【3】
下津浦慧は、五年前に亡くなったのだという。
この教室──つまり3年A組に在籍していたが、不慮の事故により命を落としたらしい。
「学校で死んだわけじゃないんだけど、目が覚めたら何故かこの教室にいたんだよね。それからず~っとここにいるってわけ」
他のクラスメイトが全て帰宅し、教室内にふたりきりになってから、ようやく名緒は人目を気にせず慧と会話ができるようになった。傾いた日の光が差し込む静かな教室の中で、慧は相変わらず空中に浮いたまま、名緒に自身のことを教えてくれた。体が透けたりしているわけではないが、自由自在に浮遊するその姿は紛れもなく幽霊である。
「……それで、なんでみんなは君のことを『クラスメイト』だと認識してるわけ?」
最も気になっていたその質問に、慧は体を上下180度回転させながら「う~ん」と唸った。……その、重力を無視した自由な動きは少々気が散るのでやめてほしいのだが。
「なんか、自分でもよくわからないんだけど。そういう呪いがみんなにかかっちゃってるっぽいんだよね」
「……呪い?」
「そう。僕の記憶をみんなに植え付けるっていう、呪い」
記憶を、植え付ける。
みんなはそのせいで、このクラスにはいないはずの「下津浦慧」をクラスメイトとして認識していたということだろうか。
「みんな僕のことが見えていないし、当然話したこともない。でも呪いによって、『クラスメイトに下津浦慧がいる』っていう認識と、僕に関する架空の記憶が植え付けられていった……まあ、ざっくりまとめるとそんな感じかな」
「……でもそれって、どこかで認識の齟齬が発生するんじゃないの? 他のクラスの人とかは、君のこと知らないわけでしょ」
「そう、そこが不思議なんだよねー。どうなってるのか知りたいんだけど、僕、この教室から出られないから。よくわからないままなんだ」
名緒は眉根を寄せて、頬杖をついた。なんだかややこしくて、頭の中が混乱してくる。
「……出席簿とかは? 君の名前、当然だけど載ってないんでしょ。出欠の時とか、先生は不思議に思うんじゃないの?」
「そこらへんも、なんか都合良くスルーされるんだよね~。出欠を取られたことも一度もないのに、みんなそのことを変に思わないんだ。ちなみに五年間ずっとこんな感じだから、君のひとつうえの先輩たちも、そのまた上の先輩たちも、僕のことをクラスメイトとして認識してたよ」
あっけらかんとした表情と声で、慧は不可思議な現状を説明する。
彼の話を信じるなら、五年間ずっと、この教室にいたということだ。その中で、自分の置かれた状態を分析する時間なんて嫌になるほどあったのだろう。
慧は、今の状態をすっかり受け入れているように見えた。
「……さっき、みんなは君のことが見えてないって言ってたけど」
「そう! 僕のことが見えた子、君が初めてなんだよ。上城名緒ちゃん?」
ずっと教室にいてクラスの様子を見ていたのなら、名前も知られていて当然だろう。しかし、一方的にずっと見られていたという事実がなんだかむず痒くて、名緒はそっぽを向いた。
「……ちゃん、はやめて」
「じゃあ、名緒」
にっこりと人懐っこい顔で笑う慧に、名緒は諦めたように視線を戻す。
「……でも、わからないんだけど。なんで私にだけ……ええっと、慧、が見えて、そのうえ『このクラスの生徒じゃない』って正しく認識できてるの? しかも、急に見えるようになったし」
霊感など皆無だ。今までに霊の類が見えたことは一度もない。
それなのに、なぜ自分が。
疑問を口にすると、慧がすっと目を細めた。急に今までとは異なる温度を持った眼差しに、名緒は内心たじろぐ。
慧の白い人差し指が伸びて、まっすぐに名緒を指した。
「君には、別の呪いがかかってる。その呪いと、僕の呪いが共鳴したのかもしれない」
彼のその言葉を聞いた途端、名緒は自身の体が手の先から徐々に温度を失っていくのを感じた。
心臓が嫌に大きく脈打ち、指先が小刻みに震えだすのを抑えられない。
「……ねぇ、慧」
机の上に身を乗り出した名緒は、すがるように、彼に問いかけていた。
「私に、女の子の幽霊がついてない?」
