポスターに映っている桜田カリンも「クラウディアプロモーション」の元アイドルで、聖來と桂太の幼少期には日本中で知らない人はいないというくらいの人気を誇っていた。彼女の２５歳の誕生日に行われた卒業ライブは未だに伝説となっている。


「最後なの？」

　聖來は無言でカバンから封筒一式を取り出して桂太に押し付ける。Ａ４の封筒にはクラウディアプロモーションと印字されている。中身をあらためると、「アイドルオーディション２０２３募集要項」と書かれた用紙と、返却された聖來の写真付き応募用紙が入っていた。

　写真館で撮った聖來の写真は飛び切り可愛い。志望動機にはアイドルにかける熱い思いがびっしりと綺麗な字で書かれている。魂を込めて書いた志望動機と同じ筆跡で、２４歳という年齢が書かれている。幼馴染ゆえ当然桂太は知っている生年月日。聖來の生年月日は１９９８年１２月２５日。あと３０分ほどで日付が変われば聖來は２５歳になる。

　オーディションを受けられる年齢の上限は２４歳。この条件は一度たりとも緩和されたことがない。