『この星で、最後の愛を語る。』~The Phantom World War~

 アデルのその言葉が聞こえた瞬間、景色が一変する。それは何時しか見た厄災の友達が焼ける場面だった。仲間たちが焼かれているその下、小さな褐色の手が見える。魔人の物ではない。人間の子供、幼年期程だろうか。五歳、いや六歳程度の人間の子供の手に見えた。

「魔族や魔人に褐色の肌を持つ者はいない、俺はそう聞かされてきたが真実はどうなんだ」

 炎でそう見えるとは言えなかった、隣に魔人の子供の足が出ているが肌の色は全く別物だった。それを見た厄災は膝から崩れ落ちる。

「我等魔人に褐色の肌は居ない、生まれることは決して無かった――」

 そっとその褐色の持ち主に手を伸ばす、しかし触れることはできない。スッと通り抜けてしまった手に力がこもる。

「私は、人間を憎んでいた。しかし実際は私の考えるものとは異なっていた、私達に手を差し伸べてきた人間を私は……私はあの人達を」

 厄災は後悔した、悔やんでも悔やみきれない程の悲しみが突如として彼を襲った。誤解の一言で済まされる事ではない過去の過ちが彼に降りかかる。

「俺も炎の厄災については師匠に聞かされた話だ、詳しくは知らねぇ。だがお前達魔人にひどい仕打ちをしたのは人間だ。それを否定するつもりはねぇが、お前達にひどい仕打ちをした奴らを。俺はそいつらに覚えがある」

 もう一度指を鳴らすと今度は外の景色へと切り替わった、此処でアデルはずっと不思議に思っていたことがあった。それは泣き崩れる人々の正面に立つ軍人の姿だった。

「イゴール、お前が憎むべき相手はこいつらじゃないか」

 涙は流れていなかったが、後悔で泣いて蹲って肩を震わしている厄災にアデルは問う。顔を上げて問われた軍人の後ろ姿を見て。

「お前が憎むべきはこの軍人たち、帝国軍の人間だ」

 あれから数分、彼等は焦土の景色へと戻ってきていた。
 アデルは地面に突き刺さったグルブエレスを引き抜きそれを鞘に納める、厄災はあれからずっとどこか遠くを見ているかのように一点だけを見つめている。動かずただひたすらと遠くの一点だけを見つめていた。

「終わったのか小僧」

 体の動きを封じられていた炎帝が突如として動き出してアデルに問う。それに対して首を横に振って静かにアデルは答えた。

「イゴールのほうは終わった、後は逆光剣でこいつを消し去れば俺のミッションは終了だと思うけど」

 視線をずっと立ち尽くしているレイ本体へと移す、微動だに動くことなくそこに立っている。

「その前にレイをどうやって正気に戻すか」
「何じゃと?」
「仮に今イゴールをレイの体から除去したところで本人がこの状態じゃ廃人と同じだと思うんだ。魂の無い抜け殻みたいな状態になっちまう」

 ゆっくりとレイの元へと足を運ぶアデル、ずっと怯えていた小さなレイはやっと正気を取り戻して泣くのをやめた。その小さなレイを炎帝が介抱し抱きかかえる。

「多分こいつは、イゴールに見せられたあの記憶をそのまま真正面から受け止めちまったんだ。まっすぐな性格してるだけあって多分トラウマにも似たものを植え付けられたんだと思う。それから自分自身人間の事を信じられずに自身暗鬼になって塞がっちまったんだろう」

 それは異常なまでにレイの心境を獲ていた。何故アデルがこうまでもレイの現状を把握できたのか、それは再起動にある。厄災の記憶に再起動を掛けた時、互いの深層意識がリンクしてる厄災とレイの心の中を同時に覗くことができた。正しくはレイの意識が流れ込んできたと言えば正しいだろう。

「確かにあんなものまともに受け止めちまったら俺だって狂っちまいそうだ、それを助けてくれたのがレイだ。こいつ、こんなんになっても多少なり俺の事考えてくれてるみたいでよ。まぁなんでか恨まれたけど」
「恨まれていた?」
「あぁ、今更何の用だってさ。イゴールの記憶より俺はそっちに腹が立って半場それどころじゃなかった。だからこそある意味客観的にイゴールの記憶を見ることが出来たのかもしれねぇ」

