「この辺でいいか。クラウス、出してもいいぞ」

 ウルセルさんと城壁の外の十分な広さのある平原までやってきた。
 たしかにここなら、あの巨大なアダマンタイトでも問題なさそうだ。僕は収納袋の口を開いて、アダマンタイトをスルリと取り出した。

 現れた魔物はやっぱり山を切り取ってきたみたいに巨大だ。僕が魔力の流れを止めたから、動けないままになっている。
 通常だと魔力の流れを止めると三分から五分ほどで息絶えるけど、収納袋の中に入れたから大丈夫みたいだ。

「なあ、クラウスの依頼ってアダマンタイトの討伐だよな?」
「はい、そうです。だからアダマンタイトを倒してきました」

 僕はポケットに入れていた依頼書を再度確認してみる。確かにそこには、クレイン山に生息するアダマンタイトの討伐と記載されていた。

「いや、これ……アダマンタイトじゃないんだけど?」
「え? でもクレイン山の大きな魔物の気配はこれだけでしたよ?」
「いや、これ…………聖獣玄武だ」
「……え? セイジュウゲンブってなんですか?」

 絶句していたウルセルさんは、僕の問いにはすぐに答えてくれなかった。
 しまった……今回は間違いなくやらかしてしまったようだ。討伐対象じゃない魔物では報酬がもらえない。失敗どころか大失敗だ。
 とりあえず僕は呆然としているウルセルさんが、こっちに戻ってくるのを待つことにした。


 ***


「おい! 誰かおらんのか!? さっきから何度も呼んでいるんだぞ!!」

 先ほどから何度も声を上げているのに、魔導士団の団長である私の呼びかけに返事はない。今日も朝から苛立つことばかりだった。
 先日やっと既定の採用期間が経過して、最高のタイミングで使えなかった『色なし』を解雇したというのに、魔導士団の業務は滞るばかりだ。

 まったくアイツらはなにをやっているのだ! サボってばかりなら罰を与えねばならんな!!
 魔導士たちが事務仕事をする部屋の扉を乱暴に開け放ち、まずは叱責する。

「お前たちはなにをやっているのだ!? 邪魔者は排除したというのに、なぜ仕事が進んでいないのだ!!」

 しかし、そこにいたのはテキトンとウカリだけだった。

「おい! 他の団員たちはどうしたのだ!?」
「他の奴らは騎士団の応援要請で出払ってますよ」
 テキトンが忌々しげに書類仕事をしながら答えた。コイツが書類仕事をしているところを見たのは、何年ぶりだろうか。
「では、赤魔導士はどうしたのだ!?」
「騎士団の奴らがやたら怪我するんで、治療室の応援にいってます」

 今度はウカリがため息をつきながら答える。

「治療室にはあの老ぼれ赤魔導士がいるではないか!?」
「いえ、騎士団長様から直々に応援依頼があったんですよ! 最近の治療が追いついてないって」
「なんだとぉ!?」

 なぜ今まで回っていたものが回らなくなっているのだ!? さてはあの老ぼれ赤魔導士が手を抜いているのか!
 私はあまりにも酷ければ老ぼれ赤魔導士もクビにするつもりで、一階にある医療区画を訪れた。だがそこで目にしたのは、治療室の前の待合室にあふれかえる人々だった。

「なんだ!? これは、一体どうなっているのだ!?」

 赤魔導士たちは簡単な怪我ならその場で治療し、重症者については番号札を配って順番待ちしている間に簡単な処置を施している。

「次、五六番の方!」

 その時、助手らしい若手の赤魔導士が治療室から出てきたので、私は老ぼれ赤魔導士に文句を言おうと治療室に足を踏み入れた。

「おい! タマラ!! この状況はなんなのだ、手を抜くな!!」

 目に飛び込んできたのは机の上に転がる無数の回復薬の瓶と、無詠唱で治癒魔法を使っているタマラだった。

「今は治療中だ! 患者以外は入室禁止だよ! 出ていっておくれ!」
「う、うぐ……」

 私はしかたなく、待合室にいる赤魔導士に声をかけた。

「おい! これはどうなっているのだ!?」
「えっ、あ、あの最初はここまでじゃなかったんですけど……日に日に増えていって、もうギリギリなんです! フール団長、なんとかしてください!」

 赤魔導士が半泣きで泣きついてきた。
 日に日に増えているだって? なぜだ? 騎士団でなにかやっているのか?

