【6】
その日から名緒は、慧のことについて独自に検証を行った。
まず、慧の存在は教室の外ではどのようになっているのか、ということだった。これについて、名緒はひとつ考えていることがあった。
思い返せば、慧のことが話題になるのはいつも教室の中だった。みんなあれだけ慧の失踪について話題にしているのに、教室を出た後でその話を振られたことは一度もない。
つまり、慧の呪いの効力は、「3年A組の教室の中」だけに限られているのではないだろうか?
そう推測した名緒は、試しに教室を出た直後、陽菜に「慧のことだけど……」と話題を振ってみた。すると彼女は、「誰?」ときょとんとした顔をしたのだった。言い間違いでごまかしたけれど、あれは明らかに慧のことなど知らない様子だった。
教室の中でだけ、みんなは慧のことをクラスメイトだと認識し、外に出ると忘れてしまうのだ。他のクラスの人たちも、先生も、同様なのだろう。だから、「下津浦慧の失踪」は教室の外では話題にならない。
ひとつ疑問が解消したところで、わからないことは他にもあった。どうして名緒だけ『呪いが完全に解けた』状態になっているのか。
慧は「呪いが共鳴した」と言っているが、結局のところ名緒にかかっているという呪いが何なのか、はっきりとはわかっていない。
ただ、慧曰く、冬休み前までは名緒も他のクラスメイトと同じように、「下津浦慧」がこのクラスの生徒であるというふうに認識していたようだった、という。
つまり冬休みを境に、名緒は慧の呪いが完全に解け、他のクラスメイトや教師は呪いが解けかかった状態になっている。
なぜ、冬休みなのか? そして、未だに名緒にかかっているという呪いは何なのか?
──その謎が解けないまま、自由登校期間へと突入していた。
自由登校期間に入ると、学校にやってくる三年生の数はぐっと少なくなる。
塾に通って受験への最後の追い込みをする者もいれば、すでに合格や内定をもらっていて自由登校期間は遊びに費やすという者もいる。運転免許を取るために、この期間に自動車教習所に通う者も多いようだ。
名緒も当初は、自由登校期間はあまり学校に行くつもりではなかった。四月からの生活に向けて、のんびり準備でもしようと思っていたのだ。
しかし、家でテレビを見ていたりショッピングモールで買い物をしたりしているときに、ふと頭によぎるようになった。
……登校する者が減った教室の中。今この瞬間も、慧はあそこにいるのだろうか、と。
名緒がいなければ、慧は会話をする相手もいない。これまではそれが普通だったのかもしれないが、ひとりでぽつんと教室の隅に漂う慧の姿を想像すると、居ても経ってもいられなくなってしまった。
そうして名緒は、自由登校期間に入ってからも、割と頻繁に登校するようになった。慧は最初のうち、特に目的もなくやってくる名緒のことを不思議に思っていたようだったが、ある日突然、
「名緒は優しいなぁ」
などと言ってきた。
教室の中には他にもぽつりぽつりと生徒がいたので、「何が?」とノートに書いて問いかける。
「僕のことを気にかけて、こうして様子を見にやってきてくれてるんだよね?」
顔を上げると、前の席の机に腰掛けた慧が、柔らかい微笑を浮かべながら、名緒の方を見ていた。
見透かされたことが妙に気恥ずかしかったので、ノートに「別に」と書き加える。しかしその後になんと言い訳を続けたものかわからず、シャーペンを握った手が止まってしまう。
「ありがと。おかげで、寂しくないよ」
再び慧の顔を見ると、にっこりと笑ってこちらに手を伸ばしてくる。感触はないけれど、頭を撫でられたのがわかった。
まるで子どもや妹を相手にしているような、それ。なんだかこそばゆくてたまらなかったが、見上げた慧の顔が嬉しそうで。
(寂しくないなら、良かった)
心の中で、そっとつぶやいた。
その日から名緒は、慧のことについて独自に検証を行った。
まず、慧の存在は教室の外ではどのようになっているのか、ということだった。これについて、名緒はひとつ考えていることがあった。
思い返せば、慧のことが話題になるのはいつも教室の中だった。みんなあれだけ慧の失踪について話題にしているのに、教室を出た後でその話を振られたことは一度もない。
つまり、慧の呪いの効力は、「3年A組の教室の中」だけに限られているのではないだろうか?
そう推測した名緒は、試しに教室を出た直後、陽菜に「慧のことだけど……」と話題を振ってみた。すると彼女は、「誰?」ときょとんとした顔をしたのだった。言い間違いでごまかしたけれど、あれは明らかに慧のことなど知らない様子だった。
教室の中でだけ、みんなは慧のことをクラスメイトだと認識し、外に出ると忘れてしまうのだ。他のクラスの人たちも、先生も、同様なのだろう。だから、「下津浦慧の失踪」は教室の外では話題にならない。
ひとつ疑問が解消したところで、わからないことは他にもあった。どうして名緒だけ『呪いが完全に解けた』状態になっているのか。
慧は「呪いが共鳴した」と言っているが、結局のところ名緒にかかっているという呪いが何なのか、はっきりとはわかっていない。
ただ、慧曰く、冬休み前までは名緒も他のクラスメイトと同じように、「下津浦慧」がこのクラスの生徒であるというふうに認識していたようだった、という。
つまり冬休みを境に、名緒は慧の呪いが完全に解け、他のクラスメイトや教師は呪いが解けかかった状態になっている。
なぜ、冬休みなのか? そして、未だに名緒にかかっているという呪いは何なのか?
──その謎が解けないまま、自由登校期間へと突入していた。
自由登校期間に入ると、学校にやってくる三年生の数はぐっと少なくなる。
塾に通って受験への最後の追い込みをする者もいれば、すでに合格や内定をもらっていて自由登校期間は遊びに費やすという者もいる。運転免許を取るために、この期間に自動車教習所に通う者も多いようだ。
名緒も当初は、自由登校期間はあまり学校に行くつもりではなかった。四月からの生活に向けて、のんびり準備でもしようと思っていたのだ。
しかし、家でテレビを見ていたりショッピングモールで買い物をしたりしているときに、ふと頭によぎるようになった。
……登校する者が減った教室の中。今この瞬間も、慧はあそこにいるのだろうか、と。
名緒がいなければ、慧は会話をする相手もいない。これまではそれが普通だったのかもしれないが、ひとりでぽつんと教室の隅に漂う慧の姿を想像すると、居ても経ってもいられなくなってしまった。
そうして名緒は、自由登校期間に入ってからも、割と頻繁に登校するようになった。慧は最初のうち、特に目的もなくやってくる名緒のことを不思議に思っていたようだったが、ある日突然、
「名緒は優しいなぁ」
などと言ってきた。
教室の中には他にもぽつりぽつりと生徒がいたので、「何が?」とノートに書いて問いかける。
「僕のことを気にかけて、こうして様子を見にやってきてくれてるんだよね?」
顔を上げると、前の席の机に腰掛けた慧が、柔らかい微笑を浮かべながら、名緒の方を見ていた。
見透かされたことが妙に気恥ずかしかったので、ノートに「別に」と書き加える。しかしその後になんと言い訳を続けたものかわからず、シャーペンを握った手が止まってしまう。
「ありがと。おかげで、寂しくないよ」
再び慧の顔を見ると、にっこりと笑ってこちらに手を伸ばしてくる。感触はないけれど、頭を撫でられたのがわかった。
まるで子どもや妹を相手にしているような、それ。なんだかこそばゆくてたまらなかったが、見上げた慧の顔が嬉しそうで。
(寂しくないなら、良かった)
心の中で、そっとつぶやいた。