 淡々と寂しそうな表情をしてアデルは話す、だがその右手は握り拳を作っていた。

「だが俺はそれが気に入らねぇ、レイはそんな男じゃねぇんだ。自分の意思を他人に捻じ曲げられるようなやわな人間じゃないんだ、それをこんなにも簡単に洗脳されちまったコイツが気に入らねぇ!」

 左足を一歩前に踏み出して地面を踏み込んだ、腰を捻って右腕を大きく後ろに振りかぶって反動をつける。

「レイ、歯ぁ食いしばれこのくそったれ野郎!」

 腰を入れて思いっきりレイの左頬に自分の右手を力いっぱい殴った。殴られた衝撃でレイの目に光が戻り意識を呼び起こした。だが殴られた衝撃は無防備でただ立っていたレイの体を吹き飛ばす結果になる。そしてあたりの景色が一変する。最初に現れた無限に広がる広大な草原へと移り変わった。
 全力で殴った、文字通り全力全開で自分の親友を殴り飛ばす。レイ自身意識が戻ってきたが自分が現在どんな状況に置かれているのか全く理解できていなかった。

「目ぇ覚めたかこの野郎!」
「アデル? え、何がどうなってるんだ」

 レイは殴られた左頬を押さえながらゆっくりと立ち上がる、最後に見た景色とは別の場所にいることに驚きながら辺りを見渡し、今自分がおかれている状況を整理し始める。

「確か僕は、イゴールの記憶を見せられて……そうだ、イゴールは!?」

 アデルが正気に戻ったレイを見て一安心する、ほっと胸を下すと首を傾げて後ろに向けて親指を突き立てる。そこには厄災が立っている。相変わらず遠くの一点を見つめて。

「お前はあいつに洗脳されていた、それを俺が解除してあいつの事もどうにか大人しくさせたんだ。もう悪いことはしねぇだろうよ」
「そっか。いや、助かったよアデル」

 レイが素直に感謝を述べている横で炎帝はため息をつく、ゆっくりと小さなレイを下すと手をつないでアデル達の元へと歩み寄る。

「何が解除したじゃ、お主はただ思いっきり殴っただけじゃないか」

 炎帝が渋い顔をして話しかける、それを聞いたアデルは気分を悪くしてムッとにらみつける。

「この方は?」
「炎のエレメント、炎帝ヴォルカニックじゃ。お主とは本来なら相容れぬ存在じゃよ、今はアデルの深層意識とリンクしているからこそこうして会話することもできるがの」

 そう、本来であればレイに炎のエレメントに対する適応力がない為こうして会話することも姿を見ることもできない。だが存在だけは感じることはできる。

「そうですか、お手数をお掛けしましたご老人。それと――」

 炎帝と手を繋いでいる小さな子供に目を向ける、すると小さなレイは肩をビクッと震わせ炎帝の後ろへと隠れてしまった。

「この子は、僕?」
「ケルミナ襲撃の時のお前だ。自分でも無意識のうちにあの記憶から隔離しちまったんだろう」
「あの記憶?」

 レイが首を傾げた、それにアデルは驚く様子もなく何かを悟ったような表情をした。あの残虐な記憶を思い出さないように記憶だけを分離したのだろう。だが同時に小さなレイにアデルは複雑な表情を向けた。

「アデル?」
「いや、大丈夫だ。なぁちびっ子」

 アデルがゆっくりと足を曲げて小さなレイと同じ目線に顔を落として複雑な表情を今まで誰も見た事のないような優しい微笑みを見せた。

「大変だったな、俺の親友を守ってくれてたんだな。ありがとう」

 そう言って頭に右手を乗せ撫でた。思えばこの世界にダイブしてきた、レイを見つけ声をかけた時もこの小さなレイが本人を庇う様にアデルの注意を引いていた。この子は自分だけ辛い思いを、あの悲惨な思い出を何度も何度も繰り返し見続けてきた。その記憶を本人に悟られないように、記憶が漏れ出さないように。

「辛かったな」

 ゆっくりと小さなレイを引き寄せて抱きしめた。当時の年齢でいえば七歳、そんな小さな子供が自分の将来の事を考え行った小さな行動。だがそれは大きな勇気でもあった。抱きしめられた小さなレイはその言葉に目から大きな、大粒の涙を零した。