「フール団長か! いまお伺いしようとしていたのです。ちょっとよろしいですか?」

 声をかけてきたのはアラン騎士団長だった。青二才の分際で騎士団長に抜擢された運のいい奴だ。

「なんですかな? 私は忙しいんだ」
「では簡潔に話します。言いにくいのだが、治癒魔法の効果が以前より落ちていて全快までに時間がかかりすぎています。必然的に騎士が足りなくなり影響が出ているので、以前のように戻していただけませんか?」
「は? どういうことだ? 私はなにもしていないぞ?」
「そうですか……ただ、最近やけに魔物が活発なので我らも厳しいのです。どうか改善をお願いいたします。では、この後は陛下に呼ばれていますので失礼します」

 青二才が言いたいことだけ言って、さっさと陛下のいる中央棟の政務区画へと向かっていった。



 さらに苛立ちを抱えて、私は自分の執務室に戻ってきた。
 仕事をやらせるどころか、これでは今日も残業だ。この一週間でジワジワと仕事が溜まってきている。私を待っている者がいるのに、定期的な街の視察もできていない。

 最近は残業続きになって妻からは浮気を疑われている。せっかく仕事がしやすい環境になったというのに、使えない団員たちのせいでこちらまで被害が来ている。

 気を取り直して書類仕事に取り掛かろうとした時だ、バタバタと廊下をかけてくる足音が聞こえた。
 ノックもせずにドアを開けて、伝令係の赤魔導士が息を切らして入ってきた。

「団長!! 団長ぉぉ!! た、た、た、大変です!!」
「なんなのだ! 私の邪魔をするなっ!!」
「魔物が……! 魔物が外壁の外にあらわれたんです!! 山みたいに大きくて、今、騎士団も向かってます!」
「なにっ!? 魔物だと!!」

 赤魔導士が窓の外へと指さす先を見ると、街を囲む外壁の向こうに山のように大きな魔物が鎮座していた。

「なっ……なんだ、あれは……!!」
「団長、至急魔導士団の配置をお願いします!!」
 あまりの衝撃に開いた口がふさがらない。赤魔導士の言葉がやけに遠くに聞こえた。


 ***


「あの、ウルセルさん……?」

 あまりにこちらに帰ってこないので、そっと声をかけてみる。
 するとようやく我に帰ったウルセルさんが、僕の両肩をガシッとつかんできた。

「クラウス! これ、どこで見つけた!? どんな様子だった!?」
「えっ、えーと、クレイン山の頂上付近にいて……ゆっくり歩いてました。それからいきなり攻撃してきたので、倒したんです。魔物特有の赤目だったし間違いないと思って……」
「目の色が赤かったのか!? 額の宝珠の色はみたか!?」

 ウルセルさんがさらに真剣な表情で問いかけてくる。ただならぬ空気を感じて、僕は注意深く思い出した。

「額の宝珠は……黒かったと思います。目だけが赤くなっていました」
 だからこそ、鮮烈に印象に残ってるんだ。あの魔物と同じ凶暴な殺意のこもった目をしていた。
「そうか……あ、すまないな。ところで、コレはどういう状態なんだ?」
「あっ、魔力の流れを止めてるんです! これって元に戻しても大丈夫ですか?」
「うお! マジか! 今すぐ元に戻してくれ!!」

 珍しくウルセルさんが青くなっていた。どうやら僕はやってはいけないことをしてしまったようだ。魔石になっていないから、まだ取り返しがつくとは思う。

「強制魔力解放(フォストマジック)!」

 山のような巨体に触れて、僕の魔力を流し込む。とめるときは何度も青魔法を使ったけど、回復するときは一度で大丈夫だったようで、魔力を流し込むとその身体をわずかに揺らした。
 ゆっくりと開かれた大きな瞳は黒曜石のような艶のある漆黒に変わっていた。

「もしかして……なにか異常事態だった……?」

 ポツリと呟いた僕の独り言に返すように、頭の中に声が響いた。

《まさしくその通りだ。貴殿が我を治してくれたのだな。感謝する》
「えっ! 魔物がしゃべった!? いや、違うか……頭に直接響いてきた?」
《我は魔物ではない。四聖獣がひとり玄武である》

 ウルセルさんを見ると、なにも聞こえてないようで不思議そうな顔をしている。どうやら僕にしか聞こえないみたいだ。
 どうなっているんだろう? 僕の魔力を流し込んだから聞こえるのか?

《そうか……我の声が聞こえるとは、貴殿が次の——》

 その時だ。この巨大な聖獣を魔物だと勘違いした騎士団と魔導士団がやってきて、討伐の準備に入っていた。

「やはり魔物だ! 全員陣形を崩すな!!」
「第一部隊はこっちだ! 第二部隊は左翼へ——」
「おお! 魔導士団も到着したぞ!!」
「これは……! やはり魔物ですな! 黒魔導士は騎士団の後ろで構えよ!!」
「赤魔導士は五人ひと組で等間隔に配置だ!!」
 物々しい空気に彼らの本気を感じる。ここで聖獣と戦闘になったら、どっちの味方につけばいいんだ?

 これは、もしかしなくてもヤバい状況ってやつじゃないか?
 ど、どうしよう————!?

 チラリと見上げたウルセルさんは、騎士団と魔導士団をじっと見つめていた。