下津浦慧は、五年前に亡くなったのだという。
この教室──つまり3年A組に在籍していたが、不慮の事故により命を落としたらしい。
「学校で死んだわけじゃないんだけど、目が覚めたら何故かこの教室にいたんだよね。それからず~っとここにいるってわけ」
他のクラスメイトが全て帰宅し、教室内にふたりきりになってから、ようやく名緒は人目を気にせず慧と会話ができるようになった。傾いた日の光が差し込む静かな教室の中で、慧は相変わらず空中に浮いたまま、名緒に自身のことを教えてくれた。体が透けたりしているわけではないが、自由自在に浮遊するその姿は紛れもなく幽霊である。
「……それで、なんでみんなは君のことを『クラスメイト』だと認識してるわけ?」
最も気になっていたその質問に、慧は体を上下180度回転させながら「う~ん」と唸った。……その、重力を無視した自由な動きは少々気が散るのでやめてほしいのだが。
「なんか、自分でもよくわからないんだけど。そういう呪いがみんなにかかっちゃってるっぽいんだよね」
「……呪い?」
「そう。僕の記憶をみんなに植え付けるっていう、呪い」
記憶を、植え付ける。
みんなはそのせいで、このクラスにはいないはずの「下津浦慧」をクラスメイトとして認識していたということだろうか。
「みんな僕のことが見えていないし、当然話したこともない。でも呪いによって、『クラスメイトに下津浦慧がいる』っていう認識と、僕に関する架空の記憶が植え付けられていった……まあ、ざっくりまとめるとそんな感じかな」
「……でもそれって、どこかで認識の齟齬が発生するんじゃないの? 他のクラスの人とかは、君のこと知らないわけでしょ」
「そう、そこが不思議なんだよねー。どうなってるのか知りたいんだけど、僕、この教室から出られないから。よくわからないままなんだ」
名緒は眉根を寄せて、頬杖をついた。なんだかややこしくて、頭の中が混乱してくる。
「……出席簿とかは? 君の名前、当然だけど載ってないんでしょ。出欠の時とか、先生は不思議に思うんじゃないの?」
「そこらへんも、なんか都合良くスルーされるんだよね~。出欠を取られたことも一度もないのに、みんなそのことを変に思わないんだ。ちなみに五年間ずっとこんな感じだから、君のひとつうえの先輩たちも、そのまた上の先輩たちも、僕のことをクラスメイトとして認識してたよ」
あっけらかんとした表情と声で、慧は不可思議な現状を説明する。
彼の話を信じるなら、五年間ずっと、この教室にいたということだ。その中で、自分の置かれた状態を分析する時間なんて嫌になるほどあったのだろう。
慧は、今の状態をすっかり受け入れているように見えた。
「……さっき、みんなは君のことが見えてないって言ってたけど」
「そう! 僕のことが見えた子、君が初めてなんだよ。上城名緒ちゃん?」
ずっと教室にいてクラスの様子を見ていたのなら、名前も知られていて当然だろう。しかし、一方的にずっと見られていたという事実がなんだかむず痒くて、名緒はそっぽを向いた。
「……ちゃん、はやめて」
「じゃあ、名緒」
にっこりと人懐っこい顔で笑う慧に、名緒は諦めたように視線を戻す。
「……でも、わからないんだけど。なんで私にだけ……ええっと、慧、が見えて、そのうえ『このクラスの生徒じゃない』って正しく認識できてるの? しかも、急に見えるようになったし」
霊感など皆無だ。今までに霊の類が見えたことは一度もない。
それなのに、なぜ自分が。
疑問を口にすると、慧がすっと目を細めた。急に今までとは異なる温度を持った眼差しに、名緒は内心たじろぐ。
慧の白い人差し指が伸びて、まっすぐに名緒を指した。
「君には、別の呪いがかかってる。その呪いと、僕の呪いが共鳴したのかもしれない」
彼のその言葉を聞いた途端、名緒は自身の体が手の先から徐々に温度を失っていくのを感じた。
心臓が嫌に大きく脈打ち、指先が小刻みに震えだすのを抑えられない。
「……ねぇ、慧」
机の上に身を乗り出した名緒は、すがるように、彼に問いかけていた。
「私に、女の子の幽霊がついてない?」