 アデルがレイの深層意識の中にダイブしてから一時間、カルナック達は外で暖を取っていた。深々と降り続けていた雪は次第にその勢いを弱めていた。ふと家のほうに目をやると今回の損害が良く分かる。玄関は破壊されそのまま今が見えている。その先は無事だが垣根も何も粉々に破壊されていた。いや、これだけの被害でよく済んだものだと逆に感心する。
 一度エーテルバーストを引き起こした者は以前の力とはかけ離れた力を保有する。人としてその姿を保っていた事、完全に暴走する寸前で事を食い止めた事、何をとっても偶然の産物に過ぎない。かの英雄、剣聖の力をもってしても抑える事の出来なかったレイの暴走。今まで彼が見てきた暴走の中でも遥かに破壊力を誇っていた。仮にアデルの目覚めが少しでも遅かったらと考えると、ゾッとする。

 予想外の事態が次々と起こる中、カルナックは考える。このまま彼らを行かせていいものだろうか、現状剣聖結界を使用できるのはアデルただ一人、レイはおそらく今回で習得することはできないだろう。その事をこの一時間ずっと考えていた。今後予想される戦いについて、もっと多くの事を教えておくべきことがあった。それを若さ故に教えることを躊躇ってきた自分に多少なりの後悔を抱いていた。

 カルナックが教えてきたことは主に三つ、法術の使い方、剣術、そして生き残る術の三つ。この中で今回の剣聖結界を除き、剣術に関しては全てを教えてはいなかった。思い出してほしい、以前アデルがギズー奪還の際に使用した刀を。本来アデルは曲刀のグルブエレスと細身のツインシグナルを操る二刀流の剣士、その彼があの時自分がカルナックの者だと気が付かせるために使った刀。カルナック流抜刀術である。その神髄は神速の一太刀、抜刀時の速度を利用した目にも止まらない一閃がカルナック流の抜刀術である。その中でまだアデルに教えていない技はいくつか残っている。この技は彼の弟子の中にも使い手がいる、それがレイヴンである。対峙した時は使用することはなかったが免許皆伝の実力を誇る。

 カルナック流抜刀術の中でも奥義として伝授されるのが先の戦闘で彼が見せた六幻。そこに至るまでに五つの工程があった。初太刀から始まる連続の高速抜刀攻撃、そのすべての工程を含めた奥義こそ六幻である。アデルが教わっているのは初太刀、二の太刀、三の太刀、四の太刀、五の太刀。それ以上先は通常時のカルナックでも難しいと言われる残像を残した六方からの同時多段攻撃。剣聖結界時であれば使用することも難しくないソレだが、体に掛かる負担は大きい。自信を強化する剣聖結界時にだからこそできる技ともいえる。それを通常時に行えるカルナックはやはり剣術の腕でも人のそれとはかけ離れていた。

「全く呑気なもんだな」

 何処からともなく声が聞こえてきた、カルナック達の耳には届いていないその声は家の二階から聞こえてきた。この家で唯一何事も被害が及んでいない二階、それには理由があった。
 その理由はこの声の主でもある、カルナックが飼いならしている一羽のフクロウの声である。このフクロウはカルナックがその昔まだ旅人として世界を旅して回っていた時代にまで遡る。その希少性から普段生活では見かけることのないこの喋るフクロウ、途轍もないエーテルの持ち主でもあった。このフクロウは客人等が訪れた際に家に防壁を張る役割をいなっている。現在二階で寝ているのはメル、プリムラ、ビュートの三名。喋るフクロウによる特殊な結界によって守られている、その性能はカルナックが展開する障壁にも匹敵する恐るべき性能だった。彼が旅の途中でけがをしているフクロウを助けた処からこの奇妙な関係は続いている。元をただせば魔族がかつて飼っていた種族だというがそれは文献上だけの話、実際のところはどうかわからないでいる。だが、そのエーテル量から考えてみれば不思議と納得するものでもあった。その証拠に西大陸発祥の動物群は持ち合わせているエーテル量が中央大陸や東大陸に生息している動物に比べて遥かに多い。

 もともと魔族が生み出した魔物という仮説も文献では残っているがそれは今となっては分からない。現在の世界で魔族の生き残りは希少でありめったに姿を人前に出さないからだ。それは千年前の炎の厄災にまで遡る話でもある。かつて炎の厄災によって広大な被害を受けた西大陸であるが、その時ほぼ魔族は絶滅したと思われていた、しかし近年になり魔族と思われる者が現在の西大陸を統治する国家にて保護されたという話があった。人数としては十数名、ギルドから伝わってきた話で信憑性は高い。現在の世界において彼等以上に希少な存在は居ない。
 魔族たちは格別人間に怯える様子はなかったという。むしろ恐れているのは自分たちが過去に作ってしまった魔人の存在であった。魔族に元々感情意識は少なく、人間と配合して生まれた魔人は人間の感情を受け継いで生まれてくる。その結果引き起ったのが最悪の厄災だった。
 話を戻そう、カルナックはこの結果を見て一つの決断をする。それを告げるのはもう少し先になるだろう。アデルが無事にレイを救出し、炎の厄災を消し去り無事に帰ってきた時。FOS軍は知ることになる。



 あれから数分、レイの深層意識の中で彼らは最後の作業へと取り掛かる準備を始めた。厄災をレイの中から消し去ることだ。だがアデルは悩んでいた。

「イゴール、最後に何か言い残すことはないか?」

 すぐれない面持ちで厄災にアデルが尋ねる、その声にゆっくりと振り向き裂けた口が動く。

「私は、またあの暗くて何もない空間に戻るのか」

 先程までの威勢が完全に消えていた、自分が犯した事への後悔に押し潰されそうになりながらそう答える。アデルはゆっくりと首を横に振って。

「分からねぇ、お前がどこに戻るのかなんて俺には予想も出来ねぇ。わりぃな」
「そうか。いや、謝ることなどないさアデル君。これより続く虚無は私が犯した罪への贖罪なのだろう。私達魔人に手を差し伸べてくれた人々を恨み、焼き払い、生き残っていた同胞まで手を掛けてしまった私自身の罪だ」

 落ち込んでいるだろう、だが決して悟られまいと少しでも明るく振舞おうとしている。それが痛々しく見える、本当なら泣き出したいところなのだろうとアデルが察する。

「言い残すことがあるとすれば、一つだけ願いを聞いてもらえないだろうか?」

 草原に穏やかな風が一つ吹いた、厄災の後ろの方から吹く風にアデル達は向かい風として受け止める。少しの沈黙がその場を流れ、ゆっくりと厄災は口を動かした。

「少年の目からずっと見てきたからわかる、まだこの時代にも私達魔人をあんな目に合わせた帝国がいるのだろう? ならばその帝国に一矢報いたい。私のような存在を二度と産み出さない為にも……必ずあいつらを倒してほしい」

 涙が流れたように見えた、アデルはこれ程までに悔やんでいる厄災の姿を見て痛感する。本当であれば自分のその手で復讐を成し遂げたいだろうと、自分の手で帝国の壊滅を望んでいるのだろうと。だがそれはもう叶う事のない願いである。それを自分たちに託すということがどれほど悔しいか、それを汲んでやることが事が出来ない自分に腹が立つ。何より、炎の厄災について本当の事を知ってしまったアデルにとって。自分がもしも同じ立場であったらと考えると、悔しくてたまらないだろう。なんと無念なことだろうと。

「イゴール、お前」
「私に成り代わり、君達に託したい。我が同胞の無念を君達に」

 アデルは今一度握り拳を強く握った、目の前の悲惨な運命を辿った魔人との約束。それを引き受ける覚悟と、これより先に起こる自分達の戒めと一緒に。

「レイ君、君には迷惑をかけてしまったな。我等が最後の同胞、ほんの僅かな間だったが私はもう一度同胞と出会えたことに感謝している。こんな事になってしまって申し訳ない、許してほしいとは思ってないが」

 アデルの後ろで事の成り行きを見守っていたレイに突如として声がかかる、厄災は変わることのない表情ではあったがどこか悲しそうな表情にも見えていた。

「君にも聞き入れてほしい、私が引き起こした厄災ではあるが――我等を苦しめてきた帝国に報いを、我等が同胞に救いを、どうか頼みます」

 それに対してレイは何も言わなかった、頷きもせず目を離すこともせず、口を開くこともせずただひたすら厄災を見つめていた。そしてアデルが腰から剣を引き抜き逆光剣を打つ体制へと移行